才能と才能

かさい
@luk_macho

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となりの病室から怒鳴り声がしたと思うと、バタバタという足音とともに数人の女の子が出て行ったのが見えた。

ここは静かだ。だからこそ、その音は余計に耳についた。

横の病室の患者は女の子だっただろうか。確かそうだった気がする。ピアノのコンクールで何度も優勝したことがある子だったのに、体に障害が残ってしまってかわいそうだ、と話す看護師の声を聞いたことがある。そういう自分も看護師たちの話題にはなっているみたいだから、人のことは言えないのだが。少し気になって、病室の外を歩いてみることにした。すると案の定、先ほどの怒鳴り声の部屋の主も出て来たところだったみたいだ。松葉杖をつきながら、どこかに行こうとしている。

彼女はこちらに気づくと、俺が横の病室の患者だと分かったようで、頭を下げた。

「すみません、さっき、うるさかったでしょう。」

さっきの怒鳴り声とは別人のような印象の人だった。

「いえ、気にしてませんよ。大丈夫ですか?」

そう言うと、彼女は顔を上げ、弱々しく微笑んだ。

「ええ、ありがとうございます。」

ただ、表情は暗い。それがいつか鏡ごしに見た自分の顔と重なった。もう少し話したいと思ったのは、そのせいだろうか。

「今からどこかに行かれるんですか?もしよかったらご一緒しませんか。」

彼女は急な申し出に戸惑ったようだった。

「あ、すみません。無理にと言うわけではないんですが…」

そう付け加えると、戸惑いはまだ残っているようだったが、

「す、すみません。少し驚いてしまって。構いませんよ、今から屋上に行こうと思っていたんです。それで良かったらどうぞ。」

そう言って笑った。今度は弱々しい微笑みとは違ったら困惑したような笑みだった。

「構いません。行きましょう。手を貸しましょうか?」

彼女の足を見ながら言う。

「いえ、退院したら階段を上らなければならない場面なんてたくさんありますし、大丈夫です。ありがとうございます。」

「そうですか。」

そう言いつつ、一応彼女がよろけたらフォローできるような位置につきながら歩く。今の自分では支え切ることができるかどうか怪しいが、将棋倒しになるなんて展開はあまり考えたくない事態だった。

そんな心配とは裏腹に特に何事もなく階段を登りきり、屋上に出た。あまり来たことはなかったが、風が気持ちいい上に、街が思ったより見渡せる。良い場所だな、と思った。


「ありがとうございます。」


彼女が唐突にお礼を言うので、少し驚いた。


「?えっと、何がですか?」


「さっきから、私に何かあったら動けるような位置についてて下さったでしょう。ですから、ありがとうございます。」


気づかれていたとは驚いた。さりげなくしていたつもりだったのに。


「いえ、勝手に余計なことをしてしまってすみません。

そこのベンチに座りますか?」


謝って、ベンチを指差す。


「余計なことなんてとんでもないですよ。

そうですね、座りましょうか。」


そうして、2人でベンチに座ることにした。はいいのだが、特に話すこともなく、時間だけが流れていく。ここはいつもそうだ、時間がゆっくりと同じように流れていく。

静かな時間を、辛いと思わなかったのはいつぶりだろうか。


ピアノのコンクールで何度も優勝してたみたい。

ーーー連勝してるテニス部の部長だったんですって。

でももう、障害のせいでピアノは弾けないって。

ーーーでも、もうテニスを続けることは難しいみたい、大会も近いらしいけど…。


かわいそうよね。


いつかのそんな会話が頭をよぎった。

かわいそう、という言葉を俺は別に嫌だとは思わなかったが、便利な言葉だな、と思った。


「ここ、結構眺めがいいですよね。」


そんなことを考えていると、彼女が不意にそう言ったので、少し反応が遅れてしまった。


「…あ、そうですね。たしかに。俺、結構長いこと入院してるのに屋上に来たことなかったので、知りませんでした。今思うと勿体無いことしてたなぁ。」


「そうなんですね。私は結構よく来るんです。病室の窓から見た空って、ずいぶん狭く感じませんか?」


そう言われて俺も空を見上げる。そういえば、そうだ。こうしてみるとずいぶん広い空だ。ずっと窓で切り取られた四角い空を見ていたから、こういう風にきちんと空を見上げるのは久しぶりだった。


