HELLDIVE3~ARROGATE

梶場舞人
@sorteraven

2・パラダイスガーデン

《登場キャラクター》


「2015年8月」

木之前タクト 27歳

かつて『レイヴン』の名でクラブ・アヴァロンのカリスマとして君臨した。

一般市民として就活に励みつつも、引退のきっかけとなった出来事を回想する。

ビジュアルは金沢競馬のM戸M也騎手。ちっちゃいし。


江里口

タクトが就活中に出会った男性。

いかにも体育会系の人の好さそうな雰囲気。


「2015年5~8月」

皆川ケイ 『バサラ』  19歳

青森・弘前の出身で、空手の有段者。鈴音大学の1年生。

タクトに匹敵する壮絶な過去を持つが、それを表に出さないよう努めている。

なお、この作品の中で最強のキャラである。10年前に生まれたのに、まだビジュアルのイメージが完成していない。


柿原ススム 『玄武』  29歳

タクトの元同僚で友人。プロレスとバイクを愛する。

のんびりした性格の典型的な癒し系だが、ダイバーになることを志す。

ビジュアルはドラゴンゲートの同じ名前の人(まったくの偶然)。


オークス  34歳

本名岩橋ソータ。新極真会鈴音葛山道場所属。喫茶「オークス」を経営する。

野鳥と花を愛する穏やかな人物。

ビジュアルは日本一有名なラグビー選手。


スラスト  35歳

空手では最強の、本業美容師。「セイクリッド・セブン」と呼ばれる強者7人の1人。

ビジュアルはアメコミキャラで有名なハリウッド俳優。


テスラ  25歳

ナルシストキャラのイケメン。ただし、日本拳法の腕は本物。

ビジュアルは勇者の人。またはいつもO栗Sと共演してる人。



 12時半に午前の部が終了した。

1時間の休憩が始まり、参加者が一斉に会議室を後にする。

木之前タクトもその流れに加わった。前方に頭1つ飛び出した男の背中を見付けた。

「江里口さん」

近寄ると、江里口が振り返り、

「やあ、どうも」

穏やかな笑顔。

「お昼どうかな、と思って」

「ああ、いいねえ」

交流センター『カリオン』にはレストランや売店もある。

江里口が弁当を持って来たとのことで、タクトも売店でミックスフライ弁当を買った。広々としたロビーの片隅に並んで座る。

カリオンは鈴音駅前だが、ロビーは駅とは反対方向に面している。『シビックガーデン』と呼ばれる広場だ。

学校のグランドくらいありそうな円形のスペースで、中央からは時間差で噴水が吹き上がる。残暑の厳しい今日も、小さな子供たちが大喜びで駆け回っている。

シビックガーデンの向こうには大型ショッピングモールがあり、ランチタイムを過ごすビジネスマンの往来が激しい。

「女房が作ったんだ」

江里口が開いた弁当箱の中にはオムレツやミートボール、小松菜の炒め物、キンピラゴボウなどが詰め込まれ、大きな三角おにぎり2つが陣取っていた。

「すごいじゃん」

「実は……」

江里口は伏し目がちに、

「女房には会社辞めたこと、言ってないんだ。今日も出勤する振りをして……」

「ええっ?」

タクトも箸が止まった。

「次の仕事が決まってから伝えようと……心配させたくないんで」

江里口は大学まで相撲をしていた。その相撲部の仲間を通じて知り合ったのが妻だと言う。

「自分のひと目惚れだよ。猛烈なアタックをしたんだ」

相手の両親が自分を気に入ってくれたのが大きかったらしい。

「子供は欲しいけど収入が不安、と言っていた」

それなら、と思い立った。とことん妻には弱いのだ。

「前は古紙リサイクルの会社に勤めていたんだけど……もっといい条件があるんじゃないかと」

現在の求職活動に至る。

「相撲、やってたんだ」

タクトは納得した。

「道理で逞しい体してると思ったよ」

「いやあ、これでもダイエットしたんだ」

江里口は恥ずかしそうに、

「大学の仲間にたまに会うんだけど、皆小さくなってるよ、体。中には脂肪だらけになったのもいるけど」

相撲取りの体は大部分が筋肉である。何もしなければ縮むか脂肪に変わる。

「そう言う木之前さんは何かスポーツを?」

「え? いや……」

総合格闘技とは言えない。

「10代の頃は走り高跳びしてたんだけど、今は……ちょっと」

「でも、スリムで羨ましいな」

江里口はどこまでも穏やかである。

(こんな人ほど、本気で怒ると怖いんだよな)

美しい山ほど噴火すると恐ろしいように。

「それで、どうなの? 希望はありそう?」

タクトの問いに江里口は明るい表情で、

「体力が続く内は見通しは明るいかな」

この体である。現場では重宝されるに違いない。

「アユサンも含めて感触良かったよ。午後もいくつかあるし、じっくり考える」

そして、

「木之前さんは?」

タクト自身は江里口ほど展望は芳しくない。

『正社員の経験がない』

『どの仕事も長続きしない』

『自動車以外の資格がない』

『高校中退』

何よりも、2004年からの5年間の空白だ。本当のことは言えず、

「仕事もせずに遊び回っていました」

と、答えるしかなかった。これで、ほとんどの人事担当者が沈黙してしまった。

中には少なからず、

「やる気さえあればいいよ」

と、言ってくれる所もあったが、これは担当者の顔に共通点があった。

(アヴァロンでよく見る表情だな)

ゲームの後に「一緒に飲もう」と誘って来る客がこんな顔をしていた。

(できたら……こんな所も避けたいな)

レイヴンの名声を利用しているような気がするのだ。

「午後に賭けてみる」

とだけ、タクトは答えた。江里口は察してくれたようだ。

「そうだ。まだチャンスはあるよね」

優しい言葉だ。

「ありがとう」

昼食を終えると、江里口がハイライトを手にしてロビーを出た。タクトはスマホを取り出した。

相変わらずだ。

LINEに来るのは本名で登録した者だけ。ダイバーからは見事に何もない。2ヶ月前にはあり得なかったことだが、約束を守っている証拠だ。

(レイヴンでなくなったんだから……赤の他人。皆分かってくれてる)

1人、心配な男がいた。

「明日からは他人になる」ことが理解できていなかった。

「どうしてそうなるの?」

そんな質問にタクトは辛抱強く説得したものだ。

(本当に大丈夫かよ、あいつ)

