DAY TIME HEAT

そーじゃの
@souzyano_note

教室内の生徒は皆一様に気だるげだ。そんな中に聞き飽きたチャイムが鳴り響く。金曜七限の終了は生徒達の休日の始まりを意味していて、憔悴しきった皆の表情にもやりきった満足感のようなものが現れているようだ。

「彗梨ー!一緒に帰らない?」

「ごめん!わたしこの後ちょっと用事があって!」

同級生の誘いをすげなく断り、日中の熱が這い回るアスファルトの上へ踏み出した。


「やっぱりわたし、科視君が何考えてるのかわかんないよ……」

飛鳥谷彗梨あすかやすいりは放課後、学校付近のファミレスにて、メロンソーダを啜りつつぼやいた。それの無気力を見かねたのか、彼女の目の前にいた女子は浅くため息をついた後に前髪を揺らしながら、

「解ろうとするのが無理なんだって。あたしだってもうかれこれ十年近くの付き合いだけど、夜鐘の頭の中なんてこれっぽっちもわかんないよ」

「いや確かに、科視くんのそういうミステリックなところもいいところなんだけどね?やっぱり好きな人のことは色々知りたいじゃん」

そう言って彗梨はバン!とテーブルの上に突っ伏した。

「あたしから言わせてみりゃ、あいつのこと好きになった彗梨たんの思考回路も十分謎だけどねー」

「あーもう、御月がうらやましいよー」

あ、めんどくさいモード入ったな、とさっきまで気だるげに話を聞いていた佐川御月は察したが、もうどうしょうもない。

「御月ってさ、可愛くて頭良くてそのうえ科視君と幼馴染でしょー。いいないいなー」

「ありがと。あたしから言わせてみたら彗梨たんのほうがいい人生送ってると思うけどね。ほら陽キャだし、モテるし」

そう言って御月は彗梨の鞄の方へ視線を向ける。「今日もらったんでしょ、恋文ラブレター

「違うんだよ……。確かに里村君にはもらっただけど。……好きな人にモテなきゃ意味ないんだよぉー」

「あんた……、学校単位で人気を誇ってる里村より夜鐘が好きで彼を振った、なんてバレたら根強い里村ファンから制裁を受けるよ……」

「里村君はいい人なんだけど、好きかどうかって言われると何か違うんだよねー」

ある有名な人は「女子の言う『いい人』というのはほとんどの場合『どうでもいい人』を指す」と言っていたがまさにこのパターンだな、と御月は一人で納得した。里村のことなどお構いなしに彗梨は自身の恋愛へ話を戻す。

「ねーぇー、どうしよぉー」

めんどくせえ、けど御月としても相談料ということでジュースをおごってもらったために無碍にもできないのである。

「でもほら、夜鐘があたしと彗梨たん以外と喋ってるとこ見たことないし、案外あいつ彗梨たんのこと気にかけてるかもよ?」

「え?……いやいや、全然学校で喋ってないよ?挨拶したり、二言三言の雑談をたまにしたりするくらいだよ」

「うん、あいつにとってたぶんそれかなりハードル高いことだよ?」

アナタニハワカラナイデショウネ!これだからスクールカースト上位の人間は。御月は夜鐘と同じく人と話すのをとても苦とする性格なのでそういったコミュニケーションをとることへの抵抗はかなり察することができる。御月も気軽に会話できるのは家族以外だと、幼馴染である夜鐘と、女子同士かつ「夜鐘のことが好き」という弱みを握っている彗梨だけである。

「あたしも彗梨たんと最初に話しかけられたときには、抵抗感というか拒絶反応が出たもの。特にあなたみたいなキラキラアオハル高校生は相手しづらいの。だから逆説的に考えて彗梨たんは割と好意的に捉えられてると思うよ」

むしろ御月から言わせてみれば、夜鐘は十中八九彗梨のことが好きだ。悲しいかな、陰に生きる男子高校生はちょっとしたことだけで女子のことを好きになってしまうものだから。(さらに残念なことにその恋が実ることはほとんどない)

