媚薬編


 菫色の銀騎士が、ほぼ日課となっている紅茶の準備をしにキッチンへと向かう。基本的に身体の鎧とマントは身に着けたままなのだが、細かい作業をするため手甲などの装備品はあらかじめ外していた。

 また、キッチンを担当しているサーヴァントのひとりから、珍しい食材が入荷したと言われていたので、エメラルドグリーンの瞳は期待に満ちた煌めきを宿している。

 銀騎士がキッチンの近くまで来ると、甘く香ばしい匂いが周囲に漂っていた。中に入ると、其れに釣られた子供たちが何人か集まっており、中心部にいた男が顔を上げる。

「……ああ、来たか」

 褐色の肌に無機質な白の髪、引き締まった鍛え抜いた身体の青年が僅かに微笑む。其れに微笑み返して、銀騎士が柔らかく瞳を細める。

「随分と賑やかですね」

「桜の葉の塩漬けが手に入ってね。其れでクッキーを焼いていたら、ご覧の有様だ」

 肩を竦めながらも、青年──エミヤが慣れた手付きで、集まった子供たちに焼きたてのクッキーを一枚ずつ渡す。

「ほら、冷めたらおやつにするから今は遊んできなさい」

「はーい!」

 元気な返事をして、小さな手のひらにのせられた熱いクッキーを冷ますようにしながらキッチンを出て行く賑やかな子供たちを見送ったふたりが顔を見合わせる。

「サクラといえば、マスターの国の花ですね」

「ああ、君は見た事はないのか?」

「知識としては……何時か、見てみたいものです」

 蒼の絵の具を濃く溶かしたような何処までも澄んだ空、辺り一面淡い花色に覆われる幻想的な景色、そして最後には儚く散りゆく花びら。知識として埋め込まれた桜という花は、其の景色は、とても美しいもので──彼の王の髪色に良く映えるだろうと密やかに思った。

「まあ、君に言った珍しい食材だが……桜の葉の塩漬けで作ったものがこちらになる」

 そう言って、カウンターの下から取り出したのは綺麗に切り分けられたパウンドケーキだった。ケーキの上には濃い色の桜の花が添えられており、浅黄色した断面はところどころに刻んだ桜の葉が入っているのか、ふわりと鼻腔を擽る甘い香りは少しばかり独特なものだった。

「よろしいのですか?」

 一本丸々、皿に乗せられた其れを受け取り──驚きの表情を浮かべた銀騎士にエミヤはひとつ頷く。

「先日、貰った紅茶のプディングが美味しかったからな。其の礼だ」

「料理長に褒められるとは……光栄です」

「君まで料理長だなどと言うとは」

 ふっと和やかに笑い合って、改めて感謝を伝えた銀騎士が紅茶の缶を手に取る。

「では、キッチンで作業の残っている料理長に紅茶の差し入れを致しましょう」

「おや、君の淹れる紅茶は美味しいから有難い」

 台の上には生地のままのクッキー、オーブンには焼いている最中のものがある。この様子だと、まだまだ時間がかかりそうだ。

 手慣れた手付きで沸いたお湯を抽出用のポットに入れ、一度捨ててから茶葉を入れて再度お湯を入れる。そして、ティーコジーを被せながら砂時計をひっくり返し──と、其処で銀騎士が何かを手に取った。