噂をしたらナントカ、の諺があった。それがまさに今、現実になるとは。

「?」

視線を感じ、スマホから顔を上げた。

ロビーを横切った先の正面玄関。ドアの前に立つ男の姿があった。

黒いTシャツは古いらしく、襟元が色褪せている。ジーンズとコンバースのスニーカー、背中にはリュック。どれも使い古したものばかりだ。

外見に全く無関心であることが残念に思えるかもしれない。

年齢は10代後半、または20そこそこだろう。

身長は180に達し、無駄な肉のない、引き締まった体。手足が長く、頭が小さいアスリートには最適のスタイル。

艶のある黒髪を適当に伸ばし、適当に整えている。前髪だけが妙に長い。

その下に面長の顔。高い鼻筋も、やや厚めの唇と尖った顎も体つきによく似合ったものだった。髪のせいで、目だけははっきりと分からない。

「マジ?」

タクトは知っている。髪の下にある目も、表に出せない理由も。

(あ、2階の図書館に来たのかな)

タクトが気付いたのが嬉しいのだろう。肉厚の唇に笑みが浮いた。

(これだけで終わってくれよ……)

内心冷や冷やしていると、その思いが通じたようだ。

そのままドアを押して外へ出て行った。『他人の振り』をしてくれた。

「ふぅ、良かった」

と、息をつく。

「空手組は頭のいい奴が多いからな……」

誰のおかげかは分からないが、説得に成功したらしい。

「またな……バサラ。いや……」

今はダイバーではないのだから。

「ケイ、だな」

ダイバー・バサラ。

観客はこう呼ぶ。『レイヴンの後を継ぐ者』と。

ダイバーたちは別の呼び方をする。

本名・皆川ケイ。

『レイヴンに引退を決意させた男』と。


「欲しいと言う人がいるなら、くれてやればいい」


5月23日だった。

「マジ? カッキー」

タクトはメビウスを片手に電話をしていた。

「先週から? エントリーしてたなんて知らなかった。教えて欲しかったよ」

『だって、初めてだし。タクトの前で恥ずかしいゲームしたら嫌じゃん』

『デビュー初日のルーキー』と『アヴァロンNO.1ダイバー』では仕方がない。

「じゃ、今日も?」

『うん。5thゲームだって。8時からの』

相手は柿原ススム。以前ガソリンスタンドで仕事をしていた時、同僚だった。

『先週で要領と反省点が分かったから。今度は大丈夫』

柿原は自他共に認める「プロレスオタク」である。小学生の頃から熱中し、29歳の今は鈴音市内のプロレス愛好サークルで活動している。

『鈴音過激団爆組』と言い、定期的に市内の体育館で興行している。マニアの間ではかなり有名なのだが、柿原は、

『冒険したくなった』

と言った。

『タクトに「OK」もらったらその気になっちゃって。アヴァロンでどこまで通用するのか試したくなったんだ。とにかく1度やってみようって』

実は、柿原のようなケースは珍しくない。

ルーキーマッチの参加者はほとんどが「1回だけ」のつもりで、本気でダイバーを目指す者は実は少数派である。その「1回だけ」が観客に大ウケしてダイバーに登り詰めた例も少なくない。

(カッキーもそうなるのかな)

タクトには理解できる。

(ミーカーやスプーフと同じ舞台でやってみたかったんだろうな)

ミーカーとスプーフは元プロレスラー。しかも、かなり有名だったらしい。HELLDIVEにはプロレスのダイバーが多いのだが、ぼぼ全員が「2人に憧れて」と理由を述べている。

「分かってるだろうけど、楽じゃないぞ?」

タクトは言った。

「爆組でやってることとは違うぞ?」

『そりゃ、プロレスとHELLDIVEは別物だしね』

それが理解できているなら十分だ。

「分かった。じゃ……俺、これから家出るし……8時までに入るよ」

『うん、見てもらえると嬉しいな』

「楽しみにしてるね」

『ありがと』

電話を終えると、タクトはベッドから下りた。

着替えながら時計を確認し、6時半の時刻を知った。

(カッキーもいよいよか。何か不思議な感じ)

タクトの周りには「ダイバーの仲間」と「一般の仲間」がいるのだが、一般からダイバーに移行するのは柿原が初めてだった。

(予感はあったけどね)

タクトがダイバーになると、柿原もアヴァロンに来るようになった。

ミーカーとスプーフを見て、

「マジで? あの2人がいるの? すげえ!」

顔を真っ赤にして興奮していた。

「そんなにすごいんだ?」

「そりゃ、もちろん。俺らにとってはレジェンド……いや、神かも」

じゃあ、とミーカーの前に出してみると柿原は失神寸前で何もできなかった。後になって、

「ありがと、タクト。あの人に会えるなんて夢みたいだった」

涙目で言ったものだ。

普段はアヴァロンの厨房に籠って料理しかしないミーカーだが、凄まじい過去を持っているらしい。

(そのミーカーや俺がいるから……決心ついたんだろうな)

タクトはガレージから、愛車のVツインマグナを引き出しながら、

「カッキーならダイバーになれるかも……」

梅雨が近付いている。

晴れた日でも雲が多く、空気が湿っぽい。

雲がアップリケされた空の下を抜け、いつものようにパシオンビルに着いた。

時計は7時。タクト自身FINALでゲームがある。

「おっ、今日も賑やかなのね」

この2週間で高野アヤコを失った傷はかなり癒えた。塞がり掛けた傷口とは別の部分にしこりのようなものを感じるけれど。

「あ、レイヴン」

「おっ、やったぁ」

マグナを止めたタクトに届く声。それがまた『しこり』を疼かせる。

(俺を楽しみにしている人がいるんだよな……)

