白虎の巻

鴨鍋将軍
@sO___SAK

出会い

 女のくせに。そんな言葉がシュウの隣をついて回った。こんなにもやせ細った土地で男も女も関係あるまいと何度も声を上げたのだが、馬鹿な男どもはついにシュウの言葉に耳を傾けることはなかった。シュウは胡国に住む一介の農民である。昔はこの時期にもなれば麦が植えられ、青々とした大地が広がっているのだが、近頃はそうもいかない。胡国の王は今、大いに心を乱されているのだとシュウは勿論、多くの民が知っている。何故、そのように心を乱されているのかまではその御尊顔を拝んだ事のないシュウには分かりかねる。ただ、時が解決してくれるような問題ではないと、それだけは分かっていた。

 シュウが住んでいるのは胡国の北にある北虎という町の外れにある集落だった。町人になれるほどの業績も金もないシュウの家は、集落の中でも小さなものだった。だが、家の大きさと人の大きさは比例しない。シュウは男どもに負けぬよう懸命に努力を重ねた結果、男勝りな少女へと姿を変えてしまった。母はそんなシュウを見て嫁の貰い手がなくなるとちくちく言葉尻を尖らせるのであった。シュウとしても、自分よりも働けない男などこちらから願い下げである。

 今日も畑を耕さなければならない。尤も、近頃は国の乱れが大地にまで浸透しているのか、作物は中々出来の良いものが収穫できずにいる。そのくせ国は農民が収穫した作物のほとんどを持って行ってしまうのだ。おかげさまで食卓は常に貧相であった。それは大体三年ほど前の話だろうか。

出来が悪く、量も思わしくない。それなのに国は納める作物の量を減らしてはくれない。そのせいで全部を持っていかれることもあった。そんな時はそこらへんの草やら虫やら何やら、とにかく食べられそうなものを駆け回って探し、焼いたり煮たりして食った。これがひもじいという言葉なのだと、シュウは身をもって知ったのであった。

「おいシュウ。ちょいと森まで行ってお祈りしてきな。このままだと俺たちは飢えて死ぬぜ」

「その時はてめえの肉でも食って生きてやるさ」

「ばか!」

 父の怒声が飛ぶよりも先にシュウは駆け出した。

 この世界には六つの神獣がいる。そのうちの四つは四つある島国をそれぞれ守護しているとの話。シュウが住んでいる西の国には白虎がいるそうだ。北虎の由来はこれから来ている、らしい。四つの神獣、通称四獣は守護している国と王に加護を与え、国を守ると言われている。父がお祈りをしろといったのは豊穣の祈りに違いない。だから、土を操る我らが白虎に祈りを捧げるのである。

 集落から一番近いのは森の中にある祠だ。森といっても今となっては枯れていたり倒れていたりと、雑木林のほうが近い有様になっている。そこで祈りを捧げるのがシュウの役目なのであった。母は美しく、優しい女になって欲しいと朱雀へ祈ることをシュウへ勧めるのだが、なんとなく白虎を贔屓してしまうのだ。

「どうか我々に良き土と作物を…どうか、どうか」

 祠の前まで辿り着いたとき、先客が深い祈りを捧げている途中だった。他人の祈りを邪魔してはいけないことがならわしである。シュウは反射的に雑木林へ身を隠した。あの細々とした後ろ姿と掠れた声には覚えがある。シュウの友人であったトウガの母だ。トウガはつい先日、納める作物を持っていこうとする役人へ苦言を零したところ、王への反逆罪として連れていかれてしまった。きっと明日か明後日にはトウガの亡骸が集落へ戻ってくるはずだろう。最近の王は事あるごとに反逆罪を持ち出しては民の首を刎ねていると専らの噂である。事実、隣の集落の男が数人亡骸で返されたとのことだ。

 トウガの母の背中を目に焼き付けて、決意を新たにする。トウガはシュウと同じ神年であった。神年とは、国の次期神獣となる獣と同じ年に生まれた者を指す。王は世襲をせず、神獣が選ぶのだ。とは言え、その時が来たら王宮へお前たちが自力で来いと言っているのだから性根が悪い。いつか白虎をお目にかけたときは必ず王になってやると息巻いている輩がシュウの友人には何人もいたが、シュウの目には誰も彼もが王にはふさわしくない気がした。

 トウガの母が去っていくのを見届けたとき、がさりとどこかの草が音を立てた。決してシュウではない。ならば誰か、獣か。近頃飢えた獣は人を躊躇なく襲うと言われている。

 息を殺し、音がしたであろう奥へと足を踏み入れる。逃げはしない。ここで間抜けな獣を仕留めておけば後々暮らしが楽になる。それに、肉は食えなくもないだろう。だが恐ろしいものは恐ろしい。心臓は行ってはならないと訴えるように強く、速く動いている。

