黄色のカーネーション

sasa-kura
@sasa_kura_

 初めて彼を見た時、私はその輝きに恋をした。

 幸村精市という男を見て、誰もが「人を惹きつける魅力がある」と言う。私もその甘い蜜の香りに吸い寄せられた虫の一つだったのだろう。

 何度も声をかけて、拒絶されてもしつこくまとわりついて、それでやっと彼を手に入れた時、私は友達と手を取り喜んだ。

 ただ彼氏が欲しかったわけではない。幸村精市という輝きが欲しかったのだ。


 それから半年が過ぎた頃、精市が倒れた。

 聞き慣れない病名に治るかどうかも分からない状況で、私は息の仕方も忘れそうなほど怖い日々を過ごした。きっと精市は私以上に怖かったはずだ。

 彼を支えたいと思った。また彼の隣に立ちたい、と。

 だけど、見舞いに行く毎に細くなっていく体、力の入らない手に不安定な精神状態の彼を見て、あれ、と思った。いつも眩しいくらいに彼を包んでいた輝きが、いつの日からか見えなくなっていた。

 私が恋い焦がれた幸村精市という男は、こんなにも細く弱かったのだろうか。

 それに気付いた日から、私は見舞いに行くのをやめた。私が求めた彼の姿を今の姿で上書きしたくなかった。私の中の精市には、あの頃の輝きをまとった姿のままでいてほしかった。


 それから一度も精市に会わず、学年が上がって彼が退院したと聞いた時に友達と覗きに行った教室で、ひさしぶりに彼の姿を見た。元々彼の周りには人が絶えなかったけど、難病を克服して戻ってきたという肩書きがついたことで、彼の周りには以前よりもたくさんの人が集まっていた。

 教室を覗きに来た私に気付いて、精市は人混みの中を掻き分けて近付いてくる。それを見た私は咄嗟にきびすを返し、自分の教室へと駆け戻った。

 それからも何度か精市が私に声をかけようとしたけど、その度に私はあからさまに彼を避けた。

 戻ってきた彼にも、あの頃の輝きを感じることはできなかった。


 「戻ってきてから幸村くんと話せていないんじゃない?」

 帰り道にあるコンビニでアイスを食べながら友達が心配そうに言った。みんなも気を遣ってくれればいいのにね、と不満そうな彼女に私は目を伏せた。

 「…別にいいかなぁ、もう。」

 「なんで?彼女なんだから、集まる人を押しのけて幸村くんを連れ出すくらいのことはしてもいいと思うよ。っていうかそれくらいしなきゃきっと二人で話すタイミングは作れないよ。」

 「…終わってると思う、たぶん。全然ドキドキしないんだよね。私が憧れていた精市って、ずっと前にいなくなっちゃったんだなぁって感じ。」

 アイスを見つめながら話をしていた友達が私の言葉を聞いてこちらに顔を向けた。それと同時にあっと声を上げる。友達の視線を追って振り返ると、私のちょうど後ろに精市が立っていた。固まる私達を見て、精市は微笑んだ。

 「退院して早々にテストがあるなんて、ハードなスケジュールだよね。」

 私達の会話は聞こえていなかったのか、全くかすりもしない話題に友達がたどたどしく、大変だねと返す。友達に向けられた精市の視線が続いて私に向けられ、耐えきれずに目を逸らした。

 「お互い頑張ろうね。」

 そう言って、彼は私達の元から離れていく。

 きっと会話は聞かれていなかったのだろうと安堵する私達とは裏腹に、その日から精市が私に声をかけようとすることはなくなった。


 あれから一ヶ月、今日はテニス部が全国大会の決勝戦に挑む日だ。

 結局、今日までの間に私と精市が会話をすることは一度もなかった。自分で終わったと言っておきながらこうして試合を観に来る女を、精市はどう思うだろう。あの時の会話が聞こえていなければいいと思うけど、きっと彼は聞いていた。だから私に声をかけることをやめたんだ。