とはいえ、それを伝えても彗梨は納得しないだろうし、何より夜鐘の意思を無視して御月の口からベラベラと喋って良いものでもない。ある程度考えていることが読み会える幼馴染だが、だからこそ尊重すべきプライバシーというものが存在する。そもそもこれは「感覚的に解る」ものなので具体的根拠は何もなく、もし彗梨がフられてしまっても御月は責任を取ることはできない。

「夜鐘、ああいう性格だけど勉強はトップクラスだし与えられた仕事は完璧にこなすんだ」

御月の話の真意をいまいち汲めないままに彗梨は頷く。

「あいつの家は、ちょっといろいろあって地位が高いんだ。だから夜鐘もそれに倣って厳しくしつけられている」

窓の外の街路樹から緑の葉がはらりと落ちた。

「でもあいつは人と関わるのが苦手な性格だから、親の期待との間で板挟みになってるみたい」

「そうなんだ……知らなかった」

「だから夜鐘は求めてるのかもね。自分を必要としてくれる人……、自分の存在証明になってくれる人を。あ、この話を彗利たんにしたこと、夜鐘には内緒ね?」

御月がなろうとは思わないんだ、という言葉を彗梨は飲み込んだ。彼女とてとっくにそんな可能性があることは承知で、それでも自分はそうなろうとしなかった。それは薄情だとかそういうのではなく、自分には不適任だと感じたからなんだろう。

「わたし、そんな存在になれるかな?」

「ま、頑張りなよ。あいつが何か言ってたりしたら報告するようにするよ」

「うん!ありがと~。また相談に乗ってね~(泣)」

存外割りのいい仕事だしね、と御月は報酬であるメロンソーダを一気に飲み干す。炭酸の独特の刺激が御月の喉の奥を刺激した。



「命を大切にしなさい」

「人の命はお金では買えません」

「生きることって素晴らしい!」

小学校の道徳で習うようなフレーズ。小学生の頃のわたしは「何を当たり前のことを」と軽く流していた。無駄な授業だなと鼻で笑っていた。が、どうやらそれを皆が皆当然の常識だと捉えていたわけではないということをたった今痛感している。いや、むしろこの行動の根元には「命の重さをわかっている」という前提があるのかもしれない。だからこそこんなにもどうしようもない行動を起こしている。

ともかくその中の残念で見放せない男子のためにわたしは黄昏てきたこの街を全力で駆けているのである。



喫茶店を出た直後、彗梨のポケットの中の携帯電話が揺れた。発信元は……「科視夜鐘」目をこすって見直してもその名前は変わらない。どうやら本当に彼からの着信のようだ。

彗梨の感情は喜び半分混乱半分だった。というのも滅多に彼からは電話はかかってこない。というかかかって来たことはないからだ。彼と通話したのは彗梨が学校の係のことで用事があったために電話した時くらいである。

特にたった今さっき御月と彼についての話をした後だったのでタイミングが絶妙だ。

「もしもし、飛鳥谷です」

「悪いね急に電話をかけ」

ガツンという耳障りな音がして突然に夜鐘の声が途切れる。

「ん?科視君?」

携帯を落としたのだろうか?しばらく無音が続く。かすかに夜鐘の声がしている気もした。彗梨の背後で、大きな紅い太陽が山の向こうに沈みかけている。

「ヤア、ハジメマシテ」

体感時間十数秒ほど経った後、突然受話口から無機質な声が聞こえて来た。その声は明らかに人間のものでは無く、機械か何かで意図的に改変された聞き取りずらい音だった。

「科視君……じゃないみたいですけど、あなたは?」

状況がどうしてもつかむことができなかった彗梨は直接聞いてみることにした。彗梨としても大方夜鐘の知り合いか何かだろうと安易に考え、相手の返事を待った。

「今ワタシハ、科視夜鐘ノ命ヲ預ッテイル」

どうやら、先方は夜鐘の命を預かっているらしい。

「ちょっちょ、どういうことですか?え?冗談ですよね?」

急な状況変化に彗梨の頭は追いつかず思わず鸚鵡返しをしてしまう。またその内容のあまりの非日常ぶりに事の真偽を疑わざるを得なかった。言葉をうまく組み立てられずにしどろもどろしていると、相手側の電話の話し手が変わったようだった。

