女王の箱庭

岬 茉莉花
@misaki_malika

第9話 その瞳に宿る光を

 

 午前9時。姫が出揃ったことで、生徒達の間では”誰が姫に選ばれた”だの”あの子は絶対これになった”だのと、早速噂が人から人へ闊歩し始めていた。それは勿論、生徒だけではなく職員達の間でも同じ事で、姫に選ばれた生徒に関する話は今日一日の話題としてうってつけだった。

 愛美の担任である大崎は、職員達での情報が生徒達に広まらないよう、教員一人ひとりに念を押してから自身の教室へと向かっている。

 今朝の朝礼をこの季節にやってきた実習生に押し付けてしまった事に罪悪感を感じつつ、教室の前で大きく深呼吸をし、扉に手をかけたーーーその時、誰かの手が扉を開こうとする大崎の手首を掴んだ。酷く白い陶器の様な美しい左手の主は、大崎の手を持ち上げると彼と扉の間に入り、張り付けたような笑顔を見せる。

「き、君……いえ、貴方は……王様……」

 手の主は一人の少年、女王の腹心である王様・天璋院 鞠夜てんしょういん まりやだ。彼はシーっと唇に人差し指を宛て、小声で呟く

「おはようございます。大崎先生……少しお話がありまして、お時間いただいてもいいですよね?」

「あ……しかし鞠夜様、私はこれから授業がありますので」

「”僕が話がある”と言っているんですよ?大崎先生……この意味が分からない訳じゃないですよね?」

「っ……」

「この後の大崎先生の予定には、”全て”代理を立ててありますから大丈夫です」

「し、しかし……!!」

「”僕が来いと言っているんだ、大人しく来い。奴隷”」

「ヒィッ!!」

 深い血の色のような鞠夜の瞳から放たれる、有無を言わさない鋭い視線が大崎の瞳を捕らえた。男子にしては中性的で整った人形のような彼の美貌と合わせると、まるで大崎は蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなってしまう。

「来い」

 一言、鞠夜の声が大崎の頭の中で鳴り響くと大崎の体が意思に反して動き出し、掴まれた腕を引かれその場を去る。入れ違いに鞠夜が用意した代理が教室に入れば、違う教師が入ったことに戸惑う声が生徒達から上がったが、すぐに何も変わらぬいつも通りの授業が始まった。






  【第二保健室】


 昨日と同じように緒方に付き添われ、第二保健室へやってきた愛美。姫に選ばれて二日目、保健室通いも二日目になった。昨日と変わったのはきちんと愛美が歩いてきたことぐらいで、相変わらずドアノブを掴むを掴む手は震えている。

「姫、大丈夫ですか?」

 緒方が心配そうな声音で問いかけた。愛美は一言、「だいじょうぶです」とぎこちなく返すと深呼吸を一つ吐いて、ドアノブを捻り中へと踏み込んだ。 

「おはよう……ございます」

 弱々しい挨拶。その挨拶はどうやら久我の耳には届いていなかったのか、当の本人からの返答の挨拶はなく、何やら深刻な面持ちをして考えているようだった。

 愛美は緒方へ困ったように視線を向けて、不安げな面持ちの愛美の肩に優しく手を乗せる。そして、耳元に近づいて「もう一度、ご挨拶を。今度はもっとはっきりと」と囁いて愛美を励ました。

「もう一度・・・・・・お、おはようございます!!!」

 普段人とあまり話すこともなければ、まして挨拶もめったに交わさない生活が続いている。久しぶりに大きな声を出そうとして、ついつい上ずってしまったが、どうやらそれは功を奏したようで、挨拶をされた張本人は少し驚いた様子から苦笑しつつ

