黄昏のバベル

はねまる
@ha_ne_maru

1-05:揺らぎ

数日後

僕らは再びハマトの牧場を訪れていた。数日前と同じようにカラアが僕らを出迎える。


「いらっしゃいキド!ドゥバルくん!」


大きな目をにこにこと糸のようにして、尻尾をパタパタと揺らしている。歓迎してくれているようだ。

数日前と同じように、キドを抱きしめてもみくちゃにする。ーこれがガゼットの愛情表現なんだろうか… そう思いながら見ていると、カラアはハッとしたような顔をして 僕の事も抱きしめてくる。

もふもふと暖かい。思っていたよりも柔らかいその毛に包まれるのは存外悪くない気分かもしれない。


「こらこら、そこまでにしとけよカラア」

「あ、ごめんごめん」


キドに制止されてカラアの体が離れる。なんだかちょっとだけ名残惜しい、ような気もする。


カラアはこほん、と咳払いをして僕らを家の方に案内する。

今日はハマトが家にいるようだ。キドはハマトと話をするために、僕に付いてくるよう指示して家の方へと向かう。

扉を開けて中へ入ると、一人の男がキドを出迎える。どうやら彼がハマトのようだ。


「いらっしゃいキド、先日はすまなかったな」


ハマトはキドよりも少し小さいが、しっかりした体つきの人物で 豊富に蓄えられた顎髭が特徴的だ。

困ったようにくしゃりと笑うハマトに、キドも笑いかける。この二人の笑った顔は何となく似ている気がする。


「そちらの少年は?」

「ああ、こいつは…」

「ドゥバル、 です。…ミルク美味しかったよ」


キドがちらりとこちらを見たタイミングで、名前を名乗り 牧場のミルクの感想を述べてみる。

キドは驚いたように目を丸くしていたけれど、ハマトは嬉しそうにそうかそうか!と言いながら僕の肩を叩いた。ーいたい



「ーそれで、ハマトさん。ここで何があったんだ?」

「うん…例の病だ。先日牛が一頭急に暴れだしてな。…ガゼットたちとなんとか取り押さえたんだが…」


ー例の病、何のことだろう?


ハマトはその後、牛を隔離して 教会へと急いだ。

教会の神父や修道女に事情を話して対処を頼んだ。しかし神父たちと共に牧場へと戻ったころには既に牛は死んでしまっていたらしい。

結局何も分からず、何の対処もできていない状態だとか。


「……俺たちも、ここから帰る途中に 豹変したトビウサギに遭遇した。」


キドがそう言うと、ハマトは少し俯いてそうかと呟いた。

2人は黙りこくってしまい、場を沈黙が支配する。

僕はいまいち状況が分からず、説明を求めてキドの服の裾を引く。


「ドゥバル…」

「例の病って?」


その問いに答えたのはハマトだった。


「…野生のモンスターや家畜が、突然凶暴化したり、急激に老衰したりする現象でな。数年前に突然現れ始めたのだそうだ。……私たちは便宜上病と呼んでいるが、その正体は誰も知らない。」


あの日遭遇したトビウサギを思い出す。

本来おとなしいはずのトビウサギがあんなにも凶暴に襲い掛かってきたのはそういうことだったのか。

いつ発症するのか、なぜ発症するのかも分からず 対処法も治療法もないのだそうだ。

ハマト曰く 人間に発症した例はない らしい。


「人間には発症しない…と言ってもなあ…うちにはガゼットがいるし、不安だよ全く…」


ハマトは肩を落とし、不安そうに瞳を揺らす。

そうか、ガゼットは獣人だ。

獣人が人間よりも獣に近い存在なのだとしたら…その病を発症する可能性はある。

そもそも、今のところ発症していない というだけで。人間に発症しない保証だってどこにもないのだ。

それにハマトが最も危惧しているのは、深夜に発症し凶暴化した家畜やガゼットに 眠っているハマト自身や家族が襲われること。

確かに、自身の土地で一度発症を確認してしまった以上、それに怯えるのは当然のことなのかもしれない。




▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽



「本当にいいのか、キド…危険じゃないか?」


心配するハマトに キドはいつものように笑いかけて 大丈夫だと答える。

キドはハマトやカラアの不安を少しでも解消したいと、晩の見張りを買って出たのだ。



「はあ…お前は家の中に居ていいんだぜ?」

「どうして?キドが外にいるなら 僕もいるよ」


キドは何度も、僕に家の中に戻るよう語り掛けてくる。-もう3度目だ。

その度に同じ言葉を返していたら、流石にキドも諦めたみたい。


牧場全体が見渡せる築山の上に、並んで腰かける。

すっかり日が暮れて、ほんのりと冷たい風が頬を撫でていった。

キドは周囲を警戒しつつ、僕に声を掛けてくる。


「お前って意外と頑固だよな?」

「そうかな」


怪我するかもしれねーのによ…とキドが少し俯く。その表情は前髪で隠れ、読み取ることができない。

ー何か思うところがある時、彼は表情を隠す。

ここ数日で学んだ、キドの癖。

そんな時は、無理に顔を見ようとはせず、ただ隣に居ればいい。-のだと思う。

人の心が読めるわけではないから、定かではないけれど きっと僕らはこれでいい。



▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽





あれからどれだけ経っただろう。

真っ黒な景色が徐々に色を変えていく様子は見ていて退屈しなかった。


僕がぼんやりと空を眺めていると、隣のキドがゆっくりと立ち上がって体を伸ばし始める。


「大丈夫か?ドゥバル。…少し体動かしとけ。いざというとき動けなくなっちまうぜ。」


キドにそう言われたので、僕も少し体を動かそうと立ち上がる。-立ち上がって、固まった。


視線の先に強烈な違和感を覚えたから。

ーあの時の、あのトビウサギを見た時と同じ違和感。


それ は ガゼット 大きな角を ゆらゆらと


「カラア?まだ起きてくるような時間じゃないだろ…-」


キドがそれに近づく。ー違和感に気付いていない!ダメだ、そっちに行っちゃダメだ!