コンビニで井村屋あずきバーとチーズ蒸しパンを買い、BLUEのロッカールームへ。今まで繰り返したようにカードでドアのロックを解き、

「チーッス」

お馴染みの挨拶と共に中へ入った。

「ハーイ」

「いらっしゃーい」

中にいたのは2人。

白のシャツと裾の長いパンツはカポエイラの道着。色白で猿顔のロブロイ。

白のシャツに紺のネクタイ、ダークグレーのベストと折り目正しいパンツ、黒の革靴。どう見ても場違いな出で立ちのテスラ。

タクトにとっては「見慣れた」顔触れである。

「それでは恒例、テスラのファッションチェーック」

テスラが言いながらタクトに近寄り、

「あーあ、ジーンズは文句なしなのにTシャツがNGだね」

太い眉をひそめた。ラテンの血が入っているような顔だが、一族は全員日本人だそうだ。

「ゲームの日にユニクロはやめてって言ったじゃないか。信じられない」

大仰に頭を振る姿はラテン系そのものだと言うのに。

「えー、お気に入りだぜ、これ」

キース・へリングはタクトが大好きなアーティストの1人。

「デザインはともかく、ちょっと伸び過ぎだ」

と、テスラはロッカーのドアを開けて、

「これを。同じ白だがドルガバだよ」

ナイロン袋に包まれたTシャツを押し付けられた。

「お前、いつも俺のことばかり言うけど」

タクトはテスラを睨み、

「いつまでそんな暑苦しい格好してるんだよ」

「ずっと防具で試合していたんだよ。これくらい平気だ」

テスラは平然と返した。

「女性サービスする気はねえの?」

これには大きな笑みを浮かべ、

「俺の体を見ていいのは、俺の嫁だけだ」

ここまでの一連の流れを、ロブロイがニヤニヤしながら眺めている。

(やれやれ……)

いつものことなのだが、タクトは猛烈な脱力感を覚えた。

パイプ椅子に座り、スマホでゲームをチェックする。

『6th ロブロイvsユラナス』

『7th 炎(ほむら)vsアポロ』

が、公開されていた。炎がいないが、もともと時間ギリギリに滑り込んで来る男だ。テスラのゲームはまだ未公開。

(他には誰がいるのかな?)

ピピッと音がして、ドアが開いた。

「やあ」

と、笑顔で入って来たのはオークス。後ろにも誰かがいるようだ。

「ハーイ」「あ、どーも」のロブロイやテスラに倣ってタクトも、

「チーッス」

タクトの姿を見て、オークスが驚いたような仕種をした。

「何? 俺が早くてびっくりしたの?」

「すごいタイミングだと思ってね。……いいよ、入っておいで」

オークスの後ろに隠れるようにしていた人影が入って来た。

(?!)

人生の中で1、2を争う衝撃だった。

(何だ? 何者だよ、こいつ……)

目の前にいるのは10代の青年だ。安っぽい紺のポロシャツ、何十年も履いているようなジーンズ。ファイターに相応しい体つきをしているが、顔はよく見えない。

しかし……

(気配が人間じゃねえし)

何だ?

最も近いのは一体何か?

(人間に似ているけど……それよりもっと強くて荒々しいもの)

そう。

(鬼だ)

「レイヴン?」

気が付くと、部屋中の人間全員がタクトを見ていた。

「どーしたのー?」

と訊いたロブロイは不思議そうな顔をしているが、オークスは意味ありげな微笑を浮かべていた。

「ケイ、自己紹介して」

オークスが呼んだ通りなら青年の名前はケイだろう。

「はじめまして。ダイブネームはまだないから、本名の皆川ケイで呼んでください」

と、ケイは明るい声で言ったが、タクトは違和感を覚えた。

(何か……変だ)

テスラとロブロイは人懐っこい性分なので、

「俺、ロブロイーよろしくー」

「空手組の子?」

何の疑問も抱かずにいるが。

「青森の弘前から来ました。大学1年生です」

「昔からの知り合いでね。もちろん黒帯」

オークスが後を続けた。

「進学で仙台から鈴音に来て、うちの道場に加わることになったんだよ」

「へえ」

「なるほど」

タクトはようやく違和感の中身を思い出した。

「ケイ、だな」

と、その正面に立って言った。

「目を見せろ」

ケイは特別戸惑った様子はなかったが、

「出しちゃいけないことになってるんです」

「いや、大丈夫」

オークスが穏やかに、

「彼なら見せてもいいよ。君のことを分かってくれるから」

するとケイは疑いもなく、

「分かりました」

右手で前髪を掻き上げた。

二重でやや吊り気味の、形のいい双眸だ。だが……

(やっぱり、そうか)

「うん、ありがとう」

タクトが言うと元通りに髪を下ろし、

「分かりましたか?」

ケイが訊いた。まったく表情を変えずに。

「分かった。でも、誰かにばらしたりしねえし」

「ありがとうございます」

オークスも流れを汲み取り、

「さあ、ケイ。そろそろ準備をしよう」

「はい」

ケイは背中のリュックを下ろしながら、ロッカーの裏へと回った。

ロブロイとテスラには何が起きたのか分からないが、タクトには説明する気もなかった。

「オークス」

オークスの肩を抱くようにして声を潜めた。

「どこにいたんだ? あんなの」

「去年まで弘前にいたのは事実だよ。ただ……」

オークスは寂しそうに、

「ちょっと不幸が重なり過ぎて……」

タクトは頷いた。

「もしかして、発達障害?」

「今は自閉症スペクトラムと言うらしいね」

そして、もう1つ。

「それじゃ……なんで『あんなこと』をしたんだ?」

「14歳の時だ」

オークスの口調が暗くなった。

「とても辛い決断をしなければならなかったんだ。彼は何も悪くない」

タクトにも分かる。

「あんな目の奴……初めてだ」

「だろうね」

オークスはタクトを見て、

「ちょっと遊ばせてあげたいだけなんだ。入れてくれるかな?」

「もちろん」

ケイの中を占めるのは澄んだものだ。汚れたものや濁ったものは何もない。

例えるなら、透明な水晶。その奥深くに『決して出してはいけない何か』を隠している。

(その『何か』……とんでもねえし)

タクトには心苦しかった。

(なんで、他の誰かを殺さなければならなかったんだよ?)