「科視です。アスカヤさん?であってる?」

「科視君?!うん、わたし飛鳥谷彗梨、それよりさっきの、どういうこと!?」

「ああ、変な人たちに学校の帰りに無理やり車に乗せられて拉致されたんだ。この人、僕の携帯のアドレス帳の一番上に有ったアスカヤさんに電話したみたいだ」

「拉致!?それにさっきの人も命がどうとか言ってたけど科視くんは無事なの!?怪我とかないの!?」

「まだ僕は無事だよ」

まだ話そうとする夜鐘を遮るかのように、言葉が途切れる。彼の「まだ」という前置詞が彗梨の不安を煽りに煽った。パニックを起こさないよう頭の中で冷静に状況を組み立てようとするが、どうしても纏まらない。

「コイツノ命ガ惜シケレバ、此ノデパートノドコカニイル私タチヲ見ツケロ」

告げられたのは、田舎なわたし達の街の中で唯一「デパート」と呼べるであろう、大型百貨店。六階建てのその建物の何処かから一人の人間を見つけ出せと言っているのだ。

「それってどういう……」ことが目的なの?

と、聞くことは叶わなかった。電話の相手は「リミットハ、18時。コイツヲ見ツケラレタラ私ハ去ル。デハ、頑張ッテクレタマヘ」とだけ告げ、通話を一方的に切断した。

ようやく頭が落ちついて行動を起こしたとき、時計は14時半を回っていた。



電話では警察に告げるな、とは言っていなかった。とはいえ、それを理由に動いたせいで科視君の命が……、と考えると行動に起こせない。

「あいつの家、ちょっと色々あって地位が高いから」彗梨は御月がさっき言っていたことを思い出した。誘拐される理由には充分だ。

全力で走ってそのデパートへ向かう。太陽はもう夕日になっていて、蝉の鳴き声と鴉の合唱がやけに耳をついた。まだ依然と確固たる熱を帯びているアスファルトを蹴って曲がると、軽快な耳に残るメロディが目的のビルの隣の建物から聞こえて来た。

「彗梨たん!」

振り向くと御月が合流して来ていた。警察を呼ぶのは憚られたが一人では心許無く一般人の御月を呼んだのである。「はあはあ、また会ったね」と息切れしつつもその目は鋭い。彼女にはこっちに走りながら電話で概要を伝えてある。デパートの中は冷房がよく効いていて、走って汗だくの彗梨と御月は身震いし風邪をひきそうになる。

「あたしは三階から下を探すから彗梨たんは三階から上をお願い」

「わかった。科視くんを見つけても一人じゃ行かずに連絡を入れて合流してから行こう」

「そうだね、それがいい」

時刻は18時。定刻まであと一時間だった。


三階から上は洋服や玩具、家電、薬局など、日用生活品ではないものを売っている場所となっていた。三階、四階、五階と隅々まで走り回っても一向に夜鐘の姿は見つからない。

「広い……」

五階の階段前のソファへ尻餅を着いた。普段学生達が何気なく使っているデパートだが、全体的に見ればかなりの規模だった。息が整うのを待って再び立ち上がる。まだそんなに長く走れるほど体力は回復していなかったが、夜鐘のことを思うと休んでいられなかった。彗梨にとって、夜鐘のいない学校生活など考えられない。

ふと、目の前の階段に目がいった。 寂れた階段は屋上へ通じるもの。当然売り場ではないのでほとんど使われていない階段であり、はしばしには埃が積もっている。

(まさか、屋上?)

