蛇の島

しらさぎ
@sagi_shira

プロローグ③

この小説は夢小説 (名前変換ができる小説) です。
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 『すねや』は今ではテレビの中でしか見る機会がないような、昭和の駄菓子屋チックな構造をしている。長く取られた軒下には合宿のために取り寄せたスポーツ飲料やバランス栄養食品等が置かれており、昼間は元賀さんという、40代の数学の先生が店番をすることになっている。

 元賀さんは、私が物心つく前から身の回りの世話をしてくれていた近所のおじさんみたいな人だ。元々は本州の中学で数学教師をしていたそうだが、色々あってこの島に移住してきたらしい。ちなみに、私の本当の家族は現在民泊の運営という大仕事に追われており、特に役に立つ能力のない私は合宿期間中『すねや』に身を寄せることになった。

 『すねや』の本来の持ち主は私が生まれる前後に亡くなってしまったらしく、その人の遺言によって島民なら自由に使用していいことになっているそうだ。私は『すねや』の軒下に入り、商品が陳列されている朽ちかけた長机の横を通り抜ける。黄ばんだ壁を背に、店の奥に置いてあるパイプ椅子に腰掛けた。ギシ、とパイプ椅子が軋む。

 頭上にある小型の扇風機が、生ぬるい風を低い音と共に送ってきた。夏だ。夏だけれど、いつの間にかあまり暑さを感じなくなっている。

 少し休んだら、また港まで歩かないとな。


「ねーねー、名字さんだよねっ?」

「!?」

「ありゃ、驚かせちゃった? ごめんね」


 天井のシミをぼんやり眺めていると、店の前方、左側の方からキッという高いブレーキ音が聞こえてきた。それから元気そうな男の人の声も届いて、反射的にピッとまっすぐ背筋を伸ばす。

 そこには寿命間近の傷んだ自転車に跨がる、真ん中分けの男子がいた。彼は大きな目をパチパチと開いて、何か言いたげな様子でこちらを見ている。


「大丈夫で……だ……ですよ」

「え、ほんとにだいじょぶ?」

「ええと、タメ口か敬語か、どっちを使えばいいのか悩んじゃって」

「タメ口でいーよ! 気にしない気にしない!」

「わかった。それで、どうかした? 何か困ったことでも起きた?」

「いんにゃ、困ったから来た訳じゃないよん。実はひとつ、俺的トレーニングを思い付きましてね」

「うん」

「名字さんに協力してもらえないかと思って覗きにきた!」


 ブイサインを作り、真ん中分けの男子はパチリとウインクをした。「あ、俺は菊丸英二! よろしくねん」はつらつと続けた男子は、自分の思い付いたトレーニングを試したくて仕方がないのか、にひひと楽しそうに頬を緩ませる。その笑顔を見ると到底断る気にはなれなくて、私もついつい笑ってしまった。


「菊丸君だね。覚えた」

「ほんと? やったね! でも俺達のことを覚えきるのは大変だと思うし、あんま名前は気にしなくていーよん」

「いや、大丈夫。少なくとも菊丸君は大丈夫だと思う」

「へへん、そう言われて悪い気はしないにゃ。じゃあ改めてよろしく!」

「よろしくね」


 言いながら、椅子から立ち上がって『すねや』の軒下から出た。それから自転車に跨がっている菊丸君のハンドル側に立ち、「何すればいい?」と訊ねる。菊丸君はハンドルに両肘をついて、こちらを上目遣いで見ながら口を開いた。


「俺、バランス感覚と筋力を鍛えたくてさ。名字さんに自転車の後ろに乗って欲しいんだ」

「う、うしろ?」

「そー! 名字さん、これからも他校の案内で宿と港を往復するでしょ? そのついでに菊丸タクシーのご利用はいかがですかってね! 悪い話じゃないにゃ?」


 菊丸君は笑顔で首を傾げる。期待で目を輝かせながら、ジッとこちらを見据えていた。

 都会では、ふ、二人乗りとかは普通に平然とやっちゃうものなの? 私の恋愛、というか男女の仲的な知識は一昔前の少女漫画からしか得ていないせいか、男子と二人乗りをするという行為のハードルはとても高い。

 ……でもたぶん、これはトレーニングの一貫らしいし、菊丸君は友達も多そうな雰囲気だし、二人乗りを過剰に意識している私の方が間違っているやつだ。というか何をぐるぐる考えているんだ。これは少女漫画の話ではない。

