満月の記憶

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@ruki0w0

「なぁ、コーヒーを淹れてくれないか?」




隅々まで磨きがかかり、埃一つとないダイニング。大きな木のテーブルには、待ってましたとばかりに熱くなったケトルが置かれている。その隣には、白いハンカチが掛けられているコーヒーカップ。



「いないのか。」



クリスが自室での仕事を終え23時丁度に休憩をとる事は、隊員内では周知の事実であった。疲れ切った隊長に睨まれたい隊員など居ない事くらい自負している。その為、遠征場所での際に、この時間を消灯時間にして、一人心身共に安らぎを与えることにした。その特効薬とも言えるのが、目の前に用意されている物である。しかし、この安らぎのセットを用意するただ一人は例外であった。



溜め息をついた直後、カチャ、と扉が開く。




「すみません、今淹れますね。」




ーーー




チェル。安らぎのセットを残していったのは紛れもない彼女である。

以前夕食後に出したコーヒーが驚く程美味しかったというのがきっかけで、雑務を済ませ寝る前にも飲みたいと言う上司の為に、毎晩のように用意するようになった。何故なのか他の者が淹れても、ましてや自身で淹れても、チェルの味にはならない。クリスは密かにこのコーヒーに惚れ込んでいた。




チェルは両手に大きな紙袋を抱え、それを木の椅子にズシリと置く。



「何だ?その荷物は。」



「本部からの物資が届いていたみたいです。食料だけ持ってきました。」



ニコニコと嬉しそうに紙袋をポンポンと叩くと、キッチンへ手を洗いに小走りした。


いつもは何も興味を示さない男でさえ手に取ってしまうくらいに、袋からチラリと見える金銀の缶が、窓から差し込む月灯りで反射してキラっと光る。



「その缶、本部で今一番評判の高いクッキーが入ってるんですよ!」



テーブルへ戻ってきたチェルが、お皿を一枚置いて嬉しそうに話す。

クッキーなんてものは、なかなか口にしない。最後に食べたのさえ思い出せないくらいだ。若者や女には目がない魅惑の食べ物なわけで、チェルも勿論その一人だ。いつもよりワントーン高い声色。そして慣れた手つきでコーヒーを淹れた。



金の缶を手にしていたクリスが、カチャっと蓋を開けると、中にはブラウンの丸い形をしたクッキーが沢山入っていた。

開けた瞬間にフワッと、バターやナッツの甘い香りが漂い、先程淹れたコーヒーと共に口にしたい欲求に駆られる。



「銀色の缶はドライフけルーツが練りこんであるみたいです、って隊長!ズルイですよ独り占めは!」



チェルが顔を上げた頃には2枚、3枚と口に運び、無心で食べる上司の姿があった。

慌てて手元に缶を引き寄せ、持って来たお皿に数枚ずつ均等に並べる。




用意したコーヒーと一緒に、小さな口でサクサクと笑顔で食べるチェルを見て、クリスは気づかれないよう小さく笑った。



「おい、ついてるぞ。」



そう言ってクリスはテーブルに身を乗り出して右手を伸ばし、チェルの口元についたクッキーの破片を摘んだ。そして一瞬指先を見てから自らの口の中へ入れ食べたのである。



「…え…?」



驚きを隠せないチェル。何故そんなに瞳を丸くして動揺しているかと言えば、日常においてクリスが女性に少しでも触れる事がなかったからだ。

普段からありとあらゆる物に気を遣ってきた彼女は、使う物から食べる物まで卒なく不備のないよう尽くしてきた。しかしこの状況は初めてである上、どう対処していいかわからない。チェルは顔を真っ赤にする他なかった。




「なんだ、そんな顔して」



「えっと…あの、ありがとうございます…」



顔を真っ赤にして俯く部下は、目を泳がせながらコーヒーばかり啜っていた。人は緊張するとやけに水分を欲するようになる。落ち着かない証拠だ。それを見る上司はいつもより機嫌が良い。




