白眉学園軽音楽部

木村(5)
@RiatoH3PO4

第6話.誰も欠けない文化祭(11月後半)



「雷が鳴いてる」

 線川せんかわ千鶴ちづることラインが、ぽつりと呟いた。分厚い防音カーテンは閉め切られており、窓の外は目では確認できない。

「……雨降ってる」

 山梨やまなし小豆あずきことアズキが、カーテンを開けて外を見る。談笑の声とカーテンに遮られ、雨音も耳に届いていなかった。

 ラインとアズキの言葉でサラが「え!?」と耳をふさぐ。

「む、無理……! 雷はだめ!」

「うわ、これからもっと酷くなりそうだね」

 怯えるサラに、マァがスマートフォンで天気予報を確認しながら言う。他にも数人、女子部員が嫌がる声をあげた。

 シムラが女子たちに向けて、口を開く。

「早めに帰ったほうがいいよ」

「でも、明日の準備が……」

「大丈夫、俺らでやるから」

 シムラはニコッと微笑む。

「もっと酷くなったら帰れなくなっちゃうし。俺ら残って準備するから」

 言いながら青春アルテミスのメンバーを振り返ると、ダイとハラダとショウは呆れたような表情をしていた。

「ほんと? じゃあお願い……しようかな」

「うん。気を付けてね」

「ありがとう」

 女子部員が帰路につくのを見送って部室内に戻ると、男子部員たちがじっと見つめてきた。

「シムたん俺らのことお構いなしだねえ」

「さすが女たらし」

 ショウがニヤニヤ笑いながら、ダイが呆れ顔で、それぞれに呟く。

「あ……ご、ごめん。皆も早く帰りたかったよね」

「いや、ライブするのは俺たちなんだからもちろん準備はするし、そこに文句はなく」

 ハラダが食い気味で否定する。

「なんつーか、モテる場面を奪われた気分になるよな」

「俺らだって「先帰りなよ」って言うつもりだったもんね~」

 ダイとショウが笑い、ハラダが頷く。

 シムラは「うえぇ」と焦り始めた。

「ご、ごめんね……」

「いやいいって。シイナも雷苦手だし、そのくせ俺らが言っても意地張って帰ろうとしなかっただろうし。お前が言ってくれて逆に助かったみたいなとこもあるから」

 ダイは苦笑しながら言って、作業を再開した。シムラも急いで作業していた場所に戻る。

「シム君は帰らなくて大丈夫?」

 隣に座っていたニィに訊かれ、シムラは微笑んだ。

「大丈夫。俺、雷苦手じゃないから」

「……そう。ならいいんだけど」

 何か言いたげなニィの様子には、シムラは気が付かない。

「あっ、アズキも! 無理せず帰っていいからね!」

 シムラは慌ててアズキのほうを振り向いて声を掛けた。アズキはふるふると首を振る。

「俺も雷こわくないから」

「そういう問題じゃなくて、これは青春の準備だし……」

「わかってるよ。大丈夫、無理してない」

 アズキは軽く微笑んでみせる。入部直後には有り得なかった笑顔だ。シムラはホッとして「ありがとう」と笑い、作業を再開した。

 雨は少しずつ強くなり、それに伴って雷も近付いてくる。が、防音カーテンに囲まれた第二部室ではその様子になかなか気が付けない。

 数十分ほどすると、雷の音が大きくなり、カーテン越しにも耳に届くようになってきた。

 シムラは作業の手を止め、顔を上げる。

「雷すごいね」

 シムラは少し楽しそうに、ニィに向かって笑いかけた。ニィは心配そうにそれを見つめ、「すごいね」と小さく返す。

「落ちたら停電するかな」

「学校って停電すんの?」

「さあ……ググるか」

 ダイがスマホを取り出した次の瞬間。

 何かが崩れるような大きな音が響いた。

「わっ!」

「!?」

 その場の全員が身構える。蛍光灯がパタッと消え、真っ暗になった。ダイのスマホの画面だけが光源になる。

「停電した!」

「ググる手間省けたな」

 ダイは言いながらスマホをしまおうとして画面を消した。部室が真っ暗闇と化す。

「シム君!」

「画面消すのかよ」

「あ、消したら真っ暗だわ」

 ハラダのツッコミで、ダイは再びスマホの画面を点け直す。ついでにといった様子で、背面側のライトを点けた。

 ライトの真正面が明るい光に照らされる。

 ニィに支えられながら怯えるように自らの肩を抱くシムラが、そこには居た。

「……シムラ?」

「え、どうしたの大丈夫?」

「……あ、暗闇だからか」

 困惑するハラダとショウを後目に、ダイだけがニィの言葉を思い出して状況を理解する。アズキは何も言わない。

 アズキ以外の三人が近寄る。スマホのライトに照らされながら、シムラは俯いた。

「……ご……」

「え?」

「ごめん……なさい……」

 震えた声でシムラが謝罪する。ニィは眉を顰め、ハラダは目を瞬かせ、ショウは首を傾げた。ダイが「おい」とその肩に手を置く。

「よくわかんねーけど、暗いのが怖いのはニィから聞いてるから。別に俺ら怒ってねーし、謝ることないぞ」

 アズキも歩み寄ってくる。シムラが五人に囲まれるような形で、全員が光源に集った。

「暗いのこわいの?」

「なんか、急に怖がるようになったらしい」

 アズキがダイに問うので、ダイはシムラの様子を見つめながら答えた。アズキはシムラを見て目を細める。

「……暗いのが、こわいの?」

「えっ?」

 ダイはアズキに顔を向ける。他の三人も、思わずアズキを見た。

「……シムラ君?」

 アズキが名前を呼ぶ。

 シムラはぎゅっと身体を縮こませ、俯いたまま誰のことも見ようとしない。顔を上げることに恐怖しているようだ。