 私は少しの馬鹿馬鹿しい間を忘れて言った。


「い、移動が楽になるのはありがたいので、迷惑じゃなければぜひ」

「ほんと!? やったーサンキュね! ちょーっと運転は不安定かも知んないけど、ケガはさせないから安心して」

「うん、わかった」

「もう港行く?」

「あー、うん。ちょっと早いけどそろそろ行こうかな」

「オッケー! じゃあどうぞ!」


 菊丸君は、そう言って錆び付いた荷台を軽く叩く。その手の先を見て、島に古くさい自転車しかないことが妙に恥ずかしくなった。


「お、お邪魔します」

「ほいほーい」


 おそるおそる荷台に跨がる。緊張しすぎて荷台を押さえる手が微妙に震えている。おい私、意識しすぎだ。情けないぞ。


「あ、荷台じゃなくて俺に掴まっといた方がいいかもだよ」

「え?」

「俺手放し運転するつもりなんで!」

「え、」

「いっくよーん」


 ギ、とゆっくり動き出した自転車は、坂道をくだりどんどん加速していく。手放し運転ってなに、口にする前に菊丸君の両手が勢いよくハンドルから離れ、恐ろしくなってほとんど反射で菊丸君の腰に腕を回した。


「いやっ、ちょ、菊丸君!?」

「うにゃっ、待って集中させて!」

「え、ご、ごめん!」


 すぐさま手放し運転にも程があるのでは!?と抗議しようとしたけれど、真剣な声音の菊丸君を前に思わず口を閉じてしまった。て、ていうか二人乗りで両手を放して運転出来るってどういうこと、菊丸君のバランス感覚はどうなってるの。

 自転車が倒れるのではないかという緊張感のもと、サナギのように身を硬くして鼻先にある背中を見つめる。い、いい匂いがする。なんか、喉が渇いてきた。


「……おー、きた、コツ掴んだかも」


 気が気じゃない状態になってからおそらく数分、下り坂にも関わらず両手を放していた菊丸君が突然ポツリと呟いた。勢いを増していく自転車に対して、菊丸君は一切の恐怖心を抱いてなさそうだ。「だ、大丈夫……?」思わず聞くと、「うん、いける!」と明るいトーンの返事がきた。


「菊丸君て凄いんだね……」

「にゃはは、ありがと! こんくらいフツーだけどね」 

「普通?」

「この合宿には、油断出来ないくらい強いプレーヤーがいっぱいいるかんね。同じこと出来るやつもいるかもだし」


 ふと、菊丸君の声が硬くなる。顔が見えないからどんな表情をしているのかはわからないけれど、ふいに菊丸君のスポーツマンとしてのプライドのような、負けん気のようなものを感じた。このヒヤヒヤして仕方がないトレーニングも、高みへ登るために必要なものなのだろうか。ハイレベルなスポーツマンの事情はわからないことだらけだ。……でも、何をするにしても、とりあえず彼らの邪魔にはならないようにしようと思った。

 坂を下りきり、港が視界に入ってくる。さすがにその段階になると菊丸君もハンドルを握った。非常にスリリングな体験だった。テレビでよく見る有名なジェットコースターとかってこんな感じなんだろうか。

 自転車が小さな港に侵入し、船着き場から数メートル離れた場所で止まる。「とうちゃーく!」菊丸君が楽しげに言い、私はなんとか「ありがとう」と絞り出して荷台から降りた。地に足が着いているこの感覚を大事にしようと思った。


「ねね、次ってさー、どこの学校がくるの?」

「どこだろう……あ、跡部さんから貰った名簿、店に置いてきちゃった」

「なになに、跡部ってそんなことまでやってんの? 凄いねー」

「うん、親切だよね。なのに使うタイミングを一回逃しちゃった……」

「まー今はいーんじゃない? 俺がみんなわかるし! 完璧パーペキパーフェクトってねん」


 ふふん、と鼻を鳴らして菊丸君は笑う。自由な人というか、天真爛漫というか、元気印というか。菊丸君も随分個性的だと思った。自転車から降りた菊丸君の目線は、私より頭ひとつ分は上にある。横にいる菊丸君を見上げると、「ん?」とまた首を傾げられた。


「菊丸君って面白いね」

「そーかにゃ?」

「うん、不思議」


 さっきまでの抗議の気持ちはどこへやら、私は笑って海の向こうに目をやった。次にくるのはどういう人達なのか、少し興味が湧いてきた。