獅子が仄暗い水に沈む時・5

夏休みが終了した馬超🎐
@shion_718

冀城にて反乱が起こったとの報せを受け、馬超はもう少しで止めを刺せそうだった夏侯淵を龐徳に任せて城への帰路へと着いていた。

 反乱の主犯なのは楊阜で間違いないだろう。大方、韋康の復讐とかなんとかそこら辺の事だと思うのだが。


「くだらない」


 そこまで考えて馬超は思わず毒ついた。それだけの理由で自分の手で夏侯淵に止めを刺せそうだった状況を無駄にしたのだ。

 断腸の思いで龐徳に後の事は任せたとは言え万が一という事がある。夏侯淵に負けるという事を危惧しているわけではなく、逃がすのではないかという事を危惧していた。最近の龐徳は何かとつけて馬超の行動に対して苦言をしてくるふしがある。どうにもそこが馬超の中で引っかかっているのだが、嘆息をついて馬超は一先ずその事を考える事をやめた。

 今問題になっているのは冀城での反乱である。


「岱、中の状況は?」


 冀城城門前。そこには馬岱を筆頭とした一軍が城を取り囲むように居たが肝心な城門は固く閉ざされていた。


「従兄上、すみません。中には楊阜を筆頭にした元韋康の配下だった者たちが」

「……さしずめ、韋康の復讐だろう?本当にくだらない事をしてくれたものだ」


 おまけに城外へと追い出されている。反乱を起こした上にこんな面倒な事をされて穏やかでいられるはずがなかった。

 同時に楊阜を殺さずに今日まで生かしておいた事に後悔をする。さっさと冀城を制圧した時に韋康、郡太守と共に葬り去ってしまえばこの反乱は防げていたことは明白だった。


「まずは開城だ。城壁から入り、中から城門を開ける。……抵抗してもしなくとも全員殺せ」


 たかが残党なのだ。それも実戦経験が少ない寄せ集めならば馬超たちに圧倒的な有利がある。戦慣れをしていない政治家が戦をするという事がどういうことなのかその身で味わせるのにはいい機会だと思っていたのだが―――。

 戦況はよくて五分。場所によっては少し押されているようにも見えた。


「梁寛に趙衢か……随分と用意周到な復讐をしてくれるじゃないか」


 基本的には城内の戦える者を集めたという感じなのだが、こちらが攻めるであろうところに戦い慣れをしている者を配備している。この復讐劇に楊阜以外の知恵が入っているのは間違いなかった。


「孟起殿!戦況は?」

「遅いぞ龐徳!……岱は趙衢、龐徳は梁寛に当たれ!俺と他の者は正面から潰すぞ!!」


 数なら圧倒的にこちらが有利な上に相手は冀城という限られた空間でしか戦う事ができない。ならば広く自由に戦う事ができるこちらの戦を強引にするまでだった。三者がそれぞれの場所に散り、遊撃戦を展開していく。

 正面から当たった馬超の視界にどこかで見たような人影が入り込んだ。確か冀城に来てさほど、時間が経っていない頃に韋康に紹介された気がした。


「楊岳……?」


 楊岳。その男が城壁のところで陣えお敷き、一軍を指揮していた。馬超は特別、楊岳と面識があったわけではなかったし会話らしい事もした事もなかった。だが、記憶の片隅にほんの少しだけ残っている。


 楊岳は楊阜の従弟だと―――。


 馬超は弓兵部隊を楊岳が守る城壁の方に集中させる。すると、こちらに気づいたのか楊岳は憎々しげな表情と共に馬超に罵声を浴びせる。


「楊岳!門を開けてはくれないか?俺以外の者を助けて欲しいのだ!!」

「何を言っている!韋康様の和議を反故にしたような奴が……!」


 当然の切替しに反吐が出そうだった。

 それじゃあ、あそこで韋康と和議を結んでその後、殺せばお前らはこんなくだらない反乱も『和議を反故にした』という事を言わなかったのか?そう言ってやりたい気持ちをなんとか抑え込んだ。


「従弟の馬岱も皆、俺の独りよがりの気持ちに仕方がなく付き合ってくれているだけなのだ。だが、こんな戦いを繰り返しているだけでは疲弊をするだけ……、せめてここで終わりにして皆を楽にしてやりたい」


 馬超のその言葉に一瞬だけ、楊岳の動きが止まったようにみえる。少なくとも、この従弟は聞く耳を持っているという事に馬超は小さく笑った。


「……それで、貴様はどうするつもりだ」

「……俺が捕虜になろう。だから門を開けてくれ、その後は楊阜の所にでも連れて行くといい。……あいつは俺に自らの手で復讐したいだろうからな」


 周囲の喧騒も矢が飛び交うのも止まらない中で馬超は城壁にいる楊岳にそう言った。絶対に楊岳はこの誘いに乗ってくると確信できる。韋康の仇の話に耳を傾けずにそのまま殺してしまえばよかったものの、こうして耳を傾け馬超を捕虜とするために城門を開けようか迷っている。その時点で、楊岳が馬超を倒すことは不可能だという事がわかっていた。