たしかに他人を誘拐し拘束するということは売り場でするにはあまりにもリスクが高すぎる。だとしたら、屋上はそういった人が隠れるのに絶好の場所ではないか。

埃で滑りそうになりながらも転ばない最大限のスピードで走る。入口の金属の扉の鍵は壊れていた。彗梨は思わず御月に連絡することも忘れて一気に扉を開いた。壁に金属扉がぶつかってガアアアアアアンという耳障りな音を立てる。眼に映るのは青い空、灰色の申し訳程度の鉄格子、白い柱とコンクリートの床だけ。建物内から出たせいで一気に熱気を浴びた。相変わらず蝉時雨に加えて大音量の広告が流れている。

そこに夜鐘の姿はなかった。

(どうして?絶対ここだと思ったのに)

鉄格子から下を見渡しながら考える。斜め下には小さなビルが建っていてデパートの四階分くらいの高さだった。

デパート内かつ人目につかない場所など屋上しか……。そこで彗梨は思い出した。

(地下駐車場!?)

地下駐車場ならば上の条件を満たしている。それに、万が一不測の事態が起きたとしても逃走するのは容易い。御月へ電話をかける。繋がるまでの時間がもどかしい、

「彗梨たん、居た??」

「御月!地下駐車場ってもう見た!?」

文脈を完全に無視して御月に訊いてみると、まだ行っていないと返ってきた。大体の内容を察してくれたようで二人でそれぞれ地下へ向かうことにした。ここで見つからなければ万事休す。彗梨は夜鐘の無事を祈りながら下り階段の手すりを掴んだ。転ばないよう気をつけつつ、時刻は18時30分を迎えた。


地下駐車場は車がそんなに多くなく、静かである。ただ夏のどうしようもない暑さだけが残っている。彗梨は焦りを感じつつあたりを走り回った。名前は呼んでも誘拐した人が返事をさせないだろうと思ったので二人とも叫ばなかった。おそらく彗梨と御月のものであろう足音だけが構内に響き続ける。

「夜鐘!!」薄暗いサウナの中で御月が叫んでいた。居たの!?、と声を上げながら彗梨も奥の声の発生源へ駆け寄っていく。そこには、御月と、壁に手をついて立っている科視夜鐘の姿があった。

「科視君!無事だったんだ!」

思わず泣きそうになりながらそう言うと、

「二人とも心配かけてほんとうに申し訳ない」

と何度も繰り返し夜鐘が謝る。

「誰だかわかんないんだけどボクを攫った人は君らに気づいた瞬間にコッソリ逃げて行ったよ。事の重大さを理解したんだろう」

その後三人で色々話した。今日のことについてや学校でのことについてなど色々話しながら帰路に着いた。今日の事があったので夜鐘を家まで送ろうかと彗梨は提案したが、流石に女子に送ってもらうのは……ということで夜鐘は大体の方角が一緒な御月と帰ることになった。



「夜鐘……あんた災難だったわね」

街灯がうっすらと灯りだした。日は落ちてはいたがまだ空はほんのり青黒く、夏独特の夜を醸し出していた。

「とんでもない。むしろこっちが本当に迷惑をかけた。ミツキ達のおかげで助かったよ」

「ふーん、そう」

二人とも会話は得意な質ではないのでそれっきり会話は続かなかった。

「じゃあ、ここで」

曲がり角まで来ると方向が違うので解散となる。

「ミツキ、今日はごめん。じゃあ」

「ねえ、夜鐘」

そそくさと帰ろうとする夜鐘に御月が声をかけ、怪訝な表情をする。

「……いや、ごめん。多分私の勘違い」

「そう。それじゃ、また明日」

「ん、さよなら」

こうして二人は別々の道を歩いて行った。

一方は長髪を揺らし、何かを思案するように。

一方は全てを理解し、覚悟して諦めたように。

陽が完全に落ちて暗闇が訪れたとき、あたりにはちっぽけな街灯の光だけが灯っている。来た道を引き返す夜鐘の足音は向かい風に塗れて消えていった。



家に帰ると彗梨は真っ先にベッドへ飛び込み突っ伏す。制服に皺が寄ってしまっても構わなかった。枕を抱いて彼を思う。無事でよかった。明日も会って話せるかな。ぐるぐると思考が染まっていく。感情が吐いたため息と一緒にゆっくりと自分の中に沈んでいく心地がした。

