温度風を受けた雲

アッカ
@zuboranaAKKA

空を見上げていると不思議な動きに進藤ヒカルは気が付いた。手前にある、ふわふわの雲は左に流れているのに、奥側のうろこ雲は右に流れているのだ。

上空と地面に近い空ではたまにある事象の一つらしいが、ヒカルには雲が重なってすれ違って見える。となると、これはそうとう近い高度で空に温度差があるようだ。

──面白い。台風が近付いている訳でもないのにこんな事が起きるのか──。

ヒカルは対局終盤、それも敗けが確定しそうな局面で目撃した珍しい気象現象に愉快になってしまい、口元が綻んでいる。

対局相手である若手棋士が、訝しげに自分を見詰めているのにも気が付いた。余所見をしている自分とは対照的で、今にも倒れそうな形相だ。勝利を確実にする為に命懸けだ、間違えないように、読み間違えの無いよう必死になっている。

──大丈夫、お前の勝利は揺るがない。後はオレがそれを受け入れるのに時間が必要なだけ──。

ヒカルは幼い頃の若手棋士が、もみじの様な可愛い手で、祖父の家の蔵にある碁盤を一生懸命磨いていたのを思い出した。祖父に何か話を聞いたのか、ヒカルが大事にしている碁盤を自分にすら内緒で、榧オイルを使い慎重に磨き続ける小さな背中に限りない愛しさを抱いた。その日の夕暮れ、意を決して自分に碁を教えて欲しいと訴えてきた真剣な瞳が、今は盤を挟んだ向こう側にある。

とうとうここまで来た。今日自分は誕生日その日に、長年保持していたタイトルを息子に奪われるのだ。

そう、後は自分が一言告げるだけ。

「 ありませ・・・・・・あれ? 」

対局室にいる筈なのに自宅の和室の天井が見えた。

「 あー、夢かよもう・・・・・・ 」

まだ開ききっていない瞼を擦り二度瞬きをして、上半身を起こすと薄暗い部屋の中をぼんやりと眺めた。

昨晩、自分の32歳の誕生日に長男に貰った誕生日プレゼントが枕元にあった。ヒカルが碁を打っている姿を色鉛筆を使って描いていた。

ヒカルは画用紙を手に持ち猫背で描かれた自分を見詰め、傍らで次男と眠る長男を眺めて唸った。

「 翼、お前なあ『 おれが棋士になったらおとうさんからタイトルとってやるかんな 』なんてお前が言うから、とんでもねえ夢を見たじゃねえかよ 」

ヒカルは自分の太腿に足を乗せて眠る長男の頭を、起こさないように撫でて微笑んだ。

リアルに残る夢の記憶。あれは何時か未来で起こる現象が夢に現れたのかもしれないと、ヒカルは見なす。不思議な雲の動きと、死にもの狂いで勝利を掴もうとする自分に良く似た若い棋士。その棋士が我が息子ならば、その時の自分はどんな思いでいるのやら。

台所からはリズミカルな包丁の音と味噌の香りがしていた。外から新聞配達のバイクの音、雀達のさえずり。

今日の朝飯は和食だなと画用紙を枕元に戻し、自分より体温の高い長男の足をそっとどかして立ち上がる。カーテンを開くと、目覚めたばかりの夜明けの空を見上げた。風の無い空は昇り始めた太陽の光を受けて、紫を基本色にした多彩な雲が何処までも広がっている。


「 さあて、今日も勝ってくるか 」




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