十二国漫遊記

純生
@sumio_a

第一話 壁落人・六太

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井戸から汲んだ水を桶にあけ、尋希はザブザブと顔を洗う。まだまだ水は冷たいが、いちいち湯を沸かすのは億劫だった。

水面に映る顔が不快で、手を差し込んでわざと波立たせる。

深紫の髪に、夜明けのようなオレンジ色の瞳。これは、十数年馴染んできた自分の顔ではない。亡き母に似ていると、祖母が頬を撫でた、あの顔。

尋希は何度目か分からない溜め息を吐いて、乱暴に水滴を拭った。

こちらに流されてから、いろいろな事に驚かされた。しかし、一番衝撃を受けたのは、自分の見た目が変化していたことだ。人に指摘されて慌てて鏡を覗き、ひっくり返るはめになった。

こちらでは子供は木になるそうだが、蝕でそれが流されてしまう事があるらしい。その実は、あちらの世界で女性の胎内に宿り、そのまま産まれてくる。親の姿に似た、肉の殻を被って。

本当は、こちらで産まれてくるはずだったのだと言われても、とても受け入れる事などできない。尋希の親は、あちらの両親だけである。

身一つで流されて来たというのに、自分の姿という、あちらを偲ぶ縁すら取り上げられたようで、尋希は酷く不愉快だった。


「おはようございます」

起居に行くと、穏やかな笑みを浮かべた男性が朝の挨拶をしてくれた。現在、尋希に言葉や常識等を教えてくれている、壁落人である。

仙とは言葉が通じるが、どんな言語で話しても翻訳されてしまうので語学教師には向かない。こちらの言葉と日本語を両方話せて、人にものを教える素養のある者ということで、彼が抜擢されたらしい。壁落人が教師を勤める庠序で雑用をこなしながら、あれこれと知識を詰め込んでいる。今までにも何人か世話した事があるらしく、彼の教えは解りやすかった。

元より外国語を勉強する事に興味のあった尋希は、既に片言で意思の疎通ができるようになっていた。発音や文法に問題はあるが。

珍しいものに目がない子供達と交流しながら、少しずつこちらに慣れようとしている。


「今朝、真真が卵を持ってきてくれたので、卵焼きにしました。いただきましょう」

卓上には、味噌汁や漬物等、どこか日本を彷彿とさせるメニューが並んでいる。これは、雁の現王と麒麟が胎果な事が関係しているらしい。蓬莱――つまり日本の文化が根付いているのだ。壁落人も、元々は日本人であるから、どうしてもそういう献立が多くなる。日本産まれ日本育ちの尋希としては、有難いことだ。

祖母の作る、菓子のように甘い卵焼きを思い出し、少し切なくなった。




見知らぬ客人が訪れたのは、昼過ぎのことである。

慣れない毛筆で、単語の書き取りをしていると、尋希に会いたいと客が来たという。こちらに顔見知りなど居なるわけが無い。訝しく思いながらも、応対に出た。

そこに居たのは、身なりのいい少年だった。しかも、日本語を話している。頭に布を巻いているので髪の色は分からないが、瞳の色からしてこちらの人間だと思われた。

六太と名乗る少年の言うことには、彼も蓬莱から流れてきた胎果なのだという。海客が雁に来るたびに、話を聞きに訪ねているそうだ。

こんな子供が故郷と引き離されてしまっては、さぞ心細いことだろう。尋希は深く同情した。

「……とはいえ、俺は酷い田舎町の出でね。話してあげられる事はほとんど無いと思う。すまないな」

そう言って、眉を下げる尋希だったが、それでもと食い下がる六太に請われるままに話して聞かせた。ニュースで仕入れた知識をあれこれ話して、尋希自身の話へ脱線する。村の話。家族の話。いつか外国へ行きたかった夢の話。

「ここは、国によって多少特色はあるらしいが、根本的な文化に大きな違いは無いらしいな。少し残念だよ」

言語は同一。信仰する神も同じだ。気候や風土、王の方針の差はあるが、文化という点では多様性に欠ける。

「まぁ、確かに南蛮や紅毛ほどの違いは無いな」

それでも実際暮らしていると、けっこう違うと感じるもんだぜ。そう、六太は苦笑した。

「あまり国を離れる人は少ないと聞いたけど」

「そうだな。そういう仕事の……商人や旅芸人でもない限り、どうしてもそうなる。そうでなければ、役人か、騎獣を使える金持ちだ。普通の民が国を出るのは、特別な事情がある時だな」

「延王は名君だと有名だ。わざわざ安泰な国を出る必要がないんだろうね」

尋希の言葉に、六太はなんとも言い難い表情をしたが、余所事を考えていた尋希は気づかなかった。

「旅芸人か……」

その声音に滲む羨望に、六太は目を瞬く。旅芸人――朱旌は浮民だ。国から何の保護も受けられない。偽海客が出るほど、雁で優遇される立場を捨てて、朱旌になりたいというのだろうか。

「俺の夢は、あの村を出たいというのが動機だった。でも、こんな事になって……俺に残っているのはその夢だけになってしまった。旅に出て、いろいろなものを見て回りたい。手っ取り早いのは、旅芸人についていく事なのかな、と思ってね」

草寇や匪賊に襲われることもあるだろう。荒れた国には、妖魔という化け物が出ると聞く。水と安全はタダといわれた日本で暮らしていた。平和に首まで浸かっていた尋希が旅に出るなんて、自殺しにいくようなものかもしれない。

それでも、まだ夢を抱えていないと、心が折れてしまいそうなのだった。

言葉すらままならないのだから、今はとても無理だけれど。尋希は、笑って頭を掻いた。


六太を門まで見送ってから、尋希に与えられた部屋に戻る。結局、自分の話ばかりしてしまった気がする。しかも、あんな子供に、弱音まで吐いてしまった。

急に恥ずかしくなり、尋希は臥牀にごろごろと転がる。

壁落人とは師弟として接しているし、庠序の生徒達とはまだ意思の疎通に限界がある。ただ語ることに飢えていて、つい六太を捌け口にしてしまったのかもしれない。

謝りたいが、もう会うこともないだろう。

せっかく胎果同士なのだし、連絡先くらい聞いておくべきだったと、尋希は後悔した。




しばらく経って、六太から手紙が届いた。こちらの言葉で書かれたそれを、これも勉強の一環と、必死になって解読する。

突然訪ねたのに、快く話をしてくれた事への礼。尋希の夢を応援したいということ。ついては、護身の為に多少なりとも武術を覚える必要があるだろう。自分の後見人の知り合いに伝手があるので、習いたければ口利きをする。と、いうことが書かれていた。

みっともないところを見せて、謝らねばと思っていたのに、まさかの展開に尋希は呆然とした。

連絡先は関弓である。おそらく、六太は騎獣で来ていたのだろう。あの身なりといい、きっと優しい金持ちが後見人となっているに違いない。

自分の保護者である壁落人に相談すべく、尋希は衣服を整えて部屋を出た。

思いもよらない好意的な申し出に、尋希は少し勇気づけられた気分だった。