Convalescent -恢復期-(上)

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@tenkufuga

7.Title(1)

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 フライトを始めて2時間半も経った頃、ようやくパイロットは口を開いて、何事かを告げて来た。

 プロペラ音に掻き消されて何を言っているのかよく聞き取れなかったが、網目の様な紋様を形作る特徴的な形の干潟を擁した半島が眼下に近付いて来るにつれ、セスナの高度が下がって来て、目的地に近付いているのだと解った。


 涼子はそっと、肩口にもたれ掛かる昇を揺り起こす。サービスに目覚めのキスも付けてやった。

 滅茶苦茶に恥ずかしかったが、どうやら寝覚めのあまり良くない昇は、それに気付いていないらしい。

 「ん……」と身を捩ると、目元を指先でごしごしと擦って、「すみません」とまだ寝ぼけ混じりの声で謝って来た。

「折角のフライトなのに、あなたを放り出して眠ってしまっていた様ですね」

「構わないよ。だから言ったろう? ゆうべ、疲れてるんじゃないかって」

「ええ。でも、どうしてもしたかったのです」

「………私もだよ」

 極小さな声で呟いた、プロペラ音に掻き消された筈のその言葉を紡いだ唇を追う様にして、昇の唇が重ねられる。

 そのキスは爽やかな風景の中、場違いに甘く官能的で、涼子は身の内に灯りそうになる情欲の焔を踵で踏み潰すと、無理矢理に唇をもぎ離した。



「――今、私の記憶が戻っていて自由に空を飛べるなら、いつでもこんな風に景色を眺められるのにな」

 いよいよ着陸態勢に入ったセスナの名残を惜しむ様に、涼子は言う。

「できてもここまで長距離飛行はしないでしょう。絶対自分で飛ばずに金出してセスナに乗る方を選びますよあなたは。人間界で飛ぶ時はいつも、疲れる疲れると言っていたではありませんか」

 何がそんなに疲れるのか知りませんが勿体無い話です、と昇は呆れた様に言う。

 涼子自身も何が疲れるのか解らなかったので、自分の事なのに変な話ではあるが、心の中で昇の言葉に同意した。翔空というのは、随分怠惰な性格をしているらしい。


 赤土の、砂漠めいた荒野の中にポツンと設けられた小型飛行場の上空で、セスナは緩く旋回すると、軽いバウンドと共に滑走路へと降り立った。

 滑走路はアスファルトを敷き直したばかりなのか黒々としていて、パースの空港よりも凹凸が少ない。セスナは陽炎を双翼で切り裂きながら滑らかに走り抜けた末、ゆっくりと停止した。