(まさか誘拐されるなんて)

そんなものはテレビの中だけかと思っていた。やはり、一家としての地位が高い所為なんだろう。親が立派なのは良いことだろうがそのせいで危険を見る子供はたまったものじゃないだろうな。御月は「夜鐘は自分の存在証明を求めている」と言っていた。誘拐はあくまで「親の地位」の証明にしかなっていない。(もしわたしが科視君だったら、どんな気持ちだっただろう)

そんな仮定に意味はないと分かってはいても、つい考えてしまう。

ぼやっと考えていたら、デパートで感じていたある疑問」を思い出した。


……おかしい。


あの時から感じていた些細な違和感。

どうして誘拐犯は「彼の親に要求をする」のではなく「わたしに来るように指示した」のか。挙句、わたし達が近づいたら「逃げだした」という。目的が一切感じられない不気味な犯行。嫌な予感がする。

夜鐘に電話をしてみよう、と彗梨は考えた。

(無事に家に帰れたかどうかの確認をして、ついでにこのことを訊いてみよう)

彼と別れて一時間ほどもうすぐ家に帰っている頃合いだろう。携帯を取り出し操作すると着信履歴のトップに「科視夜鐘」の文字。クリックして通話を開始する。

「もしもし、こちら、科視」

いやに轟轟という風の音が響いていて彼の声が聞き取りずらい。

「もしもし、飛鳥谷です。無事家には帰」

そこまで言って、気づいた。彼のほうから聞こえてくる轟轟という音に加えて、場違いに軽快なコマーシャルが聞こえてくる。確かそれは、夜鐘を探して屋上へ行ったときに聞こえた筈だ。どうかした?と夜鐘は彗梨に問う。

「……いま、デパートに、居るの?」

しばし電話口から彼の声が消えた。そして、

「ばれちゃったか。ごめんね」

「どういうこと?何に謝ってるの?全然わかんない。今日の事件と関係あるの?」

思わずまくしたてるように詰問してしまう。

「ほんとに申し訳ないって思ってるんだ。実はね……キョウノ誘拐事件ハ全部自演ナンダ」

彗梨は絶句した。後半の声は間違いなく今日聞いた誘拐犯の機械音声だったからである。

「この声は簡単な変声機ボイスチャンジャー。……二人の善意を利用して、騙して、呼び出して申し訳ない」

「どうして、そんなことをしたの……?」

「自分でもよくわからないんだ。ただ漠然として言うなら『ボクを見てほしかった』ボクを気にかけてほしかったんだ」

「それは、」きっと、御月の言っていた彼の存在の証明のことだろう。

彗梨ほ、左手を固く握って彼の言葉を待った。だが、次の彼の言葉は最悪なものだった。

「ボクはもう随分前から『生きる』ってのがどういうことかわかんなくなってた。今日二人に会えて、よかったと思ってる。踏ん切りがついたよ」

「何を……」


「ボクは今日ここから飛んでみようと思う」


頭が真っ白になった。熱されたアスファルトが氷水を浴びせられたかのように思考が覚めていき、彗梨は自身の表情が青ざめていくのを理解した。

「ダメだって!わたし、まだ科視君には話したいこといっぱいあるし、それに、そんな」

呂律が回らなくなっていく彗梨を遮って、

「ありがとう、アスカヤさんは優しいから、ボクがこんなことになるって知ったら絶対に止めに入ると思ってた。だから秘密にしていたかった。けど、電話で声を聴いてやっぱり言わなくちゃなって。騙しててごめん」

