Convalescent -恢復期-(上)

天空風牙@フォローリクエスト受付停止中
@tenkufuga

9.フェイク(2)

この小説は夢小説 (名前変換ができる小説) です。
キャラベルに登録してログインすると、登場人物の名前をお好きな名前に変更できます。


 まず最初に涼子が不審を憶えたのは、昇からの電話が減った事だった。



 国際通話料金が高額になるからやめろと言っているのに、涼子と3日も会えなければ禁断症状が発症するらしい昇は、決まって涼子のいる現地時間の夜22時頃、毎日の様に涼子の携帯へと電話をかけてきた。

 涼子が海外公演に出掛けていても、出掛け先の現地時間22時に合わせてかけてくる念の入れ様で、逆算すると昇の滞在先では深夜の3時だったりして、その執念に些かならず涼子は薄ら寒い思いを憶えたものだ。


 昇がドイツへ旅立って以来、それが突然激減した。

 22時という時間を守る事も少なくなった。深夜の2時に電話が鳴って、眠い目を擦りながら出てみれば言葉少なで殆ど沈黙という、よく分からない電話を受けた事もある。


 最初涼子はそれが、今回のコンサートの重大さに理由があるのだろうと思っていた。

 普段から度々練習室に通い腕を鈍らせない様にしているらしいとは言え、ピアノの様に毎日何時間も練習している訳ではないチェンバロを、しかもオーケストラとの協奏と言う、ソロピアニストとしては併せるのにも時間がかかる様式で演奏しなければならない今回のコンサートは、更にライプツィヒ・バッハ音楽祭のオープニングセレモニーの一貫であるというプレッシャーも加わり、相当の難事業に違い無かった。

 電話の声も、小首を傾げながらふわりと微笑む姿が目に浮かぶ様な、あの艶のある柔らかなバリテノールでなく、暗く沈んだバリトンで、涼子はそれを、練習の行き詰まりかオーケストラとの合わせに問題が生じたのかと考えていた。

 だから酷く心配する涼子に、苦笑して「大丈夫ですよ」と答える彼へ、なるべく完璧主義のプライドを傷付けない様にと、敢えて詳しい事は聞き出さない様にして来たのだ。


 だが、彼との会話で、涼子は時々僅かな引っ掛かりを憶えていた。

 高城の事を話題に出すと、必ず一瞬答えるまでに間が開くのだ。

 自分の誕生日の前夜。必ずその日には戻ると話していた昇を空港まで迎えに行って、いつも先行して帰国し空港まで車を回してくれる筈の高城が今回はいない事に気が付いて、涼子の不審はますます強くなった。

 

 帰国した昇は酷くやつれていた。まともに食べて寝ていたのか不明な程に頬がこけ、目にはうっすらと隈まで出来ていて、「何か」があった事は確実ではあったが、まずは涼子は昇の体力回復が先だろうと、彼の体調が戻るまで、その不審を心の中に仕舞っておく事にした。



 ――本当は、「彼はお前を裏切っている」という三好の言葉が、酷く現実味を帯びて頭から離れなくなったのだが。



 帰宅した玄関先で一度きつく抱き締められただけで、いつもなら真っ先に体を求めて来る筈の昇は、キスさえなく言葉少ななまま風呂に入ると早々に眠ってしまい、どれだけ消耗していてもまずもってそんな風に涼子を放り出したりしない筈の彼らしくないその行動は、涼子の「不審」を「不信」へと変えて行った。




 翌朝、涼子の誕生日。

 二人共オフな為、10時というやや遅い時間に起床した昇は、涼子に対して昨夜の非礼をまず詫びた。

「いいよ。余程疲れてたんだろ? 大役ご苦労様」

 微笑みながらかけた本心からの労いの言葉を、一瞬辛そうな苦笑を浮かべて受け取る、昇のその表情を涼子は見逃さなかった。

「実はプレゼントをまだ用意できていないんです。今から一緒に選びに行きませんか?」

 用意周到な普段の昇らしからぬ事を自覚しているのだろう、申し訳無さそうなその言葉に、涼子は無言で頷いた。


 身支度を終えた二人は朝食を取らずにそのままマンションを出、R34に乗り込むと、最寄りの百貨店へと出掛けた。

「今回は俺がフルコースを作る番ですね。採点はお手柔らかに頼みますよ」

 運転しながらおどけてみせる昇の様子はもうすっかり普段通りではあったが、涼子から見れば些か普段通り過ぎた。


 そう、まるで「普段通り」という自分を演じているみたいに。


 涼子は慎重に、気取られない様それを観察しながら、話を進める。

「余計なアレンジをしなければな。――ただし、ケーキだけは許す」

 昇の料理アレンジャーっぷりは、本人の好物のお菓子作りに関してだけ、その正当な効力を発揮する。

「もう構想は固まってます。期待してて下さい」

 ケーキに対してなのかそれ以外の料理に対してなのか、涼子が若干の不安を憶えている間に車は百貨店へと到着し、二人は地下駐車場からそのまま店内へと入ると、地下食料品街を飛ばして化粧品売り場へと上がった。


 いきなり「何か欲しい物はありますか?」と問われても思い付く筈も無く、涼子は昇を引き連れて、化粧品売り場から順に上階へと上がりながらフロアをうろつく。

 物欲が少ないため欲しい物などなかなか見付からず、フロアを上がる度、あれはどうか、これはどうかと薦めて来る昇を徐々にうっとおしく思いながら、いい加減クタクタな足を引き摺って8階専門店街まで来た所で、やっと涼子はあるテナントに目を止めた。

「香水専門店……ですか」

 小さな箱型に区切られたショーケースがズラリと並ぶその店舗に、迷い無く足を踏み入れた涼子を見て、昇は目を細める。

「あなたがこういう物に興味を持つとは。珍しいですね」

「ああ、諸般の事情があってな」

 早速端から順にテスターをかぎ比べながら、曖昧に涼子は答えた。

「何です? 諸般の事情って」

 涼子がどんな物を選ぶのか興味深く眺めながら、昇は突っ込んで聞いてみる。

「今度オペラアリアに初挑戦するだろ? それを聞いた他のオペラ歌手共に言われたんだよ。『香水もつけていないお子様に、深淵なる歌劇の情緒は解らない』ってな」

「放っておけばいいではないですか。あんな軽薄な人種」

 オペラ歌手の、特にソプラノともなれば、自己顕示欲と成金趣味だけで構成されている様な即物的な女性も多い。

 容姿だけ気に入られ言い寄られる事もある昇にとっても一番嫌悪している人種で、そんな女共の言う事を律儀に間に受けているらしい涼子へ、昇は思い切り眉を顰めた。

「放っておけばエスカレートするだけなんだよ、ああいう手合いは。

 逆にあいつらの思いもよらない様な不思議な香りを身につけて、深淵っぷりで一枚上を行かないと」

 個性を主張し過ぎれば余計叩かれるのではないかと考えない所が、なんとも涼子らしい。

 昇は涼子本来の少しパウダリーな甘い体臭を非常に好んでいたが、彼女自ら個性的な自分に合った香水を選ぶというならそれも試してみたくなり、香水選びが終わるのをじっと待った。



2 / 4