「……わかった。今から貴様に縄を掛けに行く。そこで待っていろ」

「わかった。その前に一ついいか?」


 城壁から馬超の元に移動しようとする楊岳を引き止める。肩ごしに振り返った楊岳が煩わしそうな顔をしていたが、そこは特に気にする事でもない。


「互いに攻撃をやめさせないか?俺が今から捕虜になるんだ、互いにあまり犠牲は出したくないだろ」


 楊岳が暫し悩むのはわかっていた。この男に反乱の全権が与えられているとは到底考えにくい。楊阜に聞きに行くか、それとも


(俺の捕虜になるという言葉を鵜呑みにして独断に走るか)


 馬超にとってはどちらでも構わなかった。こうしている間に馬岱と龐徳が当たっている箇所の殲滅が進んでいるはずなのだから。


「……わかった。互いに攻撃を止めよう。すぐに貴様の迎えをよこすからそこを動くな」


 そう言うと楊岳の姿が城壁から消え、攻撃が止む。この不可思議な光景に馬超の軍勢から動揺する声が聞こえる。


「狼狽えるな!」


 馬超が声を張り上げ、余分な事は一切言わずにそれだけを言うと波が引くように動揺をする声が止まった。

 城壁の方に目をやれば楊岳はもちろん、他の指揮官のような人影がいない。馬超は近くにいた兵数名呼ぶと言付けを頼んだ。その兵たちが馬超の元と離れると同時くらいだろうか。堅く閉ざされていた冀城の城門がゆっくりと開いた。そこから楊岳を含め数人の武器を持った男たちが出てくる。


「迎え、ご苦労だったな」

「捕虜になるというのに随分と上から目線だ。まずは武器を捨ててもらおうか」


 大人しく愛用していた槍を地面へと投げ捨てた。それを楊岳の傍らにいた男が拾い上げる。


「他に武器は」

「この剣くらいか。親父の形見だから傍に置いておきたいんだが」

「駄目に決まっているだろ。貴様は信用出来ないんだからな」


 それなら城門を開けてわざわざ自ら迎えになんて来なくてもよかったものの―――声にこそ出しはしなかったが心の底から馬超はそう思った。

 渋々、腰に帯刀している剣を外しさっきと同じように地面へと投げ捨てた。先程とは違う乾いた音が響き、また別の男がすぐさま剣を拾い上げた。


「さて。俺はこうして丸腰になったわけだが、どうするつもりだ」

「従兄上の所に連れて行く。そこで然るべき対処を―――」

「対処も何も俺を殺すつもりだろう」


 あからさまに楊岳の表情が変わった。眉間に皺を寄せて、苦虫を噛み潰したような表情をした。


「勿体ぶらないでここで殺せば?」

「なっ……」


 馬超の唐突な言葉に楊岳の表情が驚きに変わる。後で殺そうが今殺そうが変わらないと言う事を言っているつもりなのだが、それが楊岳には考えもよらない事だったのだろう。

 その時点で復讐には向いてはいないと思うのだが。


「まぁ、好きにしろよ。早くしないと俺が捕虜でいるのも終わりになるけど」

「貴様何を言って―――」


 楊岳が言い終わる前に空気を鋭く割く音が聞こえた。それがよほど耳が良くないと聞こえないような音だったが、馬超にはこのタイミングでその音が空気を震わせ、目標物に真っすぐ突き刺さる事を知っていた。


「あ……」


 楊岳の傍らにいた男―――馬超の槍を回収した男が短く声を漏らすとそのまま仰向けに倒れた。

 唐突で何が起こったのかわからず、取り残された者たちは倒れた男を見やる事しかできなかった。男の額には矢が突き刺さっておりそこから血を流し、まだ生きているのかピクピクと体を小刻みに痙攣させている。