 また出入りしにくい小さな扉からセスナの翼に降り立ち、涼子はその日差しの強さに顔を顰める。

 殆ど刺す様な、と言っていいその日差しは、確かに日焼け止めが無いと一日で火膨れを起こしそうで、涼子は朝食の後に素直に日焼け止めを塗っておいて良かったと安堵する。


「こっちです。車に乗り換えますよ」

 昇に手を引かれて翼を降りた涼子は、パイロットの通訳をしてくれる彼に促されるがまま、駐車場のエリアへと向かう。

 飛行場内は外周沿いに花壇が設けられ、ブーゲンビリアと、涼子が見た事も無い様な不思議な多肉植物の花が咲き乱れていた。


 駐車場では、サングラスをかけた壮年の女性ガイドが待ち構えていた。

 プラチナブロンドを風に乱しながら、彼女は1台のバンへ一行を案内し、「乗って」とジェスチャーする。

「一体これからどこへ行くんだ?」

 飛行場のすぐ近くに目的地があるものだとばかり思っていた涼子は、バンの後部座席へ乗り込み席を詰めながら昇に問い掛けた。

「言ってしまっては面白くないでしょう」

 昇も後に続きながら、企みの篭った含み笑いでそれに答える。

「道中、野生のカンガルーやエミューなどが見られるかも知れないらしいですよ。楽しみですね」

 昇の通訳に目を輝かせた所で、後部座席のドアを閉めたガイドが助手席に乗り込んで来て、パイロット改めドライバーに早変わりした男の運転で、バンは飛行場を後にした。


 バンは赤土の荒野を貫くひたすら直線の道路を、快調に飛ばして行く。

 前後する車両は1台もなく、周囲には見渡す限りに土砂漠の荒涼とした大地と、所々に生えるブッシュの様な低木の群生が続いていた。


 急に女性ガイドが、何事か声をあげて前方を指差した。

「………エミューだ!」

 指差す先を見て、涼子は息を飲む。陽炎に煽られながら、楕円形の胴体に棒の様な脚の付いた首の長い影が、ひょこひょこと歩いていた。

 車はゆっくりとそちらに近付くと、殆ど停止しそうな速度の徐行を始める。

 車が近付いても、エミューは逃げなかった。

 エミューは2匹いて、その大きくつぶらな瞳で不思議そうにバンの中を眺めては、また

ゴツゴツとした硬そうな嘴で何やら地面をつついている。

 ポワポワとした頭に生える毛と、黒褐色のもさもさとした羽根が一枚一枚確認出来る近さでエミューを見る事が出来て、涼子は感動した。

 車はまたゆっくりと速度を上げて行き、涼子はバックガラスから遠ざかって行く2匹の影を名残惜しく見送った。

「目付きが悪そうなイメージが勝手にありましたけど、意外と可愛いですね」

 微笑んだ昇に涼子も頷く。

 そのまままた、車は暫く荒涼とした大地を駆け抜けて行った。


 飛行場を出て20分も経った頃、ようやくバンの前後に車が現れる様になった。

 その車もあまり日本で見る事の無い、ジープやピックアップトラック、キャンピングカーと言ったもので、涼子はその野趣溢れる趣になんとなくハリウッド映画を思い出していた。

 そのまま5分程走って、ようやく涼子は昇の目指す目的地を理解する。


 Hamelin Pool


 そう書かれた道路標識は小さかったが、その後度々道中に出て来る様になり、ついにブッシュ混じりの土砂漠が砂浜のものであろう白砂に変わって、涼子達一行を乗せた車はシャーク湾・ハメリンプールへと到着した。


 駐車場からして、砂浜の白砂が混じっている。

 涼子は見上げた空の青と、前方に砂丘を作る砂浜の白が描く美しいコントラストに、思わず溜息を漏らした。


 白砂は手に取ってみるとその一粒一粒が、全て砕けた貝殻で出来ているのに角が無く滑らかで、涼子は感嘆しながらそれを作り上げた悠久の時に思いを馳せる。

 人の手では絶対に作り出せない、絶対に侵してはならない自然の美というものが、ここにはあった。


 昇の手に引かれて登った砂丘の上から見た浜辺は、だが涼子が想像していた様な滑らかな海岸線ではなく、無数のゴツゴツとした奇妙な岩の出っ張りが透明度の高い波打際の海水の間をたゆたっていた。


 涼子は言葉を失って立ち止まり、目を見開く。

 ―――私は知っている。これを何と言うか、その名前を知っている。




 ストロマトライト。

 35億年前から、今も変わらずゆっくりと、この地球で酸素を吐き出し続けている。




 急激に体の中に様々な知識と感情が湧き上がり、横溢して、涼子は俯き、口元を押さえた。

 イメージの中でストロマトライトは急速に俯瞰になり、まるで衛星写真の縮尺でも変えるかの様に、シャーク湾、そしてオーストラリア大陸全土を映し出す。

 そのまま、瑠璃色の宝玉の如き、地球。

 ――太陽系。

 ――銀河系。

 ――局部銀河群。

 ――超銀河団。

 ――グレートウォール。

 ――大宇宙。




 ゆっくりと、密やかに。だが確実に、粛々と。

 ただひたすら運行する為に悠久の時を、運行し続けている、





 世界。世界。世界。





 ――その世界すら急速に収縮し、幾つもの違う世界の存在が寄り集まり収斂し始めた所で、涼子は昇の「大丈夫ですか?」と問う強い声に、急速に現実へと引き戻された。


「………ああ……、大丈夫だ」

 何度も瞬きながら答えたそのレンズ越しの瞳に、昇は息を飲む。


 彼女のラブラドライトの瞳は、これまでのどの瞬間よりも、強い瑠璃光を放っていた。



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