僕の居場所

兎狸
@uri_3391

# 熱

スケッチブックに一通り花の絵を描くと少女は、伸びをした。背骨がポキポキといい音が鳴る。気づけば外は朝日が昇っていて、時計を見てみれば針は6時を指していた。


「…寝れなかった。」


溜息をつきバイトに行く準備をし始める。

少女は少年と出会ったあの時以来安心して眠ったことがない。眠ってしまうと思い出したくないことを思い出す。家を追い出された時のことが夢に出てくる。だから、眠くもならないし寝たいとも思わない。


「なんだか…怠い気がする。」


少女以外だれもいない空間に少女の声は、静かに響いた。

たいして寒くもないのに寒気がする。体がなんだか熱い気もする。自分の状態を気にしつつも少女は気づかないふりをして、マンションの扉を開けてバイト先への道を急いだ。


走ったために少女は荒い呼吸を繰り返していた。落ち着かせるために立ち止まり膝に手をついて深呼吸をした。

呼吸が落ち着いたのが分かると少女は目の前の建物に躊躇いもなく入って行く。


「あっ!お待ちしてましたよ!ささ、どうぞどうぞ!」


『MANKAIカンパニー』と書かれた建物の扉を開けると、待ってましたと言わんばかりに元気な声が飛んできた。

少女に声をかけたのは、MANKAIカンパニーの支配人の松川伊助だ。支配人という割にはあまり頼りにならないというのが正直な感想だ。


少女は、このMANKAIカンパニーで清掃員として、この時間帯に来ては掃除をする。床や壁、お手洗いの場所の隅々までしっかりと掃除をこなす。

だが、今日はいつもと違って、掃除をする手際が悪いような気がする。少女も自分自身で薄々気づいていた。


舞台の掃除をしていると、突然、少女の小柄な身体が床に向かって傾いた。危ないと頭ではわかっていても身体が言うことを聞かない。

舞台上から身を投げ出すように落ちる少女は、真っ白に鳴る頭とともに意識を飛ばしてしまった。


ドサッと何かが落ちる音を聞き、ちょうどMANKAIカンパニーに訪れた人物は、目を見開いた。自分の目の前で人が倒れたという状況に頭が追いつかなかったが、状況理解より先に倒れた人物を助けるのが先だと判断し、少年の足は駆け出した。


「大丈夫ですかっ!?」


劇場内に響くくらいの声で倒れた少女に声をかけるが、意識が完全に飛んでいるせいか少年の声は少女に届くことなく天井に吸い込まれるように消えていった。

少年は、とりあえず寮に運ぼうと思い倒れた少女の体を抱き起こした。すると、少女の身体の熱さに危うく手を離しそうになった。


「早く運ばないと…!」


怯えている自分に言い聞かせるように呟いて、異常なまでに熱い少女の身体を横抱きにして、寮まで走った。

寮の扉を荒々しく開け、中に入って行くと、先に戻って来ていた伊助が驚いたように目を見開き、少年の腕に抱かれている少女に目を向けた。


「何があったんですかっ!?」


明らかに動揺している伊助に少年は、焦らず落ち着いて用件だけを述べた。


「説明は後でします。氷枕と熱さまシートを俺の部屋に持って来てくださいっ!」


少年は伊助に向かってそう言い、自分の部屋がある廊下を足早に歩いて行く。

自分の部屋に入りベッドに少女を寝かし布団を掛けるとすぐに、伊助が氷枕と熱さまシートを持って少年の部屋に訪れた。


「それで、何がありましたかっ!?」


少年が少女の頭の下に氷枕を置き、額に熱さまシートを貼ったところで、食い気味に問いかけて来た。

そんな伊助に苦笑いを浮かべる少年は、今まであった事の経過を詳しく丁寧に説明した。少年の説明を聞いた伊助は、目を伏せて申し訳なさそうに呟いた。


「私の責任ですね…。」


萎れた伊助の姿を初めて見た少年は、少しばかり焦りを覚えて慌ててフォローに入ろうとした。だが、伊助は少年の心情を察したのか、少年が言葉を発しようと開いた口の前に手をかざして制止させた。


「彼女は、毎日飽きずに来てくれるので1人だった私にとっては、嬉しかったんです。チリ一つ残さず隅々まで掃除してくれる彼女が頼もしく感じたので、つい無理をさせてしまいました。」


伊助が少年にそう告げた瞬間、少年のベッドからむくりと意識が戻った少女が起き上がった。あんな高熱を出した少女が起きるとは思っていなかった少年と伊助は、驚きで少しの間言葉を失っていた。


「それは…違い、ます。」


まだ熱が下がりきっていないため荒い息遣いをしなんとか言葉を紡いだ。焦点の合わない瞳で伊助の瞳を見つめる。これから言うことは、嘘ではなく本当のことだという意味を含んだ瞳で。

伊助は、その意味を感じ取ったのか静かに頷いた。


「…僕は、自ら望んで、ここでバイトをすることを決めました…。責任なら、体調管理のできていなかった、僕にもあります…。」


嘘ひとつない少女の言葉に伊助は、反論する言葉も弁解の言葉も何も出なかった。

少女は、素直な反応をした伊助に小さく微笑み再び意識を飛ばした。ベッドから落ちそうになった少女を少年は受け止めて、ベッドに寝かせた。



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「…あの、いろいろありがとうございました。」


少年と伊助の看病のおかげですっかり熱が下がった少女は、日が暮れ始めた茜空の下、伊助と少年に見送られながらMANKAIカンパニーを後にして、次のバイトへと足を進めた。

しかし、時計台を見上げると次のバイトまで時間に余裕があったので、少女は一度家に帰ることにした。


「はぁ…迷惑かけちゃった…。」


リビングに入るなりぺたんと床に座り込んだ。今まで迷惑かけないようにと気を張りながらこなしていたため今になって、溜まりに溜まった疲れがどっと押し寄せて来た。

だんだん瞼が重くなるのを感じた少女は、睡魔に身を任せバイトの時間ギリギリまで眠りに落ちていた。



遅れてバイト先についた少女を、バイト先の店長がこっ酷く説教したことは言うまでもないことだ。