【新刊サンプル】愛しの小悪魔マイ・ハニー

吉見しろ
@yoshimi_siro

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愛しの小悪魔マイ・ハニー

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冒頭



 いいや何言ってるんだよと心底呆れながら、キングは今告げられた単語を復唱する。

「小悪魔」

「いかにも、小悪魔だ」

 臆面もなく言い切るブリタニア一の魔女に、第三代妖精王兼〈七つの大罪〉怠惰の罪キングは、今度こそ絶句して言葉を失う。その隣で、マーリンの秘薬により人間サイズまで縮んだディアンヌが、不思議そうに目を瞬かせていた。

 ――全ては、つい一時間前へと遡る。

 ふらりと〈豚の帽子〉亭に現れたマーリンが、店の開店準備をしていたエリザベスへと「これを」と薬を差し出したのが、事の発端だった。

 二大聖騎士長の暴走、そして魔神化したヘンドリクセンにより大打撃を受け、リオネス王都は今も復興の最中にある。

 その手助けになればと、王女自ら店を手伝うような気立てのいいエリザベスだ。マーリンに「なに、実験だ」と言われれば、その役に立とうと何の疑いもなく飲んでしまう。気づいたメリオダスが止めた瞬間には、もうごくりと飲み込んだ後だったのだ。

 ――その結果、今、リオネス第三王女の背には、何かが生えている。

 黒に赤が映える、猛禽類を思わせるような羽。見慣れないその物体は、時折ふりふりとまるで誘うように揺れている。

 それが、女神のように優しいエリザベスの背にくっついているのだ。「わーっ、ジュースみたーい」と一緒に飲んでしまった、ディアンヌと一緒に。

「……小悪魔?」

 なんて事をしてくれたんだと、キングは努めて冷静に、その単語を繰り返す。いつも通り、エリザベスの悲鳴が上がっているのを無視して。

 騒がしい声が飛び交ってはいるものの、昼下がりを過ぎた店内はがらんとしている。開店を数時間後に控えた〈豚の帽子〉亭の食堂には、メリオダスを始めとした団員、エリザベス、そしてホークの七人と一匹だけだ。

 まだ客が居ない時間帯とはいえ、こんな目立つ羽が生えているのだ、店が始まれば多かれ少なかれ影響が出る。物珍しい目で見られるだけに過ぎないだろうが、目を引くことには変わりない。

 揺れている羽を横目に、キングはごほんと咳き込んだ。

「これ、すぐ戻るの?」

「個体差はあるが、せいぜい数時間以内には元に戻る予定だ」

 羽が生えたエリザベスとスキンシップするのに忙しいメリオダス、そしてそれを止めようと怒鳴っているホークを無視して、マーリンの説明が続く。

 昼間から酔っ払っているバンに至ってはそもそも聞く気すらないようで、怒れる子豚を見て笑っている始末だ。

「ヘンドリクセンが使っていた、魔神の血と原理は同じだ。一時的に魔神族へと近づけ、その耐性を高める薬をと思ったのだが、それに関しては完全に失敗したようだ」

「はぁ」

「変化は、その羽と……若干だが、性格に影響があるだけのようだな」

 と、あまりにも淡々としている様子の彼女に、思わずキングはむっとする。

「なんでそんなもの、エリザベス様とディアンヌに飲ませたんだよ!」

「効果の検証がしやすいからだ」

 最高神の娘の生まれ変わりである彼女だからこそ、もっともその恩恵が必要だから――だとは、この時のマーリンが答えられるわけがなかった。故にそうボカした彼女だったが、キングは声を荒らげる。

「エ、エリザベス様はこの国の王女なのに! そ、そんな事の為に実験に使うだなんて、失礼だよ! それに、ディアンヌまでだなんて!」

 と怒鳴るキングは、改めて隣を確認する。

 薬を飲んでしまった当人にも関わらず、ディアンヌは何事か分かっていないようできょとんとしたままだ。その顔はまったく普段通りにしか見えないものの、背中にはエリザベス同様立派な羽が生えている。

 命に別条はなさそうだが、だからといって好きな女性に突然こんな事をされ、立腹しない男などどこにも居ない。

「案ずるな、キング。特段大きな異常はない。羽が生え、ほんの少し気が大きく、からかいや悪戯を好む傾向になる――いわば小悪魔になっているだけだ。恐らく数時間も待てば、羽も、その間の記憶も、綺麗さっぱり消えるだろう」