 誰も、何も喋らなくなる。雨音だけがその場に響いた。

 シムラは相変わらず、何かに怯えるように震え、縋るようにニィの制服を握っている。

 普段のシムラとはまるで別人のようだ。

 ——別人のよう、なのだが。

 シムラ以外の五人には、既視感があった。誰も何も言わないが、同じ感覚だ。

 今より少しだけ髪が長かった。スカートを履いていたし、眼鏡を掛けていなかった。

 それでも。

 入部当時、『王子様』になる前のシムラの様子に酷似している。

「……シム……く、ん……?」

 ニィが恐る恐る、呟く。

「……っ」

 シムラの身体が強張った。先程までよりも強く、ニィの制服を握り締める。

「……ケイ……」

 シムラの声に、五人は息を呑む。

「ごめん、なさい……ごめんなさい……っ」

 シムラは、ニィに縋りつくように謝り始める。まるでニィを『ケイ』と思い込んでいるように。

「おねがい……いかないで……」

 懇願するその声に、ニィは言葉を失った。頭の中が真っ白になり、目の前のシムラのことをただ見つめるしかできなくなる。

 この切に願う声は、『ケイ』に向けられている。では、『ケイ』とは誰か?

 ニィにはわからない。ダイの記憶に微かに残るその人物のことを、ニィは何も思い出せない。

 それでも。

 シムラが、『ケイ』を望んでいる。

 その事実が、ニィをただただ傷つけた。

「っ……シムラ!」

 ダイがシムラの肩を掴んで、無理矢理ニィから引き剥がした。その拍子にスマホが床に落ち、ライトが天井を照らす。

「お前ッ……しっかりしろ! こいつは新野涼真だ! お前が思ってる奴じゃない!」

 ダイは、ライトの影響で微かに確認できるシムラの表情に向かって怒鳴った。過去の、自信の無い小さな少女の表情だ。

「ニーノ……」

 シムラは小さく呟く。

「……にい、の……」

「そう、新野! ケイじゃない! ケイはっ……ケイなんていないだろ!?」

 ダイが叫ぶ。シムラは目を見開いた。

「……ケイが……いない……」

 重大なことに気が付いたように、シムラは呟いた。ゆっくりと俯き、まばたきをする。

「……ケイ……?」

 今度は眉を顰めた。

「ケイって……誰……?」

 一昨日の夕食を問われた時のような自信のない声音で、シムラは誰にともなく訊いた。

 ニィが溜息混じりに「こっちのセリフ」とぼやく。シムラは慌てて振り返った。

「あっ……ニィさん、ごめん! 俺、すごいわけわかんないこと……」

「……シムラ、お前暗闇怖くないのか」

 ダイの質問に、シムラは「えっ?」と振り向く。その表情に怯えはない。

「……あれ……? なんで怖くなくなったんだろう」

 シムラが疑問を口にした瞬間、パタパタと蛍光灯が点いた。電力が復活したらしい。

 明るくなったが、誰も何も言えなかった。先程までの出来事の意味が、その場の誰も理解できない。

 数十秒、静寂が続く。カーテンと窓を越すその先で降る雨が、音で存在を示してくる。

 ガチャッと音がした。その場の全員が、一斉にそちらを振り向く。

 それは、倉庫こと第一部室の扉が開いた音だった。キィ、とゆっくり扉が開いていく。

 誰もいない、はずだ。残っている鞄はもうこの場の全員のものしかない。

「……誰……だ」

 ニィが、問う。

 反応はなかった。

「……シムラ」

 ダイが、倉庫への扉を睨んだままシムラを呼ぶ。

「お前、ケイって……わかるか?」

 シムラも倉庫を見つめたまま、「いや」と返事をした。

「……わからない。知らない……はず、なんだけど……」

「だよな? ケイなんて、いない、はず……なんだよ。いないはずなんだ」

「……どういうことだよ。説明してくれ」

 ハラダはダイとシムラを交互に見て言う。シムラは「わかんないけど」と前置きして、話し始めた。

「いないはずの人が……いるような……いたような気が……する……」

「いなかった、よね。ケイなんて……」

 ショウはアズキを振り返り訊く。アズキは小さく頷いた。

「部員にそんな名前、いない」

「あ」

 アズキの言葉に、ニィが声を漏らす。倉庫を見ていたシムラとダイを含めた全員が、ニィへと目を向けた。

「……部員……」

 ニィが自分の口を押さえる。周りの全員は何も理解できていない。

 ニィは立ち上がり、自分のリュックのほうへと歩き出した。ゆっくりと、何かを恐れるような足取りで。

 リュックを開けて取り出したのは、黒歴史ノートだった。パラパラとページをめくり、中身を確認していく。

 そうして、あるページにたどりついた。

「……あぁ……」

 何かに納得したような、絶望したような、そんな声がニィの口からこぼれた。

 ダイは駆け寄って黒歴史ノートを奪い取る。ニィが開いたページを見て、眉を顰めた。

 そのページには何も書かれていなかった。

 元からある罫線だけが、そこにはある。

「……ニイノ……?」

 ダイはニィを見るが、ニィはダイのほうを見ていなかった。

「……まだ、だめなんだな」

 苦しそうに声を絞り出す。

「……お前……どういうことだよ。ちゃんと説明っ……」

「まだだめなんだ」

 ダイの声を遮って、ニィはそう吐き出す。表情を歪め、自らの額に手をあてる。

「……タイタン……」

 消え入りそうな声が、そう呼ぶ。

 倉庫の扉が、バタンと閉まった。


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