白眉学園軽音楽部

第4話.白秋ヘルメス(10月後半)

「どうしたらいいの」

 『少女』は泣く。

 隣に座る少年は、躊躇いを捨てた。

 肩を組む。引き寄せる。耳元で、囁く。

 『少女』は顔を上げて、消え去った。



「リョウマ、おいリョウマ」

 聞き慣れた声に名前を呼ばれながら身体を揺さぶられ、新野にいの涼真りょうまことニィは唸りながら目を開けた。

 騒がしい雑踏の中、「リョウマ」と名前を呼ぶ声だけがしっかり頭の中に入ってくる。ニィはもぞもぞと身体を起こした。

「おはよー」

 伸びをしながら挨拶をすると、身体を揺さぶっていた人物、原田はらださきことハラダが呆れたように溜め息を吐いた。

「寝んなよ。部活行くぞ」

「あれ? サハラは?」

「お前が寝てる間に終わった」

 サハラとは、『ショートホームルーム』を略した『SHR』に母音をつけた呼び方で、白眉学園内では一般的に使われているものである。

 ニィは眠そうな目で周囲を見渡しながら、状況把握に努めた。

「……あー……なんか夢見たな」

「学校で寝て夢見るとかお前相当だな」

「俺寝言とか言ってなかった?」

「多分大丈夫」

 ハラダとやりとりを交わしながら、ニィはリュックを掴んで立ち上がった。

「ショウちゃんは?」

「先に部室行った」

「ダイは?」

「シイナ迎えに服飾棟行った」

「シム君は?」

「……来てない」

「そ」

 ニィは納得したように頷いて歩き出した。ハラダはそれについていく。

 教室から廊下に出ると、突然ハラダが切り出した。

「あのさリョウマ」

「なに?」

「ショウちゃんとシムラ君って仲悪い?」

「は? 爽やか王子とスウィート王子のあのふたりが仲悪そうに見えるか?」

「いや、同族嫌悪……みたいな?」

「嫌悪感ねーよ、あのふたりの間に」

「……だよな」

 ハラダは頷いて黙り込む。ニィはちらりとハラダを見た。

「なんかあったのか」

「いや……なんか、イメージなんだけど」

 ハラダは口ごもりながら続ける。

「ショウちゃんがシムラ君を嫌ってるって言う感覚がすごいあって。ふたりが近付いたら、「あ、とめなきゃ」って思うんだよ」

「……ショウちゃんがシム君を嫌う理由って無くない?」

「そう。だから余計意味不明っていうか」

 ハラダは戸惑い気味に片手で首筋を覆う。

「あと、たまにダイのことを忘れる」

「あんな強烈なバカそうそう忘れないだろ」

「いや、そういうんじゃなくて、なんか……俺とリョウマとショウちゃんが三人一緒で、シムラ君が独りで、ダイが居ない、ってのが俺のイメージっていうか」

 ニィは首を傾げる。ハラダのイメージが、ニィにはよくわからなかった。

「わかんないよな。ごめん、忘れて」

 ハラダは半笑いで言って、それっきりその話はしなかった。



「うるさい、ブス!」

 第二部室にあかつき華月かつきことカツキの怒鳴り声が響いた。部活開始前で賑わっていた部室内がしんと静まり返る。

「……え?」

 先ほどまでキャピキャピと笑っていた坂口さかぐち繭璃まゆりは、指を差されながら怒鳴られて呆然とカツキを見つめた。

 カツキは、一瞬ハッと「しまった」という顔になったがすぐに坂口繭璃を睨みつける。

「さっきからその甲高い声がうるさいのよ! ずっと自分の可愛い自慢ばっかりしてさぁ、誰もそんな話聞きたくないの!」

「か、カツキちゃん落ち着いて……」

 小森こもり鈴芽すずめことスズメがカツキを宥めるが、カツキは「無理!」とそれを振り払った。

「いい!? 自覚しなよ! アンタはどこに行っても嫌われるたちの人間なの! 「軽音楽部なら大丈夫」!? 寝言は寝て言えよ、アンタには居場所なんかできねーよ!」

「寝て言ってるわけじゃないから、寝言じゃないんじゃない?」

 よく通る低い声が、カツキに強く言った。その場の全員の視線が、声の方向、扉のほうへと向く。

 ニィとハラダが、カツキを睨むようにして扉の前に立っていた。

「リョウマ……」

 カツキは震えた声でニィの名前を呟いた。ニィは冷えた目でカツキを見ている。

「寝言と願い事が同じだと思ってる?」

「っ別に、私は……」

 ニィの問いに、カツキは口ごもる。ニィは軽く部室内を見渡した。

「シム君は?」

「あ、や、安岡先生のとこに……」

 香川かがわ沙羅さらことサラが、ニィの誰にともなくした質問に答える。その言葉に、ニィは冷え切った表情のまま「よかったな」と呟いた。

「シム君に軽蔑されずに済んで」

 カツキは唇を噛み、俯いた。ぎゅっと握りしめた拳は震えている。

「坂口繭璃。コイツの言うことあんまり気にするなよ」

「え……」

「何も考えずに罵倒するから、自分も周囲にそう思われてることに気付かないんだよ」

