この激情は

gina(sss)
@HERMTS_sss

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もう何人の女性が現れただろうか。

ドアが開いた瞬間に強烈に香る香水は、窓のない控え室に一瞬にして充満する。

入れ替わり立ち代り現れる女性たちはみんな、親しげに主演の彼に寄り添っては、俺たちに不敵な愛想を振りまいて帰っていく。

俺は息の詰まるような思いで時が流れるのを待っていた。


今日は俺が出演した舞台の千秋楽だった。

大喝采のスタンディングオーベーションで幕を下ろし、最後までやりきった達成感で溢れた演者の元へ、続々と関係者が挨拶へやってきた。

主演の彼だけではない、他の共演者にもたくさんの来客があった。

その中には以前ドラマやバラエティで共演したことのあるタレントさんも多く、挨拶の連続で公演が終わっても仕事は続いているようで。

だからこそ、楽や天が控え室に顔を出してくれた時は心底ホッとした。


2人が差し入れに持ってきてくれた大きなケーキには一面に演目名がデコレーションされていて、「千秋楽おめでとうございます」と書かれたチョコプレートが添えられていた。

俺個人の仕事の関係者にも低姿勢に礼儀をもって接してくれる2人を俺は誇りに思うし、こういうグループを離れた活動をした時は特に、帰る場所があるありがたさを感じる。

「良かったよ」2人にそう言ってもらえるだけで、俺はこの慣れない空間でやっと力を抜くことができた。


それが、きっと良かった。


2人が帰ってからも控え室の打ち上げモードは変わらないまま、たくさんの人が出入りしていた。

ずっとここにいなければいけないという思いはありながらも、俺は少し息抜きをしようと、楽屋を出た。

劇場の屋上へ続く階段に出ようと廊下の角を曲がったその時。

カツカツとヒール音を響かせながら勢いよく階段を駆け上がってきた女性とぶつかってしまった。


ひゃぁ!なんていう女性らしい声と共に長い髪が揺れて、花の香りが宙を舞う。

筋肉の塊にぶつかって跳ね飛ばされそうな彼女の背中に俺は腕を回した。


「大丈夫ですか?」


俺の問いかけに、謝りながら慌てて何度も頭をさげる。

その度に流れ落ちる長い髪をかきあげて、彼女は泣きそうな目で俺を見上げた。


「本当にすみませんっ、怪我はありませんでしたか…?」


こんな華奢な女性に怪我の心配をされるなんてあまりないことで。

俺は自然と笑ってしまった。


「俺はちっとも!すみません、俺も前見てなくて…。」


そっと腕を離すと、彼女は鼻をさすりながらまた頭を下げた。


「すみません!Tシャツが…!」


どうしよう、と依然として慌てながら、彼女は触れていいものかためらうように俺のTシャツに手を伸ばす。


「あぁ、構いませんよ。」


自分のTシャツをひっぱて見下ろしてみると、白い生地にラメラメとした肌色のパウダーとくっきりと赤い口紅がかすれるように着色していた。

Tシャツの胸元にプリントされたブランドロゴを見てさらに慌てる彼女。


「これっ、GUCCIの新作ですよね?!やだ本当にどうしようっ…!」


舞台稽古や控え室でのジャージ姿にも気を使えというのは事務所からの指示だ。

いつ何時、人のブログに載ってもいいように、セクシーでセレブでハイレベルな印象を崩すな、という指示のもと会社から与えられたTシャツ。

汗を吸いにくいし洗濯時も乾きにくいし、俺にとっては厄介な商売道具でしかない。


「大丈夫ですよ。気にしないで。」


すみません…と続けて頭をさげる彼女の肩からショルダーバッグのチェーンがずり落ちた。

それにめり込んで引きずられるようにダウンコートまでずり下がる。

袖に隠れた手に握られてる紙袋にショルダーバッグが直撃したようで、紙袋にシワがいってしまった。


彼女は露わになった鎖骨を隠すようにダウンコートをたぐりよせると、先ほど咄嗟に曲げた肘にかかっていたチェーンがまたずり落ちる。とうとうショルダーバッグは紙袋をすり抜けて床へ転がってしまった。


