眼鏡をかけたあの子の大革命 2

まごちゃ
@magocha12

革命前夜

2.


淳平が奏の補佐に入って一週間経ち、漸く奏は淳平と仕事をする環境に慣れてきた時だった。


「今日はこれでおしまいです」

「ふぅ……」


法務・知的財産部はもとから社員の人数が少ないので、定時が過ぎて残っている者はほとんどいなかった。

もう上がっていいと指示したにもかかわらず、淳平は席を立とうとしなかった。


「……奏」

「っ!」


いくら顔見知りだからといっても、淳平も奏も会社の中ではちゃんと名字で呼びあっていた。

だから不意を突かれた。


淳平は「葉波さん」と呼ばず「奏」とわざわざ読んできたということは、私用で奏に用事があるからだ。


「な、なに?」

「一緒に帰ろう。もう遅いから、送ってく」

「だ、大丈夫だよ!こんなこといつものことだし……」

「ダメ、お前がよくても俺が嫌だから」

「……え?」


奏が書類から視線を上げると、そこには真剣な顔をした淳平と視線が絡んだ。どきりと胸が高鳴る。


奏はそれを隠すように視線を外したのだが、顔が赤くなってしまっている時点でもう淳平にはわかってしまっているようだった。

沈黙はそう長く続かなかった。


「わ、わかったから……。お願い、そんなに見ないで……っ」

何とかそれだけ言うと、淳平がふっと笑った気配がした。


「じゃあ、行くぞ?」

「……うん」


奏は広げようとしていた書類が入ったファイルをしまうと、席を立った。それと同時に淳平も席を立つ。



****



「久しぶりだな、こうやって一緒に帰るの」

「久しぶりって……小学校の時以来じゃない」


昔好きだった人が今大人になって自分の隣にいることに、恥ずかしさと不思議とした居心地の良さに、奏は驚いていた。


「淳君は、昔誰が好きだったんだっけ?」


聞くつもりなんてなかったことが、勝手に口から零れてしまって奏は動揺した。


「んー小学校の頃?誰だったかな」

「……ごめん、今のなしっ!もう、昔だもんね」


そう取り繕うとした奏とは対照的に、淳平はうんうん唸りながら、「あ、思い出した」と一言言った。


「俺、あの時誰も好きじゃなかったんだよね」

「……えー、嘘だぁ。淳君の本命は千夏ちゃんだってみんな言ってたもん」

「マジかよ。……俺、そんなこと一言も言ってないって」

「ふふ、もういいよ。ごめんね、こんなこと聞いた私が……っ」


何をいまさらショックを受けているんだろうと、奏は泣きそうになっている自分がいることに、「馬鹿だな」と思った。


変に空いてしまった沈黙を破ったのは淳平だった。


「奏、ちょっと来て」

「えっ……あっ」


ぎゅっと手を握られて裏道に入る淳平に奏はただついていくことしかできなかった。

そしてたどり着いた公園のベンチに二人で座った。


「はい」

「え?」

「……泣いてるよ」

「っ!」


ハンカチを差し出した淳平がちょっと困ったようなそれでいて不思議と柔らかい笑みを浮かべていた。奏は淳平に指摘されるまで泣いていることに気づいていなかった。それが、凄く恥ずかしくて淳平から顔をそむけてしまった。


「ご、ごめんなさい……、困らせちゃったね」

「……ねぇ、今奏はなんで悲しくなったんだ?」

「ち、違うの……っ、悲しいんじゃ、ないよ」

「じゃあ、なんで?」


なんでって、こっちが知りたいくらいだと奏は思う。


「奏。こっち見なくていいから俺の話、聞いて」

「……」

「覚えてる?小学校の文集に、「お姉さんにしたい人」の欄に、俺は奏の名前を書いた」

「……覚えてるも何も、淳君私に言ったよ?“葉波がお姉さんだったら面白そうだな”って」


そうだ。

その時、奏は淳平への恋心が砕けたことを思い知ったのだから。


「そんときさ。奏の顔が一瞬曇ったの、俺見逃さなかった」

「っ……!何が、言いたいの?」


奏はきつい言い方で淳平に問うた。こんな惨めな思いをしたのは、初めてだ。

淳平は「ごめん」と一言告げると、奏の体を抱き寄せてぎゅっと抱きしめた。一瞬何が起こったのか奏は理解できなかった。

ただ、冷え切った体に包まれるような温もりを感じて、そこで初めて淳平に抱きしめられているのだとわかった途端、抵抗をした。


「やめてっ……!離してっ」

「嫌だ、離せって言われても嫌だ」

「?!な、何言って……」


淳平は抵抗を見せる奏の体をきつく抱きしめ、離す意思がないことを示した。奏はそれにますます混乱する。


「奏、聞いて」

「いやっ」

「お願いだから」

「っ……淳君は、ひどいよ……っ」


奏は抵抗していた腕を下した。


「奏が姉貴だったら楽しそうだって言って、お前の顔が曇ったのを見た時“もしかして、奏は俺のこと好きなのかな?”って思った」

「……っ」

「それと同時にもしそうなら、今凄く酷いこと言ったって思った。ごめんな」


奏はもう涙をこらえることが出来ない。そのまま淳平は続ける。


「俺も奏も中学受験して二人とも合格して別々の学校に行った。その後暫く経っても奏のことが気になってしょうがなかった。連絡しようかとも思ったけど、今更何を言えばいいのかわからなくて、大学受験が終わった後も、どこかで奏のことが頭の片隅にあった」


淡々と話す淳平の話を、奏は夢物語のように感じた。


「社会人になってようやく気持ちの整理が出来たと思っていた。でも、忘れたはずの奏が目の前に現れた瞬間、記憶が一気に溢れた。俺、ずっと……」

「……ずっと?」


奏が見上げると、淳平が真摯な顔をして奏のことを見つめていた。


「ずっと、奏のことが好きだった。今も、昔も、ずっと」

「っ……、ホントに?」

「ああ。……葉波奏さん、俺と付き合ってください」

「…っ、私も、ずっと…淳平君のことが好きだった…昔も、…今も」


淳が笑った気配を感じた。


「じゃあ、返事は?」


ずっと夢を見ていた。

でもこの夢は叶うことなんてないと、諦めていた。


奏は潤む瞳をそっと閉じた。淳平は奏の顎に指をかけて上を向かせると、その唇に自分のそれを重ねたのであった。