宇宙の話をしよう

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「ねえ、遠い宇宙の話をしよう」


そんなロマンチックなフレーズを、昔どこかで見かけた気がする。ぱらぱらとめくったファッション誌だったか、アイドルのキャッチコピーだったか。細かいことはもう思い出せないけれど、当時は気にも留めていなかった筈のフレーズが、今夜はどうしても頭から離れない。


さて、私はいったいどんな話をするのだろうか。


少年のような瞳が、いま私を静かに射止めている。


理系畑で育ってきた私に、ロマンチックな話を期待するのは野暮というものだ。でもそんなことは、お互いわかりきっていて。私はどうせ、期待に「応える」ことしかできないし、目の前のオトナは笑ってそれを受け容れるだけ。どんなに背伸びをしたところで何ひとつ届かないのだから、それはそれでいいのだけれど。


「……そういえば、サークルの知り合いに地球学科のコがいたんですけど」


……ほら、もう笑い出してるし。


「ゼミの飲み会とか、時々呼んでもらってて……やっぱり地球とか宇宙の規模でモノ考えてる人たちはすごいなって思いましたね」


宇宙の話をしようっていうから、一生懸命ひねり出したのに。


「そこで宇宙の話じゃなくて、大学のゼミの話になるところが玲ちゃんだよね」


またしても、私は期待に「応え」てしまったらしい。きっと私はいま、悔しい表情が丸出しになっているのだろう。ちっとも悪いなんて思ってないくせに、なだめるように髪を撫でる手。この手のぬくもりに、私は何度も騙されてきた。


そして今日も、やっぱり騙されている。


「あー、玲ちゃんと月旅行とかしてみたいなー」


ひとしきり私をなだめたところで、つかの間の宇宙少年がふと呟いた。そうか、そんなことを言えばよかったのか。気付いたところで遅すぎる気もしたけれど、ここは頑張って調子を合わせておきたい。


「そういえばそんな歌もありましたね。Fly me to the moonでしたっけ」


月旅行なんて何十億円もかかるし、第一、格好がロマンチックじゃなくなりますよ。そう言わなかったのは、恋愛偏差値10億の恋人をもつ者としてのギリギリの矜持だ。奇跡的に洋楽のタイトルなんて出てきちゃったんだから、どうかこれで合格にして頂きたい。


それにしても……真っ白い月から見下ろす地球は、あるいは見上げる地球は、いったいどんな景色なのだろう。ほんの少しだけ、柄にもなく、想像の世界に思いを馳せてみる。きっと青くて、丸くて……ひょっとすると、少し寂しい景色かもしれない。それでも、愛する人と一緒なら……純粋に美しいと思えるのだろうか。


ふと、隣から調子っぱずれな鼻歌が聞こえてきた。音程はぐちゃぐちゃだけど、品の良い発音で、渡部さんがFly me to the moonを歌っている。


「In other words, hold my hand」


言い方を変えよう。俺の手を取って。


「In other words, baby, kiss me」


別の言い方をすれば……俺にキスして。


ああ……これは完全に飲まれてしまう展開だ。渡部さんはいつの間にか宇宙少年の仮面を剥いでいて、すっかり恋人モードになっている。気付いた時には、私は腕のなかに閉じ込められていて、もう逃れられそうにない。指が絡まり、唇が頬を撫で、熱い感触がいやでも脳随を甘やかす。


「In other words…」


そして……この人はズルいから。


「ねえ、玲ちゃん……」


いっそ、ぐだぐだに溺れさせてくれたらいいのに。


「続き」


意地悪な歌詞なんて、促さないで。


「……玲?」


もう……


「……I love you」


消え入りそうな声でなんとか絞り出すと、私はそのまま顔を埋めた。遠い宇宙の話はすっかり溶け去り、ロマンスの欠片もない私の意識は、ズルい大人の掌に容易く弄ばれる。


「……よくできました」


甘いささやきは耳元を掠め、あとはもう、委ねるだけだった。きっと私たちは永遠に、宇宙になんて飛び出せないだろう。どんなに美しい景色も、この熱を手放す理由にはならない。愛しい人に抱かれながら、ぼんやりとそんなことを思った。


視界の隅では真っ白な月が、恨めしそうに私たちの情事を見つめていた。

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