「そういう問題じゃない!」

[マーリン、小悪魔とはどんな気持ちだ? 俺も、なってみたい]

「今はゴウセルじゃなくて、ディアンヌの問題だよ!」

 大人しく聞いていたゴウセルが話に割り込んでくるのを阻止しながら、キングはもう一度マーリンへと問う。

「ほっ本当に、ちゃんと元に戻るの? どこか、おかしいとかそういう事は」

「問題ない。多少目立つ羽が生え、意中の相手への接触が独特になる、という認識で十分だ」

「はぁ」

 自信たっぷりにそう断言するブリタニア一の魔女に、キングは本当かなぁと不安そうな目をディアンヌに向ける。

 ――何度見ても、確かにいつも通りだ。羽以外は。

 彼女自身、事態をよくは分かっていなさそうだが、珍しく声を荒げて怒っている彼を見ると「ボクは大丈夫だよ?」と微笑む。その顔は小悪魔などとはほど遠い、天使にしか見えなかった。

 ディアンヌに笑顔を向けられ、怒りとはまた別の意味で顔が赤らむ彼を余所に、マーリンは「まぁ何にしろ」と告げる。

「もって数時間だけの変化だ、案ずることはない。団長殿を見習うがいい」

 そう語る彼女の双眸は、ホークがぎゃんぎゃんと喚いている方へと向けられる。食堂の片隅では、突進した子豚に跳ね飛ばされてしまったメリオダス、そしてその手から逃れたエリザベスがうるうると瞳を潤ませていた。

 普段ならば、いくらスキンシップされても目立って嫌がりはしない彼女だが、羽が生えた今だけはそうでもないようだ。カウンターから少し離れ、食堂の隅っこで我が身を庇うように両手で抱いたエリザベスは――いつになく強い視線でメリオダスを見据える。

「メ、メリオダス様の、えっち」

 少し怒ったような口ぶりではあるものの、ほんのりと赤らんだ頬はどことなく誘っているようにも見える。

 こちらへ背を向けている形のメリオダスが、今、どんな顔をしているのかは分からない。だが次の瞬間には、テーブルに激突していたその体が、宙へと跳躍していた。

 甲高い「きゃぁああああ!」と悲鳴が上がる。更に、ホークの怒声も重なった。

 バンが「スッゲー師匠~♪」と手を叩いて喜んでいるのを横目に、キングははぁと嘆息をつく。先程からメリオダス達はあの調子のまま、延々と繰り返している。

 自身も照れたように顔を赤くしながら、ごほんと咳払いをした。

「そ、そんな場合じゃないとオイラは思うけど」

 いいなぁと思う気持ちをひた隠すように呻くものの、マーリンはどこ吹く風だ。そもそもこの探究心の塊に「反省」なんて概念がないのは、仲間である彼だって知っている。

 ホントにもう、みんな、深刻な事態かもしれないのに。と努めて冷静な表情をしているキングだったが――不意に、隣のディアンヌの沈黙と、その視線の違和に気づく。

 彼女の紫の瞳は、ただじっと、見つめている。ほんの少し離れた先で、スキンシップに勤しむメリオダスと、エリザベスを。

 団長である彼は、どこか怪しい艶を帯びた羽に触れたり、そっと息を吹きかけてみたり、かと思えば「えっち」と照れている体を撫で回してみたりと――一瞬たりともその手が止まることはない。ホークが「こらー!」と怒っているものの、跳ね飛ばされても一向にめげないのだ。

 それを、ディアンヌはじっと見つめていた。

 無表情に近いその顔から気持ちは読み取れないものの――キングは瞬時に理解する。

 大好きなメリオダスが他の女の子と仲良くしていて、とても羨ましく思っているのだ。小悪魔がなんなのかよくは分からないが、些細な事で傷つく普通の女の子のままなのには、変わりがない。