「確かに、そうですね。空気もいいし、こんな風にちゃんと空を見上げたのは久しぶりかもしれません。」


雲がゆっくりと流れていく。それを見ていると、気持ちがフラットになって、先ほどまでの考えも流れていきそうな気がした。


そうやってしばらく空を眺めていると、また彼女が口を開いた。


「幸村さん、ですよね。」


いきなり名前を呼ばれて少し驚いたが、よく考えれば彼女は隣の病室の人間だ、それくらい知っていても不思議ではない。現に、自分も彼女のことを知っている。


「はい、そうです。あなたはみょうじさん、で合ってますか?」


はい、と彼女は笑った。ショートの髪が風でさらさらと揺れている。


「 ……さっきの。」


ふっと、彼女が呟いた。


「さっきの話し声、多分全部聞こえてましたよね。」


話し声というか、怒鳴り声だったと思うが…という言葉を飲み込んだ。

取り繕うべきか迷ったが、そんなことをしても意味がないと思い、正直に言うことにした。


「ええ、その、全部というか、声が大きくなってから、ですけど…。」


「そうですよねー…。ほんとにごめんなさい。」


彼女が頭を抱えながら言った。

しばらくそうしていたが、やがてぽつりと


「私、事故に遭ったんです。」


そう言ってから、彼女はゆっくりと時間をかけて自分の話をしてくれた。


「一応これでもピアノを弾いていて、コンクールでも何度か優勝させてもらったんですけど、今回の事故で、全部、、全部、終わりって言われてしまって。」


俺は彼女がどんな顔をして話しているのか、見えなかった。いや、見ることができなかった。


「なんだか、よく分からなくて…。あの日は雨が降っていて、私だけが傘を持っていたから。みんなでおしくらまんじゅうしながら相合傘したんです。そしたら、私だけが押し出されてしまって。そこに車がバーーッと…。」


「彼女達、謝りに来てくれたんです。だけど私、許せなくて。どうしても、許せなかった…。」


淡々と話していた彼女の声が、だんだん小さくなり、最後は絞り出すような声で言った。


「どうして、私なんだろうって、ずっと考えてます。彼女たちにもどうして私なのって怒鳴ってしまいました。それでも、まだわからないんです。どうして私だったのか。」


俺は彼女の話に、相槌すら打てなかった。分かる、と思ってしまったからだ。分かる。俺も考えた。どうして俺なのか。テニスが好きで、努力もして、有名な私立中学にも入った。なのに、どうして。


「すみません。こんな話、いきなり。聞かなかったことにしてください。」


そうしてまた沈黙が訪れる。彼女は話しながら自分の考えを整理していたのだろう。もしくは、怒りを。ゆっくりと雲が流れて行く。


何か言わなくてはと思った。いや、何か伝えたいと思った。似た者同士だからこそ。自分のどうして、という問いに答えるためにも。


「俺も、思いました。」


彼女がゆっくりとこちらを見る。


「俺も、どうして俺なんだって思ってました。俺は、俺の病気は誰のせいでもないけど。でも、やりたいことも、やらなくちゃいけないことも、体が強くないとできないことなのに。どうして俺なんだろう。入院中、ずっと思ってました。」


考えながら喋るので、言葉がつっかえる。それがもどかしい。


「でも。でも、多分こうなったことに理由なんてない。みんな、慰めるためにいろんな理由をつけてくれます。昔の人も言ってます。試練は乗り越えられるものにしか与えられないって。でも、違うんです。きっと、ただ運が悪かっただけです。」


彼女は黙って聞いていた。俺は彼女の方を向いていなかったが、それでもこちらを向いて真剣に聞いてくれていることを感じた。


「手術があるんだそうです。それを受けても俺はもう二度と、俺の行きたいところには行けないかもしれない。けれど、俺は受けるつもりです。」


ーーあなたも、負けないでください。


彼女の顔を見た。彼女はすごく難しい顔をしていた。初対面だというのに、自分の意見を恥ずかしげもなく語り、応援までしてしまって、怒らせたかもしれないと思ったが、そうではなかったのだとすぐに分かった。


「全国大会、あるんですよね。」


彼女が言った。自分も看護師の間ではずいぶん有名になっていたらしい。苦笑しながら、

そうですね、と答えた。


「見に行きます。見せてください。必ず、出場してください。」


真剣にこちらを見て言う彼女に、わかりました、と答えた。


「ぜひ、見に来てください。俺は勝つつもりです。これまでそうして来たように。必ず。」


雲が流れる。その雲はゆっくりと形を変えながら、流れて行く。まるで自分たちのように。