獅子が仄暗い水に沈む時・3

しおんは推しカプ本を書け
@shion_718

―――馬超に計画は筒抜けになっている。


 あの血だらけになった竹筒が手元に戻ってきてから韋康の考えが行き着く先はそこになっていた。

 早急に馬超を始末しなければいけないのはわかっているが、武であの男に勝てる者がこの城の中にいないのはわかりきったことだった。その為に長安の夏侯淵に援軍を要請したにも関わらず、長安どころか誰にも知られる事なく援軍の要請は失敗した。

 楊阜には諦めずに援軍要請を続けた方がいいと強く言われた。だが、その度に馬超に見つかり竹筒を持っている者が殺害されたとしたら?

 無駄な犠牲を払い続け、罪の無い者たちを無駄死にさせて、本当にそれでいいのだろうか?

いいはずがない。しかし、馬超の出方を恐れこちらが何も手を出さないでいて、馬超が何もしてこないという保証は一切ない。ましてやこの城にいる者全員をあの男が助けるなんて考えにくいものだった。

 閻温の事をこちらに対する見せしめだとすると、本当に息の根を止めたいのは―――。


「私、か……」


 冀城の事実上の城主は韋康である。曹操に復讐するために再び挙兵した馬超にとって必要な物は戦うための兵力、そして拠点となる城。

 馬超の殺害を目論んだ主軸の韋康は馬超にとって限りなく邪魔な存在で消してしまいたいはずだ。

 間違いなく順番はどうあれ、自分が殺されると自覚し始めた途端、震えが止まらなかった。どういう風に殺されるのだろうか?

 閻温は一体どのように殺されたのだろうか?

 自分も彼と同じように静かに葬られてしまうのだろうか?

 この乱世だから、いつ命を落としても仕方ないと思い続け、馬超を討つ覚悟をした時に命を捨てる覚悟をしたはずなのに実際はどうだろうか。一度、自分が次に殺されると思えば死を恐れている。生に醜く執着しようとしているではないか。


「韋康様。長安の夏侯淵様に要請する援軍の事なのですが…顔色が優れませんが如何致しました?」


 そこで漸く韋康は、顔色が悪くなるほど考えていた事も追い詰められていた事にも気づいた。額には冷や汗が滲んで、楊阜に呼ばれて顔を上げた際に雫が落ちて気づくという有り様である。


「楊阜……」


 この男は聡明で頭もいい。この男なら察してくれるやも知れない。


「韋康様?」

「……儂は、馬超に降伏をしようと思う」


 どう足掻いても馬超には勝てない。援軍が来ないこの状況では更に勝てないのはわかりきっているのだ。それどころか馬超に抵抗をし続ければ自分の死期を早めるだけではないか。あの男の目的が兵力と根城ならば素直に明け渡してしまった方が被害を出さずに済む。


「なりません。馬超に降伏をしてはなりません!!」


 普段、韋康の前で声を荒げる事のない男がこの時ばかりは声を荒げた。その声は戸を閉めているとは言え、外まで聞こえてしまうのではないかというほどの大きさで韋康も思わず目を見開いてしまったくらいである。


「韋康様、早まらないで下さい。これでは馬超の思うつぼではありませんか!?」

「しかし…。閻温はこの城を出て殺された・・・あれは儂に対する警告だったのだ・・・あの男は間違いなく次は儂を殺しにくる……」


 今から降伏を申し入れ、和議を結ぶ手配をすれば命は助かるかもしれない。馬超だって無駄な労力を今ここで割きたいとは思わないだろう。和議を結べば―――。


「あの男が和議を受け入れると思いますか!?和議を反故にしてくるに違いない……。韋康様、まだ決断を早まらないでください……」


 ここで粘ればきっと長安から援軍が来るはずなのだ。いや、来てもらわなければ困る。その望みが潰えていない以上、韋康にはしっかりとしていてもらわないといけないのだ。援軍さえ来れば馬超如き―――。


「わかった……もう暫くだけ待ってみよう。くれぐれも馬超を刺激しないように」

「心得ております」


 閻温の件ですっかり韋康は戦意を喪失している。こんな姿を他の郡太守はもちろんだが誰にも見せられない。それこそ、馬超に好機を与える事になる上に城内から離反する者も出るだろう。そうなれば冀城は完全に終わってしまう。


「なんとしてでも早急に馬超を討たねば」


 事態は刻一刻を争うことになっているのだ―――。



***


 あれから数回に渡り長安への援軍要請をあらゆる手段を使って出しているのだが、何一つ返って来る気配がなかった。返事だけではない、その仲介役となった相手もぱたりと行方をくらましている。

