★助手シリーズ★

ねむい子
@kao_nashiko

病み上がり

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 パチ、パチ、と薪の燃える音だけが、室内に響いていた。ホグワーツ魔法学校の地下室にある、魔法薬学研究室。石の壁に囲まれ、その壁面には所狭しと様々な魔法薬とホルマリン漬けの瓶が並んでいる。その部屋の中央にある広い机で、リオは一人、薬の調合を行なっていた。無数の魔法薬が保管されているこの部屋で、火を焚くことは安全管理の面で到底適切とは言いがたいのだが、この日は気温があまりにも低く、この薬の調合に最適な室温にするために、やむなく、細心の注意を払いながら、暖炉に火を焚くことにしたのである。元々、地上の気温や湿度の変化を受けにくいという理由で、魔法薬学研究室は地下に造られているのだが、それでもやはりこの冬一番の冷え込みに、地下室も少なからず影響を受けていた。


 リオは眉間に皺を寄せ、極めて慎重に、試験管の中のエメラルドグリーンの液体を、きっかり42℃に調節した小鍋の中の、沼色とでも呼ぶのが相応しいだろうか、10色くらいの絵の具をぐちゃぐちゃにかき混ぜたような色をした液体の中へ、1滴、3秒置いて、もう1滴、垂らした。–––––と、今まで複雑な沼色を呈していた鍋の中の液体が瞬時に透明になったかと思うと、勢いよく白銀色の煙を上げた。その煙は、見る見るうちに空中ではっきりとした形を持ち始めたかと思うと、次の瞬間、羽根を大きく広げた蝶の形になり、4度その羽根を羽ばたかせると、煙となって消滅した。この間、15秒。鍋の中はほんとんど空っぽになっており、シュウシュウと小さな音と蒸気を立てていた。

 ふぅ、と、リオは安堵の溜め息を吐いた。魔法薬学の担当教師、セブルス・スネイプの助手を務める彼女は、明日の授業で生徒に行わせる実験の、いわばリハーサルを行っていた。簡単に思える実験でも、生徒は、こちらの想像もしないような間違いを犯す。魔法薬学の実験などは、失敗すれば大事故にも繋がるので、念入りな下準備をしてから臨まなければならないのだ。


 赴任したての頃、初級の初級とも言えるうような簡単な魔法薬の調合をさせていた授業の最中、投入する薬の順番を間違えた生徒のフラスコが破裂し、その生徒が危うく大火傷を負いそうになったことがあった。その瞬間、何が起こったのだかリオには分からなかった。激しい爆発音と黒煙、そして、気が付いた時には、立ち上る炎から生徒を庇うスネイプの背中が目の前にあった。

 火を消し止めた後の、スネイプの怒鳴り声はさっきの爆発音にも匹敵する恐ろしさだった。それは、その生徒だけでなく、リオにも向けられたものだった。授業が終わって、生徒の最後の一人が退室し、扉が閉まったその瞬間、激しい叱責を受けた。

 「どこに目をつけている!何のために貴様はここへ来たのだ。何も考えずぼさっと教室を歩き回るだけなら犬でもできる。いや、犬の方が100倍マシだ。何が助手だ、聞いて呆れる。そんなものは必要ない!二度とこの部屋へ足を踏み入れるな!」

 その時は、ひたすら謝り続けることしかできなかった。部屋へ戻ってから涙がとめどなく溢れた。このまま荷物をまとめてホグワーツを去ってしまおうかとも考えた。

 –––––今から思えば、なんと考えが甘かったのだと、当時の自分を殴り飛ばしに行きたい気持ちに駆られる。生徒の命がかかっているのだ。それほど、危険と隣り合わせの授業なのだ。魔法薬は間違った使い方をすれば危険だと知っていたはずなのに、「監督者」という意識がなさすぎたのだ。

 それからしばらく、スネイプはリオとほとんど口もきかななかったが、二度と同じ失敗を起こさないようにと心を入れ替えて真摯に働くリオの姿勢を見て、徐々にではあるが、信頼を深めていき、現在に至る。実際、リオは熱心な姿勢だけではなく、魔法薬学と教授法についても一から勉強し直し、その知識や技術も、赴任当初に比べると格段に成長したのだ。


 「なんとかなる、かな……」

 誰もいない部屋で、リオは一人、呟いた。そして、調合の際のポイントや注意点などをいくつか、羊皮紙にメモしていく。–––––と、そのペンを走らせる手が不意に止まった。リオの耳に、この部屋へ向かって廊下を歩く足音が聞こえたのだ。何となく、手は止まったまま、無意識に、神経が耳に集中する。やましいことをしているわけでもないのに、なぜだか体に力がこもるのを感じた。足音の主は分かっている。

 

