夜越しの白昼夢

🌃夜野くん💫
@yoru_sou_410

有神論





軋む身体。

憂鬱な倦怠感に身を弛たわせ、微妙な眠気を感じながら毛布に包まる。


結局、いつもの“あれ”をいつも通りやって、気が済んだのか彼は自身のちゃんとした寝室で眠りについてしまった。

今日はもう用済みの俺は、ただそのまま放置されて、自分で動く元気もないままリビングに敷かれた皺だらけの布団の上に丸くなっていた。


彼には部屋がある。

自分一人の、自分だけの。

住まわせて貰ってる身の俺は、勿論部屋なんて与えてもらえなくて。

狭いリビングに乱雑に敷かれた布団が、唯一の俺の居場所だった。

此処で目が覚めて、此処で暇を潰して、此処で彼に潰されて、此処でまた眠りにつく。

それだけが今の俺の全てで。

狭いリビングがより一層自分の生活の窮屈さを物語っていて、溜まりに溜まったゴミ袋も近い距離で見るテレビも、全部が彼から感じる圧力の暗喩みたいだ。


もうこのまま寝てしまおうか。

いやでも、寝ちゃったら、また明日を、また新しい一日を、繰り返さなくてはいけなくなる。

昨日も今日も明日も、全部全部、多分これからだってずっとずっと同じだ。

同じことの繰り返しで、でも毎日が苦痛で、一日一日を必死に生きているけれど、どれもひとつの価値はそんなに無いんだ。

自分は毎日をなんとか死なないように息をするのに精一杯で、何から、何処から、何時からやり直そうだなんて、そんなこと到底思える訳がないのだった。何故なら、例えその先が良い方向に転がろうが、一度耐え切った苦痛をもう一度受けるのは拷問以外の何者でもないからだ。


『逃げても無駄だから』


ある時、こんな生活から逃げ出そうとした時があった。

至極真っ当な判断だと思う。こんな生活をしていたら、余程彼に惚れているかそういう趣味がない限り、誰だって逃げようとする筈だ。……生憎、俺はそのどちらにも当てはまらなかった訳だが。


その時言われた言葉を今でもずっと覚えている。呪いの様に自分に纒わり付く言葉は、いつまで経っても頭を離れることはないみたいだ。

逃げられないという残酷なまでの現実を叩きつけられて、頭ももうぐちゃぐちゃだ。


「………ん、」


軋む節々。気怠さを貼り付けたまま寝返りを打てば、何も映さない液晶が目に入った。

ふと、彼はもう寝てしまっているだろうかと、どこか妙に冴えてしまった頭の片隅で考える。不意に液晶の板に触れれば、画面上に午前12時30分と表記されていた。日付はもう変わっていた。


「………お腹、空いたなぁ」


空っぽの胃が縮む音がする。

そういえば今日はまだ何も口に入れていなかった気がする。

いつもの“あれ”の前に何か口に入れると吐いてしまうし、第一最近何か口に入れようとしても何故か身体が受け付けてくれないのだ。元々食べるのは嫌いじゃなかった筈なんだけど。


なんとか毛布から這い出て、音を立て過ぎないように台所まで向かう。腰が石になったみたいだ。酷く重い。

自分でも、こんな食生活は身体に悪過ぎることは判っていた。でも、この時間くらいしか食べられないんだから仕方がない。本当は直したいけれど…うん、仕方ないよね。


戸棚から何か食べられるものはないか探してみる。

申し訳程度のスナック菓子や即席麺が、戸棚の奥まで乱雑に入れ込まれている。あからさまに不健康的な食べ物ばかりで、でもまあ、無いよりはマシだ。

1番手前に在った即席麺を手に取り、ポットでお湯を沸かせる。別室に居る彼を起こさないように、手順通りに即席麺を調理し、元いた場所に持って行く。時計を見るともうすぐ1時になろうとしていた。少しだけ眠いけど、まだ起きれる。