 真っ先に疑うべきは馬超なのだが、特に目立った行動も見らない事から彼が直接手を下しているという事はないのだろう。兎にも角にも、援軍がまったく来ない状態は着実に韋康の精神を蝕んでいったのは目に見えていた。


「楊阜よ、やはり降伏を申し出た方がいいのではないか?」


 その日、韋康はまた『降伏』を口にした。声音からは以前のような覇気は感じられなく、表情もだいぶやつれたように感じる。


「韋康様、もう少しだけ―――」

「そのもう少しは後どのくらいなのだ!?援軍が来る気配も無く、いつ殺されるかわからない恐怖を味わうくらいならいっその事、降伏をし和議を申し出た方がましというものだ!!」


 それは今の韋康の本音だったのだと思う。待っても来ない援軍を待ち続け、その間ずっといつか殺されてしまうのではないかという恐怖に耐えなければいけないという苦痛。それが限界を超えたのだと思う。

 しかし、だからと言って降伏と和議を認めるわけにはいかない。あの馬超がそれをすんなり受け入れるようにはとても見えなかった。


「韋康様。援軍はきっと来ますから…ですから」

「もうその言葉は聞き飽きた。儂は馬超に和議の申し入れをする」

「韋康様!!」

「誰か馬超に和議の申し入れをする事を伝えてはくれないか」

「なりません!馬超に和議の―――」

「楊阜。儂は疲れた……。来ない援軍を待つことにも死への恐怖も」


 そこまで言うと韋康は備え付けてある椅子に腰を下ろし、頭を垂れた。心底疲れ、一つの決断をしたことに肩の荷が下りた心地なのかもしれない。

 韋康の言づけを受けた者は馬超の方に行ってしまったので今から追いかけるのはもう不可能だろう。ならば、一番期待できない事に望みを託すしかなかった。


***


「馬超殿、そこに掛けられよ」

「……」


 意外にも馬超は韋康からの和議の申し入れを受け、今こうして和議を結ぶために両者が顔を直接合わせ、正式合意をしようとしていた。

 促されるまま座る馬超は特に何をするわけでもなく静かで、今まで自分たちが何を恐れていたのか疑いたくなるようなものだった。

 時々、傍らにいる従弟と耳打ちするような仕草は見られたが、別段、問題になるような行動は見られなかった。


「では、ここに両者の署名を」

「その前にいいか」


 書面にての和議を交わし、互いにそこに同意を示す署名をすれば何の問題も無く終わるという時だった。

 それまで静かに座っているだけの馬超が口を開けた。


「馬超殿、何か?」

「この和議は韋康殿の降伏を以てしての和議で間違いないか?」

「……間違いはない」


 重々しく答える韋康を見据える馬超の口許が少し笑ったように見えたのは楊阜の見間違いではなかった気がする。咄嗟にこの和議の為に集まった郡太守を見たが、誰もその些細過ぎる変化に気づいた者はいなかったようだ。


「では、この冀城の城門を今すぐ開聞して頂けないだろうか?」

「いいや、城門を開ける必要はまったくないはずだが、馬超殿?」


 韋康が馬超の要求に答えるよりも早く、楊阜が答えると目の前の男の眉間が一瞬だけ険しくなった。城門を開ける必要がある何かを隠していると考えていいのかもしれない。

 言い返される前にさらに馬超を問い詰めようとした時だった。


「城門を開けてやれ……」


 韋康の重々しい言葉が部屋全体に響いた。決して広くはない部屋で、互いの距離が対して空いてもいない空間で韋康のその一言がやけに重々しく響いた。

 それと同時に馬超と韋康の隣にいた楊阜の表情は対照的なものとなった。


「韋康様!城門まで開ける必要など・・・っ!」

「それは俺たちにまだ敵意があるという事か?」

「敵意も何も、我らは貴様たちを受け入れこの冀城に入れたではないか!?」


 お互いの思惑がどうであれ、何も事情を知らない者が見れば戦いに大敗し逃げ延びた馬超を手厚く招き入れたという構図なのかもしれない。ただこれはあくまでも、『何も事情を知らない者』という条件が付いてしまうのだが。


「よく言う。冀城でこの俺を葬り去ろうとした輩が恩着せがましい」


 吐き捨てるように言うと馬超はその場に立ち上がった。そして少し遠いが何やら騒がしい音が各所から聞こえ、こちらに段々と近づいて来ている気がする。


「一体……」


 音が徐々に大きく騒がしくなっていくにつれて、それが金属同士のぶつかり合う音や叫び声だったりするのがわかる。これではまるでこの城が襲撃にでも遭っているような―――。


