荒野の死神 荒野の死神 第2部【赤い悪魔編・上巻】

第6話 赤い悪魔【前編】3

 “ゲイ疑惑”は晴らしたが、火種はまだ燻っている。後ろでぐずぐずとすすり泣く声を聞くと死神は振り返る――すると案の定、マリアがボロボロと大粒の涙を流し、洪水のような鼻水を垂らして泣いていた。酒場で泣いていたときよりも更にひどい顔になっていて、せっかくの美少女が台無しだ。

「マリア……あなたはなぜ、そんなに泣いているのです?」

「うぅ……だって、だってだって! 先生はゲイで男の人が、ニコラスさんが好きなんですよねっ!? ……マリアは女の子だから、先生の好みじゃないから……っ!」

「……」

 完全にゲイだと思い込んでいるマリアを死神は辟易した表情で見つめる。

「あなた、先ほどの話を聞いていなかったのですか? 自分もニコラスもゲイではありません。……それよりも早く涙と鼻水をお拭きなさい。見るに堪えない顔になっていますよ?」

「うぅーっ! ほっ、本当にっ、本当にゲイじゃないんですかっ!?」

「本当です。あなたもわからない方ですね」

「……うっ……うぅ……うわああああんっ! よかった……よかったーっ!」

「……」

 きっぱりと否定した死神にマリアは安堵したのか、大きな声でわあわあ泣き出すとその場にうずくまってしまった。――ふたりを見つめる周囲の視線がとても痛い。

「……今日は厄日だ」

 死神は思わず手で顔を押さえた。ニコラスのせいであらぬ疑いをかけられて、更にマリアにも大泣きされて――まさに踏んだり蹴ったり。そして、一向に泣き止む気配のないマリアに小さなため息をつくと、「行きますよ」と、彼女にひと声掛けて歩き出した。

「あ、あーっ! ま、待って! 待ってください先生ーっ!!」

 親に置いて行かれた子どものように泣き叫びながら慌てて死神の後を追いかけるマリア――そして、ムギュッと彼の背中を捕まえると、グシグシと顔を押しつける。真っ黒なコートからは、鼻を突くような火薬の匂いに混じって、ほのかに太陽の暖かくて優しい匂いがした。

「……人のコートで顔を拭くのはおやめなさい」

「えっ!? あ、あーっ! ごめんなさいっ!」

 肩越しに振り返った死神に注意されると、マリアは慌てて顔を離す――が、若干粘り気のある“鼻水”が糸を引くように鼻からコートにかけてびょ~んと伸びている――とても汚い。

「……」

「は、鼻水つけちゃった……!」

 マリアは大慌てでスカーフを外し汚れたコートを拭うと、自分の垂れた鼻水も拭う――くるくると表情が変わり、あたふたと忙しない彼女にさすがの死神も呆気に取られてしまい怒る気にもなれないようだ。――きっと、相手が彼女マリアでなければ間違いなく殺されている。

「うぅ……ごめんなさい、先生……」

「(今日だけは、暗殺依頼を受けても断ろう)」

 死神は固く決心した。今日だけは“何をやっても失敗する”――そんな気がしてならない。


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