3peas in a lorry

萩一
@AMKchoux

ごうごうと黒いゴム製のタイヤが瀝青舗装の上を烈しく回転していた。高速道路というやつは実は非常に単調で、運転手への注意喚起や居眠運転の防止のために、薄層舗装というものを施して、わざと定期的に車体を揺すったりする細工すらあるのだが、もはやぶっ飛ばし過ぎていて、今のガタガタした振動が何故、何のために発生しているのか、よく判らなかった。薄層舗装なのだとしたら、間隔が狭過ぎやしないだろうか。それとも走行速度が異様なのか。きっと後者だ。繰り返される車線変更。乗ったばかりなのに、「次のゲートで降りて」なんて、更なる無茶な指示。

 減速した、と思った次の瞬間には横方向に無茶苦茶な加速度を感じて、坂口は前のめりに横に転がり、金属質の側壁に思いっきり頭を打ちつけた。眼鏡が落ちた。拾って掛け直していると、ギュンともガンともつかない不気味な音が近くを掠めた。銃弾が硬いものに弾かれた音だった。

「回り込まれたな。撒いたと思ったのに」

 運転席の織田が飄々とした声が言う。それと大体時を同じくして、助手席の太宰から「えぇええ」と不満の声。

「嘘、私の考えた逃走経路にひっついて来るなんて!」

「相手も頭が切れるんだろう」

「本当にそうだったら今頃安吾は路地裏の死体だよ! 絶対になんかの異能か、さもなくば偶然……って、ぎゃあ!」

 織田が思いっきりハンドルを切ったので、太宰の広げていた地図がバサバサ音を立てる。銃声が烈しさを増し、荷台の中をぐわんぐわん響かせた。外はどうなっているだろう。鉛の雨が降っているのだとしたら、ぞっとしない。

「太宰、シートベルトをした方がいい」

「もうさあ、Uターンして迎撃しようよ。貨物車で突っ込んで全員轢き潰して帰ろう。五分で済む」

「死人が出そうだ」

「オーケー織田作、君が銃を連射する熱烈なストーカー相手でも決して命を取らないのは知ってる。運転代わって」

「大型免許持ってるか?」

「あるよ、大型二輪!とりたてほやほやだ」

「二輪と自動車は違うな」

「えー」

 しょうがないじゃないか、車の免許は一八歳からなのだよ。あと七ヶ月もカーチェイスを続けるのは現実的じゃない、全然現実的じゃあないよ。シートベルトを引っ張ったり戻したりしながら、太宰は白い頬をむっくり膨らませた。使わないならそのシートベルトを貸して欲しい。坂口はそう思った。かれこれ数十分、荷台の中を支配する慣性の法則のせいで至る所擦り傷と痣だらけだ。

「多数決で民主的に決めよう。迎撃と逃亡、安吾はどっち派? 織田作はこう言うが、私の考えでは人を轢き殺すだけなら免許は必要ない!」

 助手席の背凭れに手を回して、太宰が半身振り返って質問した。銃弾がフロント硝子に罅を入れる。おい太宰、危ない、と織田が声を挙げるか挙げないかのうちに、大きく車体が跳ね上がって、彼の身体がふわりと浮いた。かと思うと、坂口目掛けて吹っ飛んできた。彼の、まだどこかしら華奢で幼気な体躯は、それはそれは不釣り合いで悪趣味なブラックスーツに包まれていて、空中で二、三回何もない場所を引っ掻いたあと、くるんと一回転して坂口の顔面にヒップアタックをかました。いくら年下でも、それを笑って過ごすには、太宰は成長しすぎているし重過ぎる。

