アイドル・オーガズム 1

🥣🥣あろはんをおたべ🥣🥣
@Brother_Acorn

私が担当アイドルに唾をつけたのはプロダクションに入社して三年目の蒸し暑い夏の時分で御座います。

私の働いていた事務所には事務員用の仮眠室が備わっておりまして、私はそこでまだ年端も行かぬ若く麗しい花弁を悪戯に千切ったのであります。

当時の私は職場という戦場で自分が育てた少女を誑かす禁忌と、その少女の柔らかい感触とで折り重なる志向の快楽にただ欲望の限りをぶちまけることしか出来なかったので御座います。

今思い返しますと、あの快楽の海に溺れたが故、それまで何者でもなかった私が溺死し、その醜く膨らんだ水死体の腹が裂けて奇形児の私が誕生したのだと思います。

両耳が捻じ曲がり、目は口元に、口は瞳の位置に在る醜悪な我が胸の内を貴方にだけは知っていて欲しいのです。

私の一番に信頼の置ける友人よ。

仮に私の話を全て聞いた後で腐ったメディアに売り飛ばしてくれたってどうぞ構いません。私も、あのプロダクションも、あの可憐な華たちもやがて消えてくだけなのですから。そこには何も残りはしないのですから。

友人よ、貴方はそこで口を閉じて、静かに私の話を受け入れていて欲しいのです。

私という人殺しをその寛容な心を持って受け入れて欲しいのです。


長野県は茅野市。そこで居酒屋を経営する父と母の元で私は産声を上げました。母が私を身篭ったのは三十七の頃で御座いまして、初倅、まして高齢出産ということもあって父は、母が入院して赤児の私を連れて帰ってくるまでの間、朝と夜欠かさず毎日仏壇へ足を運んで念仏を唱えてたと聞かされております。一人息子ということで私は両親から溺愛とまでは言いませんが、少々過保護過ぎる程度の愛情を受けて育ちました。

その甲斐もあってか否か私には反抗期というものが訪れず、学校の教師にも両親にも反発しない大人たちにとってとても扱いやすい少年として受け入れられていた事でしょう。

成績も優秀で、性格もかなり良好。人と会話することが苦ではない好青年な私を同級生や周りの大人たちはかなり信頼し好いてくれてた思います。そんな器量の良い私の汚点を挙げるとするならばやはり異性への過剰なまでの期待と渇望で御座いましょうか。

私の生まれ育った場所は都会と呼ぶにはあまりにも程遠いものでして、都内に住む若者が日頃通うと言われているレストランやコーヒーショップ、ゲームセンターというものは上京した十九の頃までお目にかかることもありませんでした。ですので思春期の私に与えられた快楽の捌け口は勉学と黄ばんだ性交渉のみだったのであります。

学生時代、私は多数の女子に好意を寄せられて参りました。というのも全て私に可愛い顔と人並み以上に優れた脳みそを授けて産んでくれた両親の御業で御座いまして。


初めて女を知ったのは私が十五の頃で御座います。当時、両親の営む居酒屋には「恵美」という女子大生がアルバイトをしておりました。ある日両親が酒やら食材の買い出しの為出掛けるということで、店には恵美と学校から帰って来たばかりの私の二人しかおりませんでした。玄関のドアを開けますと、カウンターテーブル下に一列で並ぶ席の一つに脚を組んで座る恵美がおりました。恵美は私に向け「お帰りなさい坊ちゃん。」と声掛けニコニコ笑っておりました。その時、私は年上の女に坊ちゃん呼ばわりされるのがなんだか照れ臭くて彼女に返事を返さなかったのだと思います。私は勉学と友人関係で疲れた身体を洗い流す為に風呂場へと向かおうとしていました。風呂場は恵美が座る客席の近くに位置する扉の向こう側にありますので、必然と彼女のすぐ近くを通らないと行けません。私は恵美と目が合わぬよう顔を下げ、やや急ぎ足で彼女のすぐ横を通ろうとしましたが「シカトするなんて酷いじゃない。」と彼女は私の後ろから抱きついてきたのです。背中に伝わる柔らかい感触と椿の様な香り。思春期の私は初めて体感する熱で倒れそうになりました。その後はもう何も考えられずただ女子大生の思うがまま玩具になり、眼が覚めると私は恵美と二人、風呂場で泡だらけになっておりました。その件から数ヶ月後に恵美はバイトを辞めてしまいました。それ以来、私は彼女に一度たりとも会うことはありませんでした。


