【夢/辻明久】日々の色

はるこ@夢
@kfzzz

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 京都御所から南へ向かって5分も歩くと、家具の街と呼ばれる夷川通に出る。さほど長くもないその通りに、かつては60軒以上の家具屋が並んでいたという。店先に並ぶのは、飴色に光る古い椅子や机、海鼠(なまこ)釉のかかったふくよかな火鉢。

 量販店の進出によって数を減らしたとは言え、今も街は息づいている。そこに最近できた小さなカフェが評判らしい。ココアの粉をあたたかいミルクで溶かしながら、恋人はそんな話を聞かせてくれた。ほな明日行ってみよか、と言ったのが昨晩のこと。


 目の詰まったウールのチェスターコートを羽織り、父から譲り受けたカシミヤのマフラーを結ぶ。近頃ようやく艶の出てきた革財布をポケットへおさめ、辻明久は「行こか」と声をかけた。恋人はまず鏡に向かって笑顔を確かめ、「うん」と満足気に首を縦に振る。そしてようやく辻の顔を見、「行こう」と微笑んだ。

 目当てのカフェへ入る前に、ふたりは古物を扱う家具屋を覗いた。文字盤が黄色く褪せた時計や、ところどころ塗装の剥がれた大きなテーブル。降り積もった年月を思わせるそれらの中に、深緑のベルベットを張った2人掛けのソファがあった。こんなソファに座って、お嬢さんと本読んだら最高やろなあ。ふと辻の頭にそんな考えが浮かんだ。ちらりと値札を見たところ、大学時代のアルバイト代1ヶ月分よりも高い。そらそうか、と溜息をつく。するといつの間にか隣に立っていた恋人が、うっとりとした声音で「ソファ、ええなあ」と言った。「そのうち買おか」と返すと、彼女は辻のマフラーを摘んで2、3度揺する。「ね、それやったらあれ買うていこ」

 指差した先には、まん丸に太った猫の置物。「ちょっと大きい貯金箱や」。福々しく笑う陶製の猫をひっくりかえすと、なるほど底には柔らかいビニールの蓋があった。「一緒にお金貯めて、ステキなソファ買おう」とお嬢さんが辻の背をつつく。一緒に、か。その響きに甘い満足感を覚え、辻は丸っこい猫をレジへ連れて行った。


 目当てのカフェでふたりは腰を下ろす。控えめな音量で流れるピアノ曲が、ロンドンの霧深い朝を思わせた。アッサムティーを注文した彼女に「ケーキ食べんでええの」と尋ねると、「そのぶん貯金するわ」と返ってきた。奢ったるのに、と辻はメニュー表へ目線を落とす。彼女は目を細めて頬杖をつき、「ほな、さっきの猫ちゃんに500円食べさせたって」と表情を崩した。


 木造アパートの2階、10畳のワンルームに辻は住んでいる。駅徒歩5分。仕事を終えて帰ってくる彼女が危ない目に合わないように、見晴らしの良い道沿いの物件を選んだ。

 二人で選んだベージュのカーテンと、毛足が長いクリーム色のカーペット。長方形のローテーブルは、辻の趣味でウォールナットにした。焦茶の天板に白い丸皿はよく映えた。物も色も少ないこの部屋を、辻は気に入っている。唇や頬に赤をのせた恋人が、ここでは一段とくっきり鮮やかに見えた。

 

 つめたい空気を含みきったコートを玄関で脱ぎ、ハンガーにかける。暖房の電源を入れながら紙袋を開けると、緩衝材でぐるぐる巻きにされた猫の貯金箱が出てきた。包みを剥がせば、ニッコリ笑う猫とご対面。「よう見たらタヌキみたいな顔してへん?」辻が笑い混じりに言うと、お嬢さんはどれどれと傍に座る。しばし唸ったあと、言われてみればタヌキっぽいかなあと首を傾げた。それに満足した辻は、貯金箱をぺちりと叩く。「名前、タヌキチにしよ」