「へぶ」

 坂口は嘆いた。衝撃で脳内がひっくり返ってしまって、今すぐ家に帰って、暖かいシャワーを浴びて、ふかふかの寝台にダイブしたい、と逃避したことを考えた。

「わあ、安吾に顔面騎乗しちゃった。AVみたい」

 車の免許も取れない年の餓鬼は、けたけた嗤いながら、そこを退かない。銃声鳴り響くカーチェイスの最中に、緊張感など絶無である。

「僕はなんでこんな目に……」

 辛うじて呻くと、太宰は黒い目をぱちくりさせて、坂口を見下ろした。睫毛が長い。その股ぐらからは、ブランドスーツの上質な羊毛の匂いがした。

「わかってなかったの?」

「知りませんよ! 僕はいつも通り、いつもの相手と取引をした帰りだったんです! 尾行対策だって万全を期したはずだった——なのにいつまでも付き纏われるし、すわ回り込まれたかと思ったら、お二人が突然出てきて貨物車の荷台に押し込まれ」

「ハッピードライプデヱトのお誘いさ」

「どこが」

 銃撃されながら人を轢き殺すかどうかの算段をするのは、坂口の知るハッピーからは悲しいほど掛け離れている。

 坂口安吾は、まともな人間だった。社会と時勢に愛されて、生真面目に生きることを許されている。今夜はたまたま運悪く、武器を持った得体の知れない何者かに追い回されていて、たまたま運良く、知り合いのマフィア達に助けられたというだけで。

「僕は至って正常で、ちんけで、つまらない凡俗の人なんですよ……銃声の鳴り響くドライブなんて、今にも心臓が飛び出して死にそうです」

「安心し給え、凡俗の人はポートマフィアで情報機密を取り扱う仕事なんかに就かないし、政治家先生の強請りにも荷担しないし、暗殺者っぽい人にストーキングされたりもしない」

「真面目に仕事を遂行しているだけです。太宰くん、ほんとそこどいてください」

 太宰の小さい尻を鷲掴みにして横に転がし、這々の体で上体を起こすと、坂口は深々と息を吐き出した。太宰はしばらく「つれなぁい」とけらけら笑って、それから車体の突き上げるような振動に合わせて床に後頭部をしたたかにぶつけ、泣き言を漏らした。

「銃声がまた聞こえなくなったな。今度こそ撒いたか」

「三度目の正直だと思う? それとも二度あることは三度?」

「三度目の正直を願いたいところです」

 車はいつの間にか、道のない山林を突き進んでいた。相変わらずの無茶苦茶な速度で。危険予知能力を持つ織田だからこそ可能な、強引かつ支離滅裂な運転だった。

「木が左右に避けていくよ! 勿論これが目の錯覚だということは知ってるけどさ——織田作、公道じゃないし、追っ手も来ないんだからいいでしょ、私もやりたい」

「……駄目だ」

 数秒間をおいて、織田はきっぱり断った。それから軽くハンドルを切って速度を落とし、何か逡巡するようにしてからもう一度「駄目だな」と断言した。

「なんで?」

「太宰にハンドルを預けると五秒以内に死ぬらしい」

「えっ早い」

 一分くらいは持たせる心算だったのに。さしもの太宰も目を丸くした。一分しか持たせる気がなかったのか。坂口は嘆いた。彼等に助けられるより、一人で尾行者と向き合った方が幾らかマシだったかもしれない。

「仕方ない。運転は諦めて——じゃあ。ねえねえ安吾、恋バナしよ」

「女子か」

「実は安吾に密かに片想いしてる男子がいてね」

「せめて女子にしてください」

「うふ。マァ聞きたまえ、悪いやつじゃないんだ。手が二本と足が二本ある。目は二つ鼻と口は一つ……」

「普通!」

「五体満足じゃないか、良かったな安吾」

「織田作さんは黙って安全運転に集中してください」

「背丈は五センチくらいの蛞蝓で……」

「それ中也君ですね!?」

「おっと安吾、今の情報のどの辺から中也だと判断したのかね。本人に言いつけてやってもいいのだよ」

「あああ——……、あ痛」

 太宰の口車に乗せられたことを察して、坂口はがっくり肩を落とした。ついでに力を抜いたので、揺れにやられて頭をごちんとぶつけた。今更だが瘤だらけだ。本当に今更。

「というか太宰君、免許なんか持ってたんですね?」

「そう、話せば長いんだけど、例のアレが機動力向上のために二輪車を使うとか言い出して、給料つぎ込んで糞高いVFRを買ったのさ。思うに機動力向上は言い訳で、安吾を二ケツデヱトに誘う口実だろうね。しかし知っての通り……」