今年の1月から始まったルーキーマッチは、初期のHELLDIVEによく似ている。

入場時の演出がなく、それぞれの開閉口にスタンバイした状態から始まる。ダイブネームもないので、ゲームナンバーとサイドカラーを組み合わせたものが呼び名になる。

今。

5thゲームでBLUEサイドに立つケイは『BLUE5』と呼ばれる。

前髪で目を隠したまま、上は黒のタンクトップ、下は空手の道衣。両手に青いオープンフィンガーグローブ、素足。

「あいつだよ」

HELLの周囲から囁く声。

「何?」

「この前すごいゲームしてさ。インパクト超デカかった」

「マジで?」

「ランキング3位だったぜ。上には『四騎士』しかいねえ」

(9日のゲームね)

タクトは小耳に挟んでいる。

(ラッシュも言ってたっけ。俺は見逃したけど)

まさか、そのケイの相手が、

(カッキーとはね)

REDサイドにいるのは柿原である。身長181センチだが、筋肉のせいでさらに大きく見える。野暮ったく伸ばした髪を部分的に緑に染め、緑を貴重としたトランクス、同じ色のレガースとシューズ。

『鈴音過激団爆組』でリングに立つ時のスタイルだ。

その爆組では「カメ」のあだ名で呼ばれている。「キング・カメハメハ」のことで、「キンカメ」からさらに縮んで「カメ」。

理由は「サークルの集まりに風が吹いたら遅刻して、雨が降ったら休む」からだそうだ。

「あれ、多分プロレスの奴」

「そうなの?」

「この前、体育館でやってた」

やはり知っている者がいた。

「君の知り合いだって?」

隣りのオークスが尋ねた。

「結構やるよ。市民プロレスで鍛えられてるから」

「いい体してるね」

そして、

「親戚か何か?」

やはりそう来た。

「違うよ。赤の他人。確かに同じ系統の顔だけどね」

タクトが苦笑したように、柿原は何故かよく似ていた。

髪型と色黒の肌は同じだが、顔のパーツは作りが微妙に異なる。しかし、注視しなければ分からないだろう。

「お前ら、絶対生き別れの兄弟だろ」

と、仕事仲間に言われたものだ。

(カッキーの方が年上なんだけど、俺の方が引っ張ってるよな)

タクトとオークスは並んでフェンスに張り付いている。テスラにシャツを着替えさせられ、やっと外に出してもらえた。言うまでもなく2人の周りだけ客の層が厚い。

『さあ、ルーキーマッチのラストだ!』

8時になり、DJスヴェンのコールで始まった。

『BLUEサイドは記憶も新しい9日、衝撃のデビューを決めた! 今日はダブルクラウンを狙えるか?!』

(ダブルクラウン……)

タクトは驚きを禁じ得なかった。

(3つの条件、1つ目を初日にクリアーしたってことか?)

ルーキーがダイバーに昇格するには、条件が3つ。

①勝利を3回

②ベストルーキーを3回

③ランキングベスト10入りを3回

ケイはデビュー初日に3つの条件の1回目をクリアーした。

(しかも、俺とヨシキに続く3位? スラストや翡翠、アナログやゴールディもいたぜ?)

『REDサイド、プロレスを愛する男がまたやって来たぞ! さあ、見せてくれ!』

期待と歓迎の拍手がフロアーを波打たせる。ここまではいつもと同じだ。

ルーキーがダイバーとして適切か、客たちの反応で分かる。

ブーイングや静寂か。

拍手や歓声か。

『On your mark!』

ケイは直立のまま。柿原はやや前屈した。

『Look down the HELL……3、2、1』

タクトは目を凝らした。

『DIVE!』

先に動いたのは柿原。

「ヤッ!」

右ジャブ、左ストレート、と言うよりも拳を振り回すような。

ケイは……受けた。少なくとも、そう見えた。

「何っ!」

思わず声を上げた。

柿原のワンツーはケイの顔面に入った……はずだった。

それなのに、ケイは倒れるどころかふらつきもしない。顔にも打撃痕はない。

(まさか……)

柿原が一方的に踏み込み、ケイが応戦する。その構図を保ったまま、タクトの目の前まで来た。

柿原の左ミドル。ケイの右脇腹に当たった……はずだったのだ、これも。

音がしなかった。

「分かった?」

と、オークス。タクトは答えた。

「当たってねえし」

瞳をケイに向けたまま。

「すべての打撃を直撃寸前で止められるのか」

「当たったように見えるけど、ダメージはほとんどない」

愕然とした。

(こんな真似のできる奴がいるなんて……)

ケイは柿原の体に届くような攻撃をしていない。開始から今の今まで受けるだけだ。その代わり、逃げない。

手を出さず、逃げもせず。

飛んで来る拳や蹴りをクリーンヒットにならないように受けている。

(どんな鍛え方をしたらこうなるんだ?)

開始から3分。

観衆の目にはケイがやられっ放しのように映っているだろう。タクトには全くダメージがないと分かるのだが。

(受けるだけじゃねえ。ちゃんと間合いを測っている)

柿原がプロレスと知り、

(投げの間合いに入ろうとしねえ)

2度目の愕然。

(本物だ。ラッシュが言った通り……)

確信した。

(こいつはいつか『四騎士』と呼ばれる)

4分が過ぎた。

疲労が見え始めたのは柿原の方だった。まだ何も打撃を受けていないと言うのに。

ケイは表情も構え方も、足の運びにも変化がない。

ふと。

ケイが足を動かした。左足を前に出していたが、右足を出すサウスポースタイルに変えた。

「来るよ」

オークスが言った。

「あれが出ると、2分以内に勝負が着く」

「『本気出すよ』の合図なのね」

「相手じゃなくて自分への」

柿原が勝負に出た。1度距離を取り、そこからの踏み込み、

(!)

左腕が唸った。肘を曲げての高速ラリアット。

(キンカメボンバー!)

バシッ

打撃音。

ケイと柿原が間合いを広げる。

(カッキーのキンカメボンバー、ケイはブロックしたのか?)

タクトの驚きはすぐに掻き消された。

数コンマ後のことである。

ケイが無造作に右拳を放った。掌を上に向ける空手の『逆突き』である。

柿原がよろめいていた一瞬を奪い、腹の中央に入った。

それだけだ。

それだけで……ただ一撃で、柿原が崩れたのだ。カウント開始より早く、藤島トウヤが手を挙げた。ややあってカマーグも。

『WINNER……BLUE5!』

ケイは涼しい顔で立っていたが、不意にオークスへと顔を向けた。終了したことを確認したかったらしい。

(なるほど、まったく疲れてねえし)

