愛の魔物を手懐けたい

喫茶店員の推察

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ここのところ、ある女性をよく見かけるようになった。


先日、ポアロで蘭さんたちに囲まれていた女性である。

もしかしたら以前にも街中ですれ違ったことくらいはあるのかもしれないが、彼女に会ったのは、その時が自分の中では初めてだ。記憶力には自信があるので、ポアロに以前訪れたこともないはずだ。あの時ですらも女子高生三人に囲まれるまでは、待ち合わせをしている人くらいにしか思っていなかったし、正直に言えば、そこでもピンとくるような人でもなかった。


蘭さんたちの学校の先生。彼氏持ちで待ち合わせにドタキャンされたと言っていたか。どうでもいい情報だ。

さして、こちらにとって有益な情報を持っていそうではなかったし、接点を持つ必要もないだろうとタカをくくっていたわけである。格好いいや、見ているだけでお腹いっぱいと言われても、まあ綺麗な女の人に言われるなら満更でもないな、と思ったくらいだ。


だが、それ以降、不思議なことに何故だか彼女との接触率が上がってしまったのだ。

ある時は街中、ある時はポアロで。その人を認識したからこそかもしれないが、何度か見かけている。




「こんばんは、凛子さん」


組織の仕事の帰りだった。

ベルモットを送り届けて米花まで帰ってきたところだ。ホテルを出た頃はまだ日が傾き始めたころだったのに、こちらに着く頃にはもうすっかり辺りは暗くなっていた。

平日ということもあり、仕事帰りの会社員もチラホラと街中を歩き始めていた。渋滞を回避する為にも一本脇道に入ると、静かな住宅街に迷い込む。辛うじて街灯や家々の光が辺りを照らすが、人もまばらだ。

この頃仕事も忙しかったし早く帰ろう、と思っていたところだったが、前方に二つの影が見えたので、徐々にスピードを落としながら、車を停めて、窓を開けた。


「…こんばんは、ポアロの店員さんですよね」


大きく肩を揺らして硬直した彼女は、僕だとわかり、安堵するように息を吐き出した。


「すみません、びっくりさせてしまって」

「いえ、こちらこそ驚き過ぎました。名前、知っていらっしゃったんですね」

「ええ、蘭さんたちから、よくお話は伺っていたので」


笑う顔には、疲れが滲み出ている。彼女も仕事帰りだろう。

話しかけたのは今回が初めてだ。それまでは、もし顔を合わせても会釈するくらいだったのだが、今日はわさわざ車を停めてまで声をかけた。それには理由があるのだが。


「凛子さん、立ち話もなんですし、とりあえず車に乗りませんか?」

「えっ」

「お疲れのようですし、家の近くまで送りますよ」


戸惑う彼女を、「いいですから」、と強引に誘って助手席のドアを開ける。側から見たら、怪しいのは僕かもしれないが、そんなことに構っている必要はない。

困ったように答えを出しあぐねていた彼女だったが、僕の有無を言わさぬ笑みに「じゃあ」と、渋々助手席に乗り込んだのだった。


「あの、知り合いでもないのに、わざわざありがとうございます」

「いえ、構いませんよ。女性の一人歩きは危険ですから」


ーー全くその通りだ。

ガタン、とドアを閉めた彼女は、控えめに背凭れに寄りかかって、シートベルトを締める。その仕草はゆったりとしていてらどこか艶があり、淑やかに見えた。うん、これに関しては好印象だな。

だが、それとともに彼女は意外にも鈍感であることに気付かされる。


「それで、後ろの男性はお知り合いでしたか?」

「え?」


やはり、気が付いていなかったのか。

思わず溜め息がでそうになるが、出来るだけ優しい表情を装って、ハンドルを握りアクセルを踏む。


「あなたのことを着けていたみたいですね。あと少しで声を掛けようとしていたみたいですが…」


バックミラーで小さくなった男を見遣る。パーカーにたぼっとしたジーンズ、目深に被った黒いキャップ。どう見たって怪しい。車を停めた僕を見て、怒りの表情を見せていたのも確かだ。近頃は一人で歩く女性を狙って引ったくりやストーカー、暴行などが横行している。平和な日本と言えど、油断ならない。特に米花町は犯罪率が低いとは言えない。

凛子さんも後ろを振り返って、確認する。慌てて走り去っていく男の姿が見えた。


「全然、気が付かなかった…」

「はは、僕が気付いてよかった」

「ありがとうございます。なんと言ったら良いか…」


ぎゅっと鞄を握り締める姿に、今になって恐怖心が沸いてきたのだろう。本当は叱りつけたいところだが、出来るだけ明るく努める。

顔見知り程度の彼女になぜここまでするかと言ったら、ただ"なんとなく"に過ぎない。なんとなく、声をかけなくちゃと思ったのだ。まあ、職業柄、女性が襲われるのを未然に防ぐ為だった、とでも言っておこうか。…言わないが。


「凛子さんが無事でよかったです」


そう言えば、彼女は眉毛を下げて、はにかんだ。

さして意識はしていなかったが、彼女は綺麗だ。顔立ちも整っているし、メイクや髪の毛も必要な程度に手入れされていて、華美ではないものの、逆にいやらしさというのがない。教師という立場からくるのであれば、TPOに合わせた身のこなしができるというのは素晴らしいことだ。もともとの性質であるなら、尚更好印象である。飾らない素朴な印象に、どこか頼れる姉気質(職業柄かもしれないが)、それでいて豊かな表情と臨機応変な態度。ツン、と大人然とし過ぎず、子どもの心も持ち合わせているような心意気も、どことなく感じる。


生徒から好かれそうだな、と女子高生三人を脳裏に思い描く。

だが、はにかんだ顔が少し幼く見えて、可愛らしい、とも思った。今目の前の彼女は教師とかなんだとか、そう言ったものは据え置いて、"ひとりの女性"として十分魅力的だ。


ーーいや待てよ。

散々気にしてない気にしてないとか言っていたが、今になって逆に凄く気になってるみたいじゃないか…。

そこまで考えて、恥ずかしくなり、サイドミラーに視線を逃す。


車は静かな住宅街を走っていく。



「あの、本当にありがとうございました」


車内の会話は可となく不可となく。相手も話すことを仕事にしているのもあってか、適度に弾んで楽しかった。あんなこともあったからか、その弾みは一定のところを越えることはなかったけれど。

あくまで彼女はこちらに歩み寄ろうともしないので、互いに距離を置くのが楽だった。大人の差し当たりのないストレスのない関係というやつだ。


「彼氏さんに悪いことしてしまいましたかね?」


なにかあればそれらしい態度や気があるような行動をとろうかとは思ったが、何もない、そう言い聞かせる。

彼女は僕が可笑しなことでも言ったかのように、目を細めて笑う。


「いえ、命の恩人ですし。本当にありがとうございました」


頭を軽く下げて、その場でそのまま動かない彼女に首を傾げる。


「もしかして、見送るつもりですか?」

「はい?そうでしたけど」

「あなたって人は…何かあっては困りますので、今日はいい子に僕に見送られてください!」


馬鹿正直で、どこか抜けてるな。こっちのペースが狂う。

呆れたように笑うと、彼女は、漸くお辞儀をしてオートロックのマンションに入っていく。

その背をしばらく見送って、溜め息を吐くと、サイドブレーキを下ろした。


これが全て計算だったら、末恐ろしい女だーー。