相当急いでいた様子からして、もともと慌てていたんだろう。

その矢先、人とぶつかり、手土産にはシワがいき、バッグが転げ落ちる。

彼女は落胆したように消えそうなため息をついた。


「…っごめんなさい。」


きっとぶつかった事に対してではない。

明らかに切羽詰まった様子を見せてしまったことへ対しての謝罪。


俺は虚しく転がるショルダーバッグを拾い上げた。


「荷物、持ちましょうか?控え室へ行くんですよね。」


俺が言い切る前から彼女はぶんぶんと首をふる。


「ダメですダメですっ!お気持ちだけで十分ですから、すみません。」


黒い羽みたいなまつ毛に、瞬きするたびにギラギラ輝くまぶた。

ツヤのある唇とセーターを着た鎖骨。そしてそれらを飾る長い髪。


もう、何人の女性が現れただろうか。


また頭を下げながらハンドバッグを受け取り、彼女が動くたびに花の香りが舞って鼻をくすぐる。


ぼんやりとする俺の耳に、遠くからスタッフさんの言葉が飛び込んできた。

どうやら主演の彼が一足先に劇場を去るようで。

控え室から彼が出てきたんだろう。ここからは彼を見送る大勢のスタッフの背中しか見えない。

なんでも明日から別の仕事でスケジュールが固まっていて、打ち上げにも参加できないという話をしていた。

本人は申し訳なさそうで、鼻を鳴らしてどこか誇らしげでもあった。


どんな人間性であってもこの公演でお世話になったことに変わりはない。

先に帰られるなら最後に挨拶をしなければならない、そう思った。だけど。


「あぁ、間に合わなかった…」


そう呟く彼女を前に、俺はその場を動くことができなかった。















”すみませんもう着きます。”


彼女からのメッセージを確認して、すぐに返信をした。

”場所はわかりますか?表まで出ましょうか?”俺のそんな問いに、彼女からもすぐに返信が来た。

”大丈夫です!もう表に着きました。すぐ降りますね”

