本と猫と冒険譚

Kuzunoha
@kuzunoha_ff

本と猫と冒険譚/6

「最近ウィルフ、付き合い悪いよね」

 エオルゼアに戻りしばしの休息を取ろうと解散するなり、アバルウィルフは用事があると消えてしまった。

 大柄な体がテレポで消えた空間を眺め、誰ともなしにポツリと声が落ちた。

 以前の彼なら、周りの酒の誘いに乗って最後になるまで付き合っていたというのに。

「考えたいことがあるんでしょ、多分ね」

 1000年も人を憎み恨んだ竜の最後の咆哮が、まだ皆の耳に残っている。大切なものを奪われ、失い、孤高になってしまった竜と、出会うたびに大切になった人を失う自分たちと、違いは果たしてどこにあるのだろう。

 全ての慟哭を怒りに変えて咆えた竜の姿は、憎むべき邪悪な竜とは言い切れなかった。

 考え出せば切りがなく、一つの結末に至ったというのに、未だに心の何処かに引っ掛かりが消えない。

「そっとしといてあげましょ、どうせ私たちはまた、戦わなきゃいけないんだから」

 ハイデリンがそう望む限り、立ち止まれないことは分かっている。苦しさを超える出会いの喜びと新しい冒険の楽しさがあるとはいえど、失う痛みは何度繰り返しても慣れないのだ。

 どうしたって自分たちは、人だから。


   +   +   +


 日永一日蔵書に囲まれていると、エル・トは時間の概念を忘れてしまいそうだった。

 本棚の高い場所にある蔵書を虫干ししようと持ち出した脚立の上に座り、古びた紙とインクの臭いを嗅いでいると、ひどく心が落ち着く。おそらく一生を掛けても読み切らないだろう数に包まれ、エル・トはまるで図書館の中にいるような錯覚を覚えた。

 昔、元気な姉たちについて行けずに一人で親の書斎に潜り込んだ時、こんな不思議な気持ちになったのを覚えている。

 窓から差し込む光はレースと観葉植物に程よく遮られ、室内は読書に適した光度に保たれている。暑くも寒くもない、本にとって最適な環境だ。

 逆に言えば、生活感がどこか足りない。最低限のベッドとキッチン、水回りが整備されているが、アバルウィルフという人柄を覗かせる遊びはほとんどない。

 アバルウィルフはなぜこんな数の本を集めたのだろう。ふと疑問が湧き出した耳元に、久々に聞く声が飛び込んだ。

――ただいま。もうすぐ家に着くが、君は今どこにいるかな。

 ほんのふた月ほど聞いていなかっただけでひどく懐かしさを感じる声に、エル・トの柔らかな耳がぱたりと小さく揺れる。帰ってくるのだ。胸の端がざわつくような感覚に、答えるべき言葉が出てこない。

 しばらくの沈黙に、エル・トは焦った。もうすぐということは、答えなければアバルウィルフが帰ってくる。薄い唇が数度動き、ぽつりと答えを吐き出した。

――本を読んでたから、貴方の家にいる。

 答えからほんのふた呼吸ほどで、ドアが開いた。

 脚立の上から振り返ると、大柄な人影がドアの前で少し迷っているのが見えた。どうしたのだろうと首を傾げ、ぱたりと尻尾を揺らしたエル・トを、穏やかな笑みを浮かべたアバルウィルフが見上げた。

 少しの沈黙のあと、ルガディンはゆっくりと聞きやすい低い声を発した。

「ただいま」

 こういう時になんと言えばいいのか。エル・トは少し困った。日頃、誰かを迎えたり、誰かが待つ場所へ行くがなかった。

 またしばらく沈黙が落ちる。思案するうち、エル・トはようやく一言、静かに答えた。

「おかえりなさい」

 途端に破顔するルガディンを見て、あっていたとエル・トは内心安堵した。

 膝に抱えていた本を棚に戻し、エル・トは身軽に脚立から飛び降り、旅の荷物から汚れた服や備品を出して片付け始めたアバルウィルフに歩み寄る。

 長い旅にまつわるこんな姿は、物語の中には描写されない。興味を惹かれて覗き込むエル・トに、アバルウィルフは少し恥ずかしそうに笑った

「汚れてるから臭うだろう?」

「そうでもない。続けて」

 止まった手を促すエル・トに、さっさと片付けをしてしまおうとアバルウィルフは荷物を広げ、倉庫やチェストに投げ込んだ。その一つ一つを、好奇心を覗かせた黒く丸い瞳がじっと見つめている。

 面映い時間だった。

 片付けが終わるまで、エル・トは傍で一つ一つを見つめてはぱちりと瞬く。涼やかでともすれば冷たくすら見える無表情だが、アバルウィルフの作業に興味があり面白いのだと、ぱたぱたと動く耳や尻尾があらわにしている。