「これは……サクラの花、でしょうか」

 とろみのあるブーゲンビリアの花色に似た液体と、桜の花が入った小さなジャム瓶を目の位置まで持ち上げた銀騎士が、エメラルドグリーンの瞳を瞬かせる。

「ああ、其れは桜の花のシロップ漬けだ。其のパウンドケーキにも使ってある」

「シロップ漬け……随分と綺麗な色ですね」

 軽く揺らすと、桜の花がゆらゆらと揺れる。

「ふむ、紅茶に浮かべると美しいのではないか? いくつか在庫もあるし、良ければ持って行きたまえ」

 棚の手前に置いてあった未開封の瓶を渡すと、銀騎士が嬉しそうに微笑む。

「有難うございます」

 もうひとつ温めておいたサーブ用ポットに茶漉しを置き、優雅な手付きで熱い紅茶を注ぐ。其処からカップに注いで、ポットとカップをエミヤの側に置いた。

 そうして、同じ要領で紅茶の入ったポットをもうひとつ用意した銀の騎士が、綺麗な一礼をしてキッチンを出て行く。

 ついでに洗うと言って預かったポットなどを流しに置き、淹れたての紅茶を啜って一息吐いたエミヤは、慌ただしく廊下を走ってくる音に眉をひそめた。

「おぉーっと、君がいたか」

 ゆるやかなウェーブを描く艶やかな髪を僅かに乱して現れた足音の主は、レオナルドだった。頬を淡く染め、華奢な肩を軽く上下させて僅かに開いた小さな唇は艶めいている。其の整いすぎた容貌は絶世の美女そのものであるが、残念ながら見た目だけであるのはエミヤの胡乱げな眼差しを見れば明らかだった。

「廊下を走るのは感心しないな」

「少し急いでいたものでね」

 彼の視線に一瞬物言いたげにするものの、キッチンの中を素早く見回したレオナルドが、エミヤの側にあるジャム瓶を見つけて、顔をほころばせてあったあったと手を伸ばす。

 其れを遮るかのように、ジャム瓶の上に手を置いたエミヤが不審そのものといった表情でレオナルドを見た。

「……これに、何か?」

「あっ……いや……ええっと〜」

 視線を逸らして、しどろもどろの口調になった彼女を見て、鋭い切れ長の瞳がすうっと細まっていく。

「ダ・ヴィンチ女史?」

「ま、まあまあ、別に身体に悪い成分は入ってないよ」

「ほう?」

「あー、しまった」

 語るに落ちるとはこの事か。無言の重圧に肩をすぼめた彼女が、恐る恐る訊ねる。

「これ、何かに使ったりした?」

「パウンドケーキの飾りに使ったが……何の細工をしたんだ」

 よくよく思い返せば、使う前から開封されていた事を思い出したエミヤが軽く額を押さえる。

 迂闊だった。てっきり、他のキッチンメンバーが開封したのだと思って、気にも留めなかった。

「ちょーっと、パラケルススと競い合っていてね……私の調合した媚薬を少々」

「はあ!?」

 何という物をキッチンに置きっ放しにするのか。

 驚愕の表情を浮かべたエミヤは、ふと自身も味見のためにティースプーンですくって舐めた事を思い出して口元を手で覆う。其の動作で察したのか、レオナルドが真剣な眼差しで彼の顔を覗いた。

「何かしら、身体に変化はあったかい?」

「……いや、少なくとも二時間以上は経過しているが、特に何も」

「じゃあ、やっぱり失敗かぁ」

 あーあ 残念そうに伸びをする彼女を眺めたエミヤが、ハッとしたようにキッチンの外を見やる。

「其れを使ったパウンドケーキを、ベディヴィエールに渡してしまったぞ」

「んー、君に変化がないなら大丈夫だと思うよ。変な成分は入っていないし」

「媚薬という時点で変な成分が入っていると思うが?」

「あ、あはは。まあ、とにかくこれは回収していくからねー」

 素早い動きでジャム瓶片手に、十数枚のクッキーを器用にキッチンペーパーに包み、キッチンの外に出て行った姿に深い溜息を吐いたエミヤが首を振った。

「……まったく、何時の間に手を付けたのか。油断も隙もない」

 柔らかな物腰の銀騎士を思い浮かべて、後で謝罪に向かおうと決意した彼は、タイミング良く焼き上がりを告げる機械音に振り向きながら──ふと、思った。

 そういえば、今日は少し身体が火照るな、と。




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