「…おい、大丈夫か?」

 そこにいたのは獣でも何でもなく、人間だった。年は大体シュウと同じくらいだろうか。男だ。顔色は白く、頬には虎模様でも描くかのように化粧が施されている。髪は短く、触り心地は猫の毛と少し似ている気がした。服なんてここらの集落では見た事も無い様なものだが、少しだけ町人の着物に似ている様だが、明らかにそれ以上の代物であった。

 男がううん、と身じろぎし、シュウは飛び退いた。よく見れば怪我をしている。お節介焼きのシュウは男をこんな所で放置する気がすっかりなくなっていて、また声を掛けた。

「おい、おい。こんな所で倒れているとじきに死ぬぞ」

 死ぬ。それを聞いた途端男は目をかっと見開いて高く跳躍した。見事な跳躍である。シュウはつい見惚れてしまった。

「此処は何処だ」

 男は言う。

「此処は北虎の外れにある集落の森だ。お前、こんなところでどうして倒れていたんだ」

 臆することなくシュウは言う。

 肩を貸そうとしたのだが、男はそれを払い除ける。そうされるとシュウの方も意固地になってどうにかこうにか手を貸してやろうとするのだが、矢張り男は猫の如くするりするりと抜け出てしまうのであった。

 それが六回目になろうとしたとき、役人と思わしき連中の下品な声が聞こえた。まるで何かを探しているかのような口ぶりにシュウは首を傾げたが、男がその腕を引っ張って長い草原の更に奥へと身を隠そうと持ち掛けてくる。理由は分からないが、下手に出て行って反逆罪と称され殺されるよりもずっとマシだ。シュウは素直に従った。

「クソ、次期白虎は何処へ行ったんだ」

「王になんて報告するんだ。次は俺達の首かもしれんぞ」

「落ち着け。まだそう遠くへ行ってはいないはずだ。さっき俺が足へ矢をくれてやったのだからな」

 なんて不敬な奴等なのだろうか。草と草との隙間から連中の様子を覗き見て、シュウは奥歯を噛み締めた。白虎はこの国における最も尊い獣だ。それを傷つけるだなんてあいつこそが反逆罪で首を刎ねられるべきだ。

 そう思ったとき、シュウの背筋は凍った。何故そんなことを思ったのかまるで分らなかったのだ。確かに白虎を傷つけたあの役人は許されない。だが、そこまで過激になるほどの事だろうか。何故自分の事のように、腸が煮えくり返っているのか。

 男の方へ視線を移す。男は掠り傷でこそあったが、体中を怪我していた。きっとこの男は白虎に仕えていて、うっかり王宮の外へ出してしまったからこんな仕打ちを受けているのだろう。そうだとしても、とても痛ましいと思った。いつものシュウであれば、これくらいなんてことないと笑う筈なのに、この男が傷ついた姿を見て、ひどく胸を痛めた。それと同時に、早く二人で逃げなくてはとも思った。何故二人で逃げようと思ったのか。瞬時に湧いて出てきた考えに、またシュウは驚いた。先ほどから自分の思考が二人分に分けられたような気がしてならない。奇妙な感覚があった。

「君、この先をずっと行けば宿屋に着くから匿ってもらうといい。歩けるか?」

 シュウは自分の直感的な意思に逆らい、男だけでも逃がす算段をつく。あの宿屋は去年子供をありもしない徴兵で連れていかれていた。だからこそ、男の事はきっと良くしてくれると思ったのである。

 それなのに男は先程から細い目を丸めてずっとシュウの事を見つめている。何を思ってそんなに見ているのかは知らないが、それがひどく心地よい気もした。

「早く行け。私が時間を稼げなくなっても知らないぞ」

「お前だ」

「はあ?」

 間抜けな声が出てしまう。この男は急に何を言い出すのだ。お前だ、の意味が全く分からない。それなのにも関わらず当然だろうと思う自分もいる。またその思いに逆らおうと思った。しかし、口はシュウが意図していた言葉とは全く異なるものを紡いだのであった。

「やっと気付いたか」

「ああ、気付いたとも。知らない顔をして悪かった。また一つに戻ろう」

 男が強くシュウの腕を掴む。振り払おうとしたが、出来ない。この手を払ってはならないと本能が叫んでいる。こんな奇妙な男に出会った覚えはない。覚えはないのに、とても懐かしい。

「本当ならお前の方から来るんだぞ、この野郎。迎えに来させやがって、他の奴らに何て言えばいいんだよ、ばか」

「悪い。しかし時が来たとお前が言わないせいで私は其方に赴けなかったのだぞ」

 理解した。理解してしまった。

 この男は白虎に仕えている者なんかじゃない、この男こそが白虎なのである。

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