ぼくは自転車に乗って

砂漠風
@hineten

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自転車…お気に入りのマウンテンバイクだ…のペダルを思いきり、力一杯に踏み込んだ。

傾斜のきつい上り坂。サドルから尻を浮かせて、思いっきり踏み込む。ぐんっと重力を感じて、体をそらせる。


なんでこんなに無我夢中に自転車を漕いでいるかと言うと、単純に遅刻をしているのだ。

坂道を越えた方が近道かと思ったが、これだけしんどいなら、大差なかったかもしれない。


とにかく、待たせているのだ、女の子を。女の子を待たせる男は最低だと本に書いてあったし、友達にも言われた。自分自身でもそうだと思う。

秋だっていうのに、汗が吹き出る。



「ごめん、待たせた?」



結局、一時間半の遅刻。その上、汗だくで息も切れ切れ。

なのに彼女は。


「今来た、私も遅刻」


手には文庫本。本屋の紙袋。半分ほど読み進んだところにしおりを挟みながら。

ハンカチを差し出して、汗拭きなよ、と言う。



「ごめんねえ」

言ったのは彼女だ。「わざわざ呼び出して。康一くん、由花子は良かったの」

大丈夫、訳は話しておいたから。と汗を拭きながら言った。山岸由花子さんはすごく嫉妬深い人だからだ。


由花子さんと仲が良いから許されてるようなものだ。他の女の子だったら、きっと……。


「で、由花子とはどうなの」

「うん?…うん、普通」


「そっか」


「優芽子さんこそ、どうなの?」



じいっと見つめてくる瞳は、日本人には珍しいほど色素が薄い。昔はその瞳がものすごく好きだった。


「あたし?あたしはー…」


照れたように笑って、「普通」と言った。




優芽子は、岸辺露伴先生と恋人ということになっている。というのは、露伴先生が一方的に彼女を気に入って傍に置きたがるくせに「恋愛感情じゃない」とツンケン言うからだ。だけど、誰が見たって恋人にしか見えないのだ。


優芽子は露伴さん、なんて呼ぶ。


「そっかあ、普通……ね。…露伴先生の普通って、なんか想像つかないや」



「うん」


小さく頷いて、そのままクスクスと笑う。

借りたままで、くしゃくしゃになったハンカチに気付いて、どれだけ強く握り締めていたんだろうと恥ずかしくなった。僕には由花子さんがいて、優芽子には露伴先生がいる。



「露伴さんは、意外と優しくしてくれるのよ、ホント意外。あたしにも甘えさせてくれるし」


「へえ、意外だね」



クスクス、クスクス、と肩を揺らして彼女は笑う。本当に可笑しそうに。それを見下ろしながら、僕は優芽子のハンカチをポケットにねじ込んだ。



「……好きなんだ?」



笑い声がぴたりと止まって、あの瞳がじっと見つめてきた。

どくんどくんと心臓が脈打って、僕は、ああ、とため息を吐いた。


「ごめん………あ、そだ、話って何?」


話があるからちょっと会えない?と言われたから、優芽子に会いに来たのだ。

ああ、そうだったね。そう言って優芽子はまたクスクスと笑いはじめた。



「その、あのさ…そのクスクス笑うのさ、ちょっと、その…僕は好きじゃない…かな」


「あ、え、そうかな」

「うん」



ごめん、と言われて僕ははっとした。思ってもないことばかり言ってしまう。

「歩きながら話そ」

優芽子に言われるまま、歩き始める。目的地はない。並ぶと自転車を押す僕のほうが少し背が低い。



「……」


彼女の横顔はものすごく美しい、と思う。睫毛が長くて、高すぎず低すぎない鼻すじがすうっと通っている。


「露伴さんのことは好き」


唇がゆっくり動く。返す言葉が思いつかず、それを少しいやらしい気持ちで見つめる。

僕は、彼女の口からどんなことばを言わせたいんだろう。



「だけど……だけど、ね」


「…………」



「……ほんとは」

「……優芽子さん、僕、あの…っ」

「………なんでもない」


「…え、あ…あ、はい」



心臓が暴れ回って僕の体を飛び出しそうだ。今、何を言おうとしたんだろう、僕は。そして彼女は。


「あのね、露伴さんのことなんだけどさ」


急に明るい声でありすが言う。

「あたし、高校出たら一緒に暮らすかも…露伴さんが、アシスタントとしてそうしろって言うから」


二年以上先の話だ。僕は呆然として自分たちの未来を思った。

今は、高校生をやっている。それ以外の生活なんて想像がつかない。僕は大学に行くんだろうな、くらいにしか考えていなかった。


「それで…」

「え?」


「それで優芽子さんは、オーケーしたの?」



それは今の自分たちにとっては途方も無いくらい未来の話で、ふわふわした輪郭ですらない。

そんな先のこと…僕と由花子さんだってどうなっているかわからない。優芽子は露伴先生と結婚するのだろうか。


「迷ってるんだけどさ」

という優芽子の言葉を聞いて、僕はなぜか安堵した。


「でも、それでいいと思ってる」

「て言うと?」




「あたし、きっと結婚するんだと思う。康一くんには、言っておきたくて…」








僕は自転車のペダルを強く強く踏みしめる。お気に入りのマウンテンバイクの変速を一番重くして、坂道をよじ登る。



優芽子を家まで送り届けたら、玄関の前で、彼女はあの色素が薄い瞳でじいっと見つめてくれた。背は僕より高い。





最後までハンカチを返すことが、僕はできなかった。






END


20091006

20161014加筆修正

さばくかぜ