 このままでは、ディアンヌが傷ついてしまう。反射的に彼は「そ、そうだ!」と声を上げていた。

「ディ、ディアンヌ! そ、そういえばさっき、か、買い忘れてきたものがあったんだよ。い、一緒に行こうよ!」

 と、有無を言わさず、その手を引っ張る。外へ向かって、強制的に一歩踏み出させられた形の彼女は「ふえ?」と不思議そうな顔をした。

「ちょ、ちょっとだけだから! お、お礼に、す、好きなもの買ってあげるから、ほ、ほら!」

ぐいぐいその手を引きながら、いつも通りうさんくさい笑みを浮かべているマーリンと目を瞬いているゴウセルの前を横切り、急いで食堂の外へと飛び出た。

 中で騒いでいる声を遮るように、キングはわざわざ大きな音を立てて、その扉を閉じる。そこに広がっていた光景は遮断され、悲鳴や怒声も幕一枚隔てられたように遠くなった。

 ――これで、ひとまず安心だ。

 大人しく店の外へと連れ出された彼女を振り返ると、パッとその手を離した。

「み、みんな忙しそうだし、お、美味しいものをごちそうするから、ちょこっとだけ買い出しに付き合って欲しいんだ」

「え? 皆そんな忙しそうじゃなかったよ?」

「い、いや、マーリンは早く直す方法を考えなくちゃいけないし、団長やバンはあんなんだけど店の準備をする必要があるし! ゴ、ゴウセルだって手伝わなくちゃいけないしね、あ、あはは」

 そう笑って誤魔化そうとするものの、ディアンヌは不思議そうに小首を傾げただけだ。だがそれ以上深く追求するつもりはないのか、

「別にいいけど」と小さく頷く。

「そ、それじゃあ、行こう!」

 いくら今は見えないとはいえ、扉を隔てた向こうではメリオダスとエリザベスが仲良くスキンシップしているのだ。一時的にでもディアンヌをそこから遠ざけたい、その一心だった。

「大丈夫。すぐに終わるから、さ、早速行こうか」

 その真意を誤魔化すように、キングはにこやかに促しながら一歩ぶん前へと進んだ。

 郊外で営業している〈豚の帽子〉亭だが、リオネスの城下は目と鼻の先にある。彼がその気になれば、すぐに行って帰れる距離だ。

 しかし今日だけは、普段以上に時間をかけて戻ってくるつもりでいる。まずは道すがら、ディアンヌと甘いものでも食べようと早速妄想を膨らましていたキングだが――ふと、自分の背後に誰もいない事に気づく。

 後ろを振り返ってみれば、ディアンヌは店の前から一歩も動かず、靴の爪先で足下の小石を弄っていた。

「ど、どうしたの? ディアンヌ」

 慌ててその目の前まで戻っていくものの、彼女は顔を上げぬまま地面を見つめている。

「ディアンヌ?」

 どうしたのだろう、とその様子を窺う。

 やっぱり団長の事が気になるのだろうか、と不安になる彼へ、ようやくディアンヌが口を開いた。

「……何か、忘れてない?」

「な、なにか?」

 忘れている? オイラが?

