冬の匂い

かむ
@kamkrg

春が来る前に

 之定の機嫌はころころ変わる。趣味に興じてにこにこしていたかと思いきや、急に眉を吊り上げ早口で愚痴を捲し立て始めたりする。それを黙って聞いていると、またふと口をつぐみ神妙な顔をしてこちらの様子をちらりと伺ってくる。それで? と先を促すと、ふいに暖かくなった日の桜のようにパッと花が咲く。ただ、よほど虫の居所が悪い時には聞いているのかと先に怒られるのだが。


 昨夜から降り続いていた雪が積もり、今日も障子窓の外を真っ白な景色に変えていた。

 しかし布団の中は十二分に暖かい。同田貫は目を開いた。案の定、柔らかく温かいものがぴったりと自分に寄り添い気持ち良さそうに寝息を立てていた。ふわふわとした花のような良い香りがする。

 本当に、この匂いはなんなのだろうか。ひどく蠱惑的だ。同田貫は雅と言うものを理解することはできないが、匂いの良し悪しはよく分かった。これは好いものだ、しかし危険でもある。紫の毛玉に鼻を突っ込んで息を吸い込むと、部屋の外の何もかもがどうでもいい気分になって頭がぼんやりとしてくる。虫を捕らえて食らう花の餌食になっている気分だ。でもこの発想は多分ミヤビじゃねえな、と思う。何が雅かは分からないが、あまりにも怒られるので、雅でないものの方は段々分かるようになってきた。


「ん……」


 寝息とも寝言ともつかない妖しい声が毛玉から漏れ聞こえてくる。同田貫の背筋がゾクりと粟立った。その口の奥にある血のように赤い舌をとって食って吸い上げたい衝動に駈られるが、起こしてしまうので我慢する。

 もさもさと覆い被さっているたっぷりとした前髪を適当にかき分け、顔を露にする。まだ朱の乗っていない白い目尻から頬骨の上あたりを親指でなぞる。ふっくらと弧を描く頬肉を少し押してやると指先が埋まる。餅のように柔らかくて可笑しい。刀であるということを忘れそうになってしまう。

 同田貫がこうして自分から好きなように触れられるのは、この男が大人しく眠っている時だけだ。覚めている時には逃げられる。自分は手慰みに人をつついて遊ぶくせに、こちらから手を伸ばすとすっとんで逃げるのだ。どうやら、恥ずかしいらしい。知らぬ人には不遜とも取られるかもしれない態度の大きさも、実のところは大変な照れ性であることの裏返しなのだ。難しい男である。


 歌仙はまだ目を閉じている。しかしよく見れば目蓋が微かに震えているので、どうやらほとんど起きているようだ。目を開く機を逸したのだろう。同田貫も初めのうちこそ愛で触れていることに気づかれれば気恥ずかしく、すぐに手を離して起き上がってしまったものだった。しかし奥手というには少々気ままが過ぎる男の大げさな照れっぷりを見ているうちに、今や己は慣れて冷静になり、恥じて身動きが取れないのならこれ幸いと、普段振り回されてばかりの分を存分に悪戯し返すのだった――限界を超えて怒られるまでは。

 どん、と強めの衝撃を胸に受け、同田貫は思わず痛えとこぼした。西瓜か林檎かというような顔をした歌仙が眉を吊り上げ口を引き結び、鋭いが潤んでぼやけた視線を同田貫に投げつけている。同田貫は鼻の奥から小さな笑いが漏れ出るのを隠せなかった。


「おはようさん」

「……この助平たぬき」

「あ? 何が?」


 分かりきっていながらしらを切った。歌仙は抗議したげにパクパクと口を動かしたが結局何も言わなかった。何せ、人の布団に勝手に這って入ったのは歌仙の方だ。最初から、ずっとそうなのだ。

 歌仙は視線をそらし、これもまた同田貫から勝手に奪いとって使っていた枕に顔を伏せた。

 薄紫の波間に覗く耳の先もまたほんのりと色を帯びている。誘われるようにその縁を指で辿ると、いやいやと言うようにゆるりと頭が左右に振れる。しかし、それでこちらが触れる手を止めると歌仙はじっと動かなくなり、何らかの意図を含んだ沈黙を返される。

 同田貫は手を大きく広げて波打つ紫をもしゃもしゃと撫でた。すると歌仙は枕に埋もれていた顔を少し同田貫の方へ向けて見せた。ほんのわずかだが微笑んでいる。「正解」だったようだ。