「っ……なんなの!?」

 カツキは再び声を荒げる。近くに居た坂口繭璃は、びくっと肩を揺らした。

「皆コイツの自慢話を迷惑そうにしてたから私が言ってやったんだよ! 迷惑だから出ていけって! それの何がおかしいの!?」

 ニィは溜め息を吐きながらカツキの怒鳴り声を聞き、途切れたところでカツキのほうをちらりと見た。

「うるさい、ブス」

 ニィのそのセリフに、カツキは凍りついたように動かなくなる。部室内の空気も、同じように固まった。

 カツキはじわ、と目を潤ませ、しかし泣くことを我慢するように眉を顰めた。

「ダメだよ!」

 ニィに否定する声がぶつかる。

 声の主は、坂口繭璃だった。

「そんなこと言っちゃダメ!」

 カツキに罵倒されているときは表情を変えなかった坂口繭璃が、何故か今は涙目になりニィを睨んでいる。ニィは予想外の角度から批判がきたことに驚きながら、首を傾げた。

「……なんで? さっきあんたも言われてたじゃん、コイツに」

「マユリはいいの!」

「どうして?」

 坂口繭璃は一段と声を張り上げる。

「慣れてるから!!」

 悲鳴のような返答の直後、第二部室の扉が開いた。

 かき分けたカーテンの向こうから——志村しむら真貴まきことシムラが、姿を見せる。

「うぃーす! ねえ文化祭のことなんだけど……え、何これ?」

 部室に入るなり話し始めたシムラは、普段とは部室内の雰囲気が違うことに気が付き、軽く後ずさった。その拍子に、両手で抱えていた書類の束から、一枚の紙がはらりと床に落ちる。

 近くに居た平塚ひらつか大也だいやことダイが、それを拾い上げた。

「……『文化祭ライブ』?」

「そう! 今年の文化祭、軽音楽部はここでライブすることになったんだって!」

 シムラは言いながら、近くの部員達に紙を手渡していく。

 軽音楽部の文化祭の演し物について詳しく書かれたプリントだった。

「……文化祭……」

 シムラから紙を受け取ったニィは、呟いて目を細めた。頭の隅に薄い記憶がちらつく。

 霧がかったように鮮明でないそれは、いつ経験したのかわからない。具体的なことも、何一つ思い出せない。が、デジャヴの直後のようなぼんやりとした記憶が、ニィの頭の中に確かに蘇っていた。

「……坂口繭璃」

「は、はいっ」

 突然名前を呼ばれ、坂口繭璃はハッとして返事をする。ニィはカツキと坂口繭璃を順に見つめてから、壁際のパイプ椅子に座る線川せんかわ千鶴ちづることラインに目を向けた。

「……ライン」

 何を考えているのかわからないぼーっとした表情で、ラインはいつものように指先で首輪を撫でていた。ラインの目が、ちら、とニィの方を見る。

「白秋バンドで文化祭に出てもらいたい」

 ニィは、頭の中に残るぼやけた記憶を振り払うように、語気を強めて言った。

「…………」

 ラインは首輪を撫でるのをやめ、ゆっくり立ち上がる。そして、カツキに歩み寄ると、正面からカツキに抱きついた。

「っ……ちょっとライン……」

「ハグでストレス解消」

 ぽつり、とラインが言うと、カツキは言いかけていた言葉を呑み込んで、躊躇いがちにそっとラインの背中に手を回した。身長差のせいでラインの顔がカツキの胸に埋まる。

 数秒そうした後、ラインはゆっくりカツキから離れた。カツキも同じタイミングで腕の力を抜く。

「…………」

 ラインはじっと坂口繭璃を見つめた。坂口繭璃も見つめ返す。

「……知ってる? ぎゅってしたらストレス和らぐんだよ」

「……知らない……かった」

「今日知れたね。よかったよかった」

 ラインは言いながら、数歩踏み出して坂口繭璃にも抱きついた。

 身長差があまりないので、坂口繭璃の胸はラインの身体に包まれる。

「ハグしたらストレス和らぐって、ネットで見ただけなんだけど。でも私には、ちゃんと効果があるように思えるんだ」

「え、と、あの……ま、マユリ……は……」

「ぎゅってされたらぎゅってし返すんだよ。悪口を言われたら悪口を言い返すみたいに」

 ラインに言われ、坂口繭璃は恐る恐る腕をラインの背中に回した。弱々しく、その手がラインを抱きしめる。

「人って不思議じゃない? 褒められて褒め返したり悪口言われて悪口言い返したりするのに、良いことしてもらって良いことし返す人あんまりいないんだよ」

「……うん……?」

「たぶん記憶力があんまり良くないんだね。良いことをしてもらって嬉しいって記憶が、あんまり残らない」

「…………」

「危機管理能力ってやつかな? ダメだったことを記憶して、次に活かそうとするのかもいれない。……こんな機能をつけるんなら、神様は『次に活かす力』も人間につけてくれたらよかったのに」

