空の青さは、

 憎しみと恨みと、僅かばかりの悔恨と憐れみで覗き込むいくつもの顔。揺れる視界の中、見上げた空は黒に近い灰色だった。

 君に似合うのは、何処までも澄みきった青い空だろうに。

 目が覚めて、起き抜けの頭のまま窓の外を見る。夢と同じ、灰色の空が広がっていて──僕は、其れが少しだけ悲しかった。


「ねえ、カドック」

 静かに呼びかける声は、寒々しい城内ではより響くように思う。

「……何?」

 振り向くと、すぐ傍で彼女がこちらを見つめている。静かな声と見た目に反して、其のきらきらと瞬く瞳だけは全てを裏切っていた。

「あなた、木登りは得意?」

「……、……は?」

 予想外の問いかけに、一瞬どころか数秒かけて言われた内容を咀嚼する。反応の鈍い僕を見て、不服そうに白い頰をふくらませた彼女が、小さな唇を開く。

「木登りよ、木登り」

「何度も言わなくても聞こえているよ」

「其れなら、ちゃんと答えて」

 むうっとむくれた顔で、けれど相変わらず瞳だけは悪戯っぽく煌めかせて僕の答えを待つ姿に溜息が出る。

「……木登りなんかした事ないよ」

「ええ、だと思ったわ」

「判るなら、最初から聞かないでくれ……」

 会話だけで疲れる。けれど、嫌なわけではない。彼女と僕とで、見えている世界が違うというのは思いのほか楽しい出来事だった。まあ、こんな風に思える存在は初めてで──少し、戸惑ってもいるけれど。

「木登りをしないなんて、人生の半分は損をしていると思うわ」

「人生の半分は大げさじゃないか? 其れ以前に、君……皇女だろう?」

「皇女だからと言って、木登りをしないと思ったら大間違いよ」

 静かな声と見た目の大人しさに騙されるけど、彼女はお転婆だ。其れも、筋金入りの。

「あなた、今不敬な事を考えているでしょう?」

「そ、そんな事は、ない」

「嘘よ、あなたってばすぐ顔に出るのだから」

 むくれたまま、つんと顔を逸らす様子は──何というか、愛らしい。ただ、今まで身近にいないタイプの子だったから、反応に困る。

 其れを察したのか、彼女はこちらに視線を向けて軽く肩をすくめた。

「もう……あなたって、本当に女性の扱いがなってないわ」

「……悪かったな」

 今度は僕が顔を逸らす。其れに小さく吐息を漏らして、彼女が僕の上着をゆるく引く。

「カドック」

「……何?」

「私、あなたと木登りがしたいわ」

「……正気?」

 厚い雪が張り付く針葉樹と、何もかもが凍りつく──木の葉すら芽吹かない、ただの氷のオブジェに?

「そうじゃなくて……ええと」

 珍しく口ごもって、彼女は何か考えるかのように視線を彷徨わせる。

「木に登ると、空が何時もよりも近くて……とても綺麗だったの。でも、私は空の色を思い出せないから……あなたと一緒に登れば、思い出せそうな気がしたの」

 囁く声は、不安に満ちていた。

「空……か」

 灰色の空が広がる外へと視線を向けて呟けば、彼女は其の華奢な指を僕の手のひらに滑り込ませてきた。

「ねえ、雲のない空は青いって本当?」

「……ああ」

「青って、どんな風に青いのかしら」

「……色々だよ。濃い青の時もあれば、君の瞳のように……薄い青の時もある」

「私の?」

 少し冷たい小さな手を握り、豪奢だけれど何処か薄ぼけた鏡の前へ彼女を連れて行く。

 彼女は、そっと鏡に近付いて自身の瞳をまじまじと見つめた。

「良く、判らないわ」

 あの何処までも続く灰色の空が、青く染まるだなどと──想像もつかないのだろう。君から流れてくる最期の記憶でも、空は泣き出しそうな色だった。

「……僕が、何時か必ず見せてあげるよ」

 無意識の内に言葉があふれていた。言った内容を理解して顔が熱を持つのと、驚いた表情でこちらを見上げる君と、目が合うのは同時だった。

「凄い顔ね、カドック」

「う、うるさいな」

 顔を隠すように腕で覆うと、繋いだままの手を引いて彼女が言った。

「ダメよ、カドック。ちゃんと顔を見せて……私を見なさい」

「……」

 ちらりと視線を向ければ、君は至極嬉しそうに微笑んで僕を見ていた。

「ねえ……約束よ、マスター」

 そう言って、彼女が小指を差し出す。其の意味が分からず、彼女の瞳を覗き込むと不思議そうな顔をされた。

「何かを約束する時は、ゆびきりをするのでしょう?」

「何処でそんな事を覚えたんだ……」

「あら、私の知識はマスターであるあなたからのものよ」

「……」

 深い溜息が零れた。其れを見て、彼女が華奢な肩を震わせる。白い頰を上気させて咲う彼女が、ただただ愛おしかった。

「判った……約束だ、アナスタシア」

 其のために、何を犠牲にしようとも何を騙ろうとも厭わない。──神すらも欺いてみせよう。強く、ただ強く、そう思った。

著作者の他の作品

ベディとアルトリア(槍)の基本的なキャラクターメモです。捏造満載ですので...