ダリア

sasa-kura
@sasa_kura_

 あの日は、夏の暑さが和らぎ始めて、木々の葉が紅葉し始めた時期だった。夕焼けに染まり始めた空を背景に、庭に咲く花々が風に揺れる。その中で佇む彼女の長い髪も風に吹かれて揺れていた。

 「これは牡丹ぼたん?」

 風に揺れる花を指で触れ、彼女が振り返る。

 「それはダリアだよ。見た目が牡丹に似ているから、和名では天竺牡丹てんじくぼたんと呼ばれているんだ。」

  へぇ、と呟く彼女の表情は逆光で見えなかったが、多分微笑んでいたのだと思う。


 その日、五歳年上の従姉妹の姉は、進学のために九州に越すからと挨拶に来ていた。俺が姉の進学のことを聞いたのは、それから一週間ほど経ってからのことだった。両親は俺が姉から聞かされているものだと思っていたらしいが、俺は姉からは何も聞かされておらず、あの日は普段と変わらない他愛のない話をしただけだった。


 「さすが精市くん。花のことは何でも知ってるんだね。」

 「好きだからね。専門家ほどの知識はないけど、きっと姉さんよりは知ってるよ。」

 「そっか、じゃあ私が花を育てる時には精市くんに色々教えてもらおうかな。」

 「いいよ、俺で良ければ。」


 あの日、夕焼けに照らされた姉の微笑みは今でも鮮明に覚えているのに、とうとう姉に花の育て方を教える機会が来ることはなかった。


 六時に設定した携帯の目覚ましを止めて、重い掛け布団を持ち上げながら寝返りを打つ。寝返りを打ったことで、机の横に掛けてあった背広が目に入った。

 人生で初めて着る背広の裾合わせをしている時に、精市の誕生日に結婚式だなんて忘れられない特別な日になるね、と母はとても嬉しそうに微笑んでいた。そうだね、と返したが、その誕生日が来ることをこれほどまでに望まなかった年は初めてだと思う。

 二十分後に設定したスヌーズ機能が動き始めたことを携帯の画面の明かりで確認し、音が鳴る前に止める。はぁ、と息をついて体を持ち上げると、同時に背中からぞわっとするような寒さが入り込んできた。背中を丸めて、今度は深呼吸をするように長く息を吐く。

 二階の自室の窓から見える庭には、あの日姉と見たダリアが植えられていた鉢がある。寒さに弱いダリアは今の時期に植えても枯れてしまうから、冬には他の花を植えている。春に根を植えれば、夏にはまた牡丹に似た綺麗な花を咲かすのだろう。

 そしてその時には、きっと姉のことを思い出すのだ。


 寒さで丸まった背中を伸ばすように伸びをしてベッドから足を出した。布団の中で温められた足を冷えた床に着けると、全身の毛が栗立つような感覚に襲われた。

 ふぅ、と何度目か分からない小さな溜息をついて立ち上がりながら、視界に入る髪を掻き上げる。壁に掛けられた背広を一瞥いちべつし、おめでとうと呟いて部屋を出た。

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