 ガチャリ、と重い音を立ててドアが開いた。

 「ああ……やはり、ここに居たのか。」

 「明日の授業でやる実験を、やってみていました。」

 「そうか。何か問題があるか?」

 「いえ。特には。室温と湿度はこちらで管理して、アルマジロの胆汁を注ぐタイミングと量にしっかり注意すれば……5年生だし、余程じゃない限り、大丈夫だと思います。」

 「そうか。分かった。」

 あの、怒鳴り上げられた日のことを思うと、こうして自分が助手として認めてもらえていることが嘘のようだった。誇らしくもあり、何より感慨深かった。


 「スネイプ先生、体調はもういいんですか?」

 ほんの少し、自分の言葉の端に棘があることに、リオは気が付いた。昨日は発熱したスネイプに散々心を掻き乱されたのだ。それなのに今日、本人はけろっとして、普段と何一つ変わらない様子で授業などをこなしている。何だったのだ、昨日のあれは。リオは、スネイプが重症にならなかったことに安堵はしたものの、言いようのない苛立ちを覚え、今日は一日、スネイプを意図的に避けていた。–––––と言っても、スネイプはそんなリオの些細な態度の変化など気にも留めていないだろう。

 「ああ、昨夜、風邪薬を調合して飲んだ。」

 「それは……良かったです。」

 あれから、起きたんだ。起きて、自分で薬を調合して、飲んで……。リオの心はざわついた。結局、スネイプは自分のことなど全部自分で解決できるのだ。当たり前だ。昨日、勝手に心配してあんな風に口出しをしたことが、一気に恥ずかしくなった。その上、あんな……

 「では、失礼します。」

 リオはそそくさと、羊皮紙をかき集めて立ち去ろうとした。これ以上、どんな顔をしてこの場に居たら良いのか分からなかった。

 「–––––リオ、」

 「えっ……はい、」

 突然、名前を呼ばれてリオは思わず声がうわずった。

 「昨日は、すまなかったな。」

 「何が……ですか?」

 心臓が、大きく跳ねる。まさか、覚えている?そんなはずはない。意識があったら、スネイプがあんなことをする筈がない。

 「毛布をかけてくれたのは、お前だろう?机の上も、片付いていた。」

 「そっ……そんな、別に、それだけのことしか、してませんし。」

 リオは思わず「それだけ」を強調して言った。

 「いや、すまなかった。体調管理もできぬとは、気が抜けている証拠だ。情けない限りだ。」

 「そんなこと……。風邪くらい誰だって引きますよ。でも、先生はちょっとワーカホリックだと思います。ちゃんと、休んでくださいね。」

 平静を装うのに必死だった。大丈夫だ、覚えている筈がない。そんなわけがない。私の気持ちは、完璧に隠せているし、スネイプ先生が私を……なんていうこともあり得ない。だから、昨日のことは、幻だったんだ。先生の熱が見せた、幻だったんだ。そう自分に言い聞かせながら、リオはこの動揺がスネイプに伝わってしまう前に早くこの場を立ち去りたいと、そのことばかり考えていた。

 「……リオ、お前が助手で居てくれて、私は、随分助かっている。礼を言う。」

 リオは咄嗟に、返事ができなかった。これまで、そんなことを言われたことはなかった。まだ熱があるのだろうか?それとも、高熱のせいで性格が変わってしまったとか?

 「いえ……あの、どうされたんですか?急にそんなこと……まだ熱が?」

 「随分な言い草だな。」

 スネイプは苦笑しながら言った。

 「–––––確かに、まだ熱があるのかもしれんな。」

 そう言うと、不意に、スネイプはその右手を、リオの額へ載せた。またしても、突然のことに何が起こったのか分からなかった。

 「––––––っ?!」

 「……冷たいな。やはり、私が熱いのか?」

 独り言のように、スネイプが呟いた。リオはようやく、その行動の意図が掴めたが、普通そんなことをするだろうか。やっぱり、何が起こっているのか、理解できない。リオの頭の処理機能はとっくにショートしていた。

 「せ、先生……それは、逆です。普通は。」

 「ああ……そうか?」

 「そうです……」

 「そうか。」

 スネイプはまたふっと笑って、リオの額から手を離した。

 「すまなかった。–––––また、明日もよろしく頼む。」

 「……はい。頑張ります。では、失礼します。」

 今度こそ、この場から立ち去らなくては、もう限界だ。リオの心は、昨日に引き続き、いや、昨日よりも激しく掻き乱されていた。早く寝よう。寝て、落ち着くんだ。そう心の中で必死に呟きながら、スネイプを残し、部屋を後にした。


 残されたスネイプは、閉められた扉から、自らの右の手のひらへ視線を移した。そこにはまだ、ひんやりとした感触が残されていた。無言で手のひらを見つめながら、スネイプは、しばらく何か考え込んでから、溜息を一つ吐いた。

 暖炉の中で、パチリ、と、小枝の爆ぜる音が、地下室に響いた。