「恋バナネタはもういいです」

「折角面白くしてあげてるのに! まァ好い、しかし知っての通り、中也は大分危険人物だ。そりゃ簡単に捕まるタマじゃないけど、少なくとも手配書は真っ黒だよ。で、彼みたいなタイプが一番気をつけるべきは、平和な街角で軽犯罪でパクられて、そこから芋づる式にずるずる余罪を出され気付いたら塀の中、みたいたことだ。……というわけで、森さんが免許はきちんと正式なものを持っとけって言ってね」

「あー、そういう」

「そしたら彼奴ずーーーっと自慢してるんだよ!偽造じゃない、本物の身分証なんか持ったことないからね。で、なんだか腹が立った私は理由もなく自分の分も作ってみた」

「よくわかりました」

「中也と二輪車デヱト楽しんでね。貨物車デヱトより刺激的なこと間違いないね、空をぶっ飛べるよ」

「誘われないと思いますけど誘われたら断りますよ」

 太宰はけらけら笑った。

 そのうちに、車は、森を抜けて市街地に戻ってきた。ジグザグに走行したからそう感じただけで、最初からそこまで広い森ではなかったのかもしれない。

 坂を登る感覚と共に、生温い田園風景が広がって、次の瞬間目が醒めるような紺色の海と空に視界が切り替わった。天辺の方は既に紺色で星が煌めいていながら、水平線の辺りにはまだ、太陽が名残りのように光っている。何時の間にか助手席に戻った太宰が、きゃっきゃと年相応な歓声を上げた程には。美しい、横濱の日没。

 濁った貧民街も、マフィアの黒々とした威光を示す高層ビルヂングも、余計なものは見えなかった。見えないだけで、見知った街が違うもののように見える。——フロント硝子に皹が入っていなくて、銃声が聞こえなければ、もう少し浸っていられたはずだった。それも武装が強烈になっている。明らかに銃声が増えていた。

「もう勘弁してください、銃弾が当たったら死ぬじゃないですか! 僕は織田作さんや太宰君とは違うと何遍言ったら」

「……ねえ織田作、私達って銃弾当たっても死なないの?」

「死ぬんじゃないか?」

「やったね安吾、その違いは君の気のせいだ」

「そういう意味じゃない! どぅあ」

 織田が乱暴にハンドルを切ったので、坂口はまたしても横方向に吹っ飛んだ。荷台が、今にも横転しそうに傾いで、それから適当な電柱にぶつかって、側面と天辺を凹ませながら元の位置どりに戻った。

「あー、陽が沈む」

「どうだ、見えそうか太宰」

「気象条件は最高なんだけど、こればっかりは自然現象だから」

「何です!?」

 けたたましい制動音を立てて、貨物車が海辺の道を駆け抜ける。太宰が身を乗り出した。銃声は真逆の方向から降り注いでいて、向こうには海しかないはずだというのに。坂口もつられてその方向を見た。織田も脇見運転みたいになった。次の瞬間、チカッ、と緑の閃光が走った。

「見えた!」

 太宰が歓声を挙げる。

「凄いな、本当に太陽が緑に見えた」

「ね、言った通りでしょう」

「……これ、僕の勘違いでなければ通常リゾート地や離島で観測される気象現象では?」

「そうだとも!今日の横濱の気象条件はリゾート地並だったということさ、いやァ、一緒に観たって証人が欲しくてね。ひとりで見たって嘘つき呼ばわりだろうし、何よりひとりで失敗してすごすご帰るなんて寂しくって最低だ」

 太宰は嬉しそうに言った。自然の神秘。坂口は一寸感動した。——重ね重ねだが、フロント硝子に皹が入っていなくて、銃声が聞こえなければ、もう少しゆっくり感動できたはずだ。

