本と猫と冒険譚

Kuzunoha
@kuzunoha_ff

本と猫と冒険譚/7

 時折エル・トの問い掛けに脱線しながらもゆるゆると続く旅の話は、止め処なく途切れず、気付けば窓の外は日が暮れていた。

 さすがに話し疲れたアバルウィルフは、長い時間を掛けてようやくタルトを食べ終えたエル・トに微笑むと、一度終わりにしようと話を切った。なにしろイシュガルドと竜とアラグ帝国を巡る物語はあまりにも長く、一日で語りきれるものではないのだ。

 すっかり冷めたティーポットを手に立ち上がった大きな背を、エル・トの眼差しがゆるゆると追い掛ける。

 本に描かれる冒険譚そのものだったアバルウィルフの旅路は聞き飽きないが、しかし、今食器を片付けてランプに火を入れるルガディンの姿はどこにでもいるどうということのない一人の男だ。

 柔らかなランプの灯りに照らされた本の陰影を見やり、古びた背表紙に手を伸ばす。ここに綴られた冒険譚よりも、アバルウィルフの物語は遥かに胸が躍る。

 そこには紛れもなく作り物ではない命のやり取りがあり、心のぶつかり合いがあった。それはつまり、アバルウィルフの生きた軌跡であり、同時に無数の死を看取ってきた道――。

「また近いうちにイシュガルドに行くのか?」

 エル・トの問いに、夕凪の風を遮る鎧戸とカーテンを閉めたアバルウィルフは顎髭を撫でた。

「そうだな。さっき機工城アレキサンダーという機械仕掛けの蛮神の話をしただろう――実は、まだあれは眠っていないんだ」

 打ち倒したのは蛮神そのものではなく、蛮神を呼び出し世界を変えようとするゴブリンたちの一派だ。それも壊滅させたわけではない。なんとか一部の機能は停止したが、エニグマコーデックスを読む事ができるゴブリン族の少女は拉致されたままだ。

 なんらかの方法で突入し、少女を助け、アレキサンダーを今度こそ止めなければいけない。それに、一概にすべてが終わったとも言えない。散り散りになった賢人たちの一部はまだ行方もわからず、問題の先送りを繰り返されてきたアラミゴ奪還を目指し、帝国の侵攻に声を上げようとする存在が動き出した気配もある。

 やらねばならないことは山積みで、当地からひっきりなしに「英雄」の手を求める有形無形の声があるのは事実だ。

 こうしてひと時の休暇を満喫して英気を養ったあとは、また旅立たねばならない。

「それは、貴方でなければいけないことなんだろうか」

 唐突な言葉に、それを発したエル・ト自身も驚き、口元を押さえた。

 アバルウィルフの語る物語は楽しい。それは彼の生還という形で終わったことをなぞっているからこそ、決意を込めて散っていった蛮神シヴァ――氷の巫女イゼルの最期も、肌に突き刺さり引き裂かれるようなイシュガルドの吹雪も、鼓膜を破るような1000年の悲しみと怒りをこめた最後の咆哮も、雪解けを迎えた三国とイシュガルドの同盟と竜族との融和も、興奮する冒険譚として聞けるのだ。

 けれど、その一つ一つを踏みしめながら歩いた彼にとって、輝かしい英雄の軌跡と一言で表してしまっていいのだろうか?

 彼の語り口はあまりにも光と正義に満ちていて、だからこそ、足元に落ちる闇の濃さがひどく気になるのだ。

「……光の戦士は、私だけではないんだよ。たくさんいる。ハイデリンの声を聞きクリスタルを託されたけれど、まだ自分の運命が星の命運と絡んでいない光の戦士は、冒険者として色々なところを旅している」

「光の戦士って、そんなにたくさんいるのか?」

「そうだ。例えるなら光の戦士は山肌を流れるたくさんの小川だ。その中の幾人かがハイデリンの意志と人々の願いに突き動かされて、時代という川に流れ込む。もちろん自ら使命を見出して戦う存在も居る。さっき話したイゼルがそうだ」

「シヴァって、蛮神、じゃ―――?」

 もともと新聞や情報屋の噂話で、イシュガルドの動乱は聞いていた。その中で氷の巫女と呼ばれるエレゼン族の女が、竜とつがいになった伝説の魔女シヴァを降ろし、蛮神として顕現したということも。そして英雄によって打ち砕かれたとも。

 しかしアバルウィルフの話では、その後再会して旅路をともにした氷の巫女は、竜と人の対話に心身を砕き最期には希望を託して散って逝った。

 それが光の戦士だったというのか。光の戦士が蛮神になるのか。訝しげに耳を揺らすエル・トにアバルウィルフは揺れるランプの灯を懐かしげに見つめた。

 あの夜、ドラヴァニア雲海の片隅で焚き火を囲んだ夜も、こんな風に炎は優しく揺れていた。

「私たちエオルゼアの人間にとっての正義と袂を分かっただけで、イゼルは決して悪ではなかった。救いたかったし救われたかった」

 そして自分の最期の役目を悟り、エーテルに還っていった。氷の巫女と呼ばれた彼女は雪の中を彷徨うただの少女で、シチューを作るのが上手な少し生真面目すぎる人で、竜と人の幸せだった時代を見てしまい、それを叶えようとしただけの――。

「アバルウィルフ、……そんなにたくさん居るなら、なおさら貴方でなければいけないことなんだろうか」

「私でなくてもいい、かわりはたくさんいる。私がこの道を降りれば、他の光の戦士の誰かがまた英雄になる」

 つまりそれは彼以外の誰かが有象無象の祈りを背負い、「英雄」の名とともに数多の生と死の慟哭の上を歩き出すことを意味している。

 間を持て余して何気なく手に取った一冊の古い本に旅の始まりを思い出し、アバルウィルフはふと笑った。

「始まりは他愛ない誰かの頼みごとだった」

 人を呼んできて欲しい。届け物をして欲しい。簡単な害獣の駆除や、ほんの少しの手助け。次第にその数が増えていき、考えるより先に行動していた。やがて冒険は危険を増し、すれ違った人々のあっけない死を知る日々がやってきた。

 自分が歩いている道が崖の上の細い隙間だと気付いた時、もう立ち止まることはできなかった。それが自分の意志なのか、見えない運命というものなのか。気付けば突き動かされるように動き出した世界に飲み込まれ、ある日呼び止める声に振り返った時「英雄」になっていた。

 それは通り過ぎた人たちのように命を懸けるほどの熱を帯びた正義でも信念でもなんでもなく、ただただ、歩いた道の先にあったのだ。

「アレキサンダーを止めることが出来たら、君に聞いて欲しい話がある」

 5年前のあの日、賢者ルイゾワがエオルゼアにもたらした新生。あの日を語らずして、自分の存在をエル・トに正しく伝えられる気がしないのだ。

 言葉に迷うアバルウィルフを見上げ、猫は困ったように耳を伏せた。

「……俺には光の戦士で英雄と呼ばれる貴方が、幸せに見えない」

 時代の先鋒を駆け抜けて数多の勝利と名誉を勝ち取りながら進んでいく、エオルゼア中の冒険者達の憧れる偶像にも似たその男は、大好きな本を集めた部屋の中でひどく小さく見える。

 エル・トの素朴な言葉に、手にした本を棚に戻し、アバルウィルフは笑った。

「だから私は、めでたしめでたしで終わる物語が好きなんだ」

 いつか来る終わりの日、せめて自分の未来も、そうありたいと。