 こんな風に旅の後片付けを誰かに見られるのは、アバルウィルフにも初めての出来事だった。

 なんとも慣れない時間を終え、汚れ物を洗い桶に投げ込んだところで、くちゅんと小さなくしゃみにアバルウィルフは驚いた。

「風邪かい?」

「……いや、違う」

 ルガディンの心配には申し訳ないが、汚れた服はやはり臭い。くちゅくちゅと鼻をこするエル・トに、アバルウィルフは思わず笑いを漏らした。

「お土産があるんだ、お茶にしようか」

 旅の土産など想定していなかった。驚いて一瞬耳が立ったエル・トに笑い、アバルウィルフは小さなキッチンへむかった。手際よく湯を沸かし、荷物から出しておいた包みを開く。

 低地ドラヴァニアの片隅で採れるスナーブルベリーをたっぷりと使ったタルトは、香ばしいタルト生地に苺のジャムを詰め込み、仕上げにジェルが掛かっている。

 油紙の包みを開けるなり甘酸っぱい匂いが溢れ、視界の端でエル・トの耳がぱたぱたと揺れた。

 わかりにくいがわかりやすいエル・トの反応に、アバルウィルフは満足げに笑った。食べやすい大きさに切り分け、ハーブティを添えてテーブルに並べると、どの席に座っていいのか迷う黒猫にシュラウド様式の椅子を引いた。

 召し上がれとすすめるアバルウィルフを一瞥して、エル・トはそっと宝石のようなケーキをつつく。小さな一口を食べたのを眺めながら、ルガディンは旅の日記をぱらりとめくった。

「留守をありがとう、しばらくはこちらで落ち着けそうだ」

「そう、ならよかった」

 あまり興味のなさそうな声で答えたエル・トの関心は、エオルゼアの三国では手に入らないイチゴにあるようだった。それは遠い空の向こう、旅先の味だ。

 ゆっくりゆっくりと小さめの一切れを食べる猫を目の端に捉えながら、日記から栞を抜き、ページをめくる。

 旅の軌跡を確認していたアバルウィルフは、ふとエル・トの視線に気付き、顔を上げた。黒い猫の瞳が、傍らに置いた羽の栞を見つめている。大切にしすぎて少し羽根の縁が傷みかけた栞は、エル・トがくれたものだ。

「手入れをしないといけないね」

 自分が見ていることに気づかれたエル・トがそっと目をそらす。

「……そうだね」

 ぽつりと素っ気ない言い方をするのも、この猫の癖だ。知り合った当初こそ気分を害したかと気になったが、ただ口数が少ないだけだと知った今は、あまり気にならない。

 ただ、きれいな声だから、もっと聞きたい。そう思いはするのだ。

 少しだけ迷い、アバルウィルフは思い切るように提案した。

「なにか、話をしようか」

 本の話以外の、何かを。唐突な提案に驚いたエル・トがきょとんとした顔で片耳をぱたんと揺らした。

「話…………」

 いきなり言われても自分は話題が豊富な方ではない。何を話せば良いというのか迷い悩んだエル・トは、ふと思い出した。聞いてみたかったことが一つあったではないか。

「なぜ、こんなに沢山の本を」

 個人の蔵書としては相当な量だ。しかも大半が旅行記と英雄物語。偏りすぎている。

 素朴な疑問を向けられてアバルウィルフは顎髭を撫でると、そうだなと笑った。

「めでたしめでたしで終わる物語が好きなんだよ。おとぎ話のように、戦って、帰ってきて、幸せになりました。めでたしめでたし」

 現実はそうならない。光の戦士だ英雄だと言われて、帰って来てもすぐに駆り立てられる。

 帰る場所と思った仲間も、居場所も、気付けば戦いに巻き込まれて失っていることも少なくない。ただの人として生きている時間を、唐突に断ち切られることもある。そうして放り出されて、ほうほうの体で帰ってきても、めでたしめでたしで日々は終われないのだ。

 だから作り話の中でくらい幸せなまま終わる物語が好きだった。一冊、一冊。増やすうちに気付けば本棚が溢れ、こうして積み上がっていった。

 どこまで言葉にしていいか見当がつかず、アバルウィルフは一口お茶を飲むと、答えになっているだろうかとエル・トの顔をうかがった。

「そうなんだ」

 明らかに返事に困った様子で耳を寝かせた黒猫は、積み上がった本の山を見やると、小さく耳を揺らした。

 そして薄い唇を開く。

「旅の話を………」

 予想外の言葉に首を傾げたルガディンを見ないまま、エル・トはぽつんと問いかけた。

「旅の話を、聞いてもいい?」

 真意を取りかねたが、しかし、その言葉自体は嬉しい。

「――――いいとも、どこから話そうか」

 まずはもういっぱいとお茶を入れ直し、アバルウィルフはポツポツと途切れがちな問いに一つずつ、丁寧に旅の軌跡を語り始めた。