 皮肉、謎かけ、天邪鬼。あるいは、文学的表現。歌仙が口から言葉で発するものの意図を掴むのは、同田貫にとってはどうにも苦手なことだった。なぜ好きを嫌いと言い、欲するものを欲しいと言わないのか。理解が及ばない。だから黙り込んで言葉のない歌仙は、むしろ分かりやすいのだ。

 僕を甘やかせ、と絶対に口にはしないだろう望みを、確かにその目その仕草に感じる。同田貫がそれを察してくれるだろうことをほとんど確信しているが、少し不安を残してもいる目。見事望みを叶えてみせた時の何とも嬉しそうな顔が、もはやくせになっていた。いつも違う違うと叱られてしまうから、誉めてもらえることが嬉しい。


「う、……ッ、クシュン」


 抑えられなかったくしゃみに眉をひそめつつ、同田貫は指で鼻を擦った。歌仙がもそもそ動き回ったせいで掛け布団が巻き取られており、いつに間にか背中が外気に晒されていた。


「寒いのかい?」


 歌仙は布団に手をつき体を起こした。掛け布団まで奪いとっていたことに気づき、ごめん、と恥ずかしそうに呟いた。同田貫も体を起こし、ぐぐ、っと大きく伸びをした。


「また雪だぜ。けっこう降ったみてえだな」

「そうか、どうりで冷えると」

「ああ。あー、起きるとするか」

「うん。おはよう、正国」


 機嫌はすっかり良いらしい。

 人前では決して呼ばない名で呼んで、呼ばれた方より面映そうに微笑んだ。


 当番着を手早く身につけた同田貫が日課を終え、戻ってきた頃には歌仙も着替えを済ませていた。部屋の戸を引く音に、鏡に向かっていた歌仙が化粧筆を手にしたままくるりと振り向く。歌仙は当番着ではなくきちんと装束をまとっていた。


「非番じゃなかったのか?」

「ああ、主に使いを頼まれたんだ。その他は何もないよ」

「ふうん」


 せっかく揃って非番なら手合わせの一つでも頼もうかと思っていたのに。当てが外れた同田貫は、そんな小さな不満が顔に出たのか歌仙にくすくすと笑われてしまった。


「早めに戻るよ。それよりも」

「ん?」

「きみのその格好、今日はさすがに寒くないかい」

「んーまあ、多少は寒ぃけど別に……」

「そうだろう! だったら是非これを着てくれ、ほら」


 歌仙がいそいそと取り出したのはふっくらとして温かそうな羊毛のセーターだ。もこもことして柔らかく手触りが良いが、正面に何やら可愛らしい顔のような模様が織り込まれており、その柄はどうにも短刀向けなのではないかと思われた。同田貫はいやそれはちょっと、別に平気だし、とあれこれ言い訳しながらじりじり後ずさったが歌仙の意志は固く、あっと言う間に間合いを詰めて頭からもっふりとセーターを被せられてしまった。


「ぐう……」

「ふ、ふふ、あはは、可愛い、よく似合っているよ!」


 歌仙はころころと笑い声をあげて大喜びだ。そんな顔をされては無下に脱ぎ捨てることもできやしない。同田貫は深く息を吐いて後ろ頭をごりごりと掻きむしった。


「ああ、この柄にして本当に良かった! あっ、僕が戻るまで絶対に脱いでは駄目だからね、分かったね? 」

「へいへい」

「行ってくるよ」


 そうして歌仙は慌ただしく出かけて行った。


 さてどうしたものか、こんなもふもふとした衣服を着せられていては体を動かすことなどできそうにない。遅めの朝食をとってしまえば後は暇をもて余すだけとなった同田貫は、漫画でも借りてこようかと思い立ち、再び部屋を出た。主に一部の脇差と打刀が買い集めている漫画棚は非番の刀たちに人気の暇つぶし場所のひとつだ。最近、部屋に炬燵を設置した者があり、ますます溜まり場になっている。

 たどり着いた部屋ではやはり炬燵が満員御礼状態だった。御手杵がみかんを頬張りつつ、隣で鯰尾が読んでいる週間漫画誌を覗き見している。その正面に居る乱は少女漫画の長いシリーズを端から読破しているし、残る一つの、戸から近い手前の席では信濃が突っ伏してぐうぐう眠っている。