「そんな、謝らなくていいから思いとどまって!今日だって思ったんだ!科視君に死んでほしくない!」

彼は何も言わなかった。彗梨は半分泣いていた。彼をとめられない、その無力に打ちひしがれていた。

硬直を破るようにポツリと夜鐘は言う。

「この際だから、アスカヤさんに言っておこうと思う」

「うん」

彗梨だけでなく、夜鐘の息も荒かった。

「ボクは飛鳥谷彗梨のことが好きだった」

限界だった。自分を到底抑えられなかった。

「わたしだって、ずっと科視君のことが好きだったよ!ずっと、ずっと、科視くんの全部!」

台詞の後半はもう言葉になっていなかった。彗梨は涙を必死で拭った。白い制服の袖がすっかり濡れていた。

「ありがとう。アスカヤさんはやさしいからそう言ってくれるかもしれないとは思ってた。でもボク知ってるから。アスカヤさん、里村に告られてるんでしょ?彼と仲がいいのはボクだってよく解ってる。彼とボクじゃ相手にもならないよ。みじめになるだけだ」

「そんなこと……」

彗梨は本当に夜鐘のことが好きであり、里村のことなど眼中にないのだが、今そのことを説明しても意味はないだろう。夜鐘は彗梨の告白を完全に「やさしさ」だと思っているのだから。

「日付が変わったらボクはこの世からいなくなる。……今までありがとう」

「待って!」

彗梨の声は絶叫だった。

「今無理には止めない!だからこれだけは約束して!十二時まで絶対に死なないで!お願い!」

「わかったよ、約束する」

電話の向こうで夜鐘が泣き笑いのような表情をしていたことを彗梨は知らない。

彼は彗梨に縋っていたのかもしれない。本当に自分を見てくれているという一縷の希望に。



「どうしたの?大声出して」と聞く家族に「ごめん、ちょっとどうしても外せない用事ができた!」と言って彗梨は家を飛び出した。この時間に外出することなど普段ならまずない。心配をかけてしまうだろうが、夜鐘の命には代えられない。

ただひたすらに街を走った。家からデパートまでは歩いたら一時間以上かかってしまう。十二時までもう四十分もない。

「ああああああああ!!」

絞り出すように限界まで走る。途中には街灯がほとんどついていないような闇道もあった。犬に吠えられたり、自転車と衝突しそうになったりもした。だが、決して速度を緩めることなく彗梨は走った。メロスのように途中で挫折などしなかった。本当に死んでほしくなかった。好きだとかそういうのはもう関係なかった。無我夢中で地面を蹴り続け、深夜でも煌々と明るいデパートが見えたときもう八分しか残っていなかった。



ひゅうおおおおーと冷たい風が吹き上げる。覗き込むと楽しげなイルミネーションや看板の光が夕闇の中でいっそう輝いている。

科視夜鐘はあえていうなら空気だった。

それは環境がそうさせたのもあるだろうし、本人が自ら意識してそうあるように振舞った節もある。別にいじめや迫害を受けていたわけでは無い。そうであっては周りに馴染み、溶け込む「空気」足りえないのだ。周りに深い感情を抱かせない、上辺だけの存在。雑談を振られればそれに乗るし、遊びに誘われればついていく。けれど、特定の誰かの友達になったり恋人になったりすることは進んで避けた。あくまで違和感を感じさせず存在する「空気」であれるように。でも彗梨に対してだけは違った。自分のことなどどうでもよくなって、彼女のことを見ていたいと思うようになった。

彼女の存在証明でありたいと思った。

「本当に、ごめん」



そこから先、どうやって屋上の扉までたどり着いたのかはあまり覚えていない。デパートの中に入るとひたすら階段を駆け上がった。もう足は限界でガクガクと震え、呼吸の調子も乱れきっている。