さて、それから私は同学年の男友達が未だ経験したことのない快感を得たことにより優越感に浸っておりました。またその時の感覚を再び感じるべく、自分に都合の良い女子らを自身の女受けする端整な顔面と性格の良好さを駆使して侍らせ、幾度も女子らと交際を繰り返してはその都度都度、新しい快楽を得ようとしていたのです。彼女らと繋がる動機には愛情というものは多少感じていたのでしょうが、私は何よりも単純に自分が気持ちよくなりたいのと、自分が男として女に求められたいという承認欲求を満たす為だけにまぐわったので御座います。十代の男の恋愛観などそんなものなのです。どんなに愛してるだの好きだの一丁前に喚いても、ズボンを下ろせばみんな同じなのですから。十代の恋愛など発泡スチロールみたいに無味無臭なのです。


そんな無味無臭な学生生活を送っていたある日のこと、家へ帰りますとカウンターの上に置かれていた安い銀色のテレビに父と母は父の目は釘付けにされておりました。みすぼらしい画面に映っているのは当時絶大な人気を誇るトップアイドルの姿。愛らしい容姿に、肩まで出した服、短いスカート、ファンに媚びた振り付けと歌詞。

酒を煽ってたのか天狗みたいに真っ赤な父が不意に私の方を向いて

「お前どう思う?」と訪ねてきた。

「まるで売女ではないか。」そう呟きそうになった。けれど大事に育ててくれた両親の前でそんな下劣な事を言えるはずもない。

だから好青年の私はしばらく画面に映るアイドルを眺めた後で「母さんには負けるね。」と捻くれた口調で呟き、興味の無いフリをしてテレビに見惚れる両親を後に自室へ向かったのです。本当はテレビの中で眩しい笑顔を振りき、煌びやかな衣装を身に纏った女に対して極めて下品な興味をそそられていたのです。もしあの手弱女が自分に惚れでもしてくれて自分という男を欲しがったらどうなってしまうのだろうなどという陰湿な妄想までするようになった。それから高校三年の春。私は一切の交友関係を断ち切りました。これから自分が進む道に邪魔だと思ったからです。私はあの時、画面の向こうで出会った美少女になんとか近付くべく二畳ほどの狭い自分の部屋で悩み続けたのです。そして悩み抜いた博識の私が出した答えは芸能マネージャーという進路でした。

もしあの時、両親がテレビを点けておらず、またその歌謡番組を観ていなかったとしたら私は今頃、実家の居酒屋で酔い潰れた客の介抱をするだけの今より更につまらない男でいたのかもしれません。それに関しましては父母にはとても頭が上がりません。二人がどう思おうが私は私の両親を今でも尊敬しております。

さて、高校を卒業後、私は実家である長野から上京し都内にあるそれなりに名の知れたエンターテイメント系の専門大学の芸能マネジメント学部に入学し、そこ人生の厳しさや理不尽さ、塩辛い岩塩で研がれながら二年間勉学に励みました。その間に私は高校時代に体験したやましい肉欲も、アイドルに対するふしだらな下心もすっかり忘れておりまして、ただ純粋に「芸能マネージャーになりたい」という一心で過ごしていたのだと思います。とは言いますが、田舎からやってきた雑草には都会にある娯楽の誘惑はあまりにも甘美なものでして、私はその桃源郷で幾度となく過ちを繰り返して参りました。しかしその目も当てられぬほどの過ちが雑草をより一層気高く執念深いものに仕立て上げたのは事実です。

大学を卒業後、私は日本でも有数の大手芸能プロダクションから採用を頂きまして晴れて芸能マネージャーとして活動することになったので御座います。


そこで出会った最初で最後の担当アイドルを私は文字通り殺しました。

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