獅子が仄暗い水に沈む時・1

しおんは推しカプ本を書け
@shion_718

それは勝てるはずの戦いを逃したようなものだった。元を正せば疑心暗鬼から始まった戦いだったが、馬騰の嫡男・馬超の勢いは凄まじくこのまま曹操軍を撃破できるのではないかと思い、そこにいた誰もが『勝てる』そう確信していた。

 だが、それは束の間の確信でしか無く、曹操軍にいた賈詡という軍師により馬超と韓遂の仲が劣悪となった。そこからは坂道を駆け下りるが如く、あっという間に劣勢となり撤退を余儀なくされた。


「父上が、殺された……?」


 その報せは馬超に追い討ちをかけるようなものだった。僅かな手勢と共に涼州の地に逃げ延びた彼の元に商人の身に窶した従弟・馬岱が顔色を蒼白にし、単独でその報せと共に

戻ってきた。

 他の者は居ない、ただ独り、馬岱はその報せだけを持ち馬超にそれを告げたのだった。

 父の死だけではなく、二人の弟の死、一族二百人あまりが馬超の反乱に連座する形で処刑されたそうだ。馬岱は運よく処刑される前になんとかこうして商人の身に窶すことでここまで逃げ延びる事ができたが、少しでも判断が遅れれば同じく処刑されていたかもしれない。


「父上…鉄、休・・・」


 もう還らない、願っても一生逢う事のできない家族の名が自然と零れる。身体から力が抜けて、膝を折り俯けば、先ほどまで濡れていなかった地面が大きなシミを作っていく。声だけはなんとか押し殺そうとしているが、時折漏れる嗚咽だけは我慢ができなかった。


「馬超」


 呼ばれる声と共に、振るえる肩に何かが触れる感触がした。目元を擦りながら顔を上げれば、そこには韓遂が傍らに立っている。いつもよりかは和らいでいる表情で声のトーンも下がり、馬超を見る視線は憐みを含んでいた。


「馬騰やお前の一族の事は残念だったが……いつまでもそうしているわけにもいくまい。もう一度、儂と組んで曹操に復讐しようではないか?」

「曹操に、復讐……」


 韓遂が言っている事は至極尤もだ。父、弟を含めた一族が処刑され、危うく従弟の馬岱も処刑されるところだった。あの時、処刑された者たちは無念だっただろう。ならば、その無念を晴らすのは生きえ残った者たちの役目になるのではないかと。

 ふと、馬超の中で一つ疑問が浮かんだ。本当に一族か殺されるべきであったのか、と。

あそこで、潼関の地であのまま曹操の首を取れていれば一族は処刑されずに済んだのではないか。曹操を取り逃がし、大敗したのは賈詡の離間の計に嵌ったからではないか?そう、今、目の前にいる男があんなちんけな策に嵌りさえしなければ曹操の首も取れて一族が、父と弟が処刑される事もなかったのではないかと。


「馬超?」

「……韓遂殿、俺たちが大敗した理由はなんだ」


 自分でも驚くほど静かな声だと思った。体中の血液が沸騰しそうなほど煮え立っているのに、頭の中が急にすっきりとしている。韓遂の返答次第では、馬超の中で明確なものが得られる気がした。だから韓遂は答えなければいけない、自分が立ち上がる為に―――。


「……賈詡の策に嵌ったのが一番大きいのではないか?」


 唐突な馬超の質問に韓遂は言葉を選び簡潔に答えた。声音は落ち着いている。だが、馬超を探っているようにも見えるあたり、彼自身も馬超のこの質問の真意はわからないといったところなのだろう。


「そうだよな、あの策に嵌ったから……だから取り逃がしたのだ。あともう少しのところまで曹操を追い詰めたのに、取り逃がして、俺の一族は処刑された……」


 さっきよりも体中の血液が煮え立っている。

 身体が熱くて、熱くて、仕方ない。

 そりゃあ、そうだよな。曹操以外の敵が目の前に居れば。


 すっと頭の中や心の中でずっと引っかかっていたものが取れたような気がした。もやもやしたものが消えて、馬鹿らしいくらいに視界が良好。なんでこんな簡単な事がわからなかったのかと思うと、さっきまで泣いていた自分に吐気がした。


