☆同居シリーズ☆

ねむい子
@kao_nashiko

珈琲

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 あの豪雨の夜から一週間が経った。リオは今でも、思い出すと手で顔を覆って叫びたい衝動に駆られる。

 あの日の翌朝、雨の音も雷の音もすっかり聞こえなくなって、厚いカーテンの隙間から白い光が漏れ始めた頃、リオは目を覚ました。一瞬、そこがどこだか分からなかったし、自分の体がどういう状態になっているのかも把握できなかった。いつものベッドにしては、背中が温かく、いつもの掛け布団にしては、薄くて黒いような–––寝ぼけた頭でそこまで考えて、ふと視線を上げて、リオは固まった。そして、事態を飲み込むと同時に、弾かれたパチンコ玉のように飛び起きた。

 「–––っ!!!」

 そして、声にならない声を上げた。

 「やっと起きたのか。」

 ソファの端まで跳びのいて口をぱくぱくさせているリオに向かって、セブルスは眉間の皺をいつもより一層深くして、呆れ返ったと言わんばかりの溜息混じりでそう言った。

 「ご……っ、ごめ……、セブ……えっ、一晩中……」

 「落ち着け。……全く、あれだけ怖がっていた割には、よく眠れたようだな。」

 リオは自分の頭から血の気が引くのを感じた。何ということだろう。いつから眠ってしまったのだろう。しかもセブルスは一晩中、起こさないようにそのままの体勢で居てくれた……?リオにとってそれは、大いに喜ぶべきことのはずだったが、今はそれよりも恥ずかしさと、意図せず大それたことをしでかしてしまった後悔で、到底、冷静に考えることなどできなかった。


 それから一週間。正直、あの後どうやってその場を収束させたのかもあまり覚えていない。ただ、平謝りして部屋から立ち去り、朝食の準備をしたことだけは覚えているが、何を作ったのだか全く記憶にない。しかし、セブルスは何事もなかったかのように朝食をとって、そこから先は、いつも通りの生活が再開された。

 あの夜のことについて、セブルスは何も言わない。何とも思っていないのだろうか。まあ、そうだろう。過剰に意識しているのはリオだけのようだ。いつもと全く変わらず淡々と生活するセブルスのおかげで、リオもようやく、落ち着きを取り戻そうとしていた。


 「バニーマタル?」

 耳慣れない単語に、リオは思わず訊き返した。

 「そうだ。いつも飲んでいるくせに、知らなかったのか?」

 「うーん……。コーヒーって言ったら、ブルーマウンテンとか、マンデリン、モカ……くらいしか分からなくて。」

 「モカの一種だ。イエメン産の、モカマタリという豆がある。その中でも最も良質な、バニーマタル地方のモカのことだ。」

 まるで学校の授業を彷彿とさせるようなセブルスの流暢な説明に、ホグワーツに居た頃の記憶がリオの頭をよぎって、懐かしさにふっと笑みがこぼれた。そんなリオの様子を気にとめる様子もなく、セブルスは、頭よりも体が覚えているのであろう、流れるような動作で、コーヒーを淹れる作業に集中していた。


 セブルスは何事に対しても基本的に真面目な性格なので、食べ物にしても日用品にしても、必要以上に調査や研究を独自に重ねるのが常だが、ことコーヒーにおいては、その情熱がかなりのものであるように見えた。そう本人に告げると、「毎日飲むものだから、どうせなら不味いよりは旨いに越したことはない。それだけのことだ。」という、彼らしい返事が返ってきたが–––。

 何はともあれ、その研究し尽くされたセブルスのコーヒーのご相伴にあずかれることを、リオは密かにとても喜んでいた。

 わざわざマグル界から取り寄せた上質なコーヒーの生豆を、セブルスは独自に焙煎する。焙煎機も、マグル界から性能の良いものを取り寄せた。コーヒーにおいては、魔法界よりもマグル界の方が随分その技術が洗練されているようだった。

 鉄製の重いやかんで沸かした湯を、セブルス手製の土瓶に移し、85℃まで冷ます。冷ましている間に、コーヒー豆を挽く。そうして、これもセブルスが自分の手に合うように作った竹製の柄杓で、湯を小さなポット–––これもセブルスが土を焼いて作ったものだ–––へ移し、ネルドリッパーに入れた豆に少しずつ湯を注ぎ、丁寧にドリップする。その一連の動作を見ているだけで、リオはいつでも退屈しなかった。

 どうしてわざわざ土や竹で道具を作るのかと不思議に思って尋ねたことがある。曰く、ステンレスや陶器では、水が呼吸できない。土や木・竹ならできる。コーヒーも生き物なのだ。という、魔法学校で【コーヒー術】の教師として再び教壇に立てば良いのではないかというような答えが返ってきた。

 ドリップが始まると、部屋いっぱいに、何とも言えない香りが漂う。甘みと深みが混ざり合った、どこか蜂蜜のような、バターのような、複雑な香り。それは、セブルスと暮らすようになるまでリオが認識していたコーヒーの匂いとは、全く違うものだった。

 セブルスの焙煎する豆は、かなりの深煎りだ。カップに注がれたコーヒーを見ただけでも、その濃さが見て取れる。どこまでも深く、厚みのある、飴のような黒。豆の油分で、その表面はどこかきらきらしている。見た目だけでこれほど濃厚な深煎りのコーヒーは、もはやエスプレッソのような苦味を伴うのでは、と、最初にセブルスにコーヒーを淹れてもらったとき、リオは身構えた。コーヒーは好きだが、あまり苦すぎるものには少しミルクを落とさなければ、その味を楽しむことができないと思ったからだ。しかし。一口、それを口に含んだ瞬間、リオは今まで自分がコーヒーだと思って飲んでいたものは何だったのかと、衝撃に駆られた。確かに、深煎りなので苦味は皆無ではないが、それを何重にも包み込む、ジャスミンのような甘くフローラルな香り、蜂蜜のような、ミルクのような、滑らかな舌触り、深みと甘みの複雑に絡み合ったフレーバーに、しばらく言葉が出なかった。間違いなく、世界一のコーヒーだと、リオは信じている。


 そんなことを思い返しているうちに、セブルスはコーヒーを淹れ終わり、リオの前に無言でカップ&ソーサーを置いた。小振りの、丸みがかった真っ白なカップ。その白と、濃厚なコーヒーの色とが、互いに引き立て合っていた。

 「やっぱり美味しい。……本当に、美味しい。」

 リオは、少しでも長く味わいたくて、ゆっくりゆっくり、一口ずつ、噛みしめるように味わう。セブルスの淹れたコーヒーを、こうやって二人で飲めるこの時間は、リオにとって果てしなく幸福なものだった。

 「お前もそろそろ、コーヒーの淹れ方を覚えたらどうだ。」

 「えー、それは、セブルスが淹れるから美味しいんだよ。」

 「面倒臭いだけだろう。」

 「そんなことない。だって、賭けてもいいけど、私がどんなに頑張ったって、セブルスには敵わないよ。」

 「賭ける?何を?」

 「えー?……うーん、」

 「そう言えばこの間、私を枕代わりにした件の礼もまだだったな……。」

 「––––!!」


 バニーマタルの甘い香りが漂う室内で、とりとめもない会話が紡がれる。窓の外では、木漏れ日が柔らかに地面を撫でていた。この時が、かけがえのないものだったと、何よりも、守るべきものだったと、思い知らされるのは、まだ少し先の話–––。