 あれから彼には少しずつ輝きが戻ってきている。でもあの頃よりはずっと小さくて弱い。精市の試合が始まっても、その輝きは増す気配がない。

 ああ、やっぱり、彼はもうあの頃とは違うんだ。私が欲しくてたまらなかった眩しい幸村精市はもういなくなってしまったんだ。そう思ってしばらく試合を眺めていると、次の瞬間に私は身を乗り出し、うわっと声を出した。

 ぶわっと、彼の輝きが大きくなるのを目の当たりにしたのだ。その輝きはあの頃よりもずっと強くて綺麗で、私は堪らず目を細めて彼の姿を見た。これだ。これが欲しかった。私が強く惹かれたその姿がそこにはあった。

 結果は負けてしまったけれど、試合が終わった後もその輝きが消えることはなかった。閉会式が終わった後、テニス部員が帰りのバスに乗ってしまう前に声をかけようと一緒に観戦に来ていた友達に提案して、私達はバスの近くで彼らを待った。

 しばらくして会場から出てきた彼らの中に精市の姿もあった。他の部員が私の存在に気づくと、部員たちは先に乗っておくことを伝えて彼を残しバスに乗り込んでいった。

 「…試合、観てたよ。」

 「そう。」

 「かっこよかった。」

 「…ありがとう。」

 精市は私の言葉に少し驚いた顔をして、なんとも言えないような顔をした。それ以上は会話が続かず、気まずい沈黙が流れる。

 ふと、彼の手に小さな花束が握られているのを見つけて、それ、と呟く。私の視線が花束に向けられていることに気付くと、その花束を胸の前に持ってきて精市は微笑んだ。

 「退院祝いと準優勝祝いだそうだ。綺麗だよね。」

 その姿を見て、私はあまりにも素直に好きだなと思った。

 彼が花を愛する姿やその声音こわね、輝きだけじゃなくて彼自身のそういうところが好きだった。入院中も退院した後も変わらなかったはずのその姿を見て、私は今更自分の気持ちに気付くことができた。

 そうだね、と返す私に、精市は花束の中から一本のカーネーションを引き抜き、差し出してきた。鮮やかな黄色の花びらを広げるその花を受け取ると、彼が柔らかく微笑む。

 「今の君にはその花が似合っているよ。」

 「…ありがとう。黄色のカーネーションの花言葉って、なんだったっけ?」

 私の問いに彼が答えようとした時、幸村と呼ぶ声が響いた。

 「そろそろ時間だ。」

 バスのドア部分から身を乗り出して声をかけてきた部員に頷き、精市は私に向き直った。

 「花言葉、調べてみるといいよ。」

 そう言って私の返事も聞かないまま彼はバスに乗り込む。その姿を目で追い、バスが動き出して会場を出ていった後、私は彼からもらった花を大事に握りしめて友達と共に会場を出た。


 その日の夜、ベッドに入る前に机に飾ってある花に気付き、そういえばと図鑑を広げた。カーネーションのページを開き、色ごとに違う花言葉を読み上げていく。黄色の花言葉を見た時、私の手は止まった。

 開けていた窓から風が入り、机の上にあるカーネーションが揺れる。その瞬間、まるで走馬灯のように精市と過ごした日々を思い出した。

 ここまできてようやく、自分の身勝手でどれだけ彼を傷付けてしまったかを実感した。きっと優しい彼のことだから、見舞いに来なくなった私のことを心配していたはずだ。戻ってきてから何度、私に声をかけようとしてくれていただろう。私よりも精市のほうが何倍も苦しくて辛かったはずなのに。そんな彼に、私はあんな言葉を。

 まだ一言も謝っていない。だけどこれからどれだけ謝ったところで、あの日々が戻ってくることはない。彼の中でそれはもう終わったことで、私は、彼を支えるどころか彼の隣に立つことすらできなくなったんだ。


 視界を歪めた涙がぽたりと落ち、開いているページに小さなシミができる。それをきっかけに、私の目は壊れたかのように涙を溢れさせた。

 嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる私の隣で、黄色いカーネーションの花びらが風に吹かれてゆらゆらと優雅に揺れていた。

 今更気付いたこの純粋な恋心も、ごめんという言葉も、その花に吸い込まれて消えていく。

 その日、私はやっと自分のおろかさと向き合うことができた。





 カーネーション 黄色の花言葉

 「軽蔑」

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