夏祭り

sasa-kura
@sasa_kura_

 私は今、波の中にいる。

 前からも後ろからも容赦なく押し寄せる波の中で、ひたすら目を動かしてその姿を探した。そして彼にとてもよく似た後ろ姿を見つけ、名前を呼ぶ。予想以上に大きく出たその声に、彼は振り返らない。次の瞬間に振り返った顔は私の知らない顔で、人違いかとため息に似たような笑いが出た。

 だが息つく暇もなく背中に何かがぶつかり、バランスを崩した私は派手に転んだ。ごめんなさいと頭上から声をかけられるが、ぶつかった相手など気にもしない様子で数人の女性たちは過ぎて行く。地面に強く打ち付けた手が鈍く痛み、堪えるように目を閉じて頭を下げるとまるでそこは別世界で、軽快に流れる祭囃子まつりばやしや楽しそうな笑い声達が、心細さに拍車をかけるように覆いかぶさってきた。

 寂しくうるさいその世界に耳を塞ごうとしたとき、光が差し込むように私の名前を呼ぶ声が聞こえた。咄嗟とっさに顔を上げて辺りを見回してもその姿は見えない。どこから聞こえたか分からない声に、もう一度呼んでくれないかと目を閉じた瞬間、私の腕が強く後ろに引かれた。

「…見つけた。」

 振り返ると、軽く息を切らした蓮二が座り込む私を見下ろしていた。いつも風を感じさせる軽い髪は水気を含んで一部が肌に張り付き、浴衣から覗く首筋には汗の筋が通っている。

「立てるか?」

 そう言って彼は、転んだ拍子に私の手から離れた巾着を拾い上げ、もう一方の手を私に差し出してくる。その手に捕まり、私はなんとか雑踏の中から抜け出した。


 人混みから少し外れたところに移動すると、蓮二は浴衣の合わせえりを掴み、軽くあおいで大きく息を吐いた。私は転んだ拍子に草履の鼻緒で擦った足の親指と人差し指の付け根の痛みに顔をしかめ、地面に打ち付けた手の痛みを確認するように握っては開いてを繰り返す。

「浴衣なんて着てくるんじゃなかったなぁ。」

 私が手を開きながらそう呟くと、蓮二は私の浴衣の衿に触れ、着崩れた部分を手早く直してくれた。続いて乱れ落ちて顔にかかっている髪を、指でなぞるように耳へ掛けてくれる。

「手を離したのは俺のミスだ。すまない。」

「ううん、私がつまずいたんだから蓮二は悪くないよ。上手く歩けないし、やっぱり浴衣はちょっと無理があったかも。」

「…だがよく似合っているぞ。綺麗だ。」

 微笑む蓮二の首筋は汗によってつやが出て、近くの海岸の光をきらりと反射させている。私は彼の手から巾着を受け取り、その中からハンカチを取り出して蓮二の滴る汗に添えた。

「ありがとう。…探し回ってくれたことも。」

 私が再度ハンカチを汗に添えようとすると、彼はそれをやんわりと断り、袖のたもとから手ぬぐいを取り出して汗を拭った。それを見てきゅっとなった心音こころねを勘付かれないように、私は目線を蓮二から海岸へと移す。

 海岸はこの後上がる花火を見るための人で溢れ返っていた。その中に浴衣を着ている男性をちらほら見つけ、私は再度隣にいる彼に目を向ける。

 袂に手ぬぐいを入れていた蓮二が私の視線に気付き、首を傾げるのを見て、私は口元をほころばせ、彼の腕に自分の腕を絡めた。

「やっぱり来年も浴衣、着ようかな。」

「そうか。」

「私の彼氏は浴衣が似合うからね。私も着こなせるようになりたいな。」

 肩に頭をもたれると、蓮二は絡めていた腕を解き、私の肩を抱いた。

「…可愛いことを言ってくれるな。」

 その言葉に重なるように、大きな音ともに空で花火が弾け、周囲から感嘆の声が上がる。

 しばらく花火を眺めた後、ふと蓮二の手が私の顎に触れ、それに促されるように私は彼を見上げた。色鮮やかな花火の光に照らされている彼の顔が近付いてきて、私は目を閉じる。

 夏の光に照らされた空の下で二人の隙間が埋まるとき、空にはまた大きな光が花開いた。

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不二の短編小説です。