「おはようございます、神田さん。気づかなくてごめんね」

「あ、え、あの・・・・・・こちらこそ、すみません。お仕事の邪魔をしてしまって」

「いや、神田さんは何も悪くないよ」

「おはようございます、久我先生」

「緒方さん、おはようございます。今日も付き添いで?」

「勿論です。姫の身の回りのお世話をする、それはいつもの送迎も含めて・・・・・・執事の務めですので」

「そうなんですね、ご苦労様です」

「いえ、これくらい朝飯前です。それでは先生、本日も一日、姫をよろしくお願いいたします」

「はい、確かに承りました」

「では、姫。昨日と同じく、本日も夕方ごろお迎えに参ります」

「は、はい!よろしくおねがいします」

「それでは、失礼いたします」

 緒方は一礼して保健室を後にした。昨日よりも早い緒方の退場に愛美は少々心細さを覚えつつも、改めて久我に向き直る。昨日初めてあったばかりの人物故に、愛美は当然慣れるはずもなく、どことなく肩身が狭そうにしていた。

「神田さん?大丈夫かい?」

 自分よりも背の低い女子高生、少しかがめば不安げな表情も久我には見えてしまう。優しい声が愛美を気遣い名前を呼ぶ。愛美は少し顔をあげると久我の顔が目の前にあり、思わず小さな悲鳴を上げて、バランスを崩した愛美はそのまま後ろに倒れそうになる。

「おっと危ない!」

 間一髪のところで久我が抱き止め難を逃れるも、学園中の女子が口々に噂をするほどの容姿。当然、愛美も年頃の少女、目の前にはイケメンがいる・・・・・・彼女は顔を紅潮させ、先程とは別の意味で動けなくなってしまった。

「本当に大丈夫?どこか体調が優れないのかな?」

「だ、だ、だだだ、大丈夫です!!!」

「そうかい?ならいいんだけど、無理はダメだよ?」

「は、はい!」

 愛美は抱きとめてくれていた久我の腕の中から逃れ首を振り、そそくさとソファに腰掛けた。久我はそれに続いて、自分の机の上に置いた先程の資料を手に取って、愛美の前のテーブルに優しく置く。

 それから久我は愛美に言う。

「とりあえず、まずはお茶にしようか。紅茶とコーヒー、どっちがいい?」

「紅茶とコーヒーですか・・・・・・?」

「うん。どちらも砂糖とミルクはつけるつもりだけど、どちらが好みかなと思って」

「あ・・・・・・では、紅茶で・・・・・・お願いします」

「紅茶だね。ちょっと待っててくれ」

 爽やかに微笑む久我とその笑顔にまた赤くなり、顔を伏せてしまう愛美。保健室という場所には似合わない可愛らしいティーカップとソーサーを用意して、温かい紅茶を注ぐ。柔らかく優しい紅茶の香りが漂い、それはやがて愛美の前に差し出された。

「はい、お待たせしました」

「ありがとう・・・・・・ございます」

「砂糖とミルクは、ここから好きなだけ使ってくれて構わないよ」

「あ、はい・・・・・・」

 愛美は小さく頷いて一本だけスティックシュガーを手に取り、紅茶へと混ぜる。ティースプーンでかき混ぜてやれば、砂糖の姿はあっという間になくなって何事もなかったように自分の顔が映った。

 ダサさ丸出しの丸眼鏡をつけた自分の顔が自分を見つめ返して、ふとこんなことを思い出した。


 姉が流神学園に入学する一年程前だっただろうか。その日は確かクラブ活動のない月曜日で、愛美は友人と一緒に帰る約束をしていたが担任に呼び出しをくらって、下駄箱へ来るのに少し遅くなったしまった時だったと思う。

 下駄箱で待っていた友人を見つけるやいなや、遅くなってごめんと息を切らしながら謝った。それから下げた頭を上げて友人の顔を見たときに言われたのだ。

「ほんと、アンタのその目見てるとさ、ムカつくんだけど」

 友達だと思っていた女子からの一言だ。思えば人から疎まれるようになったのは、この頃からだった。

 事の発端はもう覚えていないが、彼女曰く愛美の目は見ているとイライラするそうだ。なら見なければいいだろうと今ならば思うが、当時の愛美にはそこまでの思考はまだないくらいには幼かったので、ただただショックを受けて何も返せず俯いていた。

