Alice

第一章 光は未だ眠る

1.平穏な日々


 村の外れにぽつんと建てられた小屋にはこじんまりとした図書室があった。

 本棚が並ぶ部屋の中央には四角く開けた空間があり、その場所を最大限に有効活用する形で無駄に長い机が一つ置かれている。その机の窓際の席では一人の青年が本の山に囲まれながら幸せそうに安らかな寝息を立てていた。机の上に投げ出された彼の左腕には不完全な模様が青白く浮かびあがっている。

「リュカ!やっと見つけた……お願いだよ、今すぐ助けてほしいんだ!」

 突然バン、と図書室の扉が開いたかと思えば勢いよく子供が転がり込んできた。

 静寂が破られた衝撃からか、半ば夢の中にいたリュカは一気に現実に引き戻された。金色の長い睫毛が状況を確かめるようにゆっくりと瞬きする。柔らかそうな線の細い金髪がさらりと頰にかかった。

「そんなに慌てて何があったの」

「木がね、木が!生えすぎて止まんないの!このままじゃ村中に木が、」

 子どもの語彙力ではいまいち様子が伝わらないものの、その焦り様からとにかく急を要する事態なのだろうとリュカは察した。

「……落ち着いて。分かった、とりあえず現場まで俺を案内して」

「ありがとう!」

 リュカは『王立図書館司書の概要』という分厚い本に栞を挟むと、名残惜しそうに図書室を後にした。




 途中で子どもを見失ったがもはや案内役など必要なかった。そのくらい村は悲惨な光景だった。

「な、なんだこれは……」

 いつの間にか降り始めた雪が村の畑の土を薄っすらと白く染めていた。こんなときいつもなら暖を取りに家に入る村人たちだが今に限っては様子が違う。

 村はまるで触手のように蠢く巨大植物で溢れかえっていた。見た目はグロテスクだがどうやら誰かに危害を加えるようなものではないらしい。ただその数だけは猛スピードで増えつつある。

「まさかこいつら、図書室にも向かうのか!?」

 リュカは青ざめた。こんなものがあの心地良い空間に現れてしまってはたまったものではない。

「ああ、リュカ!みんなあんたを待っていたんだ」

「この状況をなんとかしておくれよ!」

 村人たちはリュカを見るなり口々に嘆願した。謎の植物には気の毒だが片っ端から数を減らしていくしかないだろうかーー仕方なくリュカが剣の柄に手をかけた、まさにそのときだった。

「まあ待てって。そんなんじゃ効率が悪すぎるぜ、リュカ」

 声の主は足元に絡みつく植物をひらりとかわし、得意げに鼻を鳴らしてみせた。

「ふふん、こいつら俺の前に現れたのが運のツキだったな。……まとめて燃やしちまえばいいんだよ、これでもくらえ!」

 詠唱もなく生まれた炎は瞬く間に巨大な柱となり、器用に植物だけを燃やしにかかった。赤く染まる景色に驚いて逃げ惑う村人たち。リュカは特に動じることもなく植物が炭になっていく様を見ていた。

「助かったよオズワルド。俺一人じゃこの数は手に負えなかった。おかげで今晩はごちそうになりそうだし」

 炎の魔法の使い手の名はオズワルドといった。リュカと同い年、十七歳の青年である。村で一番大きな屋敷に暮らすオズワルドは、遥か昔に「魔王」封印に関与した偉大な賢者の末裔だと言われている。

「はあ?何言ってんだお前。こんな黒焦げのどこがごちそうなんだよ」

 オズワルドは癖のある短い赤毛をかきあげながら、怪訝な顔でリュカと焦げた植物を交互に見やった。

「ダンシングバンブー。表面が黒焦げになるくらい焼くと綺麗に皮が剥がれて……ほら、こんな風に中から身が現れるんだ」

 黒焦げの硬い皮からは想像もつかないほど真っ白で柔らかそうな身が湯気とともにその姿を現した。同時にふわりと漂う芳醇な香り。今日のような寒い雪の日に食べるにはうってつけだろう。リュカは目を輝かせた。

「まさかこの村にいて食べられるとは思ってなかったな。栄養満点、味も香りも一級品。こんなの食べない手はないでしょ?」

 リュカは自身の剣を果物ナイフのように扱うと、ホカホカの白い身を拳大にくり抜いてオズワルドに手渡した。オズワルドは徐に身を口に運びーーそして目を見開いた。

「マジだわこれ。マジで美味えよ……にしてもそんな知識一体どこで知ったんだ。これも本に書いてあったのか?本当にリュカは本が好きだよな」

「ああ、そうさ。本は無限の可能性を与えてくれる」

 リュカは視線を自身の左腕に注ぐ。

「『勇者』の運命なんて望まないから……できることならずっと本に囲まれていたい」

 左腕の青白い模様。痣にしてはくっきりしすぎている。

 それはリュカが「勇者」として選ばれたことを示す光の刻印だった。

「ま、この平和な時代にその力が必要になることはないだろうから安心しな」

「そうだね」

 幼い頃はその刻印の意味を知らずに生きていたリュカだが、やがて文字を覚え、書物を読むようになりーーその意味を知った。

 今から数百年前に突如世界を覆った闇は人類を滅亡へと誘いかけた。そこに光の刻印を持つ「勇者」が現れ闇を封印し、今日に至るまでの秩序と平和を取り戻したのだという。大筋はこんなものだ。

 リュカのように生まれながらにして「勇者」に選ばれた者はこれまでに何人もいたが、初代勇者を除き皆が平穏な人生を全うしその生涯を終えていった。きっとリュカもそうやって普通に生きて普通に死んでいくのだろう。それこそがリュカの望む生き方であり、そうなることを誰もが信じて疑わなかった。

「あ、」

「どうした?」

「面白そうな本を読んでる途中だったんだ。俺はまた図書室に籠るから、それ適当に村のみんなにも分けておいてよ」

「ん、分かった」

 湯気を放っていた白いごちそうはこの寒さで人肌まで冷めてしまったか。ちらつく雪を柔らかく髪に受けながら、リュカは夢の続きを見に行った。


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