「あの……」

「何言われてるかあんまりわかってなさそうだからそろそろ解放してやれ」

 戸惑い始めた坂口繭璃を見かねて、ダイがラインに声をかける。ラインはゆっくり坂口繭璃から離れた。

「あのね」

 ラインは再び坂口繭璃の目を見る。

「君は賢い」

「……えっと……」

「君の考えは正しい。確かに、ここなら君の可愛さが浮くことはないもんね。だって、皆可愛いから。顔立ちが整ってるから」

 ラインはふっと笑って、隣に居たカツキの手を握った。

「カツキも顔だけならすごく良い。こんなに可愛い子は学年に一人居ればいいほうだろうけど、この部活の部員は、全員このレベルに達してる。そのへんのアイドルグループにも太刀打ちできるくらい」

 ラインは「でも」と息を吐く。

「問題がある。例えば」

 ラインは、空いていた手でカツキの両頬をむにっと掴んだ。カツキはされるがまま頬を潰される。

「カツキは、この口の悪さと、すぐに思ったことを吐き出してしまう子供なところ」

「……ひゅみまひぇん」

 カツキは素直に、頬を潰された状態のまま謝罪した。ラインは頷いて手を放す。

「そして例えばニィくん」

 カツキの頬を掴んでいた手で、人差し指を立ててニィを指差す。ニィは「ハイ」と反射的に返事をした。

「自分の判断が一番正しいって思い込んでるところ」

「えっ、わりと刺さるんですけど」

「そして例えば私」

 ラインは自分の胸に手を当てた。

「すごく暗いところ。とっつきにくいところ。自分のことを自分ではどうにもできないところ」

 ラインはほんの少しだけ俯く。赤い首輪とピンク色のカーディガンは、他に身に着けている生徒を見たことがない。

「誰にだって問題はある。ダメなとこがない人間なんて、居ない。問題の有無を判断するのは一視点だけじゃないから」

 ラインは両手で坂口繭璃の手を握った。

「だから君はここに居てもいいんだよ。君が誰かに甘えなきゃ生きていけなくても、自分自身の可愛さを自覚していても、君はここに居てもいい」

「……っ……」

「少なくとも私は君を受け入れる。君はもうひとりぼっちじゃない。私が保証する」

 マユリは表情を崩す。大きな目から、ぼろぼろと涙が落ちた。

「ニィくん」

 ラインはちらりとニィを見る。

「君の望み通り、文化祭には出る。カラクリアサヒに坂口繭璃を加えた白秋バンド、白秋ヘルメスで」

「……ヘルメス?」

 ハラダがちらりとシムラを見る。シムラは「幸運と富の神様だね」と、ハラダの抱いた疑問を汲み取って答えた。

「雄弁の神様とも言われる」

「白秋ヘルメスでいいでしょ、ニィくん」

 ラインはニィのほうを見ずに、目を伏せて言う。ニィは小さく息を吐いてから頷いた。

「……うん。白秋バンドができるなら、俺はそれで」

「え……、と」

 坂口繭璃が困惑したようにラインとニィの顔を交互に見る。

「ま、マユリを、入れてくれるの……?」

「いいよ。皆もいいよね」

 ラインは篠原ささはらもなかことモナカとスズメの二人に問い掛ける。

 モナカはにぃっと笑って「もちろん!」と親指を立てた。スズメも微笑んで頷く。

「カツキは?」

 ラインはカツキの横顔を見上げる。

 坂口繭璃が不安そうにカツキを見つめる。カツキは坂口繭璃をちらりと見てから床へと視線を逸らし、口を開いた。

「……いいよ。でも鬱陶しいことはしないでよね」

 カツキの返事に、坂口繭璃の目に再び涙が浮かんだ。

「カツキちゃーん!」

「わー!」

 坂口繭璃がカツキに勢い良く飛びついた。カツキは仰け反るが、それ以上避けることが出来ず、坂口繭璃の顔が胸に埋まる。

「ちょっ、鬱陶しいことはやめてってば!」

「カツキちゃんありがとー!」

「なっ……礼なら他の部員に言ってよ! あたしは何もしてない!」

「皆もありがとー!」

「離れろよ!」

 ぎゅっとカツキを抱き締めて離さない坂口繭璃に、モナカは「あっ」と思い出したように手を叩く。

「そういえば、繭璃ちゃんのこと、何て呼んだらいい?」

「へ?」

「あだ名みたいな……皆からの呼ばれ方」

「マユリでいいよっ」

 そう言って、坂口繭璃ことマユリはカツキから離れ、小走りでステージに上がった。

 電源の入っていないマイクを両手で握り、それに向かって叫ぶ。

「坂口繭璃、マユリって呼んでくださいっ! よろしくお願いします!」

 マユリのツインテールが、ぴょんぴょんと揺れた。