「馬超殿はここか!?」


 勢いよく戸が蹴り破られるのとほぼ同時だった。数人の武装をした男たちが部屋になだれ込み、先頭の男が馬超の名を口にしたのは。


「援軍、感謝する楊昴殿」

「援軍だと・・・?」


 馬超ははっきりとそう言った。和議を結ぶこの日に援軍をわざわざ派遣をし、この部屋まで来るまでにどうやらなかなか派手に暴れ回ってきた事を踏まえるとどうやら和議を結ぶ気はさらさらないと言ったとこではないだろうか。


「ば、馬超殿これは・・・」

「見ての通りだが?」


 突然の出来事で混乱する韋康に馬超はいつになく冷ややかな眼で韋康に簡潔に答えた。


「我ら、和議を結ぶ約束を―――」

「知らんな。俺をずっと殺そうとしていたのは知っているが」


 馬超はその整った顔で笑って見せた。ただ眼だけは笑っていなく、双眸の翡翠と紺碧が混ざり合ったような色合いは陰を落としじっと韋康の方を見つめている。

 その双眸に見つめられ、いや睨まれていたが正確か。とにかく、その双眸を見ているとじわりじわりと追い詰められているような感覚に息苦しさを感じていた。


「……馬超!貴様、和議の約束を反故にするつもりか!?」


 あれだけ戦意を喪失し、周囲の反対を押し切ってまで馬超と和議の申し入れをすると言い張った人物とはまるで別人だった。

 声を荒げ、きっとすぐに視界に入ったであろう装飾品の剣を掴むと何の躊躇いもなく馬超へと斬りかかった。

 避けようと思えば避けられるが馬超はあえてそれをしなかった。それはこの自ら和議を反故しに来ている男が憐れに感じたからではなく、どうせその剣では自分は斬られないという確証があったからだ。

 時間にしたらほんの一瞬。斬りかかる韋康とその対象である馬超の間に人影が入り、盛大に血しぶきが舞い、何とも言いようがない断末魔が部屋中に響いたのは。


「助かった、楊昴殿」

「……いえ。殺されそうになった貴殿を助けるのが私の仕事だ」


 振り向いた楊昴は全身に韋康の返り血を浴びていた。あの至近距離で手加減も無く斬ればそうなるのも当たり前だろう。間違いなく韋康も即死だ。


「楊昴殿、すまないが残りの連中を縛り上げるのを手伝ってくれないか?」

「それくらいならば」


 韋康を手に掛けたことはどうやら不本意だったようだ。どうせならば、残りの連中をこの場で殺害してしまう事も考えたが、馬超は一先ず踏み止まった。

 韋康をこの場で殺害できた事は大きい。それも自分が直接手に掛けたわけでもないからなおさら都合がよかった。


「従兄上、いいですか?」


 それまで事の成り行きを見守っていた馬岱が馬超を呼んだ。楊昴に後を任せ、馬岱と共に部屋を出ると外は思いのほか騒々しく、冀城内の韋康の配下と楊昴の部隊、そして馬超の配下が入り交じっていた。


「わざとですよね?」


 それまで黙っていた馬岱が静かに口にした。眼下に広がる光景から少し先を歩く馬岱に視線を移せば、こちらを見るわけでもなく真っ直ぐと正面を向いて従弟は歩いていた。


「わざとって何が?」


 仕方がなく馬超は背中に向けて答えたがそれは答えと呼べるものではなく、ただ疑問に疑問をぶつけたものだった。

 互いに聞きたい事もわかっているし、その答えもわかっている。それなら説明をわざわざするのは億劫でしかない。少なくとも馬超はそう考えていた。


「・・・・・・最初から楊昴に韋康を殺させるつもりだったのでしょう?」

「もちろん。何の為に張魯に援軍なんて頼んだと思う?こっちの兵力を温存させておきたいに決まっているだろう?」


 冀城に来た時から決めていた事なのだろう。張魯と同盟を結び、援軍をよこす約束を取り付けその援軍に来た将に韋康を含めた自分を葬り去ろうとした全員を始末させる。自分の手を汚すことなく、この冀城を掌握できる算段になっていたのだろう。


