体温計

sasa-kura
@sasa_kura_

 「まだ?」

 「まだだ。」

 脇に挟んだ体温計を肌で感じながら、私は布団の中で身じろぐ。すると、ベッドの横の椅子に座っていた真田くんが「動くな」と静かに言った。

 「もういいんじゃない?」

 そう言って脇に挟んだ体温計を覗こうとすると、真田くんはさっきよりも少し大きめな声で、ゆっくりと言い聞かすように「まだだ」と言った。

 「十分ほど挟んでいなければ正確には測れない。」

 「十分もしなきゃ測れないの?」

 時計を見上げて言う彼にいぶかしげに返すと、時計を見ていた目線を私に移して、真田くんは小さくため息を付いた。

 「そういうものだ。」


 * * *


 二月下旬、今季一番の寒さの今日、私の体は朝から熱くて重かった。それでもなんとか持ちこたえていたのに、三限目が終わった瞬間、私の体は言うことを聞かなくなった。

 目が覚めると保健室のベッドの中にいて、ちょうど昼休憩に入ったところだと保健室の先生が教えてくれた。それから少しして様子を見に来てくれた友達と他愛のない話をしていると、先生は四限目が始まる前には戻ってくるからと言って保健室を出て行った。

 先生がいなくなると、友達も教室に戻ると言って座っていた椅子から立ち上がり、保健室を出る間際に私を振り返って、やったじゃんと笑った。授業をサボることができたという意味なのだろう。私が笑い事じゃないと返すと、いい思い出になるよと返された。

 たしかに教室で倒れるなんて後々は笑い話になるかもしれない。だがまだ体の怠さが残っていた私は、人が辛い時に何言ってんのと、冗談半分で友達を保健室から追い出した。


 「体温を測っておけって…。」

 友達が保健室を出て行ってからしばらく経った頃、真田くんが保健室にやってきた。

 薬棚を漁る私を見て不審そうに目を細めた彼に、私は声が震えないよう喉に力を入れそう言った。先生が保健室を出ていく際に、体温を測っておくよう言われたが、友達との話に夢中になり忘れていたのだ、と。

 「でも体温計がなくって…。」

 私が薬棚の引き出しを開けると、真田くんは机の上に置いてある体温計を手に取った。

 「それ、たぶん使えないかも。何度か測ってみたけど、全然反応しないの。」

 ガラスの筒に黄色い液体が入っている変わった外観の体温計を、私は初めて見た。こういうものもあるのかと思いながら体温を計測してみたものの、温度は零から全く変化しない。何度か試してみたが、やはり温度は変化しなかった。諦めて他の体温計を探していたのだが、それらしきものは今のところ全く見当たらない。

 開けた引き出しの中に体温計がないことを確認してため息をつきながら真田くんを振り返ると、彼は体温計についた紐を左右に伸ばし、体温計をくるくると回転させていた。

 「…なにしてるの?」

 私が素っ頓狂すっとんきょうな声を上げると、真田くんは私を見て言った。

 「これで測れる。ベッドに横になっておけ。」

 彼の行動を物珍しげに見ながら、私は言われたとおりベッドに横になる。くるくると回していた体温計を保健室のライトに向けて掲げ、よしと呟くと、真田くんはベッドの横に置いてある椅子に腰を下ろした。

 差し出された体温計を受け取って自分の脇に挟み、少し強めに脇を閉じる。すると真田くんは座っていた椅子から立ち上がり、私の体に布団を掛けて、再び椅子に腰を下ろした。

 「熱は下がっていないのか?」

 目が合うと、真田くんはいつもより小さな声で聞いてきた。

 「たぶん下がってるよ。朝よりはずっとマシだから。」

 私は体温計を確認するふりをして、彼から目を逸らす。

 そうか、と答える真田くんの声は語尾が掠れていたのに、しんと静まり返った保健室ではそれさえもよく響いていた。


 少しの沈黙が流れ、私は気まずさを隠すように目を閉じた。脇に挟んだ体温計に感覚を集中させていると、体温計に付いている紐が腕に擦れた。

 「ねぇ、これはなんなの?なんでさっき回してたの?」

 私が目を開けて真田くんを見上げると、リストバンドを触っていた彼が反応して私を見る。一瞬目が合い、私はとっさに目を逸らした。

 「これは水銀体温計というものだ。」

 「水銀?」

 「ああ。今の電子体温計の前に使われていた体温計だ。」

 真田くんは布団の端を掴み、シワを伸ばすように整えながら答えた。

 「体温による水銀の熱膨張を利用して温度を測定している。回していたのは、水銀の熱を取り、値を零に戻すためだ。」

 布団を整える彼の手を見ながら説明を聞いた後、私はでも、と返した。

 「私が測った時は全然変わらなかったよ。」

 私の言葉に真田くんは一瞬考えるような顔をし、それから少し笑って言った。

 「これはそんな短時間では測れないぞ。しかし微かに温度は上がっていたから、温度が変わらないからと何度も試したのだろう。」

 図星を突かれた私は、ばれた?と苦笑いして真田くんを見上げた。私を見ていた彼の視線と重なり、私はまた目を逸らす。それから再び訪れた沈黙に耐えきれず、私は口を開いた。

 「まだ?」


 * * *


 私の体温は微熱まで下がっていた。意識がなくなった時にどれだけの熱があったのかは覚えていないが、真田くんが見せてくれた保健室の記録ノートには三十九度と記録されていた。それを見た真田くんは、こんな熱で登校したのかと呆れたようにため息をついた。

 その後、戻ってきた先生に体温を伝え、昼休憩が終わるからと彼は保健室を出て行った。


 「お礼は言った?」

 真田くんが出ていった後、椅子に座って水銀体温計を見つめる私に、先生が問いかけてきた。

 「お礼?体温計のですか?」

 水銀体温計の使い方を真田くんが教えてくれたのだと言うことは、先程、彼の前で先生に伝えていた。そしてその場でお礼も言っている。それ以外に真田くんにお礼を言う理由が見当たらないと答える私に、先生は驚いたような顔をした。

 「あなたが倒れた時、ここまで運んでくれたのはあの子なのよ。」

 それを聞いた瞬間、様子を見に来てくれた友達の言葉を思い出した。

 『やったじゃん。』『いい思い出になるよ。』

 私は火照る顔を隠すように手で覆い、それを見た先生は呆れたように言った。

 「明日にでもちゃんとお礼を言わなきゃだめよ。」

 私は手で顔を覆ったまま返事をしたが、明日からどんな顔をして彼に会えばいいのか、考えただけでまた熱が上がっているような気がした。

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