今しがた作ったものを胃に入れながら、携帯を開き、なんの迷いもなくSNSのアイコンに触れる。


「…………あ、」


薄い箱に浮かぶ『黒猫』の2文字。

どうやら彼はまだ起きていたようで、つい最近の彼の投稿には3分前と表示されていた。

その文字を見た途端、心臓が大きく跳ねた。

その偶然さに驚きもしたし、嬉しくもあった。

それぐらい彼は狭く薄暗い自分の人生の中でも特別な人だった。その“特別”がどういう意味なのかは、自分でもよく解らないけれど。お揃いで名前の後ろに付けた満月と新月の絵文字が、彼との仲の証に見えて。それが狭い交友関係を持つ自分にとっては酷く嬉しいものだった。

…なんて、彼に言ったら気味悪がられるだろうか。


そう薄ら思いながら、投稿画面を開く。

何でもいいから、今の境遇を誰かに話したい。聞かれていなくても良いから、吐き出すところが欲しかった。

画面上のキーボードに指を滑らせる。


逃げたいなぁ。

何か一つでも変わればきっと、自分はまだ生きていける。

そもそも自分はなんで此処に留まり続けるんだろう。本気で逃げようと思えば、手段なんて幾らでも在った筈だ。それでも自分が此処に留まり続けるのは、自分が此処から抜け出すだけの勇気もきっかけも無いからだ。弱いから、いつまでも変えることが出来ない。嫌だなぁ、ずっとこのままなのは。


重苦しい淀み切った溜め息をひとつ吐き、文面は違えどそんな旨の投稿をして、直後携帯を布団の上に投げ出す。

こんな陰気で吐き気がする文章、どんな物好きでも読みたくないだろう。

それでも吐き出して仕舞ったのは、多分、少しでも誰かに心配して欲しかったからだ。逃げてもいいよって、たぶん、言って欲しかったんだ。


少しだけ泣きそうになりながら、先程自分で掘り返したもやもやを気にしない様に、ゆっくりと食べ進めていく。ちょっとだけ味がしなくて、やっぱり駄目だな、って、そう思った。


やっと食べ終わって、空になった器をゴミ箱に捨てると、ふと布団に投げすてた携帯の画面が光っているのが見えた。あれはたぶん、何かしらの通知が来た時の表示だ。なんだろう。


「………え、」


画面にポップアップされた通知。

それを開くと自分の投稿への返信には、同じ名前の彼からの『俺の家、来る?』という文面。

それを見た瞬間、時間が止まったような気がした。びっくりして、思わず携帯を自分の膝に落としてしまった。

これは……どういう解釈が正解なんだろうか。俺が今しがたした解釈が合ってるのならば、それは俺にとって希望も同然で。


数回目を擦ってもその画面は変わらないし、何度文章を読んでもやっぱりさっき考えた意味でしか考えられなくて。


そわそわと何度か携帯を閉じたりつけたりしてしまった。埒が明かないので、恐る恐る返信をしてみる。

すると直ぐに『いいよ、おいで』という返信が送られてくる。

泣きそうだ。いや、泣いてしまった。

その文が、自分の全部を受け入れてくれたような。そんな錯覚に、ぜんぶぜんぶ勘違いしてしまいそうだ。

大袈裟かもしれないけれど、俺にとっては兎に角これは救いの手なわけで。この窮地から抜け出せるかもしれないのだ、正しく蜘蛛の糸、という言葉が相応しくて。

逃げるにはリスクがあるけれど、やってみるだけ価値がある。

心に湧いた勇気を、震える指先でひと押しした。


その後何度か彼とやり取りをして、早速明日にはこの家を出ることにした。

幸いにも、今朝同居人が明日は家には帰らないと、誰かに電話で話していたのが聞こえたのを思い出したのだ。

どこか浮き足立った頭と気怠さを忘れた身体に、少しばかりの緊張感が混ざってしまえば、もう今日はあまり眠ることが出来なかった。

なかなか落ち着けない頭で、やっぱり神様は居るんだなぁと、そう思った。