オークスが大きく頷くと、それで理解した。空手の試合でやるように拳で十字を切り、一礼した。

ここまで来てようやく、

「何だ、ありゃ!?」

「マジかよー」

「すげえぞ、おい!」

凍り付いていたようなフロアーから歓声と拍手が上がった。凄まじい大音声だ。正規のダイバーにも負けていない。

「レイヴン、手伝って」

「おうよ」

オークスと2人でHELLから出てきたケイを迎え、庇うようにして立った。

「よくやったな。すげえよ、お前」

タクトの言葉にケイは笑みを浮かべて、

「本当に? すごかったですか?」

「うん。お前、強いんだな。きっと……これからいいことあるぞ」

ケイの笑みが広がり、

「ありがとうございます」

声が弾んだが、直後には顔が曇った。

「あのプロレスの人、大丈夫ですか?」

「え?」

「ちょっとやり過ぎたような気がします」

タクトはオークスに、

「見て来るからよろしく」

「押忍」

言い残して離れた。RED側に回ると、丁度柿原が出て来た所だ。顔を歪め、右手で腹を押さえているが自力で歩けるらしい。

「大丈夫?」

タクトに気付くと、

「超痛い」

6つに割れた胸筋でも防げなかったようだ。

「ツイてなかったな」

と、タクトは右肩を優しく叩く。周囲の客のざわめきも気にしない。

「ああ、分かったよ。あんまり悔しくない」

柿原は並んで歩きながら、

「あの彼、俺なんか足元にも及ばない相手なんだって。よく分かった」

タクトは答えた。

「それが分かっただけでも進化してるよ、お前」

「いやー、マジで効いた。アレ」

と、また眉をひそめる柿原。分厚い唇も色が薄い。

「そんなに強い拳には見えなかったぞ?」

「でも……ズン、と響いたよ。なんか、体の奥まで突っ込んで来るような」

タクトが止まったので柿原も倣った。人垣に囲まれてしまったが、やはり気にしない。

「タ……レイヴンのパンチと全然違う。空手ってあんな感じなの?」

「いや……」

顎に手を当て、少しの間考えた。

「きっと……あんな技を持つのはあいつだけだ」



5月24日、正午。

約束通りにタクトは『喫茶オークス』にやって来た。

オークスは店の前に並んだプランターや植木鉢に水を撒いていた。

「それ、もうすぐ咲くね」

タクトが声を掛けると、オークスは屈んだまま、

「『手児奈』と言う品種だよ」

植木鉢から伸びる1本のバラ。ラッキョウのような形に膨らんだ白い蕾が付いている。花弁の縁が淡いピンクに染まっている。

「入って」

オークスが立ち上がり、『閉店』の札が下がったドアを開けた。タクトは中に入ったが、確かに客の姿はない。

「ごめんね、休みなのに」

「気にしなくていいよ」

タクトがそうであるように、オークスも昨夜のゲームで勝利していた。いつもの、ローとハイの蹴りを使い分ける『荒波漣』だ。目立った外傷もなく、機嫌良さそうに厨房に入ると、

「何を食べたい?」

「軽くでいいよ」

ゲームの後はいつものように打ち上げへ。酒にたっぷり呑まれてからラッシュの家に泊めてもらった。眠れはしたが、まだ少し酒気が残っている。

「もう見た? 昨日のベスト10」

タクトがスマホを見せると、

「びっくりしたよ」

包丁の音にオークスの声が重なった。

「まさか2位だなんてね。『四騎士』を超えたんだ」

「無限、昨日はラッシュと票が割れちゃったからね」

昨日は無限とラッシュのカードもあった。無限が勝ったものの、ラッシュの善戦もあって票が伸びなかったのだろう。

他にもテスラ、炎、ロブロイ、シャダイ……人気のあるダイバーばかりだった。

(カッキーが入れなかったのは仕方ないけど)

ケイのベスト10入りは驚くべきことなのである。

「これでダブルクラウン達成か。次でトリプル出たら……」

「史上初の3ゲームでのダイバー昇格。ケイならできるよ」

と、オークスは自信満々だ。

(確かにそう思える)

ルーキーマッチ通過第1号のユラナスのコメント。

「なかなか達成できなかったのがベスト10入り。お客さんが決めることだし、その日参戦する顔触れも関わるし」

ルーキーから昇格できずにいるのは「勝てるけどウケない」か「ウケるけど勝てない」のどちらかだと聞いたことがある。

「そう言えば、強いのにウケない奴がいるよね。ルーキーに」

「小松君だね」

タクトは驚き、

「知ってるの? 名前まで」

「以前、ロブロイが話し掛けていたんだ。そんなに暗い性格でもなさそうだ」

小松は身長2メートル近い大男である。色白の顔に小さな目。どこか魚類を思わせる顔立ち。しかもスタイルが『相撲』だった。

大相撲の立合いのポーズから突っ込み、投げを狙う。プロレスがそうであるように、HELLでの投げ技は1回で終わる。

勝利だけなら小松は3回以上手にしているはずだ。しかし、未だにベスト10入りした所を見たことがない。

「不器用だけど相撲が好きなんだな」

オークスは頷いて、

「お客さんもいつか分かってくれるんじゃないかな」

タクトはカウンター席の椅子から厨房の方に身を乗り出し、

「で、ケイのことだよ」

「自分は、彼が10歳の時に初めて会った。空手の大会でね」

宮城県出身のオークスが、青森県出身のケイと同じ大会に出場するのは不思議なことではない。

「弘前の道場に岡部さんと言う先生がおられてね。5年前に亡くなられたのだけど……」

オークスの師・広瀬とケイの師・岡部は親友同士。その縁で2人は出会った。

「自分は24歳。気仙沼の道場で師範代を任されていたけど」

幼いケイを見て、その素質に衝撃を受けた。

「間違いなく天才なんだよ、ケイは。でも、結果を残せない。何故か分かったと思うけど?」

タクトは頷き、

「あんなファイトスタイルじゃ、先に点数取られちゃうよな」

「ケイはやめようとしなかった。彼の特性でね」

ケイのような発達障害者には『自分だけのルール』があり、強硬に守り続ける。

「分かる。俺も刑務所で同じものしか食べない奴を見た」

「その代わり、自分が好きなものに対して天才的な力を発揮するんだってね」

ケイにとってそれが空手だった。『マイルール』の制約はあるものの、誰もが実力を認めた。

「12歳の時。岡部道場の人から妙な話を聞いた」

ケイの背中には常に2つ3つのバンドエイドが貼られている、と。

「どうしたのかと訊いても『できものがある』としか答えない。何か怪しい匂いはしていたんだ」

タクトも具体的な『嫌な予感』を抱き始めた。

「食事しながら話すことじゃなくなるけど?」

「あんたさえ良ければ。俺は全然」

オークスも平気らしい。厨房から手を伸ばし、タクトの前に皿を置いた。分厚いトーストの上に輪切りにしたバナナとシナモン。その後にコーヒー。

「わほっ。いただきます」

オークスもシンプルなハムトーストとコーヒーを持って、カウンターに座った。

「事件が起きたのは、ケイが14歳の時だった」

と、目を伏せ、

「本当に辛い。ケイがかわいそうで……堪らないよ」

タクトは絶句した。

(オークスがそんなことを言うなんて)