「おー、同田貫〜」


 御手杵がみかんをつまんだままの手をふらふらと振り回した。それにつられて鯰尾と乱も顔を上げる。


「ああっ、なあにそのセーター? カワイイ〜!」

「んぶふッ、たぬきさんがたぬき着てる」


 乱が目をキラキラとさせてセーターの模様を指差した。鯰尾は何かのツボに入ったらしく、ぐふ、とかんふ、とか変な笑い声をあげ続けた。


「たぬき……だったのかこいつ」


 言われてみれば顔に特徴的な黒い模様が入っている。デフォルメされたキャラクターイラストなのでよく分かっていなかった。

 たぬき。同田貫から同と濁点いっこを取っ払い、人を化かすがどこか憎めないあの小動物と同じ名前があだ名として定着してしまった。どこから広がったかというと彼のにっかり青江である。

 短い可愛い呼びやすいが三拍子揃ったあだ名は特に短刀たちに大ウケし、もはやそう呼ばない短刀は細川の小夜左文字くらいのものだ。


「え、分かってて選んだんじゃないんですか? んふふふッ」


 鯰尾はまだ笑っている。


「着てろって言われたから着てるだけだ」

「はえー……誰に?」

「歌仙」


 歌仙かあ、仲良いなあ、とふわふわした声で御手杵が呟く。その傍らで乱がせっせと信濃を押して移動し同田貫が入るスペースを作ってくれていた。


「はい、どーぞ!」

「あ、ああ悪い」


 長居する気はなく本だけ借りていくつもりだったが、わざわざ席を準備されてしまったので適当に棚から一冊引き抜き炬燵に入った。そして信濃が積み上げて遊んでいたとおぼしきみかんの塔から同田貫も一つ頂戴して皮をめりめりと剥いた。阿呆になりそうなほど平和だが、まあたまには良いかと最近は思う。


「たぬきさんって歌仙さんと仲良いんだ?」

「良いっつうか……」


 宝石のように青く輝く乱の目がじっと同田貫を見つめてくる。良いというか、良いどころではないが……別に隠したい訳ではないが聞かれてもないのに自ら進んで公言するのも何だかおかしい。同田貫は適当に言葉を濁しつつみかんをもぐもぐ咀嚼してごまかした。


「たぬきさん、来た時から歌仙さんとずっと相部屋ですよね」


 鯰尾は顕現が早かった方なので増築前の城を知っている。乱が来たのは増築直後くらいだった。


「そぉなんだあ、知らなかったー」

「前は部屋少なかったもんなー。俺も槍同士で蜻蛉切と相部屋だったんだぜ。めっちゃくちゃ狭かった」

「あはっ、すごい想像つく!」


 言いながら乱は立ち上がり、「お茶いる人ー?」と呼びかけた。御手杵と鯰尾が揃って「はぁい」と手をあげた。同田貫は何も言わなかったが、乱はしっかり五つ湯飲みを用意してきてくれた。

 ありがたく茶をすすりつつ、時間がまったりと過ぎていく。各々手元の本に戻って会話もなく静けさが続いた。が、そんな折。


「ふがっ」


 熟睡していた信濃が突然ガクンと震えて目を覚ました。もそもそと動いた信濃の手が、隣に座る同田貫のセーターに触れた。


「は……懐の気配を察知!」

「は?」


 寝ぼけているのかいないのか、信濃は驚きの速さで猫のように身を翻し、同田貫の懐めがけ、それは器用に飛び込んだ。


「ちょっ、おい!」

「ふへー何これふかふかー! アンゴラ? アルパカ? カシミヤ?」


 信濃はたぬきの顔あたりに頭を突っ込みもふもふもふもふと毛の手触りを楽しんでいる。


「いやぁウールでしょ」

「信濃、お茶飲む?」


 兄弟たちの反応もおかしい。その前に言うことはないのかと思うが、まあそれだけよく見る光景なのだろう。


「あ、たぬきさんじゃん」

「相手も確かめずに飛び込んだのかよお前」

「そこに懐があったので」

「敵だったらどうすんだ」

「それくらい分かるよぉ、それに敵だったらこのまま斬ればいいだけだし」


 それもそうか、と納得してしまった。信濃は秘蔵ッ子甘くみないでよねーなどと得意気だ。


「いいなあいいなあセーター最高」

「お前が頼めば誰かは着せてくれんじゃねえの」

「着たいんじゃなくて着てる人の懐がいーの。大将もこういうの着ないかな」


 あー、と御手杵が相づちをうつ。


「あの人和服派っぽいもんな。そういえばあんまりこういうの着てないな」

「そーなんだよー」


 信濃はがっくりと項垂れて、また同田貫の懐に埋もれた。同田貫はもはや面倒になり、信濃を膝の上に放置したまま読みかけの本に手を伸ばした。

 それでまた再び静寂が訪れる、ように思われたのだが。


「ん?」

「誰か来るね」


 鯰尾と信濃が同時に呟いた。

 廊下をやや早足で歩いてくる足音。その重みはおおよそ打刀のそれだ。とんとんとん、と刻まれていた足音は予想通りこの部屋の前で止まったが、戸が開かれるまでには何故か少し間があった。