メッセージを確認してスマートフォンの液晶を落とすとほぼ同時に彼女は現れた。


「すみません、お待たせしてしまって。」


彼女は名前を☆☆さんといった。

また申し訳なさそうにぺこぺこ謝っては流れ落ちる髪をかきあげる。


「いえ、俺が早く着いただけです。」


薄暗いバーカウンターに並んで座る。

こんな洒落た店で女性と会うなんて柄じゃない。

いっそお気に入りの沖縄料理屋の方が気が楽だけど、あまりにも明るい席で☆☆さんと会うことは気が引けた。


「ブラッディマリーありますか?」


☆☆さんの注文に頷いたバーテンダーはさっそく冷蔵庫からトマトジュースと取り出した。

冷えたグラスにレモンを絞る。

俺がその様子をただ見ていたのは、落ち着かない気持ちをどうにかしたかったからかもしれない。


「十さんは何飲んでるんですか?」


「モスコミュールです。芋焼酎で割ってもらって。」


「へぇ、いいですね、焼酎。」なんていう言葉さえも無意識に脳に刻まれていく。

グラスにカットレモンとミントが添えられたブラッディマリーが☆☆さんのコースターに乗せられて、俺たちは控えめにグラスを合わせた。


「お疲れさまです。今日も仕事だったんですよね?」


まだ公表してはいけない仕事だったこともあって、ハイとしか言えない俺に、☆☆さんは言葉を続けてくれた。


「あの、これ。」


がさがさと荷物から紙袋を取り出す。


「同じものがもうどの店舗にも無くて、別のデザインなんですけど…ほんとあの時はすみませんでした。」


おしゃれなものに疎い俺でもわかるくらいに質のいい紙袋には、俺があの日着ていたTシャツと同じブランドロゴがツヤツヤと施されていた。

差し出されるそれを俺は安易に受け取ることなど出来ずに、ただただ狼狽した。


「え!?そんなっ、受け取れません!高価なものなんですよね!?」


好んでブランド物を着ているはずのTRIGGERの十龍之介なのに、俺は無知な自分を無防備に晒してしまった。


「Tシャツを汚してしまったのは私です。受け取ってください。」


そうしないと気が済まないといわんばかりに、ずいずいと紙袋を押し付けられる。

いや、でも、なんていう俺の言葉を☆☆さんは聞こうとしない。

搔き上げる髪に、あの日の花の香りがした。









主演の彼が劇場を去った後、☆☆さんは疲れたように涙を流した。

すみません、すみません…、そう言って涙を拭っては、黒いダウンコートの目地にまぶたのキラキラがきらめいていた。

このまま☆☆さんを放っておくことはできなくて、だけどどうしていいのかも分からなくて。

ただ階段の前でおろおろする俺に、☆☆さんは言った。


「…すみません、取り乱してしまってっ…あの、クリーニング代、これ、」


懸命に呼吸を整えて、これ以上涙がこぼれないように強く目を開いて。それでも財布を取り出す指先は少し震えていた。


「いえ!大丈夫ですから、本当に…!」


財布をしまうように言う俺に、☆☆さんは諦めきれないようで。


「あの、じゃぁ、新品を送ります…。事務所にお送りしてもいいですか?」


トリガーさんは八乙女事務所さん、でしたっけ?と、送り先を確認する☆☆さん。

俺のことを知ってくれているんだな、そんな気持ちを持ったのは久しぶりだった。

そんな新鮮な気持ちを抱くほどに、俺は自分がTRIGGERの十龍之介であることをあの瞬間は忘れていたのかもしれない。


必死の誠意をまたも丁重にお断りする俺に、☆☆さんはもう代替え案が浮かばずに、困り果ててしまったようだった。


「何か、お詫びを…」


うろたえる☆☆さんに、俺は言った。


「お詫びは本当に大丈夫ですから、あの…よかったら今度、食事に行きませんか。」


まるで口説くような口ぶり。何を言っているんだろう。

自分で口にしながらそう思った。

役者としての大先輩の関係者であると言うのに。

俺は彼を囲む不遇な女性たちの存在に同情しているんだろう。

自分が彼の女だと言わんばかりの強気な笑みでやってくる女性たちを、かわいそうな人だと思ってしまった。それに、そんな泥のような人間関係には嫌悪感を持ってしまう。


今目の前で泣くこの女性もそのうちの1人なのかと思うと、どうもこのまま放っておくことはできなかった。

実際のところ彼女と彼の関係は明確ではないけれど、こんな風に疲れたように涙を流すなんて、きっと明るい状況ではないんだろう。

なにか彼女のためになりたい、瞬時に抱いた感情は何の優しさでもない。

俺は単純に、涙を流す弱った☆☆さんにいい格好をしたかっただけだ。

そう、一目惚れをした、それだけのことだった。









「わたし、彼の彼女のうちの一人なんです。」


諦めたように☆☆さんがそう言って笑ったのは2回目に会った時だった。

長い髪が今日は片側にまとめられていて、はっきりと見える横顔を隣に、俺はなんとなく目のやり場に困った。

最初から察しがついてはいたけれど、本人の口から改めて彼との関係を聞くとやっぱりいい気分はしなかった。

あの日、数え切れないくらいの派手な女性が彼の元へ現れた。

みんなその他大勢の存在を知ってか知らずしてか、強気な様子だったこと思い出す。


「それは、つらいことではないんですか?たくさんの女性と同時になんて、俺は許せないな。」