 何も言い返せない姿に彼女の怒りは更に増していき、やがて愛美の頬に衝撃と痛みを与えた。頬を力いっぱい叩かれた、そう理解するのに時間はかかったが。

「ご、ごめ・・・・・・」

「うるさい!!!うざい!!!!」

「ごめんなさい……」

 叩かれた痛みからか、それとも自身への謂れもない罵倒からか、愛美の目から大粒も涙が溢れて流れる。

「は?何泣いてんのよ?」

 愛美が涙を流しても、彼女の怒りは収まるどころか火に油を注いでしまったらしく、今度は拳骨で反対の頬を殴られた。ショックで力の入らない体は、その勢いに押され成すがままに床に倒れる。

「ごめんなさい……ごめんなさい!」

 彼女の言葉の真意はともかく、愛美は自分のせいで怒っている友人にひたすら謝り続けるしかなかった。こんな痛いことはやめてくれと言って抵抗すれば、もしかしたら病院に運ばれるほどにはならなかったのかもしれないのに。

 思えばこの丸眼鏡を掛けるようになったもの、この日を境にからだったとぼんやり思い出した。


「紅茶は……お気に召さなかったかい?」

 紅茶を見つめたまま固まる愛美の耳に優しい声が入ってくる。はたと気付いて目をやるとそこには少し不安げな表情を浮かべた久我の姿があった。昔のことを思い出していたなどと口にすることもできず、つい反射的に「何でもありません」と答えてしまった。久我は優しい。彼の真意まではわからずとも、今の愛美にとって偽善でもその優しさはとてもありがたいものだった。

「なら良いけど、本当に嫌なことがあれば嫌だと言っていいからね」

「…………」

「(まあ、そう簡単に話せる事じゃないだろうけど……)」

 心に深い傷を負った少年少女は容易く人を信用できない、教育実習時代に恩師から言われたその言葉が久我の中で回りだす。【訳あり】とされる生徒、さらにそこから【特定の訳あり】を受けれいるのが第二保健室の機能。今までここに来た生徒は数少ないが、負った傷の深さは誰も彼もが深く重たいものばかりだった。無論、久我の力が及ばず命を絶った生徒もいた。

 愛美の瞳の奥、僅かな風が吹けば消えてしまいそうな弱弱しい光が見えたような、そんな曖昧な感覚を覚え久我は改めて思う。もう二度と目の前で命が消えてしまわないように、その光が絶えてしまわぬように守ってみせると。

 紅茶がカップからなくなったのはその僅か数秒後だろうか、ホームルームの知らせを告げるチャイムが学園に鳴り響いた。久我はティーセットを手早く片付けると、大崎からの資料を手に再びソファに腰かける。

「今日の朝礼を始めよう、改めましておはようございます」

「お、おはようございます……」

「ここへきて2日目、まだまだ慣れないことが多いかもしれないけれど君の為にできることは最大限にやるつもりだから、遠慮なく言ってね」

「はい……ありがとうございます」

「うん。さて、今日の連絡事項はいくつかあるけれど一つずついこう。まずは神田さんの担任である大崎先生から」

「大崎先生……」

「そうだよ、今朝こちらへ足を運んでくれたんだ」

「…………」

「大崎先生からの情報だ。昨日時点で教員達の中で、君がシンデレラに選ばれたという情報が出回っているらしい」

「え……」

「僕が知っている限りでの話では、本来【女王が選定した姫】というのは【姫の称号】のみが公開され、【誰が選ばれた】というのは本人が明かさない限り秘匿情報として取り扱われる事になっている。けれど、今回は【神田さんがシンデレラである】という情報がどこからか流れてきているんだ」

「なんで……」

「誰かが何らかの形で神田さんがシンデレラに選ばれたことを知って流した、または女王側があえてそれだけ意図的に流したか……」

「私がシンデレラに選ばれたことが流れると、どうなっちゃうんですか?」

「他の姫達の取り巻きに妨害されたり、受ける被害も大きくなったりかな……姫として戦うにしろ、逃げるにしろ不利になる」

「最悪の場合……」

「間違いなく命を落とす」

「死んじゃう……?」

「今回の次期女王決定戦、通称・王冠戦争プリンセス・ロワイアルは通常なら5人で行われるもので健全かつ安全に執り行われる。でも、今回女王が選んだのは7つの称号と7人の姫……代々行われてきた王冠戦争では、7人の姫が選出された場合に必ずと言っていい程命のやり取りがあるんだ」

