しきおりっこ SS

沙羅/和葉@年1ディズニー
@aobiyori_sara

一人旅に危険はつきもの


 川沿いの桜が咲き始めたと、同期の女性看守からイチコは耳にした。

 今年は咲くのが早かったから、散るのも早いかもしれないねと。

 友達と行く花見の予定をまだ立ててないのに、行く前に散ってしまうのは残念だ。なら、早めに見に行こう。

 次の休みは部屋でゆっくりしていようと思っていたが、イチコは一人で川沿いの桜を見に行くことにした。

 お気に入りの肩掛け鞄に、朝食の席であえて食べなかったサンドイッチと少しだけお金が入っているお気に入りの財布、最近開いてなかったピアノの楽譜を押し込み、肩に下げる。

 服装は、春用の薄い長袖の上にいつも着ているパーカー。動きやすいように、下半身は暑い生地のハーフパンツにした。

 髪の毛はどうしようかと悩んだ末、好きな男性からもらった白いネクタイで首の横で一つに括り、毛先は胸に流した。

 ネクタイはイチコにとってはお守りみたいな物だ。一緒にいなくても、隣にいてくれる気がする大事な物。

 履き慣れたスニーカーに足を押し込み、部屋を出る。

 動かす足が自然と早くなる。

 川沿いは直ぐそこだが、小旅行に出る気分で浮き足立っていた。





 今日の天気は、穏やかな晴れだった。風も弱く、気温も動くには丁度良い暖かさである。

 胸いっぱいに空気を吸い込めば、春の空気に身を包まれた気がした。

 緩い風に乗って、新芽の匂いが鼻をかすめる。

 川沿いに来てみると、以前見た時は茶色だった桜の枝が桃色に染まっていた。

 満開とまではいかないが、蕾は少なくなっている。全ての蕾が開くのも時間の問題だろう。

 イチコと同じように、花を見にきた人たちが桃色の花を見上げ談笑したり、写真を撮る為にカメラを向けている。

 花見客を狙った小さな屋台もちらほらと出て、気が抜けた客が吸い寄せられている。

 イチコは喧騒から離れた場所まで移動して、土手に腰をおろした。

 桜は近くにないが、向こう岸にある桜が見えているので花見にはなっているだろう。

 鞄から楽譜を取り出し、パラパラとページを流す。

 就職するずっと前から持っている楽譜だ。腕が疲れるまで、もう嫌だと投げ出したくなるくらいまで弾き倒した曲たちだ。ピアノが無くても、開けば自然と音が聴こえてくる。

 お気に入りの曲を見つけて膝の上に楽譜を広げると、指だけでつま弾き始めた。

 本当は本物のピアノを使って弾きたいところだが、あいにく職場にはそれがない。寮にある自分の部屋も狭くて置けない。

 どうしても指を動かしたくなった時は、天気の良い日にこうして外に出て、一人で弾く真似をしていた。

 音色を思い出しながら、楽譜の上で指を動かす。

 のんびりとこうして自分の世界に浸れたのはいつ以来だろう。

 仕事続きで緊張していた心と身体が、次第に解れていく。

 だからか。草を踏みしめる足音を耳にするまで、己に近づく者に気付けなかった。

 人の気配を感じて、イチコは指を止め背後を見る。

 同時に聞き慣れない男の声音が、耳の鼓膜を刺激した。


「お一人ですか?」


「…………?」


 振り向けば、イチコよりも少々年上の男が、腰をおろす彼女を見下ろしている。

 男の服装は、貴族がよく着ている仕様の物だ。腰よりも丈の長いジャケットのような物にスカーフ。白いズボンにヒールの高い同色のブーツを履いている。

 気崩している部分はあるが、生地がいかにも高そうでしっかりとした素材で出来ているので、やはり貴族なのだろう。

 彼の背後に、馬車も見える。

 イチコは首を傾げて、男から視線をそらし一度辺りを見回した。

 この男が話しかけているのは私か。

 イチコが首を傾けたまま男に視線を戻すと、話しかけた男性は困ったような表情を浮かべ、再び口を開いた。


「あなたに話しかけてますよ」


「……やっぱり?」