「あ、歌仙さん」


 乱の言葉に、同田貫は戸の方を振り返った。

 同田貫と目があった歌仙は、あっ、という顔をした。そして一瞬笑みを作りかけたのだが、その視線がコアラのように張り付いている信濃を捉えると、非常にわずかだが表情が固まったのが同田貫には分かった。


「よー、どうした歌仙。出掛けてたのか? なら休んでいったらどうだ、暖かいぞー」


 眉を下げつつ、こいこいと手招きする御手杵に、歌仙は今度こそちゃんと微笑みながら首を横に振った。


「いや、大丈夫だよ。主の使いで出掛けてね、ついでにおやつを土産に買ってきたから、よかったら食べに行くといい。厨に置いているから」


 そしてそのままついと踵を返して歩き去ってしまった。

 ――まずい。


「俺もう行くわ。おい、そろそろ退け信濃」

「んえー」

「おやつ食べに行くんですか? 俺もいこうかなー」


 同田貫は鯰尾の言葉に適当な返事をしつつ、信濃を剥がして立ち上がった。

 詳しいことは分からないが、どうやら歌仙の機嫌が降下したらしいことは確かなようだ。損ね始めに直してしまわねば後に尾を引く。同田貫は急いで歌仙を追った。


 幸い歌仙はすぐに見つかった。自室へ戻るのか用はないが適当に他の場所へ行くのか決めあぐね、曲がり角で立ち止まっている。

 しかし、同田貫が「歌仙」と呼びかけたところ、歌仙は慌ててまた歩き出した。明らかに目的地はなく、ただ逃げ出すように。ただし振り切るには到底足りず、けれど追いつかれる覚悟もできていない、という速さで。

 庭に面した廊下には風にあおられた粉雪がちらちら迷いこんでいる。歌仙の白い耳の先と指が冷気に赤く染まっているのが見えた。

 外から帰ったばかりで冷えているだろうに。火にも当たらずこんなところをうろつくのはいけない。風邪をひかせてしまう。

 そんなことを考える同田貫は、暑かろうが寒かろうが何処へでも同じ格好で突き進む普段の己を丸ごと棚上げしていることにも気づいていない。


「歌仙、おい……之定」


 どう呼び掛けても歌仙からの返事はなく、振り返ろうとさえもしなかった。振り返りたくない、というよりは振り返れないという雰囲気だが。


「なあ、おい、怒ってんのか」

「怒ってなどいないよ」


 やっと返ってきた冷静な言葉とは裏腹に、のしのしと踏みしめている足音は明らかに重々しい。


「じゃあ拗ねてんのか」


 歌仙がぴたりと歩みを止めた。


「ちがっ、……違う」


 否定しかけて、やめかけ、やっぱり否定する。これは言葉通りではなく、図星を指したと考えていいだろうか。同田貫は歌仙の言葉を慎重に吟味した。


「俺が何かしたかよ」


 その問いかけに、ついに歌仙が振り向いた。外套のあわせにかかっている指がぎゅっと握りしめられる。

 そして口を尖らせたまま、小さな声でぼそぼそと答えた。


「確かに僕は今気分が良くない。けれど、きみが何かしたせいならとっくに怒っている。別に、きみに悪いところはないよ」


 その頬にはうっすらと赤みが差し始めている。恥ずかしさを隠そうとしている色だ。

 何だか今日は特に調子が良い。歌仙のことが手に取るように分かる。


「俺はどうしたらいい」

「だから、どうもしなくていい。僕が勝手に」

「俺はどうにかしたい」


 歌仙の呟きを遮った同田貫の言葉に、歌仙は目を丸くした。あと一押しだ。


「ただでさえ今日は暇なんだ。だのにあんたがずっとむすくれてるんじゃつまらねぇよ。戦がないのは張りがねぇが、あんたも非番で一日居るならまあいいかと思ってたとこなのによ」


