彼女は"自身"を殺す【坂口安吾】

宇鷺林檎
@RingoUsagi1020

一話

 男――坂口は、内務省異能特務課で働いている。

 参事官補佐という、重い肩書きシガラミに囚われて生きている。

 坂口には、旧友相棒がいた。

 名を、果暮カクレ 実乃ミノという。

 自分の心を強い感情が蝕んでいない限りは、雑踏や擦れ違う人間の中から、必要な情報を手に入れられるという力を持つ。

 そんな彼女は、無愛想で、ブッキラボウで。且つ、物言いが鋭い。それでいながら、言った言葉を訂正などしないし、悪びれもしない。

 良く言えば、率直で素直。

 悪く言えば、口が悪く、粗野で、非常に不器用。


 そんな彼女に、坂口は酷く執心していた。



―某喫茶店 昼下がり 曇天

 或る日、坂口は、喫茶店にいた。

 待ち合わせをしていたのだ。ビジネスパートナーの一人と。

 左手首にしがみついた、もう一つのビジネスパートナーを見遣る。

13時56分――。6分の遅刻だ。

 やれやれと溜息を吐きながら、席の窓から鈍色の空を見た。

 鈍色のふわふわした腕。

 幾筋にも伸びた腕は、内包した水分をそろそろ取り落しそうに、低く垂れ込めている気がする。

 雨が降り出す前に帰れるだろうか。

 心にぴきりと苛立ちが蔦を這わせる。


――からんからん。

突如、ドアチャイムがけたたましく鳴る。

 驚きながらも接客をする店員の前にいたのは、紛れも無い。坂口の待ち人だった。


「――遅い。

6分遅刻ですよ、実乃さん」

 店員への対応もそこそこに、坂口の前に、荒々しくどかりと腰掛ける女性。

 濡烏色の髪は、ばさりと前下がりに、ボブに切られている。

 真っ白なV字襟のシャツに、白地に水色の格子柄のショートパンツ。足元は、装飾のの字も無いような、簡素なつっかけ。

 色気の欠片もないようだが、猫のような大きく、少し吊り上がった眼の中。鴉の羽のように豊かな睫毛が彩る、大きな潤んだような黒目は、見る者の思考を惑わせるような、蠱惑な光を放つ。


「……うるっせぇなぁ。

来たんだから文句なんかねぇだろ。

急ぐ用事でもあるまいしよぉ」

 開口一番、不満を撃ちまくる。

 相変わらずだ、とは坂口は口にせず、眦を下げた。

「ハイ、これ。

……ご所望のブツだ」

 ばさと机に置いたのは、なかなかの厚みのある茶封筒。ずっしりとした重みを、見ただけでも与えている。

「……ありがとうございます」

「……にしても、大変だなぁ。

またどこぞの莫迦が暴れたんだって?

懲りねー奴ら」

 ソファの背凭れに自重を預けるようにして、頭の後ろで腕を組んでいる。

 坂口は、茶封筒から、そっと果暮にまた視線を動かす。

 彼女の視線は、彼には向かない。

 いつもそうだった。

 もしかすると、愛を尽かされているのかも、とすら思う。

 幼馴染であるにしても、彼女の感情表現が、どうしても掴めないのだ。

 果てにはこんな風に、荒々しい言葉ばかりが返ってくる。


(その理由をわからないなんて……

惚けるつもりはないけれど……)

 に、しても、だ。

 もう少しくらい、

優しい言葉が欲しかった。

 もう少しくらい、

恋仲らしい時間が持ちたかった。

 もう少しくらい……。


「……安吾?」

 果暮がキョトンと坂口を見ていた。

「あんた、なんで泣いてんの……」

 その言葉にギョッとして、自分の目元を指先で触れて。それでまた驚いた。


「……何があったんだよ」

「…………実乃さん」

 二人の言葉は交わらないまま、擦れ違った。

「……ぼくたち、もう、別れましょう」



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