 自動販売機でジュースを我慢した。100円。コンビニでチョコレートを我慢した。100円。外食を我慢して、家で料理した。500円。帰宅するたび、二人はタヌキチに小銭を預ける。辻は時折「ほしい本、我慢した。1,000円」と言ってお札をねじ込んだ。そのあとは決まって「お嬢さん」と呼ぶ。本好きなんやからそこは我慢せんでもええのに、とお嬢さんが言うと、辻はそれには答えず、ぽんぽんと自分の膝を叩く。お嬢さんがそこへ座ると、辻はいつでもぎゅうと恋人の体を抱きしめた。


 あたたかいココアをすすりながら、ふたりで小さなノートパソコンの画面を覗き込む。「2人掛けで十分かな」「肘掛けはないほうが楽かもなあ」。徐々に体重の増えてきたタヌキチを膝に乗せ、辻はカタカタとキーボードを叩く。休日の夜に少しずつ情報を集め、話し合いながら、目星を付けていった。


 春が来るころには、タヌキチはずっしりと重くなり、いよいよ小銭を飲み込めなくなったように思われた。土曜の朝、ふたりは貯金箱の底にあるビニール蓋を外した。レースカーテン越しの太陽を頬に受け、金額を数える。カジノチップのように積み重ねた硬貨は、共同作業の証だ。

「けっこう貯まっとる」辻は恋人の腰に腕を回して、トントンと優しく彼女の体をたたいた。「明日にでも見に行こか。そろそろ桜も咲く頃やし、散歩するにはちょうどええ」


 かねてより決めていたインテリアショップに、ふたりは足を運んだ。革張りのソファ、パッチワークが賑やかなソファ。これも素敵やねえ、と声をあげるお嬢さんの横顔を、辻は無言で見つめる。彼女の表情が、一等ぱっと輝くソファはどれだろう?

 店内を数十分かけて練り歩いたあと、恋人は「やっぱりこの色が好きやな」と深緑のソファに腰掛けた。綿でできた白いスカートと、明るい黄色のカーディガンが一段と華やかに見える。辻は頷いて、お嬢さんの手をとった。「オレもこれがええ」


 送り状にボールペンを走らせ、辻は配送の手続きを終えた。ふたりで貯めたお金はあと少し残っている。レジの脇に目をやると、一輪挿しが並んでいた。木でできた立方体の台座が、試験管を支えているだけの簡素な作り。道端で摘んだ花を飾るにはうってつけだろう。値札を確かめた辻は、「これもお願いします」と店員に声をかけた。


 いくぶんか軽くなった財布をズボンのポケットに入れ、辻は恋人の左手を握る。「ちょっと遠回りして帰ろか」と隣のお嬢さんに声をかけると、彼女は「うん」と辻の手を2、3度振った。

 川沿いを歩きながら、辻は一輪の花を手折る。黄色の粒がぽんぽんと集まった可愛らしい花だ。「珍しいね」と恋人が手元を覗き込む。なんていう花、と尋ねられ、「ハハコグサ」と答えを返した。春の七草や。ゴギョウっていう名前もあるな。そう解説すると、お嬢さんは「明久くんは物知りやなあ」と目を丸くする。そうでもないわ、と頬を掻いて、辻は再び歩き出した。


 帰宅してすぐ、辻は蛇口をひねって試験管へ水を注いだ。あっというまに細い口から水があふれる。そっと傾けて水を減らし、ハサミで茎を切り直したハハコグサを差す。それをウォールナットのテーブルに置くと、ぽっと明かりが灯ったように思われた。今日のお嬢さんの服装によう似とる、という思いが、いっそう辻を満足させた。


 ソファが配達される予定時刻まで、あと1時間。西日が差す部屋の隅で、恋人はココアの粉を溶いている。辻はテーブルに頬杖をついて、ハハコグサの黄色い粒を軽く指で叩いた。その花言葉は、無言の愛。

 お嬢さん、気付くやろか。気付かへんかな。一人だけの賭け事を胸のうちに始めつつ、辻は傍らの貯金箱を持ち上げた。すっかり軽くなったそれは、相変わらず真ん丸の体で幸せそうに笑っている。一緒に暮らすって、ええことやなあ。まるっこい陶製の頬を両手で包み込んで「なあ」と辻は声を上げた。2つのマグカップを手にしたお嬢さんは、「はあい」と答えた。