程なくして、皿に盛りつけた甘味が無くなる。クリスも水分を欲しているのだが、それが目的というよりは、この甘い時間を手放すのが惜しいと思ってしまったので、再びコーヒーを淹れてもらうことに。チェルは相変わらず辿々しい態度で、先程の行動が余程効果があったのかと思うと、クリスの口角が僅かに上がる。



「熱いので気を付けてください…」



そう言いながらクリスの前にカップを置く。そしてそそくさと手を引っ込め、軽く目を瞑り大きく呼吸をした。その瞬間頬がヒヤリと冷たさを感じ取り、慌てて目を開けた。



「お前の顔のが熱いんじゃないのか?」



チェルの頬を、クリスの手のひらが優しく触れていた。改めて男性なのだと思わせる大きくゴツゴツとした大人の手。この手で触ってもらえるなんて…もはやチェルの思考回路は閉ざされていた。




「たっ、たいちょー!悪ふざけは、やめて、くださいっ…!」



「俺は触りたいと思ったから触ってるだけだ。ふざけていない。」



「…んっ、そ、それは…勘違いしてしまいますっ!」




「勘違いとは何だ?」




「ですから、その、えっと、えっと…」



なかなか黙らないチェルの片側の頬も手のひらで包み、フニフニと押し始める。



「あいぉー!やええくああいっー!」



隊長やめてくださいだって?顔を赤らめ口を尖らせながらまだ喋るのかコイツは…色気はないが、まぁなんだ、可愛いな。そんな風に思った矢先だった。



カチャ



「えっとーここかな…」



心臓の鼓動が止まったかのように、チェルと捜し物をしていた若者が硬直している。クリスはその時、悪ふざけもいいかもしれないな、もう少し付き合えと目で訴えたが、当然そんな余裕などチェルにはない。次の瞬間グッと顔を引き寄せ強引に唇を奪った。それを若者に見せ付けチラリと視線を送ると、状況を察したのか、大声でお邪魔しましたと発すると同時に、赤らめた顔で敬礼をして出て行った。



「見られたな?」



ペタン、とひんやりした大理石の床に座り込むチェル。状況を理解していないのは一目見てわかる。しかし予想外だったのは、大きな目から溢れ出した涙であった。すかさずしゃがみ込み目線を合わせ悪かったと言い、親指の腹で涙を拭う。流石に男の気配のない彼女には早過ぎたかと反省した。ぶたれても嫌われても仕方あるまい。




「悪い、度が過ぎたな。あんな事されたなら俺だろうと本気で殴れ。」




「私は…」




そして今度は、か細く震えた声が予想外の事を述べた。




「好きな方には、抵抗…しませんので…」




想いを寄せていた上司の悪ふざけとはいえ、チェルにとっては幸せの一時であったのは間違いなく、言葉に詰まるのも無理はない。相手は生ける伝説と讃えられている男。この男の傍でお仕え出来ることですら奇跡だと信じていた。それがどうしたことか、自分の唇を奪ってきたではないか。

誤った判断一つで命が消えるこの世界、そして自分が選択したこの道は、恋愛なんて必要ないし、邪魔とさえ考えるようにしていた。しかしその壁は、愛する者によって呆気無く崩された。