「やっぱり即死は無理だよな」


 男の手から離れた槍を拾い上げると馬超は心臓の辺りに槍を垂直に下した。口から血を吐き出し、目を見開いたかと思うと男は痙攣すらしなくなってしまった。


「こ、これはどういう事だ……」

「どうもこうも、俺が捕虜になるのをやめるだけ。だから槍も返してもらっただけだけど」


 槍を男の体から引き抜くと刀身の部分は紅く染まっており、溢れた紅い雫が先から滴り落ちて地面に吸い込まれていく。

 時間にしたら一瞬なのだが、目の前の光景に慣れていない者たちにとってそれは非日常でしかなく、理解できるほどに感情も全てが順応しきれていなかった。


「さて。城門も開いた事だし、楊阜にでも労いの言葉でもかけに行ってやるか」

「待て!貴様、私を騙したのか!?」


 横を通り過ぎようとする馬超の腕を楊岳は思いっきり掴んだ。その拍子に馬超と目を合わせることになってしまったのだが、そこで楊岳は背筋に強い悪寒を感じた。

 あの捕虜に自らなると言った時のような悲しそうな表情や従弟、配下を心配していた時の面影が一切感じられなかった。冷たく、何も信じていないようなその目に得体の知れない恐怖を感じて手を離しそうになる。


「騙した?……俺は捕虜になってやるとは言ったが、降伏するとは一言も言ってないよな?そもそも、韋康の時と同じような手に引っかかるなんて、本当に馬鹿だよな」


 喉奥を震わせ、声を押し殺そうと耐えているのがわかる。なんでこんなにもこの男は楽しそうにしているのか全く理解ができなかった。ただただ、不快な感情と悲しい感情が入り交じるだけだった。


「どうして―――」

「ん?」

「どうして、私を騙した」


 こんな質問がくだらなくて、意味を持たないのはわかってはいたがどうしても聞いておきたかった。


「……楊阜はお前の従兄だろ?わかるんだよ、従兄の役に立ちたい従弟の気持ちが」


 確かに従兄である楊阜の悲願を達成するためならどんな事でも手伝いたいと思っていた。

従兄の負担が減るなら、なんでもしてやりたかった。

 要するにその感情を馬超に利用されたという事なのだろう。それを思い知った時に体中から力が抜けていくのを感じ、楊岳はその場に座り込んでしまった。

 いつからかわからないが、辺りはまた喧騒に包まれ独特な金属音が響き砂埃に交じり誰ともわからない血の臭いがした。


「……最後に従兄上孝行でもするか?」

「従兄上孝行だと?」

「あぁ。楊阜の所まで案内してくれればいい、そうしたら信頼する従兄上の前で殺してやるよ」

「……屑が」


 そこで楊岳の意識は薄くなってきていた。何かに貫かれる感覚と焼けるような熱さが広がっていくのを自覚するものの、靄がかかったように頭が働かなくなりぷっつりと意識を永遠に手放してしまった。


***


 多少は慣れ親しみ始めた冀城の中を馬超は楊阜を目指して進んだ。ついこないだまで綺麗に着飾れていた内装は見るも無残な姿になり、城内に侵攻した配下と楊阜一派の攻防が伺えた。

とは言っても、力の差は歴然としている。こちらは戦い慣れをしていて、相手は寄せ集めの戦い慣れをしていない集団である。城内に入りさえすれば、一掃するのも時間の問題だった。

 問題はその楊阜が何処にいるかなのだが。もしかしたら、先行している馬岱か龐徳が討ち取った可能性もあるがそれならそれでよかった。自分の手を汚さないでこんなくだらない復讐劇を終わらせることができるなら、それに越したことは無い。

 とにかく馬超はいくら慣れ親しみ始めたとは言え、冀城内部を全て把握しているわけでもなかったのでしらみつぶしに部屋という部屋を開けて回った。

 何か所目かの部屋を開けた時だった。いままでにない血痕が視界に入る。どの部屋も大して破損や血痕はなかったのだが、この部屋だけは血だまりのようなものが出来上がっていて、それが廊下へと続いていた。

 馬超は出来る限り息を殺し、血痕を辿って歩き始めた。この血痕を辿って行けば、お目当ての相手がいるのはほぼ間違いないだろう。血痕があることから、怪我はしている。ただし、動ける程度。追っているのは馬岱か龐徳かはたまた両名か―――どれの可能性を取っても馬超が楊阜の所に行く頃には会話を交わすこともなさそうだった。


「これは、意外」


 ここが冀城の屋上なのだろう。視界は広がり、涼州の風が馬超の肌を撫でていく中、思わず漏れた声は目の前の光景を見れば誰だって漏らさずにはいられなかっただろう。

 この反乱の首謀である楊阜はだいぶ疲弊こそしているものの喋れるくらいの気力を残してそこに立っていた。

 意外と言えば、この冀城の最上階に楊阜以外の姿―――もちろん馬超を抜かしてだが、馬岱と龐徳の姿が見当たらなかったことだ。あの二人が突破されたとは考えにくいことから大方、違う箇所の鎮圧にでも向かったのだろう。


