Convalescent -恢復期-(上)

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9.フェイク(2)

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 それから昇は1ヶ月後に控えるライプツィヒ・バッハ音楽祭まで、毎日の様に紫閃から体を求められる様になった。


 逆らう事など出来なかった。始末しようにも、こちらは高城と涼子の命を盾に取られている。


 紫閃はどうやって高城の体へと潜り込んだのか、なかなか白状しようとしなかったが、色愛散の存在を、過去の記憶と併せる事によって、昇はある程度その方法を推測する事が出来た。



 ――なあ……昇、気付いてるか? お前が達する時、一瞬、元の『昇』の体に戻ってしまうのを。



 かつて涼子はそう言っていた。

 達する瞬間、本来の姿に立ち戻ってしまうのは、恐らく肉体と「天部の体」との繋がりが希薄になってしまうせいだろう。

 他者に憑依している者は、元々その肉体との深い繋がりを持たない。よって、忘我の極地である性的絶頂を迎えると、肉体との同調を忘れて「天部の体」がはみ出してしまうのだ。


 人間の場合、肉体はその人の魂専用に作られている為、肉体・魂間の繋がりは深く、堅固に出来ている。だから、忘我の極地に至っても、肉体から魂がはみ出る様な事はまず無い。

 しかし、何も起きないかと言うと、そういう訳でも無かった。やはり確かに肉体と魂の間の繋がりはその瞬間希薄になり、それをこそ狙って、昇もこの「望月」の体に潜り込んだのだからだ。


 昇が望月へと憑依したのは、彼が違法薬物を使用していた、その瞬間だった。

 紫閃は恐らく色愛散を高城に使用して、同じ様に「その瞬間」を作り出したのに違い無い。



 何故、どうやって紫閃が自分達の正体を割り出したのか、その経緯を聞き出せた瞬間、昇は自分の迂闊さに歯噛みをするしか無かった。

 涼子の美声は要するに、彼女が風天であるが故の美声だったのだ。その声には風天特有の能力の紋形が含まれており、彼女は無意識に風天としての能力を使って人々を魅了していた訳だ。


「ご自身から全世界へ『ここにいるぞ』とお知らせ下さるなんて、随分親切なお話ですこと」


 ころころと笑う紫閃の言葉に、昇は目眩さえ覚えた。

 涼子をデビューに導いたのは、昇自身。つまり、涼子が発見されてしまったのは、自分のせいだったのだ。



 守るどころか敵を手引きし、何度も何度も裏切りを重ね、余りの自己嫌悪に、出来る事なら昇は今すぐにでも死んでしまいたかった。


 ――しかし勿論死ぬ事など許される訳が無い。


 紫閃との性行を引き換えにして、記憶の無い涼子は今、殺される事を免れているのだ。

 もし自分が自殺したら?―――当然紫閃は即座に涼子へと襲い掛かるだろう。昇にとって最愛の存在である翔空は、そうでなくても紫閃の憎しみを誘うのだ。


 ――自分が死んだら、あの人は悲しんでくれるだろうか?


 それでもそこにしか救いを求める事が出来ず、昇は何度もぼんやりと自らの死を夢想する。


 ――それとも裏切りがバレてしまえばあのひとは、俺の死など悲しまないだろうか?



 初めて会ったあの日、昇が涼子へと告げた裏切りの事実を、彼女は覚えているのかいないのか。

 記憶が無いからこそ無垢に自分を愛し、信頼してくれる彼女の心を、昇は絶対に失う訳にはいかなかった。


 このままやり直せるのではないかと考えたのだ。傲慢にも、自分が過去翔空あのひとに与えてきた屈辱と裏切りを、全て無かった事にして。

 自分の魂そのものを、最もよく理解してくれる、至上に崇高で美しい、ただの伴侶として。



 2回目から昇は、自分の意志で色愛散を使い、紫閃と交わる事となった。

 幸いにして色愛散には、いくら使っても副作用や依存性が存在しない。まともに紫閃を相手にしても勃起する筈が無い昇には、これは都合が良かった。



 色愛散を使い我を失っても、その行為の内容だけはきちんと記憶にあって、やっている事自体は涼子に出会うまでと同じ事の筈なのに、心が全くその言い訳を受け入れてくれず、昇は自分自身に指摘してやる。



 ――要するにお前は、あのひとからの愛が欲しいだけで、自分からあのひとを愛してなどいないんじゃないのか?



 ひたすらエゴで執着しているだけで、失わないためなら事実を隠蔽し、平気で裏切りを重ねる。

 紫閃に脅されて、なんて被害者ぶっていい話ではない。これは明白な自分に責任のある、エゴイズムによる裏切り行為なのだ。




 しかしどれだけ心が消耗しようと、例え死にたかろうと、今回は石に齧り付いてでも演奏の質を落とす訳にはいかなかった。

 CDになり、複数メディアの取材も入る音楽祭だから、涼子に気付かれてしまってはいけない、というのも勿論あったが、昇の音楽家としてのプライドも、最早切羽詰まった場所にあったのだ。


 大幅に涼子に水をあけられてしまい、「ピアノが上手いだけのイケメン」扱いされつつある自身の立場。


 それは多分に音楽的センスの劣り具合を突き付けており、人間性で並べる筈が無いなら、せめてそこだけでも涼子と並ぶものを持ち合わせていなければ、昇は彼女への嫉妬と羨望で気が狂ってしまいそうだった。

 今回のチェンバロ初協奏で素晴らしい演奏を見せれば、自分への評価も多少は改められる事になるだろう。

 逆に失敗すれば、大して実力も無いのに焦って出来もしない楽器にまで手を伸ばした体になる。それこそいい恥晒しだ。




 紫閃との激しい関係を続け、心も身体もボロボロの中、それでも昇はなんとか音楽祭を成功させるに至った。

 「鬼気迫る」と接頭詞の付いたチェンバロ初協奏の評価も、演奏が終わってしまえば昇にはどうでも良い事だった。

 紫閃へと頭を下げるのは屈辱的だったが、それでも紫閃は関係を長く続けるため、人質に取った昇の涼子への執着心をある程度維持する事も必要だと判断したらしい。

「妻が不義の子を身籠ったら、この女の夫はどうしますかしら?」

 という別れ際の言葉に昇は戦慄したが、クスクス笑いながら身を翻した紫閃は一時昇を手放して高城の夫の元へと戻り、そうして昇は涼子の誕生日の前日、ようやく独りで日本の土を踏む事が出来た。



 そしてこの瞬間まで昇は、愚かにも涼子を騙しおおせると思っていた。




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