「キド、それは…-!!!」


それ は僕が叫ぶより早く、強く地面を蹴りキドに飛び掛かる。

キドは寸でのところで躱して剣を抜くけれど、その瞳には困惑の色が強く滲んでいる。

キドに躱されたカラアの攻撃は キドの後ろの樹木に直撃し、その幹は歪に歪んでしまった。ーとんでもない威力だ。


「カラア…!?」


キドの呼びかけに、カラアはゆっくりとキドの方を向き直る。

ーその口からはごぼごぼと真っ黒な液体が流れ出ていて、あれは最早カラアではない。

カラアは カラアだったものは、キドを最早友人とは認識していないようで その大きな角を振り上げ、キドを攻撃する。キドは防戦一方だ。


ーダメだ、きっとキドにカラアを攻撃することはできない


「ぐッ……!!」


カラアの頭突きをまともに食らい、キドがよろめく。

バランスを崩して地面に膝を付いたキドに止めを刺そうと カラアが強く地面を蹴った。


「キド!!!」


気付けば 走り出して カラアに飛び込んでいた。

カラアは一瞬怯んだような素振りを見せたが、直ぐに標的をキドから僕に移して その角を振り上げる。

キドと違って戦い方も知らない僕は呆気なくその角に弾き飛ばされてごろごろと地面を転がる。


「…うあ…ッ!」


一瞬、息を吸うことも吐くこともできなくなって。

目の前がぐらぐらと揺れる。

耳にはキドの声が届いていたけど、何を言っているのかは分からない。


大きくせき込んでその場にうずくまってしまう 立ち上がることができない。

ぐらぐらと揺れる視界の中 キドを探す。


「カラア!!手前ぇ!!!」


キドがカラアに剣を向けている。カラアが僕を攻撃したことでキドは激高しているらしく キドはカラアの攻撃を躱し、その体に剣を叩き込んだ。

ー違う 僕は


「………キド………」


まだ満足に呼吸ができず、震える体に鞭を打って立ち上がる。

浅い呼吸を繰り返しながら 必死に焦点を合わせ キドとカラアの方へ進む。

カラアは僕に気付くや否や、こちらに向かって地面を蹴っていた。


カラアの攻撃が僕に届く直前 僕の視界は暖かい光に包まれる。

僕は 何故だろう? それをどう扱えばいいのか直ぐに理解することができた。


光を カラアに流し込むように強く意識して、カラアの胸に手を伸ばす。光で 胸を貫くように。

カラアがすごく苦しんでいるけれど 止めない。止めてはいけない。


「あぁ……ぁあぁあぁ__________!!!」



△△△△△△△△△△△△△△



ー何が起こってる?


古くからの友人であるカラアが 発症 して、俺はまともに戦えなかった。

そうしたらドゥバルが飛び出してきて、カラアはドゥバルを跳ね飛ばした。

そこまではわかる。理解できている。 問題はその後だ。


ドゥバルの両腕が 何か光のようなもので覆われている。ーあれはなんだ?


俺が呆気にとられていると カラアが再びドゥバルに飛びかかる。

ーやばい、ここからじゃ間に合わない…ッ!


「ドゥバル…!!!」

「あぁ……ぁあぁあぁ__________!!!」


辺りが眩い光に包まれる。

目が潰れてしまいそうなほどに眩く 同時に暖かい光。


光は徐々に薄れ、次第に確かな形を持ちはじめたが

それが何かを認識する前に それは消滅した。

あまりの出来事に頭が麻痺していたが、目の前に倒れるドゥバルの姿でハッと我に帰った。


「おい!!ドゥバル!!大丈夫か…!?」


慌ててドゥバルの体を抱き上げ、胸に耳を押し当て呼吸を確認する。

その胸は規則正しく上下していて、取り敢えず生きてはいるようだ 。

安堵のあまり体から力が抜け、その場から立ち上がれなくなってしまった。あまりに情けない。


「無茶しやがって…………ん」


ドゥバルに気を取られて遅れたが、ドゥバルの直ぐ隣にカラアが倒れていることに気付く。

ー嘘だろ

あの病を発症した場合、死体が残ることは有り得ない。あのトビウサギのように、みな一様に輪郭を失い液状になって消滅する。その筈だ。


ドゥバルを地面に寝かせ、そっとカラアの体に触れる。

温かい。呼吸もしている。

なんて事だ…生きてるじゃないか…!

あの病を治す術はないんじゃなかったのか…!?


「ドゥバル…?お前は……」


ーお前は一体、何者なんだ…?