タクトが知る限り、オークスは『本物の地獄』を見た男だ。

津波に飲み込まれる故郷。変わり果てた家族や仲間の姿。それらを前にしたオークスの心境は、タクトには到底量りえないものだ。

「ケイが殺したのは……実の父親だ」

思わず声を呑んだ。

「この事件がきっかけで、今まで隠されていたものが明るみに出たんだ」

ケイの家族は両親と弟、妹。

弘前市内の自動車保険会社に勤める父親は、生まれつき心臓に持病を抱えていた。激しい運動ができず、毎食後の服薬と月に1、2回の通院は欠かせない。そんな病身でありながら、家族への暴力、所謂ドメスティックバイオレンスが激しかった。

「ケイは4歳頃から父親に暴力を受けていたそうだ」

最初の内、ケイは逃げたり抵抗したりしていた。すると父親は、抵抗しない母親や幼い弟に手を上げるようになった。

「気付いたんだ。自分が逃げなければ他の家族は無事でいられる、と」

「まさか」

タクトはコーヒーのカップを置き、

「あのファイトスタイル父親の暴力に耐え続けている内に?」

「そこが天才だったんだね」

直撃寸前の所で止めれば痛みは和らぐ。父親は当たったと思い込む。

実に10年の間、ケイは「本能」でそれを実行していた。

「空手を習い始めたのは8歳。何しろ才能があるからね、どんどん上達したそうだ」

本人も気付かない内に、ケイは強大なファイターへと成長していたのだ。

「その日何があったのか、詳しいことは分からない。1つ言えるのはケイが強い殺意を感じていたこと」

ケイは「父親は自分を殺すつもりだ」と察知した。一瞬の間に破滅的な選択をしなければならなかった。

「父親に殺されるか」

オークスの後をタクトが繋いだ。

「……父親を殺すか、ね」

ケイは知っていた。自分の拳を心臓に叩き込めば父親は死ぬ、と。

動かなくなった父親を確認すると、ケイは自分で警察に通報した。やって来た警官に「自分がやりました」と告げた。

「ここで問題になったのがケイの責任能力」

「よく犯罪事件の裁判で聞くね」

タクトから見ると、ケイの障害はごく軽いものに思えた。

「ケイは『殺すつもりで殴りました。自分が殺しました』と繰り返した。警察は対応に困ったらしい」

結果、ケイは無罪。責任能力の有無と正当防衛が主な理由だった。

「発達障害も口実の1つ。ケイは今でも『違う』と言うけどね」

「正当防衛ってのは? 証拠があった?」

背中のバンドエイドの下に、ケイの無実を証明するものがあった。深く窪んだ、小さな丸い火傷痕である。

『父親による長期の虐待の証拠』と認められ『正当防衛と同情の余地』が成立したのだ。

「その後は弘前から仙台の児童養護施設に移ったんだ」

「ん? なんで?」

タクトはオークスを見て、

「母親がいるんだろ?」

オークスもタクトを見て、

「身元引受を拒否した。『こんな人殺しとは暮らせない』とね」

もしも1年前のタクトだったら。

(ケイの母親が許せなかったんじゃないかな)

「空手の師匠も広瀬先生になった。しかも、後見人も引き受けてくれたんだ」

仙台で穏やかな時を過ごし、定時制の高校を卒業して鈴音大学に進学。

「なんでこっち来たの?」

タクトは尋ねた。

「仙台でもいいんじゃね?」

「HELLDIVEがあるから」

オークスは憎々しいほど素っ気なく言った。

「見ただろ? ケイの実力を生かせるのはアヴァロンだけなんだ」

さすがに反論できなかった。

「自分を含めた葛山道場のメンツはほぼ全員知り合いだし」

「もしかしてボスも?」

「ボスと広瀬先生は飲み仲間だよ」

もう何を聞いても驚かない。

「分かってもらえたかな?」

と、オークスは肩で息をした。

「空手組以外で話したのは君が初めてだ。分かってもらえると思って」

「チョー買い被り」

「昨日、ケイに言っただろう。『これからいいことある』って」

微笑するオークス。

「さすがだと思ったんだ」

「やめて、やめて」

体が痒くなりそうだ。

「ダイバーに相応しいかは客が決めること。俺じゃねえし」

タクトはコーヒーを飲み干し、

「文句なしだろ。このままトリプルクラウンで上がって来るさ」

「そうだね」

オークスは立ち上がり、再び厨房に入った。

「ケイを見ていると、自分は不幸だと思っていたことが恥ずかしくなる」

「そんなことないよ」

「鈴音に来て……君たちに会って、少しずつ楽になっている」

新しいサイフォンをセットしながら、

「今年一杯で『卒業』しようと思っているよ」

ハッとした。

(オークスがいなくなっちゃう?)

まさに。

(俺も今……)

『卒業』の単語が頭の中にあるのに。

「オークス……それ、本気?」

「本気ではダメかな」

どこまでも穏やかなオークス。

「自分ももう若くはないしね。スラストも同じことを言っている」

2度目のショック。

(スラストはさらに痛い)

『セイクリッド・セブン』の1人と言うだけでなく、すべてのダイバーの兄貴的存在。

「俺は……」

タクトは努めて平静に、

「2人にまだ卒業してほしくないな」

「ありがとう」

オークスは目を細めて笑ったが、

「それでもいつか……変わらなければならない日が来るんだよ」

その通りだった。


「欲しいと言う人がいるなら、くれてやればいい」


(手児奈と言うバラ、結局咲かなかった)

3日後のことだ。

根元だけ残して、何者かに持ち去られたのは。

オークスは落胆したはずだった。ただ、長い間植木鉢を見詰めていた。

タクトの存在に気付くと、

「欲しかったのなら、言ってくれても良かったのにね」

と、小さく笑った。

「大丈夫なの? ムカつかねえの?」

タクトにはその落着きぶりが信じられなかった。

「いいよ」

青空を見上げ、

「欲しかったんだね、きっと。あげてしまおう」

オークスは言った。

(バラの花はどこへ行ったんだろう)

5月と言う季節は。

(なんだか、悲しい別れ方が多いな……)

アヤコと。

手児奈と。


「欲しいと言う人がいるなら、くれてやればいい」


「うわー、あの人だよ」

フェンスにへばり付いたタクトが言えば、

「まあ、ケイなら大丈夫」

隣りにはスラスト。オークス同様、ケイに絶対的な信頼を寄せている。

「それにしても、ルーキーマッチなのにお客さんすごいね」

と、タクトはぐるりと周囲を目で示す。HELLを隙間なく観客が囲み、その向こうにも二重三重の人影。

「注目されてるんだね、それだけ」

スラストはどこか嬉しそうだ。

「確かに、人が多いね」

するとどこからともなく、

「お2人がそこにいるからですよ!」

若い男が笑いながら突っ込み。タクトとスラストは他の客と一緒に笑った。

(ケイのトリプルクラウン、出るかな?)

