僕の居場所

兎狸
@uri_3391

# やりたいこと

月日が流れるのは実に早いものだ。

壁に掛けてあるカレンダーを眺めて少女は不意にそう思った。自分がこの街に来て少年と出会ったことは今でも忘れない。


少女は現在、8年前に出会った少年と別れを告げて一度去った街に再び帰って来たのだった。

他の街を見て回ろうと思い歩き回ったはいいけれど、8年経った今もこの街のことが頭から消えなかった。


少女は今、あるマンションに住んでいる。家賃や家具の類は少女が自分でお金を貯めて払った。カレンダーを見ながら辛かった日々を思い出す。少女は、思い出に耽っていたせいでバイトの時間が迫っているのに気づかなかった。


バイトの時間に遅れないようにとセットしておいた時計のおかげで、少女はバイトの時間が迫っているのに気づいた。慌てて身支度をして慌ただしく外に飛び出した。

管理人室の前を通れば、慌ただしい少女の様子を見て何かを察したのか「バイト、遅れないようにね。」と言ってくれた。


管理人さんの優しさを噛み締めながら、小さく頷き外へ飛び出した。


雲ひとつないよく晴れた3月。並木に咲く桜の花は蕾から開花したばかりだ。満開はまだ先だが、青空に桃色の花びらが舞っていく様子を見ると、心が穏やかになる。


少女は小さく笑みを浮かべて、先程よりも足早にバイト先へと向かった。


「すみません…。遅れましたー。」


カランカランと独特のベルの音と共にドアを開けて、お客さんのいない店にそう告げた。すると、奥から店長が出てきて、少女が遅れたことを気にすることなく穏やかな笑みを浮かべて少女に言った。


「ああ、待ってたよ。」


店長の言葉を聞いて少女は、疲れた表情を見せずに薄く微笑み店の奥へと入って行った。開店まであまり時間がないため少女は慣れた手つきで、サッサッと業務用の服に着替える。

店に出ると店長がすでに準備を進めていた。少女は慌てて手伝いに入った。


ここは、通路の奥にひっそりと建っている小さな喫茶店。店員は今のところ少女と店長の2人だけだ。

訪れる人が少ないため、特に忙しいということはない。けれど、いつ誰がきてもいいように毎日喫茶店の中は綺麗に掃除している。


「人が滅多に来ないのに、毎日来てもらってごめんね。他にもしたいことあるんじゃない…?」


店長は、テーブルを拭いている少女に申し訳なさそうにそう声を掛けた。

少女は、そんなこと気にしてたのか。と少々あきれた様子で息を吐いて、眉を下げる店長に優しく告げた。


「いえ、特にしたいこともすることもないので…。」


表情一つ変えないで少女は店長にそう言った。

少女が自らこのバイトをしようとしたのは、マンションから近いという理由はもちろん、人が少ないっていう事と最も重要なことがある。

それは、この喫茶店には、様々な絵画の作品がある。風景画や人物画、植物の絵まである。


それらの絵を眺めることが最近のお気に入りだ。だから忙しくてもそうでなくても、絵に囲まれているならなんでも楽しく感じる。

店長にも面接の時、そう伝えた。けれど店長は軽蔑することなく快く少女を迎えた。


「…まあ、まだ13歳だからね。これから見つけていけばいいよ。」


店長にそう言われたが少女は、やりたいことを見つけている。それを相談しようと何度か機会を伺っているが、人見知りということもあり、なかなか切り出せない。


明日、言おう。そう心に決めて少女は今日の分の仕事をこなした。結局今日は、常連客2人が来ただけで終わった。

業務終了の9時を時計の針がさすと、着替えを終え店長に挨拶をした少女がお店から出てくる。夜空には、無数の星が散らばり、三日月が浮かんでいる。


夜の街を歩き、次のバイト先へと向かう。

暗い裏通りを使いコンビニの裏口から、中へと入っていく。更衣室には、入ってきた少女と業務を終えた男性店員だけだった。


「おつかれっしたー。」


男性店員は、少女にそう言って背を向け去って行った。

少女は何事もなかったように着替えを終えてレジへと入って行く。深夜での業務になるため、お客さんはそこまで多くはない。


交代の時間まで何もなかったので、少女はホッとして、着替えコンビニを後にした。


帰宅途中に少女は路上に立っている時計台を見上げて、予定より少し遅れていたのに気づき足早にマンションに帰った。

マンションの階段を駆け上がり、鍵を開けて中に入る。お風呂を済ませ、自分の部屋に行くと少女はスケッチブックと鉛筆を取り出した。


スケッチブックを開き目の前に置かれた花瓶に入っている一輪の花をじーっと見つめ、スケッチブックに鉛筆を走らせる。

少女の描く一線一線が、迷いのない絵へとつなげていく。


2年ほど前にあの喫茶店でバイトを始めた頃に、同時進行で美術の勉強も独学で始めた。脳裏に焼き付いた美術館で見た春夏秋冬の花の絵がいつまで経っても忘れられない。

だから少女は興味のなかった美術に少し触れてみた。


それが少女のやりたいことへのきっかけとなった。