本と猫と冒険譚

Kuzunoha
@kuzunoha_ff

本と猫と冒険譚/1

 始まりは確か小春日和。ミズンマストのテラス席はひどく混んでいて、その日は相席を求められた。

 仕方がない。アバルウィルフはもうすぐ読み終わる本を片手に、申し訳なさそうに案内するウェイトレスの後を追った。リムサ・ロミンサ屈指の人気店には他の都市からも人が訪れる。テラスの隅の席へと連れられて、大柄なルガディンは一度瞬いた。

 目に眩しい白い石垣と青い空を背景に、黒髪の猫が、細い指先で本のページをぺらりとめくる。

 絵のようだ。思わず胸の内でつぶやき、一呼吸その横顔を眺める。涼やかな顔立ちのミコッテは、いつも店に訪れる時にどこかの席で見かけていた青年だ。

 白い肌と黒い髪。すんなりとした顔のラインと細い顎先。見慣れたつもりの常連だというのに間近な距離で見るのは初めてで、アバルウィルフはミコッテの横顔に惹きつけられていた。

「……座れば? 困ってるよ」

 静かな声に我に返り、思いのほか長くそこに佇んでいたことに気付いて、アバルウィルフは慌てて席についた。

 ルガディンの体には少し小さめだが座り心地のいい椅子に腰を落ち着け、いつもと同じホットサンドとコーヒーを注文する。差し向かいに人がいる状況は久しぶりで、誰かと同じテーブルで落ち着いて食事をする面映さに小さく笑い、彼は眼鏡を掛け直した。

 向かいのミコッテも本を読んでいる。邪魔をしないよう顔を眺めるのをやめ、料理が来るまで読み進めようと大きな手の中にすっぽりと収まる本を開いた時だった。

「その本……」

 声に顔を上げると、丸くなった猫の目がじっとこちらを見ていた。正確には本の表紙を。

 それは随分前に絶版になったペーパーバックだ。寡作の作家が遺したこれといって目立ったところのない小説だが、アバルウィルフはこの作家の物語が好きだった。

「これがどうしたんだい?」

「どこで手に入れたんですか、それ」

 今では古本屋でも探しづらくなってしまったそれを、猫の瞳がじっと見つめている。

 涼やかな表情は変わらないというのに、アバルウィルフの答えを待つ耳がぱたんと揺れて焦れているのが覗いて見えた。

 手にしていた本を閉じて食い気味に少し乗り出したミコッテに驚き、そして伏せられた本の背表紙に気づいて彼は笑った。

「私の蔵書だよ。君もこの作家が好きなのかい?」

 それが最初の会話だった。



――――本と猫と英雄譚



 仲間たちとしばしの休息の挨拶を交わし、雪に閉ざされたクルザスからテレポした瞬間、アバルウィルフは港町の活気と湿度に包まれた。午後も半ばを過ぎようとする町中は人でごった返し、潮風が優しく薫る。

 彼はひとつ大きく息をし、そこかしこにあふれる喧騒と日常を胸いっぱいに吸い込んだ。

 帰ってきた。実感とともに急ぎ宿に駆け込み、戦いを重ねて体に馴染んだ鎧を脱いで、身軽な軽装に着替える。リムサ・ロミンサ風のシャツとベスト、ゆるめのパンツ。白い石畳を歩くに相応しいありふれた服に身を包み、アバルウィルフは呼び出したリテイナーから数冊の本を受け取った。

 あの日エル・トと名乗ったミコッテはもういつもの席に来ているだろうか。心なしか浮き立つ足取りで宿を出た彼は、ミズンマストへの道を急いだ。

 『その本、貸してください』

 名乗るよりも先にそう言い出したミコッテとは、話してみれば面白いほど本の趣味があった。淡々とした口調で本への愛を語る猫に、旅に出る間好きに読んで良いと手持ちの蔵書を数冊貸したのをきっかけに、二人は約束をするわけでもなく、なんとなくあの店で待ち合わせるようになっていた。