6月6日、午後8時。

ルーキーマッチ最後のゲームは、ケイのダイバー昇格が懸かっている。

これまでの2ゲームで順調に条件をクリアー。今日で3つすべてを達成したら、史上初のトリプルクラウン。3ゲームでのダイバー昇格だ。

とは言え、今日のケイの相手は恵まれているとは言い難かった。

BLUEサイド。

上半身裸で、黒のスパッツだけを身に着けた大男。間違いなく相撲取りの小松だ。肩まで届く長髪は髷の名残である。

対するREDサイトは、これまでの2ゲームと同じスタイルのケイ。

相変わらず前髪で瞳を隠しているが、その表情は……

「あいつ、なんか嬉しそうじゃね?」

タクトがスラストに問うと、

「そりゃ、もちろん。あの子、相撲が大好きなんだ」

との答え。

「すごく詳しいよ。話を始めたら止まらなくなるくらい」

つまり、ケイは喜んでいるのだ。まさか相撲取りと闘うことになるとは、夢にも思っていなかったはずだ。

「勝てるかな?」

「だーかーら、大丈夫だって」

今日のスラストはキャラが変わっているのか、いつになく自信たっぷりだ。

『さあ、注目のゲームだ!』

スヴェンのコールで、店内に緊迫感と期待が漂った。

『BLUEサイドはアヴァロン史上最大のビッグボディだ。当たれば強いぞ、スモウレスラー!』

小松は一見落ち着いているようだが、

(こんな人ほど恐ろしいんだ)

『REDサイド、遂に来たぞダブルクラウン。トリプル達成ならもちろん、アヴァロン始まって以来だ!』

わあ、と声が上がった。ケイの人気は正規のダイバー並みのようだ。

『On your mark!』

小松が両手を床に置き、立合いのポーズ。ケイは直立のまま。

『Look down the HELL……3、2、1』

小松の目が強く光ったのが見えた。

『DIVE!』

直後。

バシッと大きな音が上がった。観衆のどよめきが後を追った。

小松とケイ。どちらもHELLの中央で立ち直す。ポーズはほぼ同じだが、表情にはかなり差があった。

驚愕の小松。

楽しそうなケイ。

「あいつが初めてじゃね?」

タクトが言うと、スラストが答えた。

「彼のぶちかましを正面から受けたのは、ね」

そうなのである。これまで、小松の突進を受けた者はいなかった。ほとんどすべての者は避ける。

ケイは逃げなかった。

全身を使って、衝撃を受け止めたのだ。

(やはり逃げないのか)

タクトは戦慄した。

(逃げたら他の家族が危ない。だから……今まで逃げなかった)

まさに。

(逃げたら負けだったんだ)

いつものケイのペースで進んでいる。

小松は張り手を使いながら、投げの間合いへ入ろうとする。ケイは前蹴りを絡めながらスルリと離れて行く。

張り手を受けているように見えるが、いつものように皮1枚で止めている。

小松の顔に焦りが浮かび始めた。

「でもさ、懐まで入れないんじゃね?」

スラストの返事は、

「大丈夫。あの子、すごい奇襲技持ってるから」

で、あった。

ケイは小松の動きを体全体で覚えている。間合いから速さ、力加減を1つ1つ把握している。

(そして……準備ができたら)

やはり、来た。

左足が引き、右足を前に出すサウスポースタイル。

しかし。

「あっ!」

タクトは思わず声を上げたが、スラストも同じだった。

小松が肩から突っ込んで来た。ケイは受け止めず、体を逸らせてやり過ごした。

次の瞬間、小松の右腕が伸びた。

「おっ!」

タクトの2つ目の声に打撃音が重なった。

ケイが床に叩き付けられた音である。

「いや……大丈夫」

スラストは今日、何回「大丈夫」を口にしただろう。

「ほら」

『上手投げ』の体勢から床に投げ付けられたケイだったが、すぐに起き上がった。コマツが露骨に動揺を表現した。

(確かに、直撃だったらこれで終わってるもんね)

並の相手ならば。

「受け身?」

「本能で身に着けちゃった」

(ケイは並じゃなくて……極上だから)

「来た!」

スラストの弾んだ声と同時に、ケイの体が宙に舞った。

体を斜めにして右足を振り落とす、胴回し回転蹴り。空手のダイバーが多用するのでタクトも知っているが、

(あんまり当たらないのよね)

ほとんどが魅せ技程度に留まり、フィニッシュブローまで高めたのはハルシオンの『エメラルドダイブ』くらいである。

ケイは違った。

これまでそうだったように、小松も胴回しを両腕でブロックした。床に倒れたケイの起き上がりを狙い、投げに持って行こうとするはずだ。

「!?」

まさか。

バンッ

小松の巨体が音を立てて倒れるとは。

時が止まったかのような店内で、正確に『3』がカウントされた。

「何だ、ありゃ?!」

「名前付けてよ」

スラストは終始上機嫌だった。

「今のと、超痛い右逆突きに」

店内は騒然としている。

HELLの中に立つケイ。その足元に大の字を作る小松。

タクトとスラストには分かっても、観客には状況を把握できない。

『リプレイ、行きます!』

モニターにスローリプレイが映し出された。

これで見ると、ケイの胴回しが通常とは異なることが分かる。

(着地時に体勢が崩れていない。次があることを前提にしている)

つまり、胴回しは『当てる』のではなく『相手を止める』ための手段。

ケイは倒れたように見せかけて、次の準備を完成させていた。

(その『次』とは……)

左内廻し蹴り。しかも跳び上がりながら。

小松は完全に不意を突かれ、顎を叩き上げられた。

(しかも)

