on the evening of the seventh

“We shall meet on the evening of the seventh,”


そう言って帽子を目深にすると、男は外套を翻して去っていった――


――久々に読んだイギリスの世紀末文学。名誉のための決闘などという時代錯誤なダンディズムには、それなりのロマンを感じる。だがそろそろ眠気に勝てなくなってきた。イギリス時代から愛用しているいつもの栞を挟み、俺は灯りを消した。


瞼の裏に浮かぶ、先ほどまでの情景。もうこの世のどこにも存在しない、過ぎ去りし「よき時代」。俺は日本人だから、この「よき時代」の感覚などわかる筈もないのだが……それでもチャンバラものよりヨーロッパを舞台にした作品の方が、精神的な近さは感じる。


さて俺が訳すとしたらどんな世界観になるだろうか……そんなことを考えながら寝返りを打った。独り寝でもこんな夜は嫌いじゃない。



***



昨晩読んだ小説がいやに脳裏に残っていた。そのせいで、貴重な昼休みが田石先生の歴史話でつぶれてしまった。


「決闘といえば巌流島での宮本武蔵と佐々木小次郎ですね」

「名誉のために命を落とす。これは武士道にも通ずるところがあると思います」

「実は我が国でも明治になって決闘ブームが……」


決闘について、少し触れただけでこれだ。普段は適当に流せる田石談義も、なまじ関心を寄せていたテーマなだけに、うまくスルー出来なかった。


だが実際のところ、かなり興味深い話ではあった。まさか近代日本にも決闘の文化があったとは。うまく企画できれば、俺自身の新境地開拓にもなりそうだ。


「七日の夕刻にいざ逢はむや」


例えばこんな調子で訳してみてはどうだろう。古典は苦手だが、擬古文でシェイクスピアを翻訳した坪内逍遥は私淑する文人の一人だ。


面白いかもしれない。そんなことを考えながら、自室でまた独り、本を開いていた。開いた窓から入る夜風は、今日も涼しい。



***



《7日の夕方、会えませんか》


あいつからメッセージが来てドキッとしたのは言うまでもない。最近頭を占めていた世紀末文学の一節とほぼ同じ内容が、スマホの画面に現れたのだから。


《お疲れさん。いいけど、アンタしんどくないのか》


修学旅行の付き添いということで、あいつは来週まで海外だ。帰国早々会いたいとか、どんだけ前のめりなんだか。


《大丈夫です! お土産楽しみにしてて下さいね》


あの眩しい笑顔が浮かぶようで、思わず顔が綻ぶ。そして、帰国の日を指折り数える。立場上、空港まで迎えに行けないのがもどかしいが、その日は何としても定時で帰らなければ。


手帳を取り出し、to doを見直し、急な予定にも対応出来るようあらゆる事態を検証する。ここまで7分。あいつのことになると頭の回転が清々しいほど速くなる。


《それにしても英貴さん、まだ起きてたんですね。返信速くてびっくりしました》


最後のメッセージに思わず顔がカッと熱くなった。


前のめりなのは、お互い様か。



***



そして、7日の夕方。車を出して、外食して、少しドライブをして帰った。


1週間ぶりに会った彼女は、旅行帰りの高揚感が抜けきらない様子で、それが微笑ましかった。いつもならちょっかいのひとつでもかけてやろうと思うのに、今日はずっと彼女の話に耳を傾けていた。


「英貴さんは何か変わったことありませんでしたか?」


聞き役に徹していた俺の静けさに戸惑うように、急に水を向けてくる。


「そうだな……」


ハンドルを切りながら逡巡していたら、あの世紀末文学の一節が思い出された。


「the evening of the seventhに恋人と再会したってことかな」

「the evening of the seventh……あ! 七夕ってことですか?」


……は?


「確かに七夕って7日の夕方って書きますもんね。the evening of the seventhかあ……勉強になります」


違う。俺はそんなつもりで言ったんじゃない。それじゃまるで俺が……


「遠距離も今日で終わりですもんね! ふふっ」


まるでダサい口説き文句をキメてしまったみたいで、ものすごく居心地が悪い。彼女のご機嫌な表情も、今はなんとなく憎らしい。かといって、今更世紀末文学の決闘話をするのも野暮に思われて。


「……アンタ覚えてろよ」


今の俺がかろうじて言えるのはこれだけで。寮に帰ったら、この呑気な織姫を懲らしめてやろうと、俺は密かに心に決めた。



***



「んっ……」


脳随が溶けて、蕩けて、使いモノにならなくなればいい。そんなことを企みながら、濃厚な口づけを施していく。


俺の理性を惑わした罰だ。唇を食み、少し乱暴に肌を撫でながら、俺は愛情とも何ともつかぬ感情に任せて彼女の身体を味わっていた。


彼女の不在を埋めてくれた世紀末文学への野望は、完全に反古にされてしまった。気取っていたのは俺の方だ。決闘前の緊張感に溢れたあの一節を読んでも、俺はもう呑気な織姫しか思い出せないだろう。


腹の底から悔しいのに、それでもやっぱり愛おしくて、狂わせたいのか、狂わされたいのか、それすらもわからなくなる。


だが結局、すべてはこういうことなのかもしれない。


どんな時代も、どんな距離も。ドライな現実も、甘い夢物語でさえも。すべてはゼロになり、熱となり、ありきたりな逸話となって溶けてしまうのだ。今の俺たちのように。


汗ばんだ肌に七夕の夜風など役不足だった。どんな高尚な思想も入り込めないほどに、俺たちはただの名もなき恋人として、深まる熱帯夜に溺れていった。

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