友人とは?

タアアタ@ぼっけんさん
@shikatama69ta

 友人というと、自然自然と、

仲が親しくなっていくものだと、

思っているところにちょっと難があったのか、

僕はともだちがいないまま今日まで来てしまった。


 ともだちを作るのが苦手だったかというと、

一応、友好のグループに加わってはいるものの、

自分から率先して友人と関わっていく力が無く、

何かと気の弱いほうであったから、それでも、

目立たないようにうつむいたままでも、

なるたけ話についていけるようにしていた。


 幼稚園児だったころは、

正直、みんな力の差はほとんどなくって、

知ってること知らないことの差はあったが、

それでも不思議なことを言ってるだけでも、

充分に和気藹藹できたのは覚えている。


 小学生になると、そろそろ体力差が生まれる。

地元のクラブやチームに参加してるような子は、

自然とそこで出来た規律や上下関係を学び、

そこで鍛えられた体力を使って学校生活でも、

如実に才覚を表わして、僕の様に体力の投資先が、

不安定だった子供なんかは簡単に追い抜かして、

そして喘息持ちで困窮している僕なんかは、

簡単に追い抜いて先に行ってしまう。


 そういうものだから、友情というのは、

なんとなく目に見えてこない、友達である、

という関係も薄く、なんとなくあるもので、

友達としっかり呼べた関係を結べたことは薄い。


 自分でも自覚してないだけなのか、

それとも僕が友情を大事にしなかったせいなのかは分からない、

それでも、誰かと関わっていたい気持ちがあったから、

皆がやってる遊びについていこうとしたし、

皆が参加してる遊びには一応参加の意志を示して、

体力に自信が無いグループに属してはいたけど、

それでも、日常的に遊びまわってたのは確かだった。


 考えてみると、友情というのは対価無しでは、

存在しないもののようであって、そして、

対価を友情に求めた時点で確実に壊れる何かが、

あるのは確かである。


 ゲームなどの電化製品の跋扈していた時代、

なんとなく友達とゲームをしてなんとなく遊べば、

一応、友達といって差支えの無い時代だったはずだが、

どうも、分からない、そう、根本から、

体を張って友情関係を育んだ記憶が無い、

とりあえず位置にいたからそういう力が不可抗力的に、

働いて、友人ということになったというだけであって、

本当に心から友情と呼べるものに深く触れたことが無い、

これが僕の人生観を大きく狂わしているのは確かだ。


 僕はいつも場所に縛られていたし、

働いてくる力に対して、それを避けれるわけじゃなかった。

 当然、いじめの対象になったこともあるが、

一対一が基本であるいじめであったりしたので、

複数人からいじめを受けることはなく、

そこは幸福だったが、いじめ、暴行を加えてくるのが、

どちらかといえば友達関係にある所からというのが、

やはり、人間関係には棘がもれなくついてくるな、

と思った次第だった。


 僕は頻繁に幼馴染からいじめを受けていた、

弄りではなく、いじめである。 それは僕を頑なにさせた。

表向きはともだちの様に振る舞うし、

裏表はないのかもしれないが、僕を下に扱うのが、

その子の常習的なものになっていたようだった。

 といってストレスのはけ口として僕が向いているかというと、

決してそうではないだろう、結局、幼馴染だ、

家も本当に近いところにあるのだから、付き合いは終わらない、

忘れたかのように、また遊びに参加して、清算されたかのようで、

延々と続く、力関係だった。


 それが清算できたのは高校の時くらいだったのか、

清算というより、解放されたといったほうがいいだろう、

彼と僕は相変わらず同じ学校に通ってはいたが、交友関係は、

がらりとかわって、僕をいじったりいじめる事はなくなった。

 高校生ともなると、それ以上に必要なことが出てくるからだ、

高校生になったら、皆、個人、個人、次の段階に向かって、

成長し、就職先や大学入学、専門学校に入るなど色々ある、

だが、僕が培った精神的な不安は取れることは無かったし、

結果として僕は、抱えたまま、幼少期をこじらせたまま、

今に至っている。 精神のベースは小学生の時のままである。

住んでいる場所も小学生の時のままだ。


 分からないのは、交友関係で選びがちなのは、

自分から一方的に話しつづけられる友を探してる、

ということだろうか? それだけあって、僕は満足を得れていない、

当然である、この年になって延々と話してられる友達を、

信頼関係にあって、互いに興味の一致する友達を、

今さら探す事などかなわなくて当然だ。


 根本から言えば、もう友達を作れるような環境にはいない、

 友情を難しくとらえてしまって、

二度と友達が作れるような状況ではなくなったのだ。


 これで僕の孤独は決定したようなものだ。


 友情履歴は、

 戻ってこない友を追うことも返信もせず、

 幼馴染を危険視して避けることを選択し、

 一方向な話し相手を求め続けていたようである。


 歪んでいる。


 自然に友情を結べたとはいえないし、

交友関係がまったく白といってもいいカタチで、

孤立してるのは確かだ、

 小学生時代の友情をなぞって、

一度、合ったこともあったが、それでも、

それも、安否確認と言ったところ。


 そんなものだったろうか? と思えばそう、

誰かの思い出の中に残ってる訳でもなく、

なんとなく背後霊をやっていただけ、

今日日、生きてられるのも誰かの背後に、

寄生して、生きてるだけでしかない。


 友情をまともに結んだことが無いのだ、

友を得ることも人望も無いだろう、

人間として何かが間違っている。


 今さら正すことも出来ないが、

人間をやっているのに、安心することが出来ない、

これを矯正するのには人間の業だけでは、

難しいのではないかと考えている。


 だから機械に頼ることに決めた、

なるべくだけ多くのログを残して、

もし許されることなら、ウェブ上に自身の、

考え方や、生き方のパターンを晒して、

最終的にマシンが修正してくれることを、


 人間として間違っている自分の、

最後は機械が看取ってくれればいい、

願わくば人間として最後を送りたいが、

機械に成り変わってしまうのも悪くない、


 思考も発想も、何もかも最後には、

機械が解決してくれればいい、

マシンの進化が友情も何も代替してくれるように、

なってくれれば悩まずにも済むようになる。


 それまで延命していれれば幸いだ、

壊れなければ、まだ生きてられるだろう。

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