「岱。もしかして俺のやり方が気に食わないのか?」

「……そんなはずないでしょう。私は従兄上の一番の味方ですよ?」


 そこで漸く馬岱は馬超の方に振り向いた。


「そうだよな。俺とお前しか一族の生き残りはいないのだから」


 視線の先の馬超は笑っていた。

 整った顔立ちだからこその綺麗な笑みなのだが、良く言えば綺麗過ぎて怖く、


「俺を裏切るなんてしないよな」


 すれ違う時に耳元で、馬岱に聞こえるくらいの声量でぽつりと言われる。聞き慣れた声色がいつまでも奥底に纏わりつきいつまでも反芻している。

 完全にすれ違う前に視界の端に入り込んだ馬超の表情にさらに息を飲む事になる。表情は笑っているのに、眼は少しも笑っていなかった。

 紺碧と翡翠色が混ざり合う色合いの双眸は深く陰を落とし、かつての馬岱が知っているような輝きは一切なかった。


「あ、従兄上っ」


 そのまま通り過ぎようとする馬超を馬岱は呼び止めたものの、何を言っていいのかわからなかった。ただただ、恐怖しか感じられない。でも何か言わなければ、もしかしたら次は―――。


「岱は殺さない、大事な家族だから」


 普通ならその言葉に安心を覚えたのかもしれない。しかし、馬岱が感じたのは安心とは程遠く、暗く重たい感情だった。

 きっと、馬超を裏切れば今みたいに笑って、なんの躊躇いもなく殺されてしまう。


「私は、貴方を裏切る事なんてできないのに……」


 か細い声は背を向け歩き出した馬超に届くことは無かった。ただ、行く宛てもなく回廊の静けさに溶け込んでいった。


***


 楊昴の援軍もあり、冀城内での韋康が首謀となって決行されようとされていた馬超の殺害も未遂に終わった。尤も、楊昴の援軍は元より仕組まれたことだったので自分の殺害計画を逆に利用して冀城をまんまと手中に収めたわけなのだが。

 その騒動から数日と経たないうちだった。

 冀城にてそれは行われようとしていた。身動きが取れないように縄で縛りあげられ、視界を奪うようにしっかりと目隠しをされている。

 それが一人や二人ではなく数人にわたり、横一列に座らされていた。それが韋康を筆頭にした馬超の殺害計画に加担していた郡太守らだと気づくのに、さほど時間はかからなかった。それは冀城にいた韋康の配下たちも気づいたようで、悲鳴やら嘆く声。馬超に対する罵声やらも飛び交い始めていた。

 暫しの間、馬超はそれを何の感情も込めない、興味がないような物を眺めるように見ていたが唐突にぽつりと一言だけ口にした。


「殺れ」


 直後、一列に並べられた郡太守らが悲鳴―――断末魔を上げ、次々と様々な得物で決して屈強とは言えない身体を貫かれていった。中には、即死には至らずに嗚咽交じりの声をいつまでも漏らす太守もいた。

 目の前に広がった光景に集められた韋康の配下たちは悲鳴を上げ、中には堪らずその場で嘔吐する者さえもいた。


「孟起殿、やり過ぎではなかったか?」


 決して眼前から、地獄絵図とも呼べる光景から目を離すことなく、馬超の傍らにいた龐徳が静かに聞いた。


「やり過ぎ?どこが?大人しくしていれば駒くらいには使ってやったものの、俺を殺すなどくだらない事を考えた当然の報いだろう。それに―――」


 視線を馬超の方に向ければ、馬超の視線は真っ直ぐ向いていたが口許が笑っていた。


「残った駒にはいい見せしめになっただろう。そう考えると、彼奴らも役には立ったわけだ」


 まるで日常会話をするかのようなあっけらかんとした口調に目の前の惨劇を生み出した元凶にも関わらず、何が面白いのか声を出さないにしろ笑っていた。

 曹操に復讐する為とはいえ、ここでの行動は逸脱したものを感じる。ここまでしなくても冀城を制圧する事は容易だったはずだ。なのに、何故ここまでの事を馬超はしたのかがわからなかった。


「さて、冀城の主はもういない。それを支えていた中枢となる連中もな」


 すぐ傍ではまだ悲鳴や泣き叫ぶ声が聞こえるというのに馬超の声音は酷く落ち着いていた。そして、馬超がここまでした理由を否応無く知ることとなる。


「この城の主は俺だ。これから韋康の配下だった連中には存分に働いてもらわないとな……その為に殺さずに残しておいたのだから」


 この処刑を『見せしめ』として公開したのも元よりこれから戦うであろう曹操の部隊にぶつけるため。

 逆に馬超に従わなければ、郡太守らと同じように処刑をする。従っても曹操軍と一戦交える時に前戦に送り込む。要する冀城にいた韋康の配下全員は助からない運命にあったのだ。

龐徳は静かに席を外した。

 喧噪からも離れ、血生臭さから解放されてふと思ったのだ。本当に、これは一族の仇を討つための戦いなのだろうかと。



(続)

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