QUARTETTE

伊織花純@コミンカフェリヴァージュ
@waltzxxxkiss11

1.

「ちょっと、いいか?」

 ナイターを観ていた俺の背後で、遠慮がちな声がした。

 俺がナイターを観ているときは――それも、巨人が負けているときは特に――声を掛けてはいけないというのは、我が家の数多い不文律の中に含まれているはずだ。

 それなのに、この内海が打ち込まれている七回表の状況で、声を掛けるとは、自殺行為に近い。

 そう思いながら、振り返ると、申し訳なさそうに次兄の量也(かずや)が佇んでいた。手にはコンビニの袋をぶらさげている。

「なんだよ。今、野球観てるんだけど」

 俺は、長兄・勇仁(はやと)に対してなら絶対に吐けないであろう悪態口調で答えた。この次兄には、大抵の言動が許される。

 人がいいと言うか、お人よしというか、優しいというか、全部というか。

 とにかく、次兄は扱いやすい。多少、ゾンザイにしても問題がないからだ。

「わかってる」

「わかってんなら、後にしてよ。今、巨人ヤバイんだから」

「それもわかってる。わかってるけど、緊急事態なんだ」

「緊急事態?」

 俺が興味を持ったと思ったのか、量也兄はずかずかと入り込んで来て、すとんと俺の隣に座った。

 もっとも、ここは皆が自由に使える居間なのだから、入るのは自由だ。逆に言えば誰にも占領資格はない。

 その距離があまりに近くて、俺は少し身体の位置をずらした。

「ずれないで」

 すかさず、腕を掴まれて、引き戻された。

「……なんでだよ」

「大きな声では話せない」

「はぁ?」

 俺は少々、訝しげに量也兄を見やった。

 量也兄は、かつてないほど深刻そうに眉根を寄せていた。

「大きな声で話せないったって、今、家には俺らしかいないよ。兄貴と藜(あかざ)、出かけてるもん」

「そ、その兄貴とあずの話なんだよ」

 量也兄は、俺の言葉を受けて、急に興奮したような口調になった。酒を飲んだときのように呂律もあやしい。

「二人、一緒に出かけた?」

「わけないだろ。兄貴は仕事。梓はガッコ帰って来てから、図書館」

「でも、一緒にいた」

「誰が?」

「兄貴とあず……」

 そう答えると、落ち込んだように、量也兄はテーブルにコンビニの袋を乗せた。

 俺は、袋の中を覗いて、豆大福を引っ張り出した。何も言ってはいないが、この雰囲気からしてこれは俺に買って来てくれたものだ。

「これ、もらうよ」

「うん……どうぞ……」

「いてもいいじゃん。別に。どっかで偶然会ったんじゃないの。なんで、落ち込んでんの?」

 俺は豆大福のパッケージを剥ぎながら、視線をテレビに戻した。

 無死満塁のピンチは相変らず続いていて、マウンド上の内海の元に捕手が歩み寄るところだった。

「……ホテルから出て来た」

「あ?」

 量也兄の言い出した言葉の意味を図りかねて、俺は間の抜けた返事を返した。視線はナイターの画面に据えたまま。

「だから、ホテルから出て来た」

「ホテル? 誰が?」

「何度も言わすな。兄貴とあずだ」

 思わず、俺はぎくしゃくと顔を振り向けた。

「まさかぁ」

 量也兄はなんとも答えずに、ただ厳しく顔を歪めた。

「誰かと間違えたんじゃないの?」

「間違えてない。今日の兄貴は白地に紺のストライプのシャツだったろ。で、あずは白いTシャツ」

「そんな恰好珍しくないだろ」

「でも、兄貴たちだったッ!」

 量也兄が珍しく、大きな声を上げた。

 そのときだった。

 玄関の引き戸が開く轢音が響き、

「ただいま~~ッ」

「ただいま」

 長兄の勇仁と末弟の梓の声がした。

 俺の手から豆大福がぽろりと落ちた。