「馬超……貴様、今度はどんな姑息な手を使ったのだ!?」


 目が合うと開口一番に楊阜はそう捲し立てた。一瞬、何のことを言っているのか理解しかねたが城内に侵入した事を踏まえればすぐに検討が付く事だった。


「姑息な手ね……。お前の従弟は韋康の無様な最期をしっかりと見ていなかったのか?同じ方法で騙される方が馬鹿だろう?」

「貴様……。楊岳は貴様を信じて―――」

「俺は信じろとは一言も言っていない。それとも楊阜。お前が俺を信じるようにと言ったのか?だとしたら、楊岳を殺したのはお前ということになるな?」


 楊阜が漸く黙ったのを見計らい階段を昇りきり、さらに彼との距離をわずかに縮めておく。馬岱と龐徳がいないとなると自分で始末をつけなければいけないのが億劫で仕方がないのだが、そうも言っていられない。野放しにしておけば、この男はまた馬超に対して何かしらの形で反旗を翻すのは目に見えている。


「私は……」


 それまで黙っていた楊阜がぽつりと声を出した。それはあまりにも小さい声で危うく聞き逃してしまってもおかしくないほどだった。


「私は、韋康様に言ったのだ……。馬超を信じてはいけないと、彼奴は和議を反故にすると」

「……」

「なのに、韋康様は……っ!!」


 韋康とのやり取りでも思い出したのだろう。楊阜の頬に涙が一筋伝わり、言葉を詰まらせた。


「貴様がっ!貴様が和議を反故にしなければ!韋康様はもう戦意を喪失していたのだぞ!?なのにそれを知っていながら反故にし、あまつさえ亡き者にして……っ」

「……言いたい事はそれだけか?」


 怒りに任せ声を荒げた楊阜と対比するように馬超の声は酷く落ち着いていた。

 深い吐息と共に吐き出された言葉に楊阜は一瞬にして血の気が引いていくのを嫌でも自覚させられていく。


「いいか。城主が二人もいらないよな……そうしたら必然的に出ていくのは誰かわかるか?韋康だ。力がない奴が城主をしていて何になる?配下なんて何になる?何にもならないだろう?それなら力のある俺が城主となり配下を使った方が有意義というやつだ」

「だからと言って、韋康様を殺害する事もあんな見せつけのように郡太守たちを殺さなくても―――」


 この男がこんなにも冷たい眼をするのを始めて知った。ただ、見つめられ少しずつ距離が縮まるだけで呼吸が苦しくなり、全身の震えが止まらない。


「必要だろ。役にも立たない奴らにちゃんと役目を与えてやったんだ。あの公衆の面前で死ぬことで残った韋康の配下は俺に逆らおうなんて馬鹿げたことは考えない。俺の手駒として、死ぬ瞬間まで働くはずだったんだけどな」


 そこでぴたりと馬超は歩みと止めた。楊阜との距離はいつの間にかほとんどなく、少しでも手を伸ばせば触れてしまいそうな―――。


「……え?」


 そこで楊阜の思考は一旦途切れた。腹部に感じる熱さと脈を打つような痛み、それらが思考を遮っているのはわかった。ゆっくりと視線を馬超から腹部にやれば、深々と槍が刺さっていた。その槍を辿ればもう一度、馬超と視線が合う。


「お前が余分なことをしてくれたおかげで反抗する輩が増えたんだ、責任は取れるよな?」


 引き抜かれるあの感触に吐き気が込み上げてくる。支えを失った体はそのまま仰向けに

倒れ、視界いっぱいに空が広がった。


「最期に良いことを教えてやるよ」


 視界に広がった空は馬超に遮られ、満面の笑みに悪寒を感じると同時に自分の最期をそっと悟った。


「韋康を殺したのは、張魯のところの楊昴だ」


 嘘をつけ……楊昴が殺すように仕向けたのは馬超、貴様だろう―――。


 それが声になる事はなく、楊阜はそっと目だけを閉じた。


***


 馬岱と龐徳が来たときには馬超だけがそこに立っていた。足元には血溜まりに沈む楊阜だったもの。当の馬超は片手に愛槍を握り、もう片手には楊阜の頭部を持っていた。


「従兄上」


 恐る恐る声をかけると馬超がこちらをゆっくりと振り向き歩み寄って来る。


「お前らが遅いから俺が始末する羽目になっただろ」


 不服そうな声を漏らし、楊阜の頭部をまるで廃棄物を棄てるかのように二人の前に投げた。


「反乱を起こした首謀者だ、晒しておけ」

「体は……」

「そこらへんに棄てておけ。こんな阿呆でも獣くらいは喰うだろ」


 それだけを言い残すと馬超は何もなかったかのようにその場を立ち去って行った。

馬超本人は気づいているだろうか、とても楽しそうに笑っていることを。誰かの命を奪うことを楽しんでいることを。


(続)

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