 歌仙はぱちぱちと三度瞬きした。じっと待っているうちに、その目に宿っていた頑なさは徐々に引いていった。


「分かった。じゃあ……腕を、開いて」

「腕?」


 同田貫がこれでいいのか? と首を傾げつつ腕を少し開いてみせると、さっと距離を詰めてきた歌仙がその脇の下に自らの腕をくぐらせ、背中に手を回してぎゅうと抱きついた。


「おわっ」


 同田貫は一瞬よろめきかけ、慌てて腹に力を込めた。

 身長差のせいでわずかながら踵が浮いてしまう。


「あったかい」


 歌仙は手ずから着せたセーターの毛糸にふかふかと顔を埋めて深く息を吸い込んだ。


「これを楽しみに寒い中我慢して行ってきたというのに、帰ってみたらあの子に取られているんだから」

「それで拗ねたのか」

「拗ねてない」


 ぱっと顔を上げ睨み付けてくるが、どう見ても寒さのせいでは足りないその赤い顔で言われても説得力は皆無だ。

 歌仙は再び同田貫の肩口に顔を埋め、冷たい空気を含んだ紫色の髪が同田貫の頬をくすぐった。


「冷えきってんな」


 同田貫が歌仙の髪に指を差し入れると、雪を被ってきたのか少し湿っていた。


「出た時は晴れていたのだけど、帰り際急に吹雪いてきてね」

「そうか。ご苦労さん」

「何てことないさ……ふふ」


 歌仙が小さく笑った。

 歌仙は腕の力を緩めて同田貫から体を離した。しかし手は腰の後ろで結んだまま離さない。何だこの体勢は、と戸惑う同田貫を尻目に、歌仙はにこにこと満足そうな笑みを浮かべている。


「ただいま、おたぬ」


 「き」すら抜け落ち代わりに「お」がついた。可愛がっている短刀とまるで同じ調子で同田貫を呼ぶのは歌仙の機嫌がこの上なく良い時だ。先ほどまでの拗ねた様子はどこへやら。之定心と秋の空だ。

 風に乗った雪の粉がまた一粒、ふわりとやってきて歌仙の頬に張りついた。同田貫は手を伸ばし、掌でそれを拭ってやる。

 どこかで見た光景だ、と同田貫は思った。そう、ついさっき、乱が積み上げていた本から一冊抜いた中にこんなような絵が描いてあった……。

 時を計らったかのように歌仙がそっと目を伏せるものだから、同田貫は全く自然にその頭を引き寄せ、気づけば唇に触れていた。


 と、その時。背後で小さな音がした。

 同時に歌仙がビクッと飛び上がって同田貫を解放する。

 振り向くと曲がり角の影に――乱藤四郎が居た。

 青く透き通った目が皿のように見開かれ、両手で口を押さえている。赤く染まった顔にはまるで「見ちゃった……!」と書かれているようだ。


「え?」

「あっ……!」


 一瞬の間、お互いぽかんと呆けて固まってしまった。

 やがて我に返った乱は慌てて身を翻し、赤みがかった金色の髪をきらきらとなびかせて何処かへと走り去った。


「えっ……どうして……どうしよう……?!」

「別にどうもしなくていいだろうよ」


 歌仙はゆでダコのようになってしまいあわあわおろおろと動転していた。

 同田貫は大きくため息をつき、後ろ頭をごりごりと掻いた。こんなことならあの時はっきり言ってしまえば良かったか。そんなつもりもなかったのに、覗き見られたことで秘密にしていた関係を暴かれたような形になってしまった。何やらむず痒い。


「ああ……ああ! もう今日は部屋から出ない!」

「ちょっ、おい」


 羞恥が限界に達した歌仙は同田貫の腕をひっつかみ猛然と歩き出した。その力強さと来たら尋常ではない。同田貫は足をもつれさせながらずるずると歌仙に引きずられていった。


 なお、乱藤四郎についてはその後、特に何をか吹聴して回るようなことはしなかったが、同田貫と顔を合わせるたびに熱のこもった視線を送ってくるようになり慣れるまでにしばらく時間を要することとなった。

 そしてそもそも歌仙の方があまりにも「色に出ている」ため察しの良いものにはだいたい気づかれているのだった。


 まあそんなことは、同田貫にとって些細なことである。

 本丸においては之定の「言葉」より他に気を配る余裕はないのだから。

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