埃をまき散らして錆びきった扉が開く。もう少し、もう少しで彼に会える。余韻を残しながら鋼鉄の扉が開ききった。けれど。


そこには、夜の闇が広がっていた。

人なんていなかった。


「どうして」

唖然とした。時計を見ると十二時までまだ三分もある。彗梨は決して広くはない屋上をかけ回った。どこにも彼の姿はない。

「そんな……」

足がもつれてコンクリートの床にたたきつけられる。そしてよろよろと立ち上がり、鉄の柵のそばまで行った。

町全体が見渡せれる、寂れた田舎の夜景。吸い込まれそうな直下の地面。これに飛び込んだのだろうか。そう思うとどうしようもない感情がこみあげてくる。

だが、そこで気づいた。デパートの四階部分くらいの高さにある小さなビルの屋上に人の影が見える。はっきりと顔が見えたわけでもないのに確実に夜鐘だと分かった。

「科視君!」

彗梨は彼目掛けて思いっきり叫ぶ。だが、聞こえていないようだ。高低差が結構ある上にビル間の風が轟轟とやかましい。そして彗梨は蒼白になった。もうあと一分と少ししかない。とてもじゃないがデパートを降りてビルに上る時間はない。叫んでも聞こえないのでは自分の存在を伝えられない。もはや彗梨は夜鐘が飛び降りるのを見ておくしかできない。

「なんで」

結局自分は夜鐘を救えなかった。好きだと伝えられなかった。距離は走ったら届くくらいに近いのに、走るための道がない。彗梨には羽が生えていないので飛んでいくことだってできない。


「なれるかな……」

以前、御月に聞いたこと。

「わたしは科視君の存在を証明できる人間になれるかな」

その答えを持っている人間なんてここにはいない。だったら。

彗梨は立ち上がる。

「わたしがその答えを出す」


震える膝に謝る。ごめんね、これが最後。あとすこしだけ。彼を、科視夜鐘を助けるまでだけだから。踏み出す。そして、走って、走って届かせる。無理も無茶も承知の上。


隣のビルの屋上目掛けて、彗梨は飛び込んだ。


「っつあああああっっっっっ!!!!」

ものすごい加速感。夜風の冷たさも相まって一気に彗梨の恐怖は過去最高値をたたき出した。

(届か、ない!?)

ビルのあいだは道路。それなりの距離が開いている。

(落ちる……?)

思わず目を瞑った。その時。

風が吹いた。冷たい宵闇の中に生暖かく、力強い風が。背中を押してくれた。

「あああああ!!」

全力で手を回す。前へ前へ前へ!

(届く!)

ダンッ!!着地した時の衝撃は半端ではなかった。

「つっつぁぁぁっ!」


ミシミシと骨がおかしくなる感触と息の詰まりそうな衝撃が足先から頭頂部まで突き抜ける。挫いていないだけマシといったところ。このまま倒れてしまえたらどんなに楽か。でも止まれない、時間は待ってはくれない。これで終わりじゃない。夜鐘はビルの端の方へ歩いて行ってしまっている。

彗梨の痛覚は三秒前にストップしたし悲鳴も声も枯れ果てた。あとは前へ、彼の元へ。セメントの中を進んでるのかと思うほどに一歩が重い。それでも、もがいて、走って、駆け寄って。

掴む。

彼の右手。

それだけでいい。

「」

その一瞬は無限に感じられた。学校指定のはためくカッターシャツ。無我夢中で突き刺すように伸ばす腕。振り返った彼の横顔を夜街のネオンが下から照らす。思いは一つ。

「届け!!」

長く長く伸びた私の腕。重力に従う彼の身体に、泣き笑いのような彼の表情。その一瞬は永遠のように長かった。



たくさんの星々が宙では瞬いている。夜の熱い風は絶え間なく流れていく。人々の夢は、届かないまま次へと流れてしまう。ひとりではそんな願いなど叶うはずもない。目の前の手をとって、各々の思いの丈をぶつける。このことが、それ自体がなくてはならないから。

それがきっと彼らの存在証明となるのだから。



世界から風の轟音も車の走行音も消え去ってそこには科視夜鐘、飛鳥彗梨という二人の人間と夜の闇、まだ消えていない日中の温度が残っていた。

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