 少し小走りにレストランの看板を目指したルガディンは、手前で息を整えると、愛用のメガネを掛けた。目を細めてみれば、既にテラスにはエル・トがいる。読書にふける横顔は涼しげで、まだアバルウィルフに気付いてすらいないようだ。

 待ち合わせだと店員に告げ、彼は本を手に定位置になった海寄りの席に歩み寄った。

「久しぶり、前の本は読み終わったかい?」

 差し向かいの椅子を引きながら問う声に、ミコッテの耳がぱたりと揺れた。初めこそ無視をされているのかと気になったこの仕草も、慣れてしまえば今のページが読み終わるまでは返事をしないという合図だと分かる。

 店員を呼び止めていつものサンドイッチとコーヒーを頼み、アバルウィルフはゆっくりと読書をする猫の観察を始めた。

 エル・トについて分かっていることは少ない。歳は20代、占星術師、そしてごく普通の冒険者だ。冒険者に普通も何もないが、功名心に逸ってダンジョンへ突撃したり危険な魔物を狩るタイプではない。どちらかというと、ちょっとしたトラブルの解決や手伝い程度の頼み事をこなす便利屋に似ている。

 このエオルゼアで、冒険者というと8割がその手の人間だ。残るうちの1割は分不相応な戦いに手を出して冒険者であること自体をやめる羽目になり、そして1割は名を残す戦いを成し遂げる。

 アバルウィルフはエル・トが激しい戦いに身を投じる種の人間でなくて良かったと、ほっそりした手を見て思った。

 全体的に華奢に見える黒猫は、きれいな手をしている。細い指がページをめくる仕草はとても静かで好きだった。この手がぼろぼろに傷つくことを思うと、想像するだに胸が痛む。

「……なにを見てるの」

 どこか不機嫌でぶっきらぼうに聞こえる声が、ようやく不躾なルガディンの視線に答えた。栞を挟んで本を閉じたエル・トの手から視線を上げ、アバルウィルフは携えてきた本の束を差し出した。

 途端に耳が少しふわりと立った。

 ああこれは嬉しい時の仕草だ。少しずつ会ううちに覚えたエル・トの小さな反応に頬が緩み、細い両手が大切そうに本を受け取る感触を噛みしめる。

 いつの間にやら英雄だの光の戦士だのと祭り上げられたアバルウィルフにとって、ただの人として接してくれるエル・トの一挙手一投足が、疲れきった心を癒やす。

「コーヒー、冷めるけど」

 手持ちの袋に丁寧に本を仕舞ったエル・トが、すっかり湯気がなくなったコーヒーを指差した。慌てて一口すすると、冷めたサンドイッチを食んだ。

 ミズンマストの料理は冷めても美味い。あっという間に食べ終えて、満足した体で本を手に取ったアバルウィルフに、エル・トはもっと手を拭けとタオルを差し出した。

「二度と新しく手に入らないって自覚、ないの」

「自分の本だとつい雑になってね、すまない」

 呆れた冷たい視線に小さくなりながら、大柄なルガディンは丁寧に指を拭き、今日の本を手に取った。

 飲み物だけを残し二人はそれぞれの本を読む。静かな読書の時間はこころがとても安らう。だがもう一つ、そうやって本を読むエル・トの姿は、もっとアバルウィルフの心を癒やす。

 楽しい物語を読んでいる時はパタパタと揺れる耳が、悲しいところに差し掛かるとぺたんと寝てしまう。緊迫している時は緊張感がみなぎり、全身で楽しんでいるのだと感じさせるのだ。

 今日もなかなか気に入った展開なのだろう。真剣にページを見つめる猫の顔は変わらないのに、耳と尻尾はひどく忙しない。

「気に入ってくれて何よりだ」

「変なもの混ぜないでくれればだいたいどれも読む」

 信頼しているのか否か考えるような言葉に唸るアバルウィルフに次はリサーチを考えてみようと決めた。

(続く)