「な、何、を?」

 とぽかんとする彼に、ディアンヌは弄っていた小石をこつんと蹴った。

「キミは、その、何も持たずに行く気なの?」

 彼女のその言葉で、ハッと閃く。

 ――そうだった。

 反射的に、キングの体は飛び出していた。

 飛び出してきた〈豚の帽子〉亭の扉の中へと引っ込むと、「それ」だけ掴み、来た時の勢いのまま猛スピードでディアンヌの元へと戻る。

「あっ、ありがとうディアンヌ! お金を持つの、忘れてたよ!」

「…………」

「危うく、二度手間になっちゃうとこだったね。本当にありがとう」

 とにっこり礼を言うものの、ディアンヌは俯いたままだ。どことなく、その表情が曇っているようにも見える。

 あれ? と再びぽかんとする彼を余所に、ディアンヌは深いため息と共に一歩踏み出した。

 城壁が取り囲む都へ向けて、無言で歩き始める。じんわりと、不機嫌そうな雰囲気を漂わせて。

 一人でずんずんと進んでいく彼女に、キングも慌ててその後を追いかけた。

「あっ! ま、待って! ディアンヌ」

「…………」

「ま、まってよ」

 ようやくその隣まで追いつくと、どうしたのと言わんばかりにその横顔を伺う。つんとすましたような表情で歩く彼女は、やっぱりどう見ても、不機嫌そうだ。

「……ど、どうか、したの?」

 やっぱり、さっきの団長とエリザベス様のこと、気にしているのかも。こんな急に機嫌が悪くなるだなんて、それしか考えられない。

 先程のスキンシップしている光景に傷ついているのだと、その心中を察し痛ましい気持ちになる。

「ええと、その、なんというか」

「…………」

 なんとか慰めようとするものの、言葉が続かない。

 一時的に遠ざけたのはいいものの、恐らくメリオダスとエリザベスはしばらくあの状況だろう。買い出ししてすぐに戻るわけにはいかなそうだ。

 マーリンは数時間で羽は消えるとは言ったけれど、どのくらいかかるんだろう? と悩んでいる間に、二人はリオネスの城壁までやってきていた。

 城門を抜けると、リオネスの町並みが延々と続いている。記憶の中の光景に比べ、あちこち壊れて再建中のところも多いものの、活気そのものは十年前と変わりない。

 とはいえ、今優先すべきは、ディアンヌの機嫌だ。

 ええと何か方法はないかなと思い悩む彼ではあったが、視界に映った出店で閃く。

「あっ、ディアンヌ! ちょ、ちょっと待ってて!」

 と、むすりとしているディアンヌから離れ、一目散にそちらへと飛んでいく。

 何の変哲もない、リオネスの街角に佇むこぢんまりとした出店。気の良さそうな中年男性から長い棒状の揚げ菓子を買うと、いそいそと彼女の元へと戻っていく。

 その場に立ち止まり、つーんとそっぽを向いて待っていたディアンヌへと、今しがた買ったばかりのそれを差し出した。

「ほ、ほら、ディアンヌ。こ、これ、お食べよ」

 くるくると巻かれた紙から顔を出したそれは、まだほのかに熱を持っている。持っているだけで甘い香りが漂ってきて、あちらを向いていた紫の瞳がそれをちらりと確認した。

 匂いに誘われて、どうやらお腹が空いたらしい。次の瞬間、きゅうと鳴いた腹の虫に、ディアンヌの頬が恥ずかしそうに赤くなる。

「あ、あそこに座って。い、いっぱい食べたかったら、もっと買ってあげるから」

 立ち食いはお行儀が悪いかなと、きょろきょろと辺りを見渡して見つけたベンチを指し示す。彼女の背を押してそこまで連れてくると、「ほら、ここに座って」と促した。

 彼の言う通り、大人しくそこへと座った彼女の手に、今買った揚げ菓子を握らせる。

「とっても美味しそうだね。あ、甘いの、好きでしょ?」

「…………」

 にこにこと笑ったまま、ディアンヌがそれを口にするのを待つ。

 手元の菓子を見つめ一向に食べようとしない彼女ではあったが、キングの視線と、また悲鳴を上げる腹の音で――遂に折れてしまったらしい。

 根負けしたように、そのぷっくりした唇に揚げ菓子の先端を近づけた。笑顔で見守っているキングを横目に、一口だけかじる。

「ディアンヌ、美味しい?」

「…………」

 聞いてみると、こくんとだけ頷いた。更にもう一口、控えめに食べている。

「そう、よかった」

 甘いものを少しでも食べれば、機嫌も多少は良くなるし、何より気が紛れるに違いない。大食らいなはずなのに少しずつ食べているディアンヌを見守りながら、ひとまずはホッとした。

 この調子で、今日はゆっくりとリオネスの街を回って、時間を稼ごうと決意する。薬の効果が切れるのを待つのだ。

 見慣れぬ羽が生えているため、好奇の視線をあちらこちらから感ずるものの、どちらかといえば物珍しいものを見る目に近い。大掛かりな装飾か仮装かと勘違いされているらしく、案の定少し目立つ程度で、大きな騒ぎにはならなそうだ。この調子なら、いつも通りリオネスの城下を散策しても平気だろうと判断する。

 ――それにしても。

 キングはちらりと横目で、それを観察する。

 黒と血のような赤の、羽。骨格のような艶めいた黒の本体と、更に目を引く赤の皮膜。話に聞く女神族、そして魔神族とも違うような、見たこともない翼だ。

 しかし彼の関心は、そんな事ではなかった。

「…………」

 ベンチに座る彼女のすぐ側に浮いていた彼ではあったが、それとなく後ろの方へと移動していく。

 ――羽だ。

 生えない生えないと嘆いて、千三百歳を超えてもまだこの背中には生えない、羽。それが今、ディアンヌの背にくっついている。

 無論妖精の羽ではないけれど――羨ましかった。小悪魔だろうがなんだろうが、羽は羽だ。

 ましてや、世界で一番愛しいディアンヌの羽なのだ。神々しさすら感じた。

 いいなぁ、と思いつつ、不思議だなぁとも感じる。

 飛べない羽が生えているディアンヌ。

 羽はないけれど飛べるキング。

 それがなんだか不思議にも、滑稽にも思えて――そろりと手を伸ばしていた。

 一際目に引く色の羽の、このつやつやした表面がどんな感触なのか。触ったら温かいのか冷たいのか、どんな感じなのか。気づかぬうちに、その手を近づけていた。





サンプル おわり


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