空の底から海を臨むこと(兵庫水軍)

はじまりはじまり

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足軽だった父は戦で――某といったか、とにかく将を庇って極楽へ旅立った。

命を救われた将は、父に先立たれた足軽の娘を憐れんで、夫となるべき男を宛がってくれた。

ところがどっこい。

意に染まぬ縁談だったのは男の方であった。

男はなんと婚儀の三日前に、馴染みの遊女と駆け落ちて行方知れず。


恥をかかされたと怒ったのは娘に男を宛がった将。

どんな顔で表を歩けるのかと嘆き悲しみ、屋敷から外に出なくなったのは娘の母。

では渦中の娘――一花はと言うと、


「そんな状態なので、私が食い扶持を稼がなければいけないのです」

と、凪いだ海のように静かな目をして由良四郎に言った。


先述のあらましをしたためた文が届いた時、由良四郎は大層驚いた。

一花の家は由良四郎の遠戚に当たる、下級武士の家系である。疎遠とまではいかないが、遠い筋であるから、由良四郎が最後に一花と顔を合わせたのはこの娘が十にも届かぬ頃だった。

もう嫁に行く歳になっていたのか。

そしてまた、随分と難儀なことになっているようだ。

情に厚い海の男は早速、顔を見せに来るよう返事を書いた。出来る限り力になろう、と。

年頃の娘が最悪ともいえる形で破談になったのだ。さぞ落ち込んでいるに違いない。そんなふうに面会してみれば、どうだろう。

一花は案外けろりとしていて、それよりも、と前置いて仕事の口を聞いてもらえないかと頼み込んできたのである。

「破談になろうがお腹は減ります。だけどうちで米は湧きません。跡継ぎがいないので土地は取り上げられました。屋敷もじき出ていかなくてはいけません」

「しかしな、」

「読み書き、算盤得意です。料理も……なんとか、ええ、なんとかできます。歌舞は必要でしたら努力します。どこか働ける場所はないでしょうか」


由良四郎は太い眉を寄せて唸った。

口をきいてやりたいのはやまやまだ。しかしこの男の生業は海賊と言われる兵庫水軍で、水軍の仕事といえばもっぱら船上での戦働きと力仕事だ。物静かな娘に出来る仕事など――。

そこで由良四郎ははたと思い出す。

実は兵庫水軍でも先日、ひと騒動あったのだ。

というのは会計方――水軍の金勘定を取り仕切る者の一人が、水軍の金を持ち逃げたのである。幸か不幸かすぐにとっ捕まり、金は帰ってきたのだが、会計方の席が一つ空いたままになっている。

「一花」

「はい」

「算盤は得意と言ったか」

「ええ。算術は一番好きです」

そこで一花は初めて微笑んだ。

ともすれば気付かないほど。花の蕾がわずかに綻ぶような控えめな微笑だった。

由良四郎はうーん、ともう一度唸り、逡巡の後、腹を決めた。

水軍衆であることを承知で由良四郎を頼ってきた度胸に加えて、素直な心根の持ち主だ。金の持ち逃げなんて間違えてもしないだろう。ならば、

「第三協栄丸のお頭に一つ、掛け合ってみよう」

「! ありがとうございます!」

一花は由良四郎に向かって、床に頭を擦りつけそうなほど深く頭を下げた。


さて、第三協栄丸が一花の身の上を聞き、滂沱の涙を流しながら彼女を会計方に迎え入れたのは、それからいくらもしないうちの出来事だ。

かくして一花の兵庫水軍での生活が始まった。