「俺は、俺の一族を死に追いやった奴らを全員、許さない」


 もう一度、顔を上げればそこにはまだ状況が飲み込めていない韓遂が見下ろしている。『また一緒に』なんて戯言を言うくらいなのだから、わかるはずがないのだ。

 一つ、ゆっくりと呼吸を吐くと馬超は携えていた剣を韓遂の腹部に深々と突き立てた。できるだけ深く、致命傷になるように。


「ぐはっ……馬超、貴様……気でも触れた、の、か……?」

「気が触れた?そんな理由あるか……。俺は復讐の手始めに韓遂、貴様を葬るだけだ」


 韓遂の腹に刺さる剣を力任せに引き抜けば、押さえるものが無くなった事で血が止めどなく溢れ地面へと吸い込まれていく。

 韓遂自身は支えを失い、ふらりとよろけたが腹の傷を手で抑えながら何とか持ち堪えていた。

 呼吸は浅く、額に汗を滲ませ立っている事もやっとであろう。なのに韓遂は馬超を睨みつけ、目を離そうとはしない。


「流石、韓遂殿。それだけ血を流しても立っていられるか」


 呆れ半分に皮肉を込めて言えば、韓遂の表情が憎々しげなものに変わる。

 それで威嚇でもしているつもりなのかと、追い討ちをかけるつもりで口を開きかけ馬超は止めた。


「馬超、貴様……ここで」

「殺してやる、か?」


 空いている方の手で剣を抜き構える韓遂の捨て台詞の続きを口に開くと、当の本人はさらに憎々しげな表情を深めた。

 当てられた事が気に食わないのか、それとも馬超が涼し気な顔をしているのが気に食わないのか、はたまた両方なのか---そこまでは流石に馬超も予想出来なかったが、韓遂が気分をさらに害したのは間違いない。


「お前の復讐相手は曹操であって、この儂ではないだろうがっ!!」


 咆哮と共に韓遂は剣を頭上へ振り上げ、未だ流れ出る血を気にする事もなく真っ直ぐに馬超へと向かってきた。

 韓遂へ浴びせた最初の一撃は、態勢が良くなかったとは言え決して浅い傷ではないはず。怒りが痛みを凌駕したという事なのか?それでも、別に怪我が治ったわけではないのだ。所詮は一時の動きでしかない、避ける事も迎撃する事も造作もなかった。


「確かに、最終的には曹操を殺せばいい。でもその前に貴様を始末する……あそこであんなちんけな策に嵌らなければ、曹操は倒せた!!」


 真っ向から韓遂の刃を受け止め、堰を切ったようにぶち撒ける。

 あの時、韓遂が離間の計に嵌っていなかったら曹操は倒せた。

 たとえもう一度ここで復讐のために手を組んだとしても、今度は本当に裏切られるかもしれない。ならば一層、ここで不安要素は根絶やしにしてしまえばいいだけのこと。


「貴様とて、策に嵌っていたではないか!?儂だけの落ち度のようにっ」

「だからなんだ!!前々から貴様は信用出来なかったんだ……あの策が有ろうが無かろうがいつかは曹操に寝返っていたのではないか!?」


 あるかもしれないし、無いかもしれないの憶測でしかない。ただ今は単純にこの男を『大義名分』で葬る理由が欲しかった。

 その『大義名分』さえ見つかれば、これは合法的に韓遂を始末できるという事なのだ。


「この小僧が……っ」


 吐き捨てるような言葉と共に韓遂の剣の重みが増した。それに合わせて腹の傷口からまた血が溢れる。

 長くはもたない。これは韓遂自身も分かっていての攻撃なのか。


「韓遂、貴様はその小僧に負けるんだ!!」


 まだ無傷の馬超ならこの火事場の馬鹿力を一瞬だけ凌駕できる。

 元よりずっと刃を重ね鍔迫り合いをしているつもりはなかった。先に韓遂が仕掛けるのであれば好都合。どう抗っても最初の一撃を喰らった韓遂に勝ち目など存在しないのだ。

 刃に力を乗せ、思いっきり弾く。その弾みで韓遂が仰向けに倒れるであろう事は想像できていた。

 馬超は間合いを詰めると、剣を勢いそのままに一気に振り抜いた。

 韓遂の断末魔とも取れる声と共に、剣を握っていた腕が宙を舞い、彼自身は仰向けに倒れ込む。

 数歩手前に馬超は膝を付いて乱れる呼吸を必死に整えようとした。視界にはピクリとも動かない、韓遂だったもの。鼻につく鉄の臭い。剣を通して残る、肉と骨を絶った感触。

 どれもこれも生々しいくらいに感触が残っていたが、随分と冷静で落ち着いて居られた。


「従兄上……」


 それまで自分と韓遂の声しか聞こえなかったが、ここに来て漸く馬岱の呼ぶ声が聞こえた。


「そんな顔をするな。仇の一人を討ち取っただけだぞ」


 そう、一族の敵の一人を葬っただけなのだから何一つ間違った事はしていない。

 なのに、何故従弟はそんな悲しそうな表情をするのか理解が出来なかった。


「貴方がそんな事をする必要は無かったのに……」


 消え入りそうな声で言うものだから危うく聴き逃してしまうところだった。

なら誰がやるというのだ?馬超以外、いないだろうに。


「岱。復讐しよう」

「復讐?」

「あぁ。一族を滅ぼされた復讐を……邪魔をする奴は全員、葬り去ってやるんだ」


曹操だけじゃない。邪魔する奴らは全員、この世から消してしまえばいい。


「一族の無念は俺が晴らす」

「……従兄上、着いて行きますよ、どこまでも」


従弟はそれ以上、何も言わなかった。しかし、馬超はそれだけで十分だった。この従弟は絶対に付いてくるのはわかっていた、いや。付かなければいけないのだ。


「まずは根城が必要だな。そこを拠点に立て直す……そうだな、ここからなら冀城が近いか」


人生最大の絶望を味わったのだ、今度は味わせる側にならないとな―――。




(続)

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