ふたりきり。前回と同じ店に同じお酒、ラグジュアリーなレースカーテンに囲まれた個室席。

人の彼女を隣に、俺は何様のつもりで大先輩を評価しているんだろう。

危険でセクシーなワイルドキャラを保つ気なんて一切なくなっている、いや、☆☆さんに対しては最初からそんな感情持ち合わせていなかったのかもしれない。


「バカみたいですよね。いつまでも関係を終われないなんて。」


慣れたことのように軽く言い放ってグラスに口をつける。

あの日、☆☆さんは急がないと彼に会えないことも、他の女性とブッキングする可能性も大いにわかっていたそうで。


「なんでしょうね、もう習慣っていうか、そういうものだってどこかで納得してしまってるんです。」


「だけど、それはいつまでも続けられることではないですよね?」


あれだけ奔放に女性を振り回す彼が、今後複数の彼女との縁を切るということは考えにくい。

彼のたった1人の彼女になんて、誰もなれないかもしれないのに。

なのにどうしてそんな彼に固執しているのか。

☆☆さんの身を案じるこの感情は苛立ちに似ているようで、どうにも処理できない気持ちがもどかしい。


「わたし、彼の幼馴染なんです。高校の頃から付き合ってて。」


最初他に彼女がいるとわかった時は本当にショックで、相当喧嘩もしたそうで。

だけど、別れたくない一心で結局その存在を認めることになってしまい、もうそれ以降の感情など記憶にないらしい。


「それだけの事実にすがって、いつまでもどこか期待してしまっていて。もう終わりにしようって何度も思ったんですけどね、やっぱり彼からの連絡にほだされてしまって…。」


俺とこうして連絡を取っている間にも☆☆さんには当然彼がいるわけで。

そんな彼には他にたくさんの女性がいて。

鎖骨を飾るネックレスが良く見える。輝くそれは彼からの贈り物だろうか。


「どうして、泣いていたんですか?」


こんなこと、俺が聞いていいことじゃない、わかってる。

だけど、☆☆さんを振り回す彼が許せないし、ただただ俺は、彼女のことがー…。


俺の問いに☆☆さんはグラスを揺らして考え込んだ。

飲み口に移った口紅はカクテルの色と似ていた。


「会いたくて、彼に。でも、会えなくて…ショックだったんだけど、でも、同時に、もうやめたいって思っちゃったんです。」


「会えなかったことにホッとしてしまって」☆☆さんはそう付け足した。

これまでは彼が鼻を鳴らす”貴重な時間”に何とか滑り込んで会うことができていたらしい。

だけど、あの時初めて彼と会うことができなかったそうで。


「あぁ、もう本当に潮時なのかもしれないって思って。」


一番似合う靴を履いて、目一杯のおしゃれをして、急いでやってきたのに彼に会えなくて。去っていく背中さえも見えなくて。

惨めで、みっともなくて、飾ってきた自分がバカみたいだ。さらに俺の服を派手に汚してしまって、何もかもがうまくいかなくて、もうスイッチが切れてしまったと。


彼は☆☆さんにふさわしくない。

彼のためにもう悩む必要はない。

俺が☆☆さんを幸せにしてみせます。


浮かぶどんなセリフも薄っぺらい。

こんなのが通用するのはドラマの世界だけだ。


「もう終わっていいよって、誰かに言われたかったのかもしれません。彼のこと、きっと今も好きなんです。だからこそ、一緒にいてもつらいばっかりで…。」


「だけど、もう、ダメなんです。」そう続ける☆☆さんのうなじに、消えかかったキスマークが見えた。

最後に彼と会ったのはいつだろう。

次に会うのはいつだだろう。

「もうダメなんです」という言葉の真意は、俺と会ってくれるその感情は、何だろう。

たくさんの疑問が頭の中を埋め尽くす。

だけど、☆☆さんを取り巻くどんな現実も、きっとこの激情には関係のないことだ。


「☆☆さん」


女性の扱いなんてよくわからない、共演したどんな綺麗な人に対してもそう思ってた。

だけど、わかっているとか、わかっていないとか、そういう問題じゃないんだ。

本当に欲してしまっていて。考えもなしに体がうごいてしまって。

気持ちを止めることができなくて、どうしようもなくて。

俺は☆☆さんをそっと抱き寄せた。


傷ついてほしくない、惨めな思いをしてほしくない、彼に、気を取られてほしくない。

どんな気持ちも本当すぎて、簡単に口にすることははばかられてしまう。

想いを伝えることには、何の制限もないはずなのに。


「俺は、☆☆さんに泣いてほしくないです。」


俺の名前を口にして戸惑う☆☆さん。長い髪をとくように指を通した。

出会ったばかり。お互い何も知らない。☆☆さんには彼がいる。

道徳心をもって己を咎めるのも、言い訳を並べて納得させるのも自己満足でしかない。

そんなつまらないこと、考えていたって仕方がない。


「もう、帰らないでください…。」


溢れる☆☆さんの涙を拭った。

俺に向いてくれたところで、すっきりと彼との終わりがくるかはわからない。

だけど、やっぱりそれは、俺が自覚したこの気持ちには関係のないことだ。



深夜のタクシーにふたり乗り込んだ。

寄り添うこの夜が明けるのはいつだろう。

いつか朝が来た時にも同じように並んでいられるだろうか。

その時☆☆さんは、俺は、誰を想っているだろうか…。






end