「それは、プロポーズしてるのか?」



「なっ!それはっ…でも嘘じゃありません…」




クリスはチェルを優しく抱き寄せた。ふと壁際にある窓を見る。綺麗な満月。涙で潤ませたチェルの目からは、まるで万華鏡のように輝いて見えていた。




「数日後の任務が無事終わったら俺の部屋に来い。どういう事かはわかるな?」




コクリと頷き、二人は暫く互いの温度を感じる。最高の温もりを感じ合った。




素敵な夜の思い出をありがとうございます、隊長。どうか貴方は御無事であるように。









現実は残酷で、想いは儚く散る。



イドニアで見た時にはもう遅かった。部下達の無残な姿が脳裏に焼き付いて胸糞悪くする。





クリスが最後に見たチェルの横顔は、美しくも冷えきった表情であった。土や泥で汚れた白い布に包まれ放りなげられ、彼女はおろか身につけていた物さえ持ち帰れなかった。



どんなに忘れようとしても、彼女との小さな思い出一つとして忘れる事が出来ない。あのコーヒーの味でさえも。毎夜飲めなくなった、それだけのことだ、それだけの…

ただいたずらに時だけが過ぎてゆく。






ーーー






その日は満月で、窓から差し込む月灯りが妙に明るく感じる。クリスはいつもより早めに仕事を切り上げて、食堂へと足を運んだ。



「お疲れ様です!」



「お前一人か、ピアーズ。」



「はい、なんだか眠れなくて…」




あの日、クリスはこの若者に男女が仲良くしてるところを目撃され、この若者とツーマンセルを組んだ任務で女を失った。ピアーズとしてはバツが悪いであろう。あの日から申し訳なさそうにしているが、責める気は毛頭なかった。

ただなんとなく話していたい気分で、気が済むまで居座らせていた。ピアーズが気を利かせコーヒーを淹れる。やはりあの味ではない。しかし気遣いは評価しよう。




「隊長、今日はどうされたんですか?」




「いいや、いつもと変わりないさ。」




最後に話したのは何だったか。気が付けばベッドに一人横たわっていた。ハァと吐いた息が酒臭い。ヤケになって手を出したのか、全く俺もまだまだ糞野郎だ…溜め息一つつき窓の外を眺めた。

あいつならこんな夜はどう過ごすのだろう。神秘的な月光を見て祈ったりするのだろうか。俺はお前に何かしてやれたのか?…いや、もうよそう。


静かに目を瞑った時、一筋の涙が零れ落ちた。









「…せん、起きてください!すみません!」



クリスは木製のテーブルに突っ伏していた。どれくらい寝たのだろうか。目の前がガラス張りの席で、体一杯に月灯りを浴びている。そこでまた妙な夢を見ていた。前世の記憶?まさか。

トントンと肩を叩かれ耳元の声で漸く目が覚める。ふと腕時計を確認すると23時を回っていた。

確か仕事を終え、不思議と導かれたかのようにフラっとカフェに入ってコーヒーを頼んだ。なんだか妙に懐かしくてどこか寂しくて、そんな事考えてるうちに寝てしまった事を思い出す。心に大きな穴が空いたような夢。その原因はある女だった。



「チェル…」



唐突に夢の中にいた女の名前を覚えておきたいと思い、小声で一言発した。




パタリ、とメニュー表が落ちる。





「どうして名前、知っていらっしゃるんですか?」



目を合わせた時だった。ザーーーっと突風が前から思い切り吹くような感覚にとらわれ、全ての記憶が身体に入り込んでくるのがわかった。

あの日の夜の事、彼女の声や肌の柔らかさ、いつも出してくれた23時のコーヒー。そして最後の日の事、全てを思い出した。

店員の女も同様に目を見開き立ち尽くしている。そして確信した。




「隊長、なんですね…!」



「守ってやれなくて…本当に悪かった…」




何往復も首を横に振るチェルの漆黒の髪は月灯りを浴びて更に美しい。またスルリと腕から抜けていかぬよう、クリスはしっかりと抱き寄せた。




「あの夜、月の光がとても綺麗でした。実は自分に自信が持てなくて、祈ってたんです。」




「お前と同じ日に祈ってれば良かったかもな。」




「でも、私が居なくなってから、祈ってくれたんですよね?きっと。」




時を越え心が繋がった瞬間だった。二度と離さない、互いに胸に刻み込む。






「隊長の部屋に行ってもいいですか…?」



「お前の任務が終わったらな。赤くなるなよ?」




飲み終えたコーヒーカップを渡すと、早速顔を赤らめ慌てて閉店作業に取り掛かるチェル。一々可愛い仕草に、つい悪ふざけを考えてしまう。

コイツに惚れている、そう思い直すまでに時間など要らなかった。本心を何も伝えられないまま消えてしまう前に、愛だと知って欲しい。昔も今もこの先も、どれだけお前に溺れているのかを。




偶然か必然か、満月の夜の奇跡。