 いくら自然の神秘が美しくても、人が作り出した鉛玉の雨は止まない。無粋で最低で、ハッピーは遥か彼方に埋まっている。横濱の汚泥に。貧民街の孤児の足下に。——ドライブして海で緑閃光を見るだけなら成る程、ちょっとしたデヱトコースだろうけれども。

「サテ、目的も果たしたし……帰る?」

「そうだな、腹が減った」

 だというのに、織田と太宰がそんな風に言いだすので坂口は目を剥いた。太宰は今度はのそのそと、這うように助手席から出てきて、坂口の書類カバンを分捕り、問答無用で中を探った。次の瞬間、今度は水色の閃光が、すぐそこで矢のように弾けた。

「これでよーし」

「解ってたのか」

「いいや? でも可能性として一番高い場所はそこかな、って」

 水色の光。要するにそれは、異能力が発動したことを意味していた。坂口の鞄の中に手を突っ込んだ太宰の手元で。

 しつこく追いかけてくる銃声と追っ手。荷台の中でガツガツと転がされていたので彼らが果たして「何」で、「何故」撒けなかったのか、坂口には理解らなかった。それどころじゃなかったせいだ。

 ……理解らないように、仕組まれていた?

「お二人とも、僕を嵌めましたね?」

「最初から言ったじゃないか、ドライブデヱトだって。追っ手は口実」

「それを嵌めたと言うんです」

「えっへへへ」

「カレーが食いたい」

 坂口は太宰を睨んだが、友人二人は相変わらずだった。太宰はへらへらしている、織田は貨物車を路肩に止めてのびのびと背中を伸ばしている。もう貨物車は走行すらしていないのに、銃声が追ってくる気配ごと消えている。

 頭の中で何かが切れた音がした。

 坂口は無言で太宰からカバンを引ったくり、携帯端末を取り出して、ピピピ、と数字を弾いた。

「……もしもし、出前の注文をお願いします」

「え?安吾」

「場所は××ホテルの一三〇二号室。咖喱百人前お願いします。ええ百人前。できるだけ早く。出来上がったら端から持ってきなさい」

 一息に注文を終える。太宰がきょとん、としていた。何かしら予想外の展開に巻き込まれた時のように。ざまあみろ。坂口はわずかに溜飲を下げた。

「……何かの隠語?」

「いいえ、何の暗号でもありません。ホテルの部屋は僕が取っている場所ですので、二次会は咖喱パーティーと洒落込みましょう。織田作さん、太宰君を連行します」

「承知した」

「え? いや、カレーパーティーはいいけど百人前? 百人前どうするの!? ねえ織田作、ちょっと、突っ込み手伝って! だめだこいつ咖喱に支配されて何も聞いてない!!」

「そういうつもりじゃないが、最初に安吾は怒ると思うぞ、と言っただろう」

「それとこれ関係ある?」

「太宰君、カード借りますよ。安心してください、こんなこともあろうかとスキミングしてありますので現物は結構」

「……まさかの、支払い私?」

 織田はハンドルを切った。いい晩だった。緑閃光を見た人間にはねェ、ご利益があるのだよ。最初にそんなことを言っていた太宰を思い出した。唐突にやってきて「車出して」と無理を押し付けながらだった。「見た人間は幸せになるんだって」「折角だから安吾も連れて行こう」「だって、とても希少な条件下でしか観られないんだ。下手すると横濱では最初で最後かもしれない」そんなことを言った。太宰はこれで、存外浪漫チストで、可愛いところのある少年なのだ。それに伴う無茶苦茶と道化の振る舞いが、全てを覆い隠してしまうけれども。

 ついでに坂口の追っ手は追い払ったし、きっと彼の計画通りで万々歳——には、最後の最後でなり損ねたようだ。坂口の手酷い裏切りにより。或いは彼なりの感謝かもしれない。

 いつも通りとは少し違う、けれどもいつもの面子の愉快な夜が始まろうとしていた。



※緑閃光…空気が澄んでいる時に、太陽が沈む直前や昇った直後に、緑色の光が観測できる気象現象。グリーンフラッシュともいう。南の島では、見ると幸せになるという言い伝えがある。


2019.01.03

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