「命のやり取り……誓約書……」

 久我から発せられた非日常的な言葉と共に、愛美は今朝書いた誓約書の事を思い返していた。そして、つい呟いてしまう。

「誓約書?」

 零れた呟きを久我は繰り返す。

「誓約書です……緒方さんの目の前で、サインしました」

「因みに内容ってどんなものだったか覚えているかい?」

「えっと……どんな状況でも最後まで諦めずに戦います、対戦相手並びに自身の命のは保障はないものとして戦いますと書いてありました。一字一句まで正確ではないけど……そんな感じです」

「……例によって、バトルロワイアル形式なんだね」

 声音にどこか悔しさを孕んだ久我の言葉に、愛美はこくりと頷くことしかできなかった。

「(やっぱり大崎先生の言う通り……神田さんの置かれている状況は非常に危険だ)」

 心の中でそう強く思うと切り替えるために久我は大きく息をついて、愛美に向き直る。愛美の表情はまた不安げなものに戻ってしまっていた。

「先生……私、まだ……死にたくない」

「勿論、神田さんはまだ死ぬべきじゃない。君はやりたいことがあるんだよね?」

「はい……」

「なら【生き残る努力】をしよう。僕は神田さんの事を守りたい」

「久我先生、でもそれは……」

「大崎先生だって君の事を思ってここへ来て、僕にこの状況を知らせてくれたんだ。それにこの第二保健室は普通の教職員が関わる事は許されていない場所だ、大崎先生がそれを破ってまでしたのにはそれ以上のリスクがある」

 顔を上げ愛美は久我を見つめた。真剣なその眼差しの奥、愛美はそこに大きく強い光が揺らめいたように感じて、そのまま久我の言葉を待った。

「君の”騎士”になりたい」

「騎士……?」

「そう、騎士になって君を守る。教師という立場で、男で、一番君の傍にいられる僕にしかできない役だ。騎士は唯一姫の身を直接的に守ることができる」

「でも、先生を巻き込みたくない…です」

「巻き込むも何も、関わった時点でもう巻き込まれているんだよ。むしろ、僕は巻き込まれに行くタイプだから遅いけれどね」

 ふといつもの笑顔をしてみれば愛美は何も返せずに俯いてしまった。

「どうかな…?」

「……少し考えさせて下さい」

「オーケー」

 そういって久我が時計を見ると丁度1限目を告げるチャイムが鳴ってしまった。まずい、他にも連絡事項があったのにと後悔しても後の祭り、愛美に残りの連絡事項はお昼にすると伝えると1限目の授業が間もなく始まる教室にテレビのチャンネルを合わせた。

 間もなく担任でもある大崎が教室に入ってくる頃合いなのだろう、生徒達は各々席について教師がやってくるのを待っている。

 しかし、入ってきたのは大崎ではなく愛美は画面を見つめたまま震えだし言う。

「藤咲…先生…」

 画面に映る男性教師・藤咲と呼ばれた人物はニヤリとカメラに向かって笑ってから、教室でざわつく生徒達に目を戻し、何事もなかったように1限目の授業を始めた。

「大崎先生の授業なのに、なんで藤咲先生なの……」

 愛美の絶望にも等しい声が久我の耳について残った。本来ならそこに移るべき大崎の姿がない、しかも映るのは2年生に教鞭を振るう藤咲だ。久我も愛美もこの状況に混乱し始めている。


 ”一体何があった。何が起こっている?”


 そう考えている内にまた画面の藤咲と目が合う。その瞳に宿る光が不快感極まりない……悪意の塊であることに気付くまで、そう時間はかからなかった。




 第9話 その瞳に宿る光を  END

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