「突然で申し訳ありません。我が主が是非とも、あなたと花を見ながらお茶をしたいと仰せられて……」


 その言葉を聞いて、この人は従者の人かと一人で納得した。

 二人で馬車の方に視線を向ける。

 小窓から、主とみられる貴族がこっそりとイチコと従者の様子を覗き見ている。

 年配の主みたいだ。目尻に皺が寄り、貴族がよくつけているカールの入ったカツラをつけ、鼻の下に海苔に似た髭が生えている。

 送られてくる視線が、イチコの輪郭を描くように上から下まで移動する。

 ねっとりとしていて落ち着かない。

 居心地の悪さを覚えて、イチコは身を捩(よじ)った。

 さて、どうやって断ろう。

「知らない奴にはついていくな」と、幼児の頃からきつーくきつーく教えられているのだ。

 語彙力のない頭を懸命に動かして、当たり障りない言葉を探す。

 口をぱくぱくと動かし、最初の言葉を紡ごうとしていると、従者が遮るように口を開いた。


「断られた場合は、手足の骨を折ってでも連れて来いと言われています」


「我が主は、話しが出来る人形(ドール)であれば、身体の異常など気にしないのです」と、従者は続ける。

 この貴族は人形愛好家かと、イチコは顔に出さないように胸の内でため息を吐いた。

 時々、いるのだ。

 きれいな姿をした人間を、お人形さんとして手元に置きたがる奇妙な貴族が。

 一年半前も人形にしたいという理由で誘拐され、同僚たちの尽力によりなんとか助け出され、生き延びたイチコである。

 こめかみの辺りを、鈍い痛みが襲う。

 まさか、同じ理由で声をかけられるとは思わなかった。

 笑顔を見せてる従者だが、雰囲気が本気だ。声音に戸惑いがない。

 実際に手足の骨を折って、人形を誘拐した事があるのだろう。

 どうする、イチコ。一発殴って、逃げ出すか。

 物騒な考えに至り始めた時、今度は聞き覚えのある声音が鼓膜を響かせた。


「失礼、そこのお貴族様」


 イチコの背後から聞こえる声音に続き、草を踏みしめる音が耳に入る。

 従者の顔から笑顔が消えて、目が細められる。

 それと同時にイチコの肩に手が置かれ、下がっていろとばかりに強く押し退けられた。

 イチコが下がると同時に、大きな黒い背中が視界を埋め尽くす。

 墨色に染められた着流しだ。

 毛先を遊ばせた短く黒い髪が、緩い風に流されて踊っている。

 左腰に帯刀している刀と右手にあるキセルを見て、従者は目を見張らせた。

 イチコも、同じような反応を見せる。


「チゾメ……!」


「お兄ちゃん!」


 姿を現したイチコの兄は、左右の色が違う目で、従者を見据えた。


「うちのお嬢と話したいなら、アポを取って頂かないと困りますなあ」


 煙を揺らし、ゆるい口調で言葉も吐き出す。

 分が悪いと判断したのか、従者は仰々しく頭を下げて言葉を返した。


「これは、これは。まさか、貴族御用達の暗殺者様の主様だったとは。出過ぎた真似をしました」


「主じゃねえ。じゃじゃ馬娘だ」


「馬じゃないです。可愛い妹です」


 イチコは着流しの生地を掴み、背中越しから反論する。

 チゾメは僅かに振り返り、兄の肩にも届いていない桃色の頭を見下ろした。


「可愛い妹は、自分で可愛いとは言わねえ」


「じゃあ、目に入れても痛くない妹です」


「頭が痛いの間違いだな」


 ああ言えばこう返す兄に、イチコは頬を膨らませる。

 そんな妹を自身の背中で隠したまま、チゾメは従者と向き合った。


「こいつとお喋りしたければ、アポしろってあの貴族(バカ)に言ってこいや。話せるかどうかは、この先も生きてればの話だが」


「私たちを殺しに来ますか?」


「私用では行かねえよ。……殺しの依頼が来ねえように、慎ましく暮らすこった。……帰るぞ、イチコ」


 従者との話を切り上げ、踵を返すとイチコの腹に手を回す。

 勢いをつけて彼女を持ち上げると、肩に担いでその場を後にした。




著作者の他の作品

どこかの王様と王妃のお話。