天を指して伸びた左足。その踵が落ちて来た。

顎を打たれた直後、小松は額にも踵落としを食らっていたのである。

さすがの巨体も頭の急所に2度も受けては、すぐには立てなかった。

『WINNER……RED5!』

スヴェンのコールで、建物が揺れるほどの轟音が発生した。

「すげえ!」

「今のは何だ!」

「とんでもねえのが来たぞ!」

四方八方から興奮して叫ぶ声が聞こえる。

「決まっただろ」

タクトがスラストを見ると、

「うん、100パー」

スラストは満面の笑みで、

「ロッカールーム一緒だって? 伝えておいてよ」

「何を?」

「ダイブネームと技の名前、考えておけって」

そう言うと、妻のハルカが待つバーカウンターへと向かってしまった。

「あの人、今日はマジでキャラ変わってるじゃん……」

タクトも動いた。HELLから出て来たケイの傍に寄り、

「ナイスファイト」

ケイは額に汗を滲ませているが、呼吸は乱れていない。

「ハイ」

白い歯を見せて笑った。

「はい、ごめんねー。通してねー」

そのままケイを庇うようにして、フロアーの出入り口へと向かう。そうしなければならなかったのだ。

「あ、すげえ」

「レイヴンだ」

びっしりと埋め尽くした観衆も、タクトを見ると道を作ってくれる。

(うん。まさしく上位ダイバー級の注目度)

心の中で感心した。

(こいつにはそれだけの価値がある)

ロッカールームに歩きながら、

「楽しかったか?」

尋ねると、

「はい、とても」

明るい返事。

「皆さんの声がすごいですね。気持ちいいです」

「お前がいいゲームをしたからだよ」

ドアの前で立ち止まり、

「どうよ? もっと頑張ろうって気になるだろ?」

ケイは迷うことなく、

「俺ががんばったら、お客さんも喜んでくれるんですよね?」

「そうだよ。もう……絶対誰にも負けるもんかってくらいの気合で」

タクトもためらわずに言えた。

「お前が1番強いんだってことを皆に見せるんだ」

「俺が?」

小さく首を傾げたケイだったが、

「それくらいの気持ちってことですね。分かりました」

「うん、うん」

2人でロッカールームに入った。

中にいたのは3人。奥のマットレスでストレッチしているのはミノタウロ。浅黒い大きな背中でそうと分かる。

ロッカーの間で姿が見えないが、気配と物音でバリオスがいるようだ。

「よくやった、ケイ」

と、近付いて来たのは白い空手衣に黒帯のユラナス。色白で目の細い、おとなしい雰囲気の男だが、ケイやスラストと同じ道場で切磋琢磨している。兄の山林堂カイは現役のプロ格闘家だと聞いている。

「トリプル達成じゃね?」

タクトがユラナスに言うと、

「俺もそう思う」

穏やかな顔に満面の笑み。そのままケイの方を向き、

「ダイブネーム、考えなきゃね」

「あ、もう決めました」

ケイは答えた。

「バサラ、です。次からそう呼んで下さい」

「バサラ!」

タクトは笑って、

「俺もその言葉、大好き。いいのを選んだな」

タクトの場合はお気に入りのゲームのタイトルなのだが、ケイは少し違った。

「どこかのお寺にある、仏像か何かなんですよ」

と、続けた。

「バザラ……とか、そんな名前。一般的なのはバサラかな、と思って」

タクトはユラナスと顔を見合わせ、

「知ってる? ユラナス」

「翡翠なら知ってるだろうね」

薄く記憶にあるが、思い出せない。

「でも……仏教の神様か何かだとしたら」

タクトはケイを見詰め、

「お前には相応しいんじゃねえかな」

言った。


「欲しいと言う人がいるなら、くれてやればいい」


シビックガーデンの中央。

タイルの間から細い噴水が上がっている。水霧が日光の中に消える。

幼い子供たちが5人。水の間を走り回っているので服はずぶ濡れだが、今日の天気なら気持ちがいいだろう。

(ああやって、何も知らない時期があった)

タクトにも。

(いつまでも楽園の住人ではいられなかった)

子供はやがて大人になり、楽園を巣立つ。またどこかで自分だけの庭を見付け、育てて行く。

(俺にはできなかったけど)

タクトは今、楽園から出たばかりだ。カラスの翼を整え、空を飛ぼうとしている。

(ケイは違うな。あいつは……やっと楽園に辿り着いた)

ケイこそ地獄で生まれた男だ。

14年もの間、苦痛しか知らずに育った。本人は「空手が慰めになった」と言っているけれど。

(誰もあいつを責められやしねえって)

子供たちに母親らしき女性たちが近付く。「もう帰りましょ」と言っているのだろうが、子供たちはすぐには応じない。

目の前にある楽しい遊び場。そう簡単に離れられるものではない。

「分かる、分かる」

タクトは小さくつぶやき、エントランスロビーの時計を見た。

1時15分。

15分後にはガイダンスの午後の部が始まる。

「いやー、参った」

江里口もスマホを手に、笑いながら戻って来た。

「女房から電話で『今日は残業あるの?』って。『ないよ。6時に帰る』って言っちゃった」

タクトの隣りに座り、

「ガイダンス終わるの4時でしょ。どこかでアリバイ作らなきゃ」

無垢な笑顔に、タクトの口元も綻ぶ。

「いつ結婚したの?」

「今年の5月」

へえ、と思った。

(また、5月)

「まだ新婚なんだ」

「でも大学時代からの付き合いでしょ。仲間には『新婚らしくない』とか『初々しさがない』って言われる」

江里口と2人、笑い合いながら立ち上がった。

また階段を使って3階まで上がる。窓から見えたが、シビックガーデンの子供たちはいなくなっていた。母親に手を引かれて帰路に付いたのだろう。

(誰にだって楽園を探す権利はあるよな)

自分にも、ケイにも。

オークスにも、柿原にも。

小松にも、江里口にも。

(遅いか、早いかが違うだけなのね、きっと)

人の増え始めた会議室の前。何気なく歩いていた、まさにその時だった。

「おい、待て」

タクトの右肩に手が置かれ、かなりの力で止められた。

「この俺に挨拶なしか?」

声だけでもう分かった。

振り返るのが怖かった。

「え?」

江里口が呆気に取られているのが分かるが、何もできない。

(ヤバい)

背中に冷たい汗を感じながら、勇気を振り絞った。

「あ……あの、お久しぶりです」

向き直ったそこに、いた。

次期碩生会会長